四川外国語学院・遊学日記   2004/11

『桟雲峡雨日記』明治の漢詩人,竹添井井(たけぞえ・せいせい)が四川を旅したものがある。(1875年/5月〜8月)井井は清国天津領事,清国公使館書記官など歴任したが,漢詩人でも名を残している。百五十三首を日記とは別に『桟雲峡雨詩草』と題し刻している。「桟雲峡雨」の意が私をして四川に遊学の気持ちを決定させた。
11/01
久しぶりの太陽だ,早速,洗濯ものを干す。最近眠りが浅く頭が冴えていない。夕方,売店でブドウ酒を買う。カードで預金を卸す。残高1000元を表示する,PC館で小李に返信,月曜日の補習を明日にして欲しい旨の電話が入る。

11/02
一時限と2時限を休む。小張は来ない。「火曜日の1,2時限は暇がありますから郵便局へ行きましょう」と言うから,真ともに受けた。今日の1,2時限は尤も以前から「脱課」。この課の教師は最初から教え方に問題がある。土曜日の1,2時限も異議あり。こんな教師なら部屋で自習したほうがマシである。生徒の欠席が目立つ

趙佳から電話。以前,日本に在学していた時,日本語を個人レッスンしていたが,今,重慶に帰り結婚したと言う噂があった。重慶到着間も無く手紙を出し安否を問い,寮の電話番号を書いた。「先生お元気ですか」彼女の声だ,来年5月出産の予定と言う。現在体の調子が不順につき外出が出来ない。自宅附近で再会したいと言う。電話番号を知らせてくれた。「先生,わたしを,日本に連れて帰って!」相変わらず茶目っ気だ。

11/03
来週からテストが有ると言う。教師もテストがある,最近教師達は緊張気味である。小周から「帰国当日は授業があるから飛行場まで送れない。小李と相談して欲しい」との電話。「解かった」。趙先生からメールがあり「来週,日本から一年ぶりに中国に帰国する」旨の内容。返信で「私の帰国当日の車の手配の件で善処策を考えている」と書き込む。

今日は私が力嘉,他の4人に鍋料理をご馳走した,24元,安いものだ。小沈が「私たちがいるから,寂しくないでしょう」と言う。ウンウンと頷く,小張も「周先生がいたから助かった」と本音を言う。来週,荷物を郵便局で輸送手続しようと思う,小張は当てにならない。

11/04
日本語系の教室に向う,日本から来た,某さんが「教室を今日一日変って欲しい」と電話がある,そこへ小周から私の帰国日には主人の小柯が飛行場へ送ると言う。どうなっているんだ「ウンウン」と生返事をして置いた

然し,昨日と今日の変貌ぶりは一体何だったのか,西南師範大学訪問の際,Kを同伴したのが気に障ったに違いない。Kと周は同期,以前,私の自宅で宿泊した経緯からも伺い知れたライバル同士。二人とも個人的には「叔叔」と呼ぶ。人前では「先生」と呼ぶ。趙先生の影響か,意地を張るような年齢でもないが腑に落ちない

11/05
日本から来た若者が連続して休んでいる。韓国留学生の標的にされ,教師達も認めるイジメがエスカレートしている。来週からのテストは「脱課」に決めた,結果を知ったところで何もならない。遊学を貫き通す。1,50時,荀思。3,00時,彭の学習。此処で12日,金曜日,三星堆に行くことにした。このままでは悔いがのこる。

小彭に500元渡し成都までの乗車巻3枚買うようにと伝えた。彼女は成都に行くのは始めてだと言う。乗車賃と食費代を出す。バイト代も出すと言うと,そのぶんだけは遠慮しますと言う。荀思と夕食を共にし,彼が自分の寄宿さきを案内すると言う,彼の部屋は将に中国の中国。寮に帰ると小彭から電話で今から来ると言う。

11/06
2,00時が2,30時になり力嘉の母親と叔母が正門で待っていた,さすが美人だ,娘が女優業との事。端正な顔立ち,気品が漂う。タクシーの中でシャネルの香水を母親にプセゼントした。『磁器口』に到着,例の掛け軸の件で交渉しに来たのだった。私と力嘉は現場から離れるよにと言う。母親と叔母が交渉するらしい。力嘉と母親が携帯で品物の確認。力嘉の母が掛け軸を抱いて出てきた,プレゼントだと言い,お金を受け取らない。私は素直に心よく受けとった。

重慶の料理類,二袋ギッシリ持つのが困難くらいの料理類,菓子類。日本に持つて帰るよう戴いた。大学校内に入り,記念写真を撮る,私の寮の前まで見送り,彼女たち3人は力嘉の寮へと立ち去った。然し,こんなに多くの品物を目の前に,どう処理したものか思案に暮れた。日本なら宅配運送の手もある。力嘉のママに感謝するが,大きな借りを作ってしまった。

