千秋詩話  3.
   代悲白頭翁
   劉季夷(651−678頃)    
「唐才子傳」に『季夷美姿容、好談笑。善弾琵琶。飲酒至数斗不酔、落魂不拘常検』と言う。

代悲白頭翁の此の詩は人世のはかなさ、青春時代に永華を究めた老人の心中を託して歌った有名な詩。いろいろと問題にされ、世間で喧騒された詩である。

七言古詩。 年年歳歳花相似。歳歳年年人不同。  (年年歳歳花相い似たり。歳歳年年人同じからず)  劉季夷が暮秋のころ、残花を見ながら酒を飲んでいると、突然、西風が吹いて、花と枯葉を吹き落とした。

この情景を見て劉季夷は(今年花落ちて顔色改まり、明年花開きまた誰か在る)と言う詩を作った。暫らくは、満足して吟誦し、写実的で深い描写だと満足していた、そのうち、この詩は調子が沈みすぎて、これでは自分の寿命も長くないような気分になった。そこで、やはり落花を題に、もう一首作ってみようと、下を向いては落ち葉を見、上を向いては空中に想を練ったが、良いものは出来なかった。劉季夷は諦めず、ずっと翌年の春、花の咲く頃まで考えつずけていた。

ある日、花園に入った劉季夷はたちまち、満開の花に引かれた。昨年の春のことが思い出されたあの時もやはり、このように花は美しかった・・・・と、ひらめくものがあって、昨年の詩を、(年年歳歳花相似たり。歳歳年年人同じからず)と改めた。『死生有命、豈由此虚言乎』 ところが、この詩が完成してから一年も経たないうちに、彼は人に殺されてしまった。

唐才子傳。宋の唐詩紀事。に記されている。(唐才子傳校箋・中華書局を参考に以下記載)

『遂併存之。舅宋之問苦愛一聯、知其未傳於人懇求之、許而竟不與、之問怒其誑己』

この詩の(年年歳歳花相似、歳歳年年人不同。の句)を舅の宋之問が気に入り是非譲って欲しいと言った。劉季夷は一度は承知したが、その後、惜しくなり断った、宋之問は怒り下男に命じて劉季夷を(土のう)で圧死させた。ところが、「宋之問集」にこの「代悲白頭翁」とほとんど同じが「有所思」と題しある。「古文真宝」前集にも宋之問「有所思」と収められている。

☆清の沈徳潜は宋之問の詩は、実に劉季夷より高く、宋之問が劉季夷の詩を盗んだとは考えられない。と言っている。宗之問と劉季夷は詩の格が違うと伝える。

           代悲白頭翁  劉希夷
 洛陽城東桃李花。     洛陽城東 桃李の花
 飛來飛去落誰家。     飛び來り飛び去って誰が家に落ちる
 洛陽女児惜顔色。     洛陽の児女は顔色を惜しみ
 行逢落花長嘆息。     行く行く落花に逢うて長嘆息す
 今年花落顔色改。     今年花落ちて顔色改まり
 明年花開復誰在。     明年花開いて復た誰か在る
 已見松柏摧為薪。     已に見る松柏の摧かれて薪と為るを
 更聞桑田変成海。     更に聞く桑田の変じて海と成るを
 古人無復洛城東。     古人復洛城の東に無く
 今人還対落花風。     今人還対す落花の風
 年年歳歳花相似。     年年歳歳花相い似たり
 歳歳年年人不同。     歳歳年年人同じからず
 寄言全盛紅顔子。     言を寄す全盛の紅顔子
 応憐半死白頭翁。     応に憐れむべし半死の白頭翁
 伊昔紅顔美少年。     伊れ昔紅顔の美少年
 公子王孫芳樹下。     公子王孫と芳樹の下
 清歌妙舞落花前。     清歌妙舞す落花の前
 光祿池台開錦繍。     光祿の池台錦繍を開き
 将軍楼閣画神仙。     将軍の楼閣に神仙を画く
 一朝臥病無相識。     一朝病に臥しては相識る無し
 三春行楽在誰辺。     三春の行楽誰が辺にか在る
 宛転蛾眉能幾時。     宛転たる蛾眉能く幾時ぞ
 須臾鶴髪乱如糸。     須臾にして鶴髪乱れて糸の如し
 但看古来歌舞地。     但看る古来歌舞の地

 惟有黄昏鳥雀悲。     惟だ黄昏鳥雀の悲しむ有るのみ