★ 山陽遺稿集 ★(上)          石九鼎の漢詩館

  観梅翌日作
昨遊陳跡夢闌残。   昨遊の陳跡 夢闌残
酒醒窓白暁光寒。   酒醒め窓白みて暁光寒し
唯有折來梅現在。   唯折り來たりし梅現に在る有り
一枝著意挿瓶看。   一枝 意を著け 瓶に挿して看る

  十三夕
繞欄秋漲尺來多。   欄を繞る秋漲 尺來多し
病尽其如風露何。   病尽きて其の風露を如何んせん
乗月捕魚誰氏子。   月に乗じて魚を捕るは誰氏が子  
幾回挙網濾金波。   幾回か網を挙げて金波を濾す

  中秋前夜連夜無月
咄咄銀蟾奈汝何。   咄咄 銀蟾 汝を奈何せん
秋雲黏水逐宵多。   秋雲 水に黏し宵を逐うて多し
作意呼灯又呼酒。   作意 灯を呼び 又酒を呼ぶ
向吾掌上起金波。   吾が掌上に向って金波を起こす

(今夜は秋雲が水にぺったりと貼りついたように蔽うて,月の影は見るべきもない。そこで工夫をこらして、灯を点して酒盃を挙げる、灯火が杯中の酒に映じて月光の如く金波を起こした。月下独酌と洒落た。)

   今津某氏園裁牡丹。索詩
田圃寧無冨貴花。   田圃 寧に冨貴の花 無からん
一稜金紛映桑麻。   一稜の金紛 桑麻に映じ
要看人世真黄紫。   看るを要す人世 真の黄紫
不在洛陽姚魏家。   洛陽 姚魏の家に在らず

(田舎にだって、どうして冨貴の花が無かろうか、この家の園には芳醇豊かな牡丹が桑や麻に映じて美しく咲いているではないか,人間真の高貴な牡丹は,都の冨貴の家にはなく、田舎の庭園にある。)

  寒 拾
曾携一箒出人間。   曾て一箒を携えて人間に出ず
浩劫塵埃欲掃難。   浩劫の塵埃 掃はんと欲するも難し
不識自家機已漏。   識らず自家の機 已に漏れたるを
却将饒舌罵豊干。   却って饒舌を将って豊干を罵しる

曾て一本の箒を携えて人間の世に出て塵埃を掃除しようとした,難しいことだった。高徳の隠士と言う名が世間に高くなったが,当人にはそれが氣就かず,豊干が饒舌を罵った。自から現れたのに氣就かず豊干の所為にしてしまった所に,一層の高潔さ純潔さを見る。)

  荘子夢蝶
胡蝶荘周孰是非。   胡蝶 荘周 孰れか是非
枉齊物我費心機。   枉げて物我を齊しうして 心機を費やす
不如此夢終無覺。   如かず此の夢 終いに覺むる無く
趁絮穿花随意飛。   絮を趁い花を穿つて随意に飛ぶに

(荘周が夢に胡蝶となったのか、胡蝶が夢に荘周になったのか,胡蝶と荘周とは必ず別物となすだろうが、それは物の変化と言うもの,萬物紛紛として形態を異とすとも、自然の大道に於いては悉く齊しいのである。などと,無理に外物と我とを齊しくしよう精神を説いている。が,さんな煩雑な論理を費やすよりは,蝶になった夢が永久に醒めないで,柳絮の風に飛び,花の間を遊ぶ,気侭に飛び回る方が好い。)


  詩佛老人竹
天明為竹若為詩。   天明 竹を為る詩を為るが如し
妙所天成不自知。   妙所 天成 自ら知らず
不論胸裏無成竹。   論ぜず胸裏 成竹なきを
酔毫到紙一枝枝。   酔毫 紙に到れば一枝枝

  遂奉遊芳野
侍與下阪歩遅遅。   與に侍して阪を下るに歩遅遅たり
鴬語花香帯別離。   鴬語 花香 別離を帯ぶ
母已七旬児半百。   母已に七旬 児は半百
此山重到定何時。   此の山 重ねて到るは定めて何れの時ぞ

