| 竹雨 土屋久泰 著 笠井南村釈註 [自序] 余幼にして学を王父に承け,四書を誦習す。稍長じて詩を作り文を属し,謬りて郷先生の称する所となる。事志学の前にあり。明治の中葉,西学盛行し,漢学萎靡振るはず,坡老の所謂,詩書を掃除して法律を誦するもの,比々皆然かり。籍を大學に挂くるに及び,西学に薫染し,刑名の術を習う。然れども未だ敢えて吟哦を廃せず,纔に寿陵の故歩を保つ。中年以後,名を教学に厠へ,復旧業を修し。詩社を剏成して,月に一誌を刊す。是に於いて中外の名流,頻りに来たりて刺を通じて臂を把る。論文譚芸,一時の盛を極む。辛巳よりこのかた,戎馬旁午,礮(砲)火連年,耆宿逓るく謝し。故盟四散す。余亦東依西托,生を草澤の間に愉む。今や頭童歯豁,頽然として老いたり。丁酉四月,七十覧揆の辰,社友来りて余に請うて詩を刊せしむ。情辞すべからず。乃ち古旧稿中より十の一を取り,これを棗板に附す。余法を学びて成らず,詩を学びて未だ精ならず,唯嘯咏の一事は,性命の託する所,未だ積稿を以て覆醤に付するに忍びず,碔砆珠玉,固より論ぜざるなり。嗚呼戦後文運の衰,極まれり,挙目山河,荒煙蔓草,痛言いうべからず,興復の業は,老夫の能く任ずる所に非ず,後起の賢に待つ所以なり。 昭和丁酉孟秋竹雨泰城西の猗廬に識す。 出峡 (明治三十九年,余第二高校の試に応じ,仙台に赴く,首は途上得る所なり。以下数篇,二十前後の作) (三首之一) 陰晴多変化。 陰晴 変化 多し 気象眼前移。 気象 眼前に移る 雨過紅身幻。 雨過ぎて 紅身幻に 雲開山骨奇。 雲開いて 山骨奇なり 如探剡中勝。 探るが如し剡中の勝 誰継謝行詩。 誰が継ぐ謝公の詩 回看故関樹。 回看す故関の樹 依微天一涯。 依微たり天の一涯 |