龔自珍

きょうじちん(龔自珍)(1792~1841)は、 字を�瑟人と号した。父の麗正が段玉裁の女婿である。段玉裁は江蘇省金壇の人。字は若膺、載震の門下で古代言語を研究し、古韻十七部の説をたてた。「六書音韵標」を作り研鑽を重ね、「説文解字注十五巻」を完成さた人である。龔自珍はこの外祖父について学び文字音韻の学に通じ、晩年には梵語・英語・仏教研究にも手を染め・政治学にも深い関心を寄せ、専ら羊公学を奉じ世務を論じた。


    己亥雑詩 (一)
端門受命有雲礽。    端門 受命 雲礽(うんじょ)有り
一脈微言我敬承。    一脈の微言 我 敬しんで承ける
宿草敢祧劉礼部。    宿草 敢えて祧す 劉陵に在り
東南絶学在毘陵。    東南の絶学 毘陵に在り

解釈:魯の端門に血書が下り、孔子が天の命を受けて、遠い子孫が現れた。そしてずーと一筋に伝えられ手た、孔子の薇言を、私は謹んで承け継いだ。礼部主事の劉逢禄先生が亡くなられて、久しいかな、毘陵に伝わった公羊傳こそが東南の美と誇るに足りる絶学である。

     己亥雑詩 (二)
古人製字鬼夜泣。    古人 字を製りて 鬼 夜泣く
後人識字百憂集。    後人 字を識りて 百憂 集まる
我不畏鬼復不憂。    我は鬼を畏れず 復た憂へず
霊文夜補秋灯碧。    霊文 夜 補えば 秋灯碧たり

解釈:昔の人が始めて字を造ったときには、夜中に死者の霊がすすり泣く声が聞こえ、後の人は文字を覚えた瞬間から、百千の憂いが押し寄せて来ると言っている。私は幽霊を畏れず、復た憂い飛ばされもせず、説文に霊妙な文字が欠けているのを補う仕事を続けたが、秋の夜更けに、灯火が碧色に気味悪く輝いていたものだ。

   雑詩。已卯自春徂夏,在京師作。得十有四首 (一)
少小無端愛令名。    少小 端無く 令名を愛す
也無学術誤蒼生。    也た学術の蒼生を誤る無し
白雲一笑懶如此。    白雲は一笑す 懶 此の如きを
忽遇天風吹便行。    忽ち天風の吹くに遇い 便ち行く

解釈;年も行かぬ頃から、つい、なんとなんく名声に愛着をもったが、人民をあらぬ方向に押し遣るだけの学問も無い。白い雲のように気ままな私はこんな物ぐさを笑い飛ばしていたが、突然、大空を吹き渉る風をくらい、風のままに動くことになった。

    雑詩。已卯自春徂夏,在京師作。得十有四首 (三)
情多処処有悲歓。    情多ければ処処に 悲歓有り
何必滄桑始浩歎。    何ぞ必ずしも滄桑にして始めて浩歎せんや
昨過城西曬書地。    昨 城西曬書の地を過るに
蠧魚無数訊平安。    蠧魚 無数 平安を訊ぬ

過門楼胡同宅、      門楼胡同の宅を過る

解釈;多感な人間は何かにつけて、喜び、悲しむものである、天地が動顚するような大変動にあって、始めて大きな悲歓をいだくとは限らない。昨、城壁の西にある、嘗て書物の虫干しをした住まいに立ち寄ったら、無数の虫がゾロゾロご機嫌伺いに現れた。   門楼胡同の宅を過る。