(母のお伴をして、ゆっくり、ゆっくりと阪をくだって行った。鴬の鳴く声、花の香り、悉く別離の悲を帯びてくる。母は已に70歳,私は50歳,又重ねて此の山に遊ぶのは何日のことか,遊びに来ることが有るか無いか,そんなことを思うと,堪えられなく名残惜しい。歩くのも自然と遅遅としてくる。)

  修史偶題 十一首の一
黒鼠黄鶏両忽諸。   黒鼠 黄鶏 両ながら忽諸
終看冠冕被媛狙。   終に看る冠冕 媛狙の被るを
苦心描写成何事。   苦心 描写 何事をか成す
一部東方相斫書。   一部東方の相斫書

(奢る平家の清盛も久しからず、旭将軍と称された義仲も忽ち亡び頼朝が政権を把握した。自分が今書いているのは、一部の日本の戦記である。興亡相移る武家の闘争史である。左傳如きのもで隗橲を地下に呼び起こしたら、本気で読む程の本ではないと言うだろう)

  修史偶題 二
二十余年成我書。   二十余年 我が書を成す
書前潅酒一掀鬚。   書前 酒をそそいで一たび鬚を掀げる
此中幾個英雄漢。   此中幾個の英雄漢
諒得吾無曲筆無。   吾れ曲筆無きを諒得するや無や

(二十余年の歳月を費やして我が外史は完成した。書を前に酒を潅ぎ、先考に報告の祭をなし、杯を傾けた。此の中には幾多の英雄児を写し出しているが、我が筆に曲筆のない事を諒得するだろうか)

  十二媛絶句(其の一) 紫式部
静女高風冠内家。   静女の高風 内家に冠たり
何唯朱管逞才華。   何ぞ唯に朱管 才華を逞しくするのみならんや
相公百事原無缺。   相公 百事 原と缺くる無きも
不折一枝深紫花。   折らず一枝の深紫花

(貞静な彼女の風格は宮廷中の貴婦人中第一であった。それは源氏物語を書いたと言うだけでは無い。父であった,摂政関白の藤原道長は,この世の中に何一つ思うようにならぬ事は無い,と歌っていが,唯一枝の濃い紫の花だけは,折り得なかった。即ち式部だけは思うようには,ならなかった。)

  十二媛絶句 (其の二) 清少納言
暗記長慶亦等閑。   暗に長慶を記するも亦等閑
蝦鬚一捲解竜顔。   蝦鬚一たび捲いて竜顔を解く
誰知雑纂臨摸手。   誰か知らん雑纂 臨摸の手
当喚釵裾李義山。   当に喚ぶべし釵裾の李義山

(清少納言は白楽天の長慶集を暗記していたが,平素は等閑にしてた,簾を捲き上げた一事を以って竜顔を解いた。彼女の枕草子は,唐の李義山の雑纂を見てこれに摸したものだと言う。知っている人がいるだろうか,ともあれ,彼女は女流作家中の李義山と呼ぶべき才媛である。)

  十二媛絶句 (其の三) 鞆絵
料峭東風凍鉄鱗。   料峭の東風 鉄鱗凍る
冰肌濺血涙妝新。   冰肌 血を濺いで涙妝新たなり
粟津有勝烏江処。   粟津 烏江に勝れる処あり
従騎中猶著美人。   従騎 中 猶を 美人を著く

(春寒身にしむ東風に、甲冑の札も凍るばかりである。美しい冰肌に返り血を浴びた鞆絵が、涙に泣き濡れて、義仲との別を惜しんでいる。粟津で戦没した義仲の方が,烏江で死んだ楚の項羽より勝つた話がある。虞美人は抜山蓋世に唱和し、遂に自ら刃に伏し死し、烏江には従い得なかった。鞆絵御前は粟津に近い打出浜まで送っている。項羽と義仲の一生は哀れだが、よく似たところがある。)

