千秋詩話 (30)

 (1))  呉王闔盧と、その娘・滕玉  (呉越春秋)            06/13/2002

呉王闔盧と、その娘・滕玉には有名な逸話がある。王が楚を伐ったとき、夫人と娘・滕玉と共に食事をした。食膳には“魚”を蒸したものが出されていた、王が半分食べて、残りを娘・滕玉に食べる様に進めた。悲劇は此処から始る。

娘・滕玉は『王は食い残りを私によこした。これは私をはずかしめることです。これ以上生きておれません』と言って王を恨んで自殺してしまった。

呉王・闔盧は、非常に悲しんで滕玉郡の西の昌門の外に葬った。金の鼎や玉の盃、銀の樽や珠の宝物を娘への贈り物とした、そのとき白鶴があらわれ、舞い、人々は鶴とついて行った人々が墓の門まで行った。そこで門を塞いで、娘の死を送らせた。殉葬させられることになる。非情な事である。国の人々はこのことを非難した。

娘・滕玉は何故に『魚』のことで死を選んだのだろうか、父と娘の間柄である。父が魚を半分食べて、のこりを、娘にすすめる、このことは娘を辱しめることであろうか?然し娘には死に値する侮辱であった



  (2)  説魚⇒魚を煮る。魚を食う。  

魚は典型的な隠語として配偶者・恋人を意味する。「魚」を一個の隠語の例として(聞 一多)言う。魚を以って配偶を象徴させる手段をとる、魚は繁殖力の最も強い生物であり、古代から人間を魚になぞえる。中国民歌の中では隠語の例は多い。

魚を煮る。魚を食う。を以って合歓・つれそうを喩える。
『詩』陳風・「衡門」
衡門之下、 可以棲遅、 沁之洋洋、 可以樂飢。
豈其食魚、 必河之魴、 豈其娶妻、 必斉之姜。
豈其食魚、 必河之鯉、 豈其娶妻、 必宋之子。


『易』六十五
貫魚、 以宮人寵、 无不利。

 一つらなりの魚。宮人たちに寵愛があれば、うまくゆかぬことはない。

河南可採蓮、蓮葉何田田。魚戯蓮葉間、魚戯蓮葉東、魚戯蓮葉西、魚儀蓮葉南魚戯蓮葉北。

(江南は蓮を採る可し、蓮葉何ぞ田田たる、魚は蓮葉の間に戯れ・・・・・・)

「蓮」は「憐」と同音のかけことばで、これも隠語の一種である。ここでは魚は男を喩え、蓮は女を喩えて、魚が蓮に戯れるとは実は男と女が戯れると言うに等しい。

唐代の女性詩人・◇魚玄機・◇薛涛、もこの詩を理解する。 
魚玄機の「寓言詩」は{芙蓉の葉下に魚は戯れ、にじの天辺に雀声あり、人世の悲歓はひとえに夢にして、如何にか双成を作すことを得ん}

薛涛は元愼を袖にしたあとで、彼に献じた「十離詩」の一「魚 池を離る」に{蓮池に戯れ躍ること四五年、常に朱き尾を揺りて銀鉤を弄ぶ。端無くも擺断す芙蓉の朶 清波の更に一遊せんことを得ず。} と言う。

隠語の応用の範囲は古人の中で想像しがたいほどに広かった。それは社会的効用を持ち、
若い男女の社交の場に於いては、それが智力を測る尺度であった。国家はそれによって賢才を抜擢する、個人はそれによって配偶を選んだ。(聞一多はその論文で述べる)

闔盧と娘・滕玉のあいだの「魚」は “魚を食べる”だけの意味ではなさそうだ。娘の想う人に父親・闔盧が反対の意を暗に表したのか?他の男に嫁がせることはない。おまえには一生そいとげる男性は現われないのだ、この魚が半分のように。父親の屈折した思いが込められていたのだろうか。

父親の[魚をお食べ」と言う好意が・・・・・・意味深長にとれる。

魚をもって配偶を象徴させるのはなぜか。魚の繁殖と言う働き以上に適当な解釈は他にないのか。中国浙江省東部の婚姻風俗に、新婦が駕籠で実家を出る時、銅銭を地に撒いて、これを「鯉がタマゴを撒く」と言う、それはこの観念の最良の解説である。(説魚、起源を探る)

聞一多。(1898〜1946)詩人・古典文学研究者。
古典文学の研究については数々の開創を示す。1946年昆明で暗殺された。
                              参照。「聞一多全集」