温庭筠 
温庭筠は山西省太原の人。若い頃から頭脳明敏で天賦の才を有し、科挙の試験では何時も官定の韻字を押韻するのに筆を執らず、一韻ごとに一度吟ずるだけだった。故に「温八吟」と称された。また、八度腕組みすると八韻を作りあげるので「温八叉」と名付けられるなど、希有な存在と知られていた。

温庭筠は、李商隠とともに「温李」と呼ばれた晩唐の詩人で、夏承燾の「温飛卿繋年」によると李商隠と同じ憲宗の元年七年(817)に生れている。温庭筠もまた任官を志したが、彼の一生は、李商隠と同じく不遇に終わっている。(詩話・温庭筠)参照されたい。

「唐才子伝」巻八に不遇な一生の原因が窺い知れる。彼は、ある時は牛党のリーダー、令孤綯に、またある時は李党のリーダー、李徳裕に懇乞して、その「無持操」と批判されている。猶、興味深いのは彼の詩が「金定御選詩」に記載されていることを発見した。

李商隠と温庭筠の比較論を第一に挙げるなら、李商隠は自己の葛藤に苦しみ乍も、任官の為に耐え、その為、内向的思考が進んで挫折感、絶望感を凝縮させ、終には自己否定へと繋がって個性を有している。温庭筠は、任官への願望を持ちながらも、それに執着して自己の意識を束縛すること無く禍咎を招きつつも不満や失望を大胆に、外の世界へ向って発散させるという個性を有している。興味深い二人の詩人でもある。

   観舞妓
朔音悲嘒管。   朔音 嘒管を悲しませ
瑶蹋動芳塵。   瑶蹋 芳塵を動かす
総袖時増怨。   袖を総めて 時に怨を増し
聴破復含嚬。   破を聴きて 復た嚬を含む
凝腰倚風軟。   凝腰 風に倚りて軟く
花題照錦春。   花題 錦に照らす春
朱弦固凄緊。   朱弦 固に凄緊にして
瓊樹亦迷人。   瓊樹 亦 人を迷わす

   瑶瑟怨
冰簟銀牀夢不成。   冰簟 銀牀 夢 成らず
碧天如水夜雲軽。   碧天 水の如く 夜雲軽し
雁声遠過潚湘去。   雁声 遠く潚湘を過ぎ去り
十二楼中月自明。   十二楼中 月 自ら明かなり

  示趙彦和
四柳危亭坐晩陰。   四柳の危亭 晩陰に坐す
慇懃雞黍故人心。   慇懃なる雞黍 故人の心
児孫満眼田園楽。   児孫 満眼 田園の楽しみ
花木成陰歳月深。   花木 陰を成して歳月 深し
十畝蒼煙秋放鶴。   十畝 蒼煙 秋 鶴を放ち
一簾涼月夜横琴。   一簾 涼月 夜 琴を横たう
家山活計良如此。   家山の活計 良に此の如し
帰興秋風已不禁。   帰興 秋風 已に禁えず

   超化寺
隔竹微聞鐘磬音。   竹を隔てて微かに聞く鐘磬の音
牆頭修緑冷陰陰。   牆頭の修緑 冷やかにして陰陰たり
山迎初日花枝靚。   山は初日を迎えて花枝 靚い
寺裏清潭墖影深。   寺裏 清潭 墖影深し
吾道蕭條三己仕。   吾が道 蕭條として三たび己に仕え
此行衰病独登臨.。   此の行 衰病 独り登臨す
簡書催得悤悤去。   簡書 催し得て悤悤に去らば
暗記風煙擬夢尋。   暗に記す風煙 夢の尋ぬるに擬するを

     08.07.27    石九鼎漢詩館outeiing.html へのリンク