  冑山歌
冑山昨送我。       冑山 昨 我を送り
冑山今迎我。       冑山 今 我を迎える
黙数山陽十往返。    黙して数えれば山陽 十たび往返
山翠依然我白鬢。    山翠依然たり 我は白鬢
故郷有親更衰老。    故郷 親あり更に衰老
明年当復下此道。    明年 当に復た此の道を下るべし

  桂川所見
雨添寒漲岸痕遥。   雨は寒漲を添えて岸痕遥なり
紅樹青林路一條。   紅樹 青林 路一條
村叟入城帰到晩。   村叟 城の入って帰えり到ること晩し
駆牛過水自過橋。   牛を駆って水を過らして自らは橋を過る

  題或画露根蘭
所南用筆意須論。   所南の用筆 意須からく論ずべし
黄壌青黍並不存。   黄壌青黍 並に存せず
六十余州萬年土。   六十余州 萬年の土
何辺不可託芳根。   何れの辺 芳根を託す可からざらん

(所南の筆法に論じたい。この蘭は根が露出している。土が全く着いていない,宇宙をさ迷うているようだ。恰も楚の屈原が放逐されたのを思い出す。何れの土地に根を下ろすことが出来るだろうか)

  題八幡太郎過勿來関図
春風吹旌白央央。   春風 旌を吹いて白央央
多難関心道路長。   多難 心に関して道路長し
満地腥塵未全掃。   満地の腥塵 未だ全く掃はず
馬蹄愧踏落花香。   馬蹄 踏を愧づ落花の香

(春風に翻る白旗は央央鮮明である。行く先は多難が氣にかかり道は長い,北奥の地の戦陣未だ全く掃はれていない。自分の力で平定し得るか,どうか,散る桜花を馬蹄に蹂躙するのが,氣愧かしい。)

  論詩絶句 (二十七首之一)
評姿群観宋元膚。   姿を評して群がり観る宋元の膚
論味争収中晩腴。   味を論じ争い収む中晩の腴
断紛零香合時嗜。   断紛 零香 時の嗜に合す
問君何苦学韓蘇。   君に問う何を苦しんで韓蘇を学ぶ

(宋・元の詩の表現技巧を群がり見て詩姿を評し,又中唐詩晩唐詩の美を論じ,此れらを争い取って己が詩思を養う。美辞麗句や断片的内容を窺うのが当世向き,時世の嗜に合するのである。君は何を苦しんで難物の杜詩韓詩を学ぶのか,と尋ねる人もある。)

  論詩絶句 (二十七首之二)
文章於世本繊塵。   文章 世に於て本繊塵
唯恐頽波没旧津。   唯恐れる頽波の旧津の没するを
欲掣鯨魚無気力。   鯨魚を掣せんと欲して気力なし
半生徒被喚詩人。   半生 徒らに詩人と喚ばれる

(文章は本来小技であり世道にとっては尊ぶに足らないが,唯我が国の尊皇精神が没落することを恐れて修史に志した。七百年間の長夜の眠りを醒ます暁鐘を高らかに打ち鳴らそうと思ったのだが,奈何せん気力無くし志適わず,貴重な半生を詩人と喚ばれて過してしまった。)山陽の慷慨躍如たり!

  戊子(築室三之一)
八分樹竹二分家。   八分の樹竹 二分の家
庇得琴書已覺奢。   琴書を庇い得て 已に奢るを覺える
却向東南贅一室。   却って東南に向い 一室を贅す
要将三面看梅花。   三面を将って梅花を看んと要す

(邸内の八分は樹や竹が植えてある,残り二分が家と言う小さな家であるが,琴書を庇い得るだけで贅沢な氣がする。又東南に向けて一室増築した,それは三面に梅花を看る為である。)
(此の増築の一室は新書斉で,三面梅花処と称す。)

