王船山(1619〜 1692)

王船山≪王夫之≫明朝末期・万暦47年9月1日。湖南省衡陽で生誕。字は而能。明朝最後の崇禎帝が李自成の北京入城に際して自縊した(1644).王船山は26歳の時である。
呉三桂を先導する清軍が北京に入る。世祖順治帝の即位により191年辛亥革命に至り清朝の統治が始まる。王船山は一時、桂王の幕下に参加するが、35歳の時≪意霊の賦≫を作詩して以後、清朝を拒否して、明朝の遺臣として全うし清初康煕31年1月2日、74歳を以て没した。

 初婚、牧石先生示詩。有日、成博議幾千行之句、敬和。
 初めて婚し、牧石先生示詩を示れる。日ありて、「博議」幾千行の句を成し、敬しんで和す

關S不向錦屏開。   關S 錦屏に向いて開かず
日日孤山只弄梅。   日日 孤山 只だ梅を弄すのみ
冷蕊疎枝吟未穏。   冷蕊 疎枝 吟じて未だ穏やかならず
愧無博議続東来。   博議の東来を続ぐ無きを愧ず

 匡社初集、呈郭季林管冶仲文小勇
 匡社に初めて集り、郭季林・管冶仲。文小勇に呈す

我識古人心。   我れ古人の心を識る
相将在一林。   相将いて 一林に在り
以南偕雅籥。   以って南のかた 雅籥を偕にする
意北任飛吟。   意は北にかた 飛吟に任す
莫擬津難問。   津の問い難きを擬う莫れ
良宵霜月好。   良宵 霜月好く
空碧発笙音。   空碧 笙音発す

  玉門望獅子峰。用旧作四韻 甲甲重遊
  玉門に獅子峰を望む。旧作の四韻を用う 甲甲重ねて遊ぶ

前遊余愴在。   前遊 余愴在り
霜月況同時。   霜月 況んや時を同じうするを
世益麌?駭。   世は益ます 麌?駭き
九州浮一影。   九州 一影を浮かぶ
残夢続新詩。   残夢 新詩に続ぐ
視徹余生淡。   視徹す 余生の淡なるを
悠々吾豈痴。   悠々たり 吾れ豈に痴なるか

 放杜少陵文文山、 作七歌。 其の一
 杜少陵・文文山に放いて、 七歌を作る。 其の一

我生萬暦四七秋。   我れ 萬暦四七の秋に生れ
顕皇膏雨方寸留。   顕皇の膏雨 方寸に留まる
聖孫龍翔翔桂海。   聖孫龍翔して 桂海に翔り
力與天呉争横流。   力めて天呉と 横流を争う
?煙蛮雨困龍気。   ?煙蛮雨 龍気を困しめ
我欲従之道阻修。   我れ之に従がわんと欲するも 道は阻にして修し
鳴呼一歌兮向南哭。  鳴呼一歌し 南に向いて哭す
草中求活如蝟縮。   草中に 活を求め 蝟縮の如し