左 思 ()
   西晋の文人.字は太沖「三都賦]をつくり,洛陽の紙の値を高くしたことで有名.
   古代の社会では詩歌と文章は人の手によって書き写され伝えらていた.左思が書いた文章が
   素晴らしいので、貴族や富豪たちが争って書き写したことから、紙の値段が高くなり価格が
   高騰した。左思は醜男で、幼い時の天賦は高くはなく書道と琴を学んだ、然し中途半端だった、
   ある時,父に激励され発奮して学問に励み優れた文章を書くことが出来るようになった。

   妹の左芬が宮女として王宮に入った.家族は都の洛陽に移った。上流社会の文人らと接触しその
   創作レベルも向上し「三都賦」を書き上げた。三都賦」は左思が30歳のときの作品で、当時の文人
   皇甫謐が序言を書き張載が注釈を加えた,先に文人が読み貴族や富豪が争って、この文章を写し始
   めた,洛陽の紙は品不足となり紙の値段が高騰したと言う。

   「三都」とは,晋の前の三国時代の蜀と呉と魏の都のこと「三都賦には蜀都賦,呉都賦と魏都賦が
   含まれる、左思は、この作品を完成させるため、多くの時間を費やして典籍を調べ、実施調査も行い、
   描写した事実の信憑性を求めた。そしてデータが揃うと、左思は家中に、又,トイレにも紙と筆を
   置き思いつくとすぐ記録し20年前後の歳月ををかけて完成させたと言う。「三都賦」は三国時代の
   社会生活を紹介し、国の統一などの問題にも触れ後世からも好評を博した.
    

    雑詩
       
     秋風何洌洌  白露為朝霜     秋風何ぞ洌洌たる  白露は朝霜と為る
     柔條旦夕勁  緑葉日夜黄     柔條は旦夕に勁く  緑葉は日夜に黄なり
     名月出雲崖  暾暾流素光     名月は雲崖を出で  暾暾として素光を流す
     披軒臨前庭  嗷嗷晨雁翔     軒を披いて前庭に臨めば  嗷嗷として晨雁 翔ぶ
     高志局四海  塊然守空堂     高志は四海に局られ  塊然として空堂を守る
     壮歯不恆居  歳歳常慨慷     壮歯は恆
にいは居らず  歳歳に常に慨慷す

    旦夕:日夜,朝と夕方
    慨慷:慷慨を押韻のため慨慷としたもの.意は同じ.

    賈充から,記室になるようにと,求められたが就かず,因って,人の年老いる事に感じてこの詩を作った.

    詠史詩八首之一

      弱冠弄柔翰  卓労観群書    弱冠より柔翰を労し 卓労として群書を観る
     著論準過秦  作賦擬子虚    論を著しては過秦に準らえ  賦を作りては子虚に擬す
     辺城苦鳴鏑  羽檄飛京都    辺城は鳴鏑に苦るしみ  羽檄は京都に飛ぶ
     雖非甲冑士  疇昔覧穣苴    甲冑の士に非ずと雖も  疇昔には穣苴を覧たり
     長嘯激清風  志若無東呉    長嘯し清風に激し  志は東呉 無きが若し
     鉛刀貴一割  夢想騁良図    鉛刀に一割を貴び  夢に想う良図を騁せんことを
     左眄澄江湘  右盼定羌胡    左眄しては江湘を澄まし  右盼しては羌胡を定め
     功成不受爵  長揖帰田盧    功成りて爵を受けず  長揖して田盧に帰らん




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