蘇武與李陵詩    蘇武李陵に與うる詩    五言古詩

五言の古詩は漢代に出来たもので、蘇武李陵(西暦前100年頃)の二人の贈答の唱和詩に始まったと言はれている。然し此の説は信じ難い。ただ蘇武李陵は匈奴征伐に関して、漢の時代に於ける一つの大事件であり、又且つ彼等の五言の詩の体裁が整い、よく真情を盡し、神品と言える。因って後人が先ず之を以って五言詩の見本とした。
       蘇武與李陵詩
黄鵠一遠別。     黄鵠 一たび遠く別れ
千里顧徘徊。     千里にして顧みて徘徊す
胡馬失其群。     胡馬 其の群を失い
思心常依依。     思心 常に依依たり
何況双飛龍。     何ぞ況んや双飛の龍
羽翼臨當乖。     羽翼 臨み當に乖くべきにおや
幸有絃歌曲。     幸に絃歌の曲 有り
可以喩中懐。     以って中懐に喩う可し
請為遊子吟。     請う遊子吟を為さんに
冷冷一何悲。     冷冷として一に何ぞ悲しき
絲竹諮エ声。     絲竹は、清声を獅ニし
慷慨有余哀。     慷慨して余哀有り
長歌正激烈。     長歌 正に激烈
中心愴以摧。     中心 愴として以って摧く
欲展静商曲。     静商の曲を展べんと欲し
念子不能帰。     子が帰ること能は不ざる念う
俛仰内傷心。     俛仰いて内に心を傷めしめ
涙下不可揮。     涙下り揮るう可からず
願為双黄鵠。     願はくば双黄鵠と為り
送子倶遠飛。     子を送って倶に遠く飛ばん

◇胡馬失其群=胡馬の群を離れるに是まで相親しむ李陵と別れる悲しみを言う。
◇双飛龍=自分と李陵を言う。
◇中懐=中心のこと。
◇冷冷=音声の盛んなこと。
◇静商の曲を展=声が澄み調子が哀しき曲を詠ずる意。展は歌曲を展開する。商は五音の一つで、その調子は悲哀と言う。
◇願為双黄鵠=此の二句は李陵と倶に漢に帰ることを熱望する。


蘇武が匈奴から漢に帰る時、李陵に別れる詩である。黄鵠は一たび飛べば千里をもかけるが、それでも別れる時には後を顧み恋うて悲しみまごまごする。胡馬も又、群れを離れば故土を恋い心を止めない。倶に胡地に囚はれて双飛の龍の様な私と君は別れ難いのは当然である。幸い此処に楽器がある、一曲を奏し自から中情を慰める事が出来る。そこで遊子吟歌うと、音声は凄涼として如何にも悲しい。まして管弦でその声に和して獅ワすから一層、歌が激して慷慨の念が生じてくる。それは長く歌って調子が激烈悲愴になって心も摧けんばかりである。更に調を弾ぜんと思うが忽ち君が国に帰る事の出来ぬことを思い出して止めにした。
歌が絶えて淋しくなると俯仰して心を痛め涙は雨の如く落ち、揮っても揮っても尽きない。私と倶に胡地を去ることが出来れば、二人そろい黄鵠の飛び去るように漢に帰りたいものである。