  雑詩
山城春浅乍陰晴。   山城 春浅うしてち乍陰晴
疎霰過簷窓日明。   疎霰 簷を過ぎて窓日 明かなり
屋外梅花開幾許。   屋外の梅花 開くこと幾許
東風聞在紙鳶声。   東風は聞こえて紙鳶の声に在り

(山の町,京都は春まだ浅く,晴れかと思うと,忽ち陰り,陰かと思えば晴れ,定まらない。時々,疎ばらな霰が軒を叩く,また窓に陽が明々と照る。屋外の梅花はどうかな,と想うと,ふと紙鳶のうなり声が聞こえて来た。もう春風が吹いている。)

  楊妃教鸚鵡図
玉砕香飛不得帰。   玉砕け香飛んで帰るを得ず
馬嵬碧草血痕肥。   馬嵬の碧草 血痕肥えたり
彗心不省他年夢。   彗心 省せず他年の夢
還把金経教雪衣。   還た金経を把って雪衣に教える

(玉のような肌は砕け散り、馬嵬の碧草は血痕で肥えている、利巧な楊貴妃は後年、このような悲劇で都に帰ることが出来ないとは思わなかった。今日も又、般若心経を読んで鸚鵡に聴かせている。)雪衣は鸚鵡のこと。金経は般若心経ヲ言う。

  再観梅伏水 
再理吟杖出郭來。  再び吟杖を理め郭を出で來る
料知香雪五分開。  料知す香雪 五分開くを
脚跟不到権門閾。  脚跟 到たらず権門の閾
却為梅花走両回。  却って梅花の為に走ること両回

再び身支度を整えて京の町に出た,多分梅も五分位は開いただろう,それにしても,私は権門の門閾を跨いだことがないのに,却って非情の梅花の為に,二度も遠い路を駈けずり廻るとは,

  梁伯兎帰濃過京留之数日 (梁伯兎 濃に帰る京を過ぎ之を留めて数日)
帰心雖急未須還。  帰心急なりと雖も未だ還えるべからず
卸擔京城春正闌。  擔を卸す京城春正に闌なり
閣雨春雲如卵色。  雨を閣す春雲 卵色の如し
養花幾日與君看。  花を養う幾日 君と與に看ん

一日も早く国に帰りたいでしょうが,未だお帰りなさるな。擔を卸されたこの都は今,春の眞最中です。春雨をとざす雲は恰も卵色,この雨が幾日か花を養い,立派に咲かせる程に,その時は一緒に花見をいたしましょう。それまで逗留なされるがよい。(梁伯兎は梁川星巌)

  秋仲同春琴春村遊嵯峨宿三家店 
擬向嵐山看月明。  嵐山に向って月明を看んと擬す
侵蹊秋草少人行。  蹊を侵す秋草 人の行くこと少し
春來脆管嬌絃地。  春來 脆管 嬌絃の地
半是蟲聲半水聲。  半ば是れ蟲聲 半ば水聲

嵐山で月観をしようと思い出かけた。小径は秋草が覆い被さる程で,人通りも無い。春の頃は尺八,三味線の音で賑やかだった此の地も,今は虫の音が渓の水音に和して淋しく聞える。

  茶 ニ首 (一) 
竹鼎沙n従喚呼。  竹鼎 沙n 喚呼に従う
愛看魚眼濺為珠。  愛し看る魚眼 濺げば珠を為す
卅年賞尽人間味。  卅年賞し尽す人間の味
獨有心情向酪奴。  獨り心情の酪奴に向かうあり

沙nはシャンシャンと沸いて,急須も取り揃えてある,滾る湯を濺げば,魚眼の如く珠を為すのも嬉しい。過去三十年間,人間世界の甘酸辛苦を嘗め尽したが,閑寂味豊かな茶の味に一番心を惹かれる。

