武元 登登庵

武元登登庵(1767~ 1818)。名は正質。字は景文。通称は孫兵衛。登登庵と号す。家は代々岡山藩に仕え、正質は閑谷黌に入り神童と称された。のち江戸に出て昌平黌に学び、柴野栗山の門に入った。生来病弱のため学問に専心出来ず、諸国を遊歴して歩いた。 「行庵詩草」はその紀行詩で 「生涯一片青山」の六文字を冠した。三冊六巻がある。

又、武元登登庵の名著 『古詩韻範』は古詩の押韻について研究した著で五巻からなっている。

    有懷頼子成
一宵魂夢到天涯。     一宵 魂夢 天涯に到る
八角台辺遊寓時。     八角台辺 遊寓の時
憶昨広城文字飲。     憶う昨は 広城の文字の飲
橋南水閣共尋詩。     橋南の水閣 共に詩を尋ねしを
  ◆頼子成=頼山陽。
  ◆八角台=博多の雅名。

     博多雑詠  録一
霊風掀浪覆胡舟。     霊風 浪を掀げて 胡舟を覆す
降卒三千盡斬頭。     降卒 三千 盡く頭を斬る
一自威稜震殊域。     一たび 威稜の 殊域に震いしより
至今不敢覷神州。     今に至るまで 敢えて神州を覷わず
   ◆覷=うかがう。ねらう。
◆解説=この詩は文永・弘安の役を詠じたもの。
弘安十一年(1274)。弘安四年(1281)の両度にわたる蒙古軍の襲来。蒙古は国号を元と称したので元寇とも言う。元の世祖フビライは日本に入貢を求めたが、鎌倉幕府の執権北条時宗は、之を拒否した。為に元は高麗軍と連合して大軍を以て壱岐・対馬・北九州地方に来攻した。然し、我が将兵の奮戦と両度にわたる台風によって大敗した。
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     博多雑詠  録二
三軍不及一蛾眉。     三軍も及ばず 一蛾眉
百媚能欺胡国児。     百媚 能く欺く 胡国の児
当日命為群娼長。     当日 命じて為す 群娼の長と
柳街留得女郎碑。     柳街 留め得たり 女郎の碑
  ◆三軍=周の制度で、天子の六軍に対する諸侯の大国の上軍・中軍・下軍の総称。一軍は一万二千五百人。
  ◆一蛾眉=一人の美しい女性。
  ◆百媚=いろいろのなまめかしさ。
  ◆群娼長=多くの遊女のおさ。
  ◎娼=この字は陽韻。平用するのが正しい。
  ◎長=長は統率者の意の時は、仄用。(養韻)
  ◆柳街=花柳街。遊里。
  ◆女郎=遊女。

     虹 浜
虹浜十里白沙汀。     虹浜 十里 白沙の汀
松韻涛声好共聴。     松韻 涛声 好し共に聴かん
渡口待舟舟未到。     渡口 舟を待つも 舟 未だ到らず
唐津城外雨冥冥。     唐津城外 雨 冥冥たり

    08/11/06      石 九鼎  著す