石九鼎の漢詩館 
        
 ★★ 清明上河図 ★★
  
独断・清明上河図を旅する 

       清明歳時記目録 目次

       清明上河図 (1)
                 独断・清明上河図を旅する


北宋の徽宋皇帝時代に繁栄した開封の町を描いたものであろうと言われている。この名画は北京の故宮博物院収蔵庫に大切に秘蔵されています。この絵巻き。北宋時代の画家・張択端の筆になる「清明上河図」と呼ばれるもので横、5,28メートル。縦、25センチ。絹布に描かれた絵巻き物。第一級文物でもあり。当然、此に描く「清明上河図」は写真製版した一巻である。

写真製版と模写したもの中国北京で購入したもの。この二巻で清明上河図を旅します。清明上河図が描かれた北宋末は都市文化が燦然と輝いていた時代であり。今、「清明上河図」の中でこの時代を・独断・旅人として、さ迷いながら観て行きます。宋は東京・西京・南京・北京の四京をもって都とし、東京開封が事実上の都で次につぐ都として西京洛陽であった。

宋代の開封を記録して書したものに「東京夢華録」著者・孟元老と他に「夢渓筆談」沈括著。がある孟元老も「清明上河図」と同じ時代を記録してる。宋代は多種多様な職業が生まれ。商いをする人 船引きをする人、車を引く人、大体において肉体労働者が実に多い。「東京夢華録」は、一口で言えば都市繁盛記であり。北宋の首都であったもの記録している。

       


(べん京)、今の河南省開封市。その中央の宮城はは周五里、それを囲む旧城(裏城)は周二十一里、さらにその外を囲む新城(外城)は周四十八里という浩望とした都城であったと著者の孟元老は言う。この書物には食べ物の話がドバッーと出てくる、読んでいると、恰もレストランのざわめき、市民達の話し声、食器の触れ合う音、厨房からの調理の触れ合う音や食物の匂いが伝わってくるようだ。

この都には数十万の禁軍と皇族や官吏が住んでいた。そして彼等を養うためには、年々六百万石の米を南から運送しなくてはならなかった。 (夢渓筆談 2)。  

宋代の絵画と北宋東京城の高い芸術の価値を持った『清明上河図』の様相は貴重な資料でもある。
10.25.00

奇しくも、10.19.03の開封・相国寺で「清明上河図全訳」を入手した。小冊には『清明上河図』の数奇な流伝が仔細に述べられて興味を引いた。

2.2003

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