11/07
寮で一日中整理。小彭が来る,そこえ小張,夏倩も加わる。小張と夏倩は成都の出身。当然,成都の方言はわかる,小彭にはご遠慮願った。そのかわり,スピーチコンテストの原稿が出来たら持って来なさい。添削してあげる。で小彭は,成都行きの予備金500元を私に返して,納得して帰って行った。

11/08
1,2時限は脱課。3,4時限の聴力課は出席。
小倩と小張と小彭の3人学食で共に食事をする。小倩の父親が公安局勤務で車の手配をしてくれると言う。好都合だが小倩はバスに乗ると酔うと言う。

11/09
全課目,欠席。朝10,00時,郵便局へ書籍の航空便。代金312元。OS先生と約束した三星堆行きは彼女は風邪で3日間,点滴を打っても好くならないと言う。来週に変更出来ないかの問いに帰国寸前の行動には多忙を極める。止むを得ず,単独行動することに決定。三星堆行きの成都での宿泊は小張の家に決まり,小倩は友人の居る大学の宿泊所と言う。
11/10
全課目,欠席。本科生2年級の尚海清が,スピーチコンテストの原稿を添削してほしいと部屋に来た。先ず読ませてみると起承転結は,それなりに好い,盛り上がる「やま場」が弱い。彼女の実力が解かった。実力以上に修改すれば審査員にバレる,内容は北京出身の彼女が考試の結果,北京の大学に入れず,重慶に配分されて慣れぬ気候風土で頑張り,最終には人々の愛の大事さを表現したもの。

11/11
授業に出た,皆な考えることは同じ。ほとんどの留学生は欠席したとの事だった。試験は皆なボイコットしたらしい。午後尚海清が来た,昨日教えた箇所「蜀犬向太陽汪汪」の故事と意味を丁寧やさしく朗読すると,好く理解出来ると教えた。「どうでしょうか?」「3位にはなれる,」小張から,練習で,この箇所で三人の中の一人の先生が(頭点)頷きながら聴いていた,と聴いた。

11/12
数名の中から張君,(成都市出身・宿泊のお世話になる),夏倩(女子)を選んだのは,成都出身(広漢市)で土地に精通している,彼女の父親が成都〜三星堆遺跡,まで車を調達して戴くことで決定した。出発前,彼女に500元を渡し。不足分が生じる事前に言うこと。総ての経費を彼女に任せた。重慶13,30時発,成都行きの高速バスに乗車した。

重慶〜成都,1度サービスエリアでトイレ休憩を含み約4時間の行程。20,30時,成都高速バスセンターに到着。小倩とは明日10,00時に再会の約束で分かれた,彼女は友人の大学で宿泊,
翌朝,10時,小倩が黒色の公用車と解かる乗用車の座席に坐してきた。小倩の父親が公安局方面の勤務で成都〜三星堆まで調達し送迎すると言うことになっていた。

三星堆へ。12,30時,正門からバスセンター,小倩に500元渡し,総てを小倩が一括して,まかなうように伝え更に「金銭が不足する前に言いなさい」彼女に告げた。成都行きの高速バスに乗る。重慶〜成都,所用時間約4時間。バスセンターで小倩と明日の朝10,00時,再会を期して分かれる。私たちは小張の家に向う。小張の父親が心好く迎えてくれた,夕食も父親作りのご馳走になる。食後,小張と外へ散歩に行く,CD店で三星堆があったので購入,20元。

11/13
10,00時,乗用車が来た,小倩は運転席の隣に坐していた。運転する人に一応の挨拶をし一路,三星堆に向う。1時間半で三星堆に到着。日本語通訳100元,少々高いが通訳のお蔭で博物館の内容に満足した。小倩に500元渡し火鍋店を探し火鍋を運転する人と一緒に食べた。

運転する人は小倩の叔父と言う。二日も小張の家に世話になるのは心苦しいので,小李に電話をかけて,キャンセルしたホテルに連絡してもらう。二つ星のホテル,100元。小張と小倩に明日10時にこのホテルで遇う約束して分かれた。小張はなぜ家に来ないかと機嫌が悪い,

11/14
10時過ぎ,小倩がタクシーで来た。小張がいない,彼は下痢して遅れて来ると言う。今日は四川大学日本語系副教授LM女史と7年ぶりの再会の段取りである。LM女史には以前,中国語を教えて頂いた教師である。携帯で連絡すると,今,ケ小平の古里に来ている,生誕100年で学生達と一緒に来ている。今,高速道を帰路中

