曹丕(187〜 236)
魏の文帝。曹丕。曹操の次男。字は子桓(しかん)。帝位をついで文帝と称した。延康元年(220)漢の禅を受けて帝位につき、在位七年、呉、蜀と時に兵火を交えることがあったが、国内は平穏を保ち、漢の文帝にならって開明君主たらんとした。六朝期の貴族優先の官界秩序を確立した。
「九品官人法」の制定も彼の手になる。
詩人としては、父曹操ほどの力強さには欠けるが、詩人的資質に恵まれ、叙情的色彩が濃く、対偶方法を用いるなど、表現は緻密である。また詩形式の開拓に意を用いて「燕歌行」は、七言詩の祖と言われる。一方文学の指導者・擁護者として建安文壇の育成発展に努めた。
「典論」論文は文学評論の風を開いたものとして、特筆に価する。
その「文章は経国の大業にして不朽の盛事なり」と言う言葉は、文学自体の地位を大きく引き上げると供に、建安文壇の鬱勃たる空気を伝えうものである。『詩品』では中品におかれている。

  於清河見挽船士、新婚別妻一首
清河で船引きをしている男が結婚して間もなく妻と別れねばならなくなったのを見て同情しての作。

與君結新婚    君と 新婚を結び
宿昔当別離    宿昔 当に別離すべし
涼風動秋草    涼風 秋草を動かし
蟋蟀鳴相随    蟋蟀 鳴いて相随う
冽冽寒蝉吟    冽冽たり 寒蝉の吟
蝉吟抱枯枝    蝉吟じて 枯枝を抱く
不悲身遷移    身の遷移することを 悲しまず
但惜歳月馳    但 歳月の 馳するを惜しむ 
歳月無窮極    歳月 窮極 無し
会合安可知    会合 安んぞ 知る可けん
願為双黄鵠    願わくは 双黄鵠と為りて
比翼戯清池    翼を比べて 清池に戯れんことを

 「詩語」
(宿昔)=(以前)の意のほかに、「早晩」。「暫時の間」。
(冽冽)=寒冷のさま。

 「意訳」
寒々と蜩が吟じている。枯れ枝に纏わりついているが、その枯れ枝が、風に飛ばされると、蝉の体も、忽ちよそへ遷されれる。からだの遷されるのは悲しい、とは思わぬが、歳月の馳せ去るのが、惜しいと思う。歳月は果てしなく流れ去る。何時の日か、あなたと逢えるやら。せめて、あの、つがいの黄鵠となって、翼を並べて水の水の澄んだ池に戯れたい。

   又清河作一首
方舟戯長水    方舟 長水に戯る
湛澹自浮沈    湛澹として 自ら浮沈す
弦歌発中流    弦歌 中流に発す
悲響有余韻    悲響 余韻 有り
音声入君懐    音声 君が懐に入り
凄愴傷人心    凄愴 人心を傷ましむ
心傷安所念    心傷 安にぞ念ふ所ぞ
但願恩情深    但願う 恩情の深かからんことを
願為晨風鳥    願はくは 晨風鳥と為りて
双飛翔北林    双飛して 北林に翔せん

 「詩語」
(方舟)=二つ並べた舟。並んでゆく舟。
(湛澹)=水のたたえるさま。
(晨風)=早朝に吹く風。あさかぜ。又は、はやうさ。
「意訳」
もやい舟が長い川に漂いている。水はとうとうとたたえ、舟はひとりでに上下浮動する。流れの中ほどで弦歌の声が起こり、その悲しい響きには余韻がつずき、その音響はあなたの懐の中まで入る。ものがなしさは、人の心を痛ましめる。傷んだ心に何を思うだろうか。ただあなたの恩情の深からんことをのみ願う。せめては二羽の隼となり、共に翼を連ねて北の林を駆け巡りたいと思う。

文帝は情に勝れた才藻の豊かさをもって称せられる。この二首、新婚の思婦に代わりその情を叙したもの。一は黄鵠に託し。二には晨風に擬える、その慕情を新夫に寄せた作品。新婚の詩を詠じたものでは、白眉中の白眉と称せられる所以。


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 「作者の参考文献」 漢・魏 六朝詩集 中国古典文学大系 平凡社
  「一海知義。伊藤正文。


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