宗武生日 作者の次男、宗武の誕生日。仇氏は謂う、至徳二載、公、賊中に陥りし時、詩有り曰く:[驥子好男児、前年語を学びし時]と。その後乾年二年蜀に至り、永泰元年蜀を去り、其の間、八年を経ている故、宗武は約十四歳前後であったろうと。 小子何時見。 小子 何の時が見えし 秋高此日生。 秋高 此の日生る 自従都邑語。 従より 都邑 語る 已伴老夫名。 已に老夫の名に伴う 詩是吾家事。 詩是吾家事 人伝世上情。 人は伝う 世上の情 熟精文選理。 熟精せよ文選の理 休覓綵衣軽.。 覓むるを休めよ 綵衣の軽.きを 凋瘵筵初秩。 凋瘵 筵 初めて秩す 欹斜坐不成。 欹斜 坐 成らず 流霞分片片。 流霞 片片を分ち 涓滴就徐傾。 涓滴 就いて徐ろに傾く 【詩語釈】 [都邑語] 仇氏は都邑を成都とし、成都の人が誇る語を意味に解してる、前掲の学語時の句を参照すれば長安で物言う事を習い始めた時と言う説もある。 [吾家事] 祖父(杜審言・初唐の代表詩人)以来のこと。 [文選理] 文選は唐代に於いて最も文学の教養として重要なもので有った。 [綵衣軽] 昔、老莱子は年七十になっても孝養を尽くす爲、両親の前で五色の綵衣を着て戯れたと謂う。 [秩] 宴席で順序に従って並べられたこと。 [欹斜] 正座ができない、体を斜めにしていること。 [流霞] 酒のこと。故事から来ている。 [訳文] 我が子、宗武は天高き秋の本日の時節に産まれた。長安でやっと、言葉を覚え始めころから、お前の名は早くも私の名に、同じように聞こえていた。詩は代々吾が家の事業である。世間の人々は皆、言い伝えているので、宗武よ!お前も、文選をしっかり読んで、その文学の道理に精熟しなさい。親の心を慰めようと、老莱子のように五色の衣類で舞う真似はしなくてよいのだ。 Copyright(C)1999-2011 by Kansikan AllRightsReserved ie5.5 / homepage builder vol.4"石九鼎の漢詩舘" |