四川大学正門で待つようにと携帯に連絡が入る。7年ぶりの再会である。四川大学の近くの豪華な中華店で食事をしながら会談。十何種類の料理,先生に散財させて申しわけない気持ちだ,すると小張がやって来た。名残惜しいが時間が来た,バスセンターから一路重慶へ, 20時到着,学食で小張と食事をする,小倩は車酔いがひどいので寮で休むと言う。次会を期して分手。

11/15
留学生の大半が出席して来た。「聴力」のS教授が私に向かい「次ぎの授業は参加するか」と問うので,「参加します」」と答えた,教師陣も考えた,テストをやり直す段取りだった。計られた。

11/16
西南師範大のOS先生が11,30時に正門に到着,先ず学食で食事を済ませ,留学生授業室2号室で4時半まで(日本古来の民芸芸能の古文を翻訳)某大学博士課程,専門の分野は日本留学中から続いて指導して来たものが,未だ20数ページ残り,重慶で再会して完成させるのが目的。残念ながら今日中には終わらなかった

11/17
小張に電話,名著「現代漢語詞典」を持っているかと問うと,友人が持っていると言う,2日間貸して欲しい旨伝えた,「漢語報刊閲読教程」のテスト用紙が配布されたのだ。2〜3日中に意地にでも完璧な答案を提出して帰国したい,と考えた。学内の書店で雑誌「読書」を買う。

中級班の最後の授業を終えて教室を出る,50mばかりの所で生徒が私の帰りを待っていた。「先生の日本から持って来た教科書の続きをコピーしたい,」解かる者は解かる。心好く承諾した。最後に皆で記念写真。

                
                          

11/18
初級班,最後の日本語指導は出席者が10数人と寂しい感じだった。遠く離れて四川外国語学院に来ている例の3人娘が,私に鍋料理を食してくれた。5時に正門で待ち合わせ,新世紀百貨店の隣。会計は小陳が支払ったらしい。小翁が分かれ際に,私の母親の薬に蜂の目頭で出来た薬草の飲料を持って明日来ると言う。彼女は婚約者のいる重慶に,はるばると厦門から来ている。彼女はクラス一番の頑張り屋さん。

11/19
突如,メールが止まった。送信不能。PC館に行く,此処でもカード使用不能。期限制限は厳しすぎる。早速,パソコンをリュックに詰め込む。昨日コピーしたものを忘れたので日本語系の教室に行く。有った!。その足で事務室に別れの挨拶に行くと,今月の謝礼金,720元を戴く。「「漢語報刊閲読教程」のテストは可也,難解だ結局,学内の書店で「現代漢語詞典」を購入した。今回で3冊目。帰国したら知人にプレゼントしよう。

1,00時,留学生2号室に荀思と(日本人)田尾夫人が待っていた,私の帰国後,学生達を田尾夫人に依頼する段取りでいた,1〜2時まで会話練習。2,30時,小倩が来た。4,30時,小翁から電話。3人で鍋料理を食する

11/20
10,00時,小倩から電話,然し留学生室の鍵ガ無い。自分の部屋でしかない,管理人の許可を得るために入り口まで迎えて学習する。小張が電話カードの入れ替えに部屋に来た,50元のカード代。11,00時になってもOS先生が来ない,電話すると,今,三星堆にいると言う。「何んじゃ〜そりゃ」「土曜日午前11,00時と言ったじゃないか」。小周から電話,すぐに2Fに行き今日はOS先生は来ない,と断る。全く何と言うことだ!

11,30時,3人で用意していたパンと牛乳で昼食。小張の奴,テレビの音声が大きすぎる,注意をしたら帰って行った。小倩も眠たそうだ。小倩が帰る寸前,彭園から電話,「“論文”修改をお願いしたい。今から行きたいが,どうでしょうか」と言う。小倩が部屋にいる,彭園は驚いた様子だ。小倩も早く帰れば好いのに,彭園の論文が気になるらしい。

3時半,午睡眠から起床。PC館へ行く。平常通り操作をするが何度やってもダメ,暗証番号が違うと表示される。重慶に来て初めて売店でビール2缶買う,シャワーを浴びて,夕食を済ませる。

11/21
絶好の好天気に今後何か幸運に恵まれそうだ。10,00時,小倩と沙坪覇へタクシーを飛ばす。帰国前,友人知人への土産物を買う,又,タクシーで「磁器口」へ,カレンダー5本買い足す。大学の学食に入り荀思と小張を呼び四人で最後の昼食をする。帰路,小張は腹が痛いと前方を歩いていたが姿を消した。昨日の部屋のテレビの件,今日の態度,何か不満でもあるのか,夏倩を可愛すぎるのが気に入らないのか。

今日は私が日頃お世話になった方がたへ招待に「火鍋」をご馳走しようと計画した。趙先生から電話,6,30時に正門まえ,小李から電話,場所は解からないが店の名は解かると言う。店と料理は小周に任せた。

