短 歌 行              魏  武帝

対酒當歌。    酒に対しては當に歌うべし
人生幾何。    人生は幾何ぞ
譬如朝露。    譬へば 朝露の如し
去日苦多。    去る日は苦はだ多し
慨當以慷。    慨して當に以て慷すべし
幽思難忘。    幽思 忘れ難し
何以解憂。    何を以ってか憂を解かん
惟有杜康。    惟だ杜康 有るのみ
青青子衿。    青青たる子が衿
悠悠我心。    悠悠たる我が心
但為君故。    但だ君が為の故に
沈吟至今。    沈吟して今に至る
呦呦鹿鳴。    呦呦たる鹿の鳴くあり
食野之苹。    野の苹を食う
我有嘉賓。    我に嘉賓 有り
鼓瑟吹笙。    瑟を鼓して 笙を吹かん
明明如月。    明明として 月の如し
何時可掇。    何の時か 掇る可き
憂従中来。    憂は中従り来り
不可断絶。    断絶す 可からず
越陌度阡。    陌を越え 阡を度り
枉用相存。    枉げて用って相存せば
契濶談讌。    契濶 談讌せん
心念旧恩。    心に旧恩を念へり
月明星稀。    月明かに星稀れに
鳥鵲南飛。    鳥鵲 南に飛ぶ
繞樹三匝。    樹を繞って三匝
何枝可依。    何れの枝か 依る可き
山不厭高。    山は高きを厭わず
海不厭深。    海は深きを厭わず
周公吐哺。    周公 哺を吐きて
天下帰心。    天下 心を帰す

短歌行は光陰の逝き易きを惜しんで、早く賢士を得て王業を立てたいと心持ちを述べた詩である。酒でも飲んだら大いに歌でも歌う事である。人の一生は儚いものである。朝露の如く、慷慨悲歌しなければ止むに止まれぬ気持ちになる。何故ならば常に心の心配がとれぬからである。此の憂いを消すものは唯だ酒あるのみだ。自分は固より青年賢才の者を心から欲しいと思い、常に沈思呻吟している。誠に賢才を得て政治をすることが出来れば、吾が嘉賓として礼遇し音楽を奏し和楽を以って親交を結びたい。鳴鹿の章の嘉賓を談讌するのと同じような態度を以って。賢才を得難きことは月光の摂ることの出来ないと同じである。故に憂思が胸から絶えることこがない。幸い故旧の自分を思う者が枉げて来たり訪うことがあれば、務めて談笑飲宴して旧恩を謝したいと思う。今の天下の士は月下に迷い飛べる鳥鵲にも似ている。自分は深く惜しむ次第である。山は士を辞せないから好く其の高きを成し、海は水を辞せないから能くその深きを成し、明主は人を厭わないからよく其衆を成すのである。周公は王者の親を以ってしても謙退人に下り吐哺握髪して天下の士を待てばこそ、天下の人心は皆な之に帰向した。自分も亦周公の賢を慕うものである。