悲陳陶 陳陶を悲しむ。 古詩。 陳陶斜に於ける官軍の敗北を悲しんで作る詩。至徳元年。十月二十一日。房琯は陳陶斜で安守忠と戦い、大敗した。官軍の死傷者、四万を越えた。(四万義軍)=唐書に「時に房琯古法に効って車戦を用いる賊、火を放ち之を焼く人畜大いに乱れ、官軍死傷する者四万余人」。 孟冬十郡良家子。 孟冬十郡 良家の子 血作陳陶澤中水。 血は陳陶 澤中の水と作る 野曠天清無戦声。 野は曠しく 天は清く 戦声無し 四万義軍同日死。 四万の義軍 同日に死す 群胡歸來雪洗箭。 群胡 歸り來たって 箭を雪洗す 仍唱夷歌飲都市。 仍を夷歌を唱うて 都市に飲む 都人廻面向北啼。 都人 面を廻らせて 北に向って啼き 日夜更望官軍至。 日夜 更に望む 官軍の至るを [曠]=[一作広。清、一作晴]=一に広と作る。清、一に晴と作る。 [血]=[一作雪。]=一に雪と作る。 [仍唱]=(一作撚箭)=(一に撚箭と作る) [日夜之句] =(一作前後官軍苦如此)=(一に前後官軍苦しきこと此の如と作る) [陳陶] =(咸楊の陳陶斜) [晋書・安帝紀] (東土遭乱、企望官軍之至)=東土乱に遭い、官軍の至るを企望す。 [詩語解] [孟冬] 冬の初めの月,即ち十月。 [十郡] 十カ所の郡。 [良家子] 良民の子弟で兵士に成れる者。因人叉は召募の無頼漢でない者を言う。 [無戦声] 是は「倒装の法」下句の事実のある,戦の声,無きなり。『仇兆鰲,曰く,蔡注によって戦はずして,敗れる。』 [義軍] 忠義の軍,即ち官軍。 [群胡] 多くの賊兵。 [歸來] 戦場から都市へ帰へって来る。 [雪洗箭] 雪洗は,そそぎ洗うこと。 箭の血を清める事を言う。 [仍] よって。 そのまま。 [夷歌] えびすの歌。 [飲] 酒を飲む。 [都市] 長安のまちをいう。 [廻面] 面を胡兵からそむける,を言う。 [向北] 北とは,粛宗の居る霊武の地の方向をさす。 [官軍] 粛宗の兵。 [詩意] 初冬十月、およそ十郡の良家の子弟よりなる義勇軍兵士達、その血は流れて陳陶澤の水となった。野は曠しく、空は徒に澄み、今は戦の声もなく、四万の義軍はここに一日にして死す。賊兵どもは還り来たって、箭を洗い雪ぎ、勝ち誇った彼らは町で胡の歌を唄いながら酒を飲んでいる。都の人達はみな面を背けて北方に向いて泣き、日夜官軍がもう一度やって来ることを待ち望んでいるのだ。 Copyright(C)1999-2011 by Kansikan AllRightsReserved ie5.5 / homepage builder vol.4"石九鼎の漢詩舘" |