午睡眠後,散歩に出かける,靴磨き1元。靴磨きの女,1元渡すとニコット黄色い歯を見せる。今夜主催者としての挨拶を考える。

首先請允許我説両三句,今天是周日,很感謝大家能来到這儿,請大家一辺吃,一辺聊儿。首先我敬大家干杯,謝謝大家的照顧。(宴会まで,あと2時間)

11/22
最後の授業週間の月曜日。韓国の留学生のリーダー格の金夫妻から送別会の宴を開きたいと申し入れがあった。水曜日,授業が終り,沙坪覇の朝鮮料理店で食事をすることになった。

1時過ぎ趙先生から電話,お宅に伺いお茶をご馳走になった。先生は現在マンションを購入,室内の設計段階に入っていると言う。

4時前,小倩から電話,小倩には三星堆行きには世話になったお礼に個人レッスンで恩返し。留学生2号室で日本語テキスト課題8課まで,9,10課が残った。後,小張と3人で,鴨の火鍋を招待された。帰寮8,00時。明日はOS先生が来る最後の日本語古文翻訳。学習部屋が問題。

11/23
全休。10,30時,OS先生が来る,寮で早速く解読。今日は急ピッチ,なんとしても今日中に終わらせたい。11,30時,パンと酸牛乳で休息,12月に再び1,2週間来日する予定と言う。日本食で何が好き?お寿司,では美味しい寿司屋さん捜しておくよ,眼鏡を外してごらん。品格に加え端正な顔立ちの横顔が美しい。

怒っていない?三星堆の事らしい。ウン,で終わり。1時半になった。留学生室に行き4時半,完成。一年半続いた解読も一応結着した。安堵感と責任が果たせた思いで万感胸に逼る思いだった。

又,次の問題がある。米国在住S氏からの問い合わせ。『・・・それらの原文はどこにあるのでしょう? 学者の知り合いに頼んでも、見つかりません。この間、茶の湯専門の方にも調べていただきましたがやっぱり又難しいという返事ばかりが。。。

Sadler 氏の本の中二つ主な資料書のタイトルを挙げている。そのいちは、熊田宗次郎、茶道美談。其の二は古事類苑。Sadler氏は、烏丸光広と利休の作品をもしかしてこのふたつの資料書からとっているかも知れません。そのほか、烏丸光広は吉田兼好の徒然草に註釈本をかいたので、烏丸の作品は若しかして其の本の序文の一部分(書き出し?結論?)だと思われます。

手がかりとして Sadler の英訳文は下にあります。それに、下手ながら、私が Sadlerの英文を日本語に直訳した物をも付け加えました。石九鼎先生の参考にでもなれば幸いと思います。万一、烏丸光広と千利休の日本語の原文が御手近にあれば、敢えてe-mailでお送り頂けませんでしょうか?ご多忙の中、こんな手数の掛ける要求をいたして誠にすみませんが・・・・・。』1年半やっと糸口が見つけられそだが・・・。

又,OS先生は次編が有ると言う。来年日本留学が決まれば又再会しよう。然し,中国の重慶にまで来て,日本の中国留学研究院生博士課程の彼女に日本語古文を指導するとは予想していなかった。学生食堂まで散策し重慶料理とラーメンを互いに挟箸。支払いだ,マイタンと言うと「。。。。。」支払う「重慶の方言が少しは解かるのネ」「ヤオブゥディ」。食して門口で分手。

6,30時,趙先生ご夫妻の食事の招待。沙坪覇へタクシーで。食事が進みませんね,と奥さん。無理もない,さっきOS先生と食べたばかり。食事が終わり,脚按摩に行こうと誘われ三人部屋で脚だけでなく身体,全体,背中まで,身体が飛天するように軽い。

11/24
授業終了後,沙坪覇へタクシーで朝鮮料理店に入る。既に見知った留学生が多くいる。暫くして,文法に滅法詳しい張先生が出席。張先生から中国特有の赤い刺繍で編んだ壁掛けの飾りをプレゼントされた,寮に帰り準備の確認中,趙先生の奥さんから電話,一路平安を祈ると。 

11/25
帰国の朝。4時に目醒める。今日も霧雨模様。6時,趙先生が,そして張頴夫妻が車で,一路空港へ,何涛が少し遅れて。記念写真を撮る間も無く,海関へ荷物の重量オーバーで1,200元の超過料金徴収。7,30時,起飛。夏は火鍋のように熱い重慶,冬は霧雨が続き晴れ間が少ない山城。霧の都,重慶。
謝謝大家!
再見!

12月24日,日本語スピーチコンテスト結果がメールで知らされた。尚海清が2位,彭園が3位に入賞。尚海清,彭園,おめでとう。

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