  席上内子作蘭戯題贈士謙 (席上内子蘭を作す戯れに題し士謙に贈る)
荊釵藜杖接清歓。  荊釵 藜杖 清歓に接す
夫作崢エ妻作蘭。  夫は崢エを作り妻は蘭を作る
渠痩儂頑誰肯愛。  渠は痩せ儂は頑 誰か肯て愛せん
一家風味與君看。  一家の風味 君と與に看る

荊釵藜杖粗末な服装をした老夫婦がお招きに與り,清らかなご歓待を受け恐縮に存じます。席上,老夫は山を画き,老妻は蘭を画きましたが,蘭は貧弱で,山はごつごつした柔味の無いものになりました。誰が賞玩してくれるでしょうか,これが私一家の趣です。即ち妻は愚鈍,私は頑固者,他に賞玩する人が無くても,貴方だけは看てくださるでしょう。

山陽,卅四歳,偕老の友を物色しつつ,胸中の理想を親友小竹に洩らす。
閏中清課煮氷(糸丸)。 閏中清課 氷(糸丸)を煮る
夫写篁竹妻写蘭。    夫は篁竹を写し妻は蘭を写す
想得画中成双絶。    想い得たり画中に双絶を成し
水晶簾下倚肩看。    水晶簾下 肩を倚せて看るを

と言う「清人題夫妻同作画詩」と同韻,しかも作意までも瓜二つに詠じられている。当時の経緯の下,そのような妻を娶るに至らず,細香女史との間にも,互いに黙契は,ありながら「水晶簾下」に夫妻睦まじく合作の画を「肩を倚せて看る」境地に至らず今の梨影夫人と一代の苦労を共にしたが,,,,。その画を看た静修も,その経緯を知ろう筈も無かったであろう。「細香女史,美濃の医江馬蘭齊の女,山陽門下生」

  哭 妹 
忽得凶音読復疑。  忽ち凶音を得て 読んで復た疑う
秋前猶有寄兄詞。  秋前猶ほ兄に寄せる詞有り
形容自覚倍枯稿。  形容自ら覚える枯稿を倍せしを
老樹相連唯一枝。  老樹相連なる唯一枝

  今津某氏園栽牡丹慕索詩
槿離護得牡丹芽。  槿離 護り得たる牡丹の芽
不是尋常百姓家。  是れ尋常 百姓の家ならず
欲咲柴桑春寂寞。  咲んと欲す 柴桑 春寂寞
唯鋤三経種秋花。  唯だ三経を鋤いて秋花を種う

  酔杜圖
熊児前扶驥子後。  熊児 前に扶け驥子は後
穉女捉燭竢門久。  穉女 燭を捉って門に竢こと久しい
天呉紫凰本顛倒。  天呉 紫凰 本顛倒
酔眼何辨孰身首。  酔眼 何れ辨ぜん孰れか身首
任它布衾冷如鉄。  さもあらばあれ布衾 冷こと鉄の如きを
老脚今夜蹶欲裂。  老脚 今夜蹶んで裂んと欲す
臣甫得為酔眠人。  臣甫 酔うて眠る人と為るを得たり
可忍至尊尚蒙塵。  忍ぶ可けんや至尊 尚ほ塵を蒙るを

宗文と宗武とが,酔眼朦朧とした父を助け抱き帰って来る。
稚い女子二人は燭を捉って門に立っている,その女児の着物は,ツギハギだらけ,模様も倒さになっている
杜甫の酔眼には,そんな見境はない,天呉の首が何処に有るのか紫鳳の胴体が何処か判別は着かない。
帰れば倒れるように床に入る,鉄のような固く煎餅蒲団はどうでも好い。蒲団は足踏み伸ばし裂ける
ようだ,ふと目が醒めた,自分は酔て寝込んだもんだ,其れにつけても,皇帝が今尚蜀に蒙塵されて
いるのを思うと,悲憤の情に駆られる。

  荘子夢蝶
胡蝶荘周孰是非。  胡蝶 荘周 孰れか是非
枉齊物我費心機。  枉げて物我を齊しくして心機を費す
不如此夢終無覺。  此の夢 終いに覺むる無きに如かず
趁絮穿花随意飛。  絮を趁い花を穿って随意に飛ぶに

