黄葉夕陽村舎  菅茶山 第5巻
1,題寒鴉枯木図
2,送人之長崎
3,頼久太郎寓尾藤博士塾二年帰路過草堂因賦此為贈
4,送梅
5,画竹
6、渡月橋
7、西山翁小祥一夕宿至楽居
8、題赤壁図(一)



   題寒鴉枯木図
山長水遠逈晴空。     山長く水遠く 晴空 はるかなり
一掬愁心四夜風。     一掬の愁心 四夜の風
古道無人秋又過。     古道 人なく 秋又過ぐ
寒鴉枯木夕陽中。     寒鴉枯木 夕陽の中
○四夜:=あたり一面。
○寒鴉枯木:=【芭蕉」の『古枝にとまりけり秋の暮れ』の句は之を下に敷いた発想を連想さす。


   送人之長崎
西指青蜒欲尽頭。     西のかた 指さす青蜒 尽きんと欲するの頭
羨君蓬矢志堪酬。     羨む君が 蓬矢 志し酬いるに堪えたるを
如逢色目重鞮訳。     如(もし)し色目に逢うて 鞮訳を重ねれば
海外伝聞幾九州。     海外伝聞す幾九州
○:=青蜒=青いトンボ。此っでは「秋津島」を言う。
○:=蓬矢=)ヨモギで作った矢。〔邪気を払う、とされる}
○:=色目=外国人。
○:=鞮訳(ていやく)=革靴で夷狄の履物。その言葉を通釈したもの。


   頼久太郎寓尾藤博士塾二年帰路過草堂因賦此為贈
   頼久太郎 尾藤博士塾に寓すこと二年 帰路 草堂を過ぐる因って此に賦し為に贈る
千里遊方何所成。      千里遊方 何の成す所ぞ
談経二歳侍陽城。      経を談じて二歳 陽城に侍す
歸來有献尊親物。      歸り來たって尊親に献ずる物 有りや
不獨奚嚢珠玉盈。      獨り奚嚢に珠玉の盈つるのみならざるを
  此の詩は(寛政十年)茶山51歳、山陽19歳。江戸の尾藤二州の学塾を途中で辞めて、叔父の頼杏平と共に山陽道を帰広の途中、茶山の廉塾を訪れた時に贈った詩。
○:=経=経学。儒学の正当として当時は(朱子学)の正統に於いては未だ経を学ぶのが第一主義。当時の風潮として詩作は余技~趣味の一つとして軽視される事が多かった。
学、半ばにして帰って来た山陽に、余技ばかり成していたのでないか?と山陽を窘める茶山。山陽と茶山の確執〔山陽は恩師菅茶山の元を後足で砂を蹴った様で江戸に向かった山陽らしき傍若無人ぶりの態)後生に夙に知られる逸話は有名。
○:=奚嚢=唐代の李賀は作詩が出来ると何時も奚童の持つ袋にいれた故事による。

    送梅
黄梅五月雨冥冥。     黄梅の五月 雨冥冥たり
廃我吟行幾日経。     我が吟行廃してより幾日か経たる
不識新秧移已遍。     識らず新秧 移して已に遍ねし
推窓四野接天青。     窓を推せば四野 天に接して青し

    画竹
晩筍攢生幾稺龍。     晩筍 攢り生ず 幾稺龍
新篁已見擢晴空。     新篁 已に見る 晴空に擢んずるを
四迷狂客帰家日。     四迷狂客 家に帰るの日
驚殺児孫別作叢。     驚殺す児孫 別に叢と作す
○:=稺龍=筍の異名。
○:=四迷狂客=唐代の詩人、賀知章の雅号。

    渡月橋
渓流南北盡栽花。     渓流 南北 盡く花を栽う
南映丹崖北緑坡。     南は丹崖に映じ 北は緑坡
両岸遊人互来往。     両岸の遊人 互いに来往す
橋声趨趨踏紅波。     橋声 趨趨として紅波を踏む

  西山翁小祥一夕宿至楽居 
三十余年夢一醒。     三十余年 夢一醒
更驚水訣又周星。     更に驚く 水訣 又周星 
風窓葉落空斉暁。     風窓の葉落 空しき斉の暁
惜昔同君側枕聴。     惜しむ昔 君と同じく 枕を側にして聴きしを

   題赤壁図(一)
清都春夢一場空。     清都の春夢 一場空し
何処遊蹤不雪鴻。     何処の遊蹤 雪鴻ならず
有酒有魚今夜月。     酒有り魚有り 今夜の月
復駆蘇子上孤篷。     復た蘇子を駆って 孤篷に上る
○:=蘇子=蘇東坡