陸 機 (261〜303)             石九鼎漢詩館 2008/07/16

字は士衡、江蘇省の出身。呉が滅びのちに洛陽に入り張華に認められて累遷した。太子洗馬となり、後に趙王倫の参軍となったが趙王倫の死後、四川省成都王頴などと長沙王討伐に関係したが、失敗して殺された。

曹操によって築かれた魏は、司馬氏によって政権を奪われたが、その晋の太康(280-289)を中心とした文学は陸機・陸雲・の兄弟によって代表される。又、張協・張載・張亢の三兄弟、潘岳・ 潘尼の兄弟、及び、左思が名を得ていたので、世に≪三張二陸両潘一左≫と称される。

とりわけ陸機の五語詩は華麗で格調高く整ったものであったが質実さが乏しいと言はれる。張華は陸機を評して「人の文を作るは常に才の少なきを恨む、然るに士衡は却ってその才の多きを患う」と言う。陸機は「文の賦」を表して文の本質・修辞について論じている。即ち、「天地を形内に籠め万物を筆端に挫く」と述べている。

   短歌行
置酒高堂  悲歌臨觴。       高堂に置酒し  悲歌して觴に臨む
人寿幾何  逝如朝霜。       人寿幾何ぞ   逝こと朝霜の如し
時無重至  華不再揚。       時は重ねて至る無く  華は再びは揚らず
蘋以春暉  蘭以秋芳。       蘋は春を以って暉き  蘭は秋を以って芳し
来日苦短  去日苦長。       来日は苦だ短かく   去日は苦だ長し
今我不楽  蟋蟀在房。       今 我れ楽しまずんば  蟋蟀 房に在らん
楽以会興  悲以別章。       楽しみは会を以って興り  悲しみは別を以って章はる

豈曰無感  憂為子忘。       豈に感無しと曰んや  憂は子が為に忘られる
我酒既旨  我肴既贓。       我が酒 既に旨く    我が肴 既に贓し
短歌有詠  長夜無荒。       短歌 詠有らんも    長夜 荒らんこと無けん


   隴西行
我静如鏡  民動如煙。       我は静かにして鏡の如く  民は動いて煙の如し
事以形兆  応以象懸。       事は形を以って兆あり   応は象を以って懸る
豈曰無才  世鮮興賢。       豈に才無しと曰んや    世に興賢 鮮し


  講漢書詩    漢書を講じる詩
税駕金華   駕を金華に税き
講学秘館   学を秘館に講ずる
有集惟髦   有集いたるは惟れ髦
芳風雅宴   雅宴に芳風あり
    (芸文類聚   巻十八)雅宴

  詠 老    
軟顔収紅蕊   軟らかき顔は紅の蕊を収め
玄鬢吐素華   玄き鬢は 素き華を吐く
冉冉逝将老   冉冉として逝きて将に老いんとす
咄咄奈老何   咄咄 老いを奈何せん
     (陸平原集  百三家集)
   

   秋 老
粛粛素秋節   粛粛たり素秋の節 
湛湛濃露凝   湛湛として 濃き露は凝る
太陽夙夜降   太陽は 夙に夜に降り
少陰忽已升   少陰は 忽ち已に升る
     (陸平原集  百三家集)