★★  魏文帝(曹丕) ★★ (187〜226)

 曹操の長子.字は子桓.建安25年(220)父の跡を受けて魏王となる.弟の曹植と父の跡目を争ったが,勝利を得た。
文学者としては曹植に及ばないが,歴代の帝王の中でだ有数の文学の才能の持ち主であり,「文章は経国の大業であり不朽の盛事である」と言う,同時代の詩文の作者たちを批評し文学の理想を説いた『典論文論』があり.文学尊重の意見を表明して名高い。六朝期の貴族優先の官界秩序を確立した「九品官人法」の制定も彼の手になる。

詩人としては父曹操ほどの力強さには欠けるが、素質に恵まれ、叙情的色彩が濃く、対偶方法を用いる表現は緻密である。詩形式の開拓に意を用いた「燕歌行」は七言詩の祖と見なされている。北方に従事し家を留守 にした夫を想い,妻の立場から詠じた感傷的な色彩の濃厚な作品である。

『詩品』では中品におかれ、「其の源は李陵に出で、王粲の体則あり。新奇なる百許の篇、率ね皆鄙直にして偶語の如し。惟『西北に浮雲有り』(「雑詩」其の二)などの十余首のみ、殊に美瞻翫ぶべく、始めて其の工を見せり」と評せられる。

           燕歌行

     秋風蕭瑟天気涼    秋風蕭瑟として天気涼し
     草木揺落露為霜    草木揺落して露霜と為る
     羣燕辞帰雁南翔    羣燕 辞し帰りて雁 南に翔ける
     念君客遊思断腸    君が客遊を念いて思いは断腸
     慨慨思帰恋故郷    慨慨として帰るを思い故郷を恋わん
     何為淹留寄佗方    何為れぞ淹留して佗方に寄す
     賤妾煢煢守空房    賤妾は煢煢として空房を守る
     憂来思君不敢忘    憂い来りて君を思い敢えて忘れず
     不覚涙下霑衣装    覚えず涙下りて衣装を霑す
     授琴鳴絃発清商    琴を授き 絃を鳴らして 清商を発す
     短歌微吟不能長    短歌微吟 長くすること能わず
     名月皎皎照我牀    名月皎皎として 我が牀を照らす
     星漢西流夜未央    星漢西に流れて 夜未だ央ならず
     牽牛織女遥相望    牽牛織女 遥かに相望む
     爾独何辜限河梁    爾独り何の辜ありてか河梁に限らる

     ★燕=地名,夫が従事している場所名
     ★蕭瑟=もの寂しく,風の吹くさま.
     ★慨慨=心に満足しない.亦,憂うさま
     ★煢煢=孤独なさま
     ★清商=清苦にして哀愁のある音調
     ★皎皎=白いさま
     ★牀=ベット
     ★限河梁=梁は橋,

   毎句押韻の七言体.漢魏六朝時代は五言詩の盛隆時代で,この七言詩体の作品はきわめて少ない.
   
  詩意:簡潔にして明瞭.別離の情緒によって成る作品.
  (『漢魏詩の研究』=鈴木修次:評):別離のムードわかきたてるべき,さまざまの取り合わせが,それぞれ,ばらば  らにならず,きれいに配列され,感傷を細やかに流す点に於いては成功している,此処に曹丕の才能を認めること  ができる.



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