望 嶽 
泰山を遠望して作詩したもので制作時は開元25年頃と推定されている。 開元28年(29歳)。一説に開元25年前後。古詩。

岱宗夫如何。        岱宗 夫れ如何、
斉魯青未了。        斉魯まで青 未だ了らず
造化鍾神秀。        造化 神秀を鍾つめ
陰陽割昏曉。        陰陽に 昏曉を割かつ
盪胸生曽雲。        胸を盪かして 曽雲を生ず
決眥入帰鳥。        眥を決して 帰鳥に入る
會當凌絶頂。        會ず當に 絶頂を凌ぎて
一覧衆山小。        一たび 衆山の小なるを覧るべし

『孫綽、遊天台賦序』。天台者、蓋山岳之神秀也。天台の者、蓋し山岳の神秀なり。
『孟子、盡心上』。孔子登東山而小魯、登泰山而小天下。孔子東山に登る而して小魯、泰山に登るに天下に小なり。


詩語
○嶽 五嶽の一つ。東嶽,即ち泰山を言う。
○『岱宗』(たいそう)。山東省の泰山(5岳の一つ)を言う。泰山は五岳の長なる故に宗と言う。海抜4千余尺。泰山の南は魯國。北は斉國にあたる。
○曾雲 曾は層と同じ,重なる雲,この句は雲が生ずるために胸がとどろくことを,結果と原因とを逆に述べたもの。
○『陰陽』。陰は山北、陽は山南。
○『昏曉』。ゆうぐれとあかつき
○『會』。かならず。唐時代の俗語。

詩意
泰山は如何と言えば、山の青い色は遠方に離れた斉、魯の国の地方までも未だ無くならない。此の山は造物主も此に神秀の気を集めたかと思われる霊山である。その高大さは山南・山北とで夜と昼が別れると言う程である。山からムラムラと重なった雲が沸きたつので私の胸はとどろかされ、まなじり(眥)の張り裂けんばかり眼を見開いて帰り行く鳥を見送る。他日必ず此の山の絶頂を突き抜けて孔子のように再度、脚下の村山の小さく見えるのを眺めるであろう。

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