陸 雲

陸雲は字を士龍と言う。陸機の弟である。性質が清潔で,正直で,才識があって道理が解っていた。六歳で能く文を属し,兄の機と名を斉しくした。呉の乱が平いでから後に機と共に洛陽に入った。機の「赴洛道中」の詩はこの時の作である。兄弟で洛陽に入ってから,先ず太常張華の家を訪問した。

張華は素より二人の名前を聞いていたので一見して旧知の如く「呉に克つの利は二俊を獲るるに孰與ぞや」と言って大に歓待した。後い雲が獨りで張華を訪うた時に,坐に荀隠が来ていた。雲と隠は初対面であった。
華は今日はよい機会で二人が遇ったのだから,普通の話では面白くないと言った。陸雲は忽ち手を挙げて「雲間の陸士龍」と,名のった。

筍隠も亦た「日下の筍鳴鶴」と,声に応じて答えた。鳴鶴は隠の字である。雲が又「既開青雲観白雉。何不張爾弓挟爾矢」 既に青雲を開いて白雉を観る。何ぞ爾の弓を張り爾の矢を挟ま不るや

と言うや隠は又「本謂是雲龍騤騤。乃是山鹿野麋。獣微弩強。是以発遅」 本と是れ雲龍さかんなると思えり。乃ち是れ山鹿野麋。獣微にして弩強し是を以て発すること遅し
と答えた。張華は此の話を傍で聞いていて掌を撫で乍ら頷き大いに笑った。

彼は刺史の周浚が召して従事公府掾,太子舎人とした。後に出でて浚の儀令に補せられ,更に呉王晏郎中令に拝せられた。成都王の穎が表して清河内史と爲した。屡々正言を以て旨に忤うたので,機が戦に敗れてから併せて害せられた。歳は四十二であった。

雲も又,張華に知られ,初めて周浚に用いられ,後に呉王成都王などに寵任され,大将軍司馬と為ったが,孟玖,廬志等に忤うた爲に怨みを買い,兄の機が敗ると雲も又,収捕せられ,江統,蔡克,棗崇等が雲の爲に哀訴強請したが遂に効なく,孟玖に殺された。

此の兄弟は当時,二陸と言い皆な年少で才名高く,洛陽に入って一朝抜擢され倶に重任を受け,入っては帷幄に侍し,出でては三軍の将となったが,何れも小人の怨みを買い,終りを全うする事が出来なかった。高明の門鬼之を窺う,と言うが,或いは然らんか。

















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