   画山水
航浮秋水人三両。  航して秋水に浮かぶ人三両
僕買村醪路熟生。  僕は村醪を買う路熟生
怕渠失却停竿處。  怕れる渠が竿を停むる處を失却せんことを
移向柳陰缺處横。  移して柳陰缺くる處に向かって横たう

秋の河に浮かんでいる舟には,人が二三人,僮は村の濁酒を買いに入ったが,路を好く知っているかどうか多分路を知らないのだろう。舟の繋いだ場所を見失うかのしれぬ,と舟に残って入る者が,心配して
柳陰から出て,柳の欠けている,見付かり易い場所に舟を移した。

  詩僧希鈍周忌詣其墓
痩骨飃蕭尚宛然。  痩骨 飃蕭 尚を宛然
風輪不住忽周年。  風輪 住まらず忽ち周年
霜紅已敗池中樹。  霜紅 已に敗る池中の樹
落葉深辺葬浪儒。  落葉 深み辺 浪儒を葬る 

痩骨飃飃たる風格の内に一脈の寂しさを持った,希鈍の面影が,眼前にある様な気がする。月日は早いもので,もう一周忌が来た。追憶すれば,水に影を浸す池辺の樹木も,紅葉は既に散ってしまう頃,希鈍は逝いた。落葉深き處に葬ったが,もう一年が経った。

  元旦六言
歴改五更三点。   歴は改まる五更 三点
歳逢ニ首六身。   歳は逢うニ首 六身
賀春窮巷無客。   春を賀せんとして窮巷 客無く
几上梅花獨新。   几上の梅花 獨り新なり

  詠史
帯霜旌旆自東還。  霜を帯びて旌旆 東より還る
頓覺群児肝膽寒。  頓に覺える群児の肝膽寒きを
屈指英雄存碩果。  指を屈すれば英雄 碩果を存し
回頭海宇斂狂瀾。  頭を回らせば海宇 狂瀾を斂む
馬貞終得黄裳吉。  馬貞にして終に黄裳の吉を得る
狼跋何傷赤易安。  狼跋何ぞ赤易の安きを傷けん
休道西人謀大錯。  道うを休めよ西人の謀りごと大いに錯ると
天教介冑換衣冠。  天 介冑をして衣冠換えしむ

此の詩は徳川家康を詠じたもの。「濃州道上,有感而作」と題し,文化十年の作と言う。家康が上杉景勝討伐の軍を還して,霜気凛然,威を帯びた大旆を西に進めた時,石田,浮田の小児輩は膽を慄え上らせたものだ。永録,元龜,天正以来の英雄を指折り数えて回顧すれば今川まず斃れて武田,上杉相次ぎ死し,天下平定の大業に就かんとし,織田の凌雲の翼を折り豊臣の天下と為ったが

,此れも既に鬼籍に入った。此の間に処した家康の運命も幾変転,険悪な時世の推移を巧みに利用し,遂に天下の與望を負う身となり,狂乱怒涛の乱れに乱れた戦国の世を治めて,遂に海内浪静かな代と成した。憶えば松平元康のその昔,今川氏の質と成し時以来,織田,豊臣,其の配下なり,曾ては海道一の弓取りと謳われ身を屈して,随忍自重,牝馬の如く柔徳を以って之に処し,

遂に時期到来を待って征夷大将軍となるを得る。其の間,進退両難の境遇に立つ事もあったが前田利家と共に,秀頼を輔けて天下の政令を執うに到る。論者の中には,彼の威武と徳とに拠るのでな無く,石田,浮田等,西軍の諸将の謀が,錯をして家康をして名を成すに到った,と言う人もあるが,そうでは無い。此れは天が生民塗炭の苦を救うが為に,家康をして,介冑を脱いで衣冠に着換えるようになした,全く天意である。


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