遊龍門奉先寺 (望岳 房兵曹胡馬  春日憶李白  飲中八仙客  貧交行  )
 龍門の奉先寺に遊び、宿泊し作詩したもの、製作時は開元二十四年、或いは開元二十九年後とし一定しない

已従招提遊。   已に招提の遊びに従い
更宿招提境。   更に招提の境に宿す
陰壑生虚籟。   陰壑 虚籟を生じ
月林散清影。   月林 清影を散
天闕象緯逼。   天闕に象緯逼る
雲臥衣装冷。   雲に臥すれば衣装冷ややかなり
欲覚聞晨鐘。   覚めんと欲し晨鐘を聞く
令人発深省。   人をして深省を発せしむ

龍門石窟として有名、河南省洛陽の西南に位置し龍門は又の名を伊闕とも呼ぶ。龍門石窟の窟の中では奉先寺が白眉である。杜甫は開元24年、一説には29年、龍門奉先寺に宿しての作とも伝承されるが年次の詳細は解らない。
謂う:此の寺に遊びにきて、この寺に宿したが、北の峪では、がさがさと物の音がする、月光を浴びた林は清い影を地上に散乱させる、天の門かと怪しまれる、此の高処には星象が垂れ近ずくようであり、雲の降りて来るところに身を横たえ臥せば衣装も冷やかに感じる。暁鐘に目が覚めるとき、鐘を聞くと深い省悟の念を起させる。

 望 嶽 
泰山を遠望して作詩したもので制作時は開元25年頃と推定されている。

岱宗夫如何。        岱宗 夫れ如何、
斉魯青未了。        斉魯まで青 未だ了らず
造化鍾神秀。        造化 神秀を鍾つめ
陰陽割昏曉。        陰陽に 昏曉を割かつ
盪胸生曽雲。        胸を盪かして 曽雲を生ず
決眥入帰鳥。        眥を決して 帰鳥に入る
會當凌絶頂。        會ず當に 絶頂を凌ぎて
一覧衆山小。        一たび 衆山の小なるを覧るべし

▲古詩。 開元28年(29歳)。一説に開元25年前後。『』
○『岱宗』(たいそう)。山東省の泰山(5岳の一つ)を言う。泰山は五岳の長なる故に宗と言う。海抜4千余尺。泰山の南は魯國。北は斉國にあたる。
○『陰陽』。陰は山北、陽は山南。
○『昏曉』。ゆうぐれとあかつき
○『會』。かならず。唐時代の俗語。
▲『孫綽、遊天台賦序』。天台者、蓋山岳之神秀也。天台の者、蓋し山岳の神秀なり。
▲『孟子、盡心上』。孔子登東山而小魯、登泰山而小天下。孔子東山に登る而して小魯、泰山に登るに天下に
小なり。

[解説]
泰山は如何と言えば、山の青い色は遠方に離れた斉、魯の国の地方までも未だ無くならない。此の山は造物主も此に神秀の気を集めたかと思われる霊山である。その高大さは山南・山北とで夜と昼が別れると言う程である。山からムラムラと重なった雲が沸きたつので私の胸はとどろかされ、まなじり(眥)の張り裂けんばかり眼を見開いて帰り行く鳥を見送る。他日必ず此の山の絶頂を突き抜けて孔子のように再度、脚下の村山の小さく見えるのを眺めるであろう。

  房兵曹胡馬
胡馬大宛名。   胡馬 大宛の名
鋒綾痩骨成。   鋒綾 痩骨 成る
竹批雙耳峻。   竹批そぎ雙耳は峻し
風入四蹄軽。   風入りて四蹄は軽し
所向無空濶。   向う所 空濶 無し
真堪託死生。   真に死生を託すに堪えたり
驍騰有如此。   驍騰 此の如き有り
萬里可横行。   萬里 横行す可し

房兵曹がもっている胡馬は漢代大宛国から出た名馬のような駿馬で、肉は落ちた骨格は見事である、左右一対の耳は竹を削いだように尖り、走るときは四本の脚に風が生じて蹄は軽やかである。この馬の向うところ、千里の昿野も眼中に置くに無く、此の馬こそ死生を託する事が出来る。(僕、青年時、欲擬少陵、譜:天馬二首。今汗顔之到)

    春日憶李白
白也詩無敵。   白や 詩に敵なし
飄然思不羣。   飄然として 思い羣ならず
清新?開府。   清新は?開府
俊逸鮑参軍。   俊逸は鮑参軍
渭北春天樹。   渭北 春天の樹
江東日呉雲。   江東 日呉の雲
何時一樽酒。   何の時か一樽の酒
重與細論文。   重ねて與に細かに文を論ぜむ

李白よ、あなたは思想が自由闊達奇抜で凡俗を超越している、詩に於いては誰も匹敵する者がいない。あなたの詩風を古人で比較するなら、清新なること北周の?信の如く、俊逸なことは宋の鮑照の様である。僕は今、渭北の春天の樹を眺めている、君は江東の日暮の雲に嘯いているだろう、南北相い隔だてているが、何時また一樽の酒を酌みながら、以前の様に再会して詩文について論じ逢うことが出来るだろうか。此の詩は天宝五年の春、杜甫は既に長安に帰り、李白は江南に在る。

   飲中八仙客 

知章騎馬似乗船。     知章が馬に騎るは 船に乗るに似たり
眼花落井水底眠。     眼花さき井に落ちて 水底に眠る
汝陽三斗始朝天。     汝陽は三斗 始めて天に朝す
道逢?車口流涎。     道 ?車に逢うて口 涎を流す
恨不移封向酒泉。     恨むらくは 封を移して 酒泉に向はず
左相日興費萬銭。     左相は日興に 萬銭を費やす
飲如長鯨吸百川。     飲むことは長鯨の百川を吸うが如し
銜杯楽聖称避賢。     杯を銜え聖を楽み称避賢をみ避けると証す
宗之瀟洒美少年。     宗之は瀟洒たる美少年
挙嘱白眼望晴天。     觴を挙げ白眼 晴天を望む
皎如玉樹臨風前。     皎として玉樹の風前に臨むが如し
酔中往往愛逃禅。     酔中 往往 逃禅を愛す
李白一斗詩百篇。     李白一斗 詩百篇
長安市上酒家眠。     長安の市上 酒に家眠
天子呼来不上船。     天子呼び来れども船に上らず
自称臣是酒中仙。     自ら称す臣は是れ酒中の仙
張旭三杯草聖伝。     張旭 三杯 草聖伝う
脱帽露頂王公前。     帽を脱し頂きを露はす王公の前
揮毫落紙如雲煙。     毫を揮い紙に落せば雲煙の如し
焦逐五斗方卓然。     焦逐五斗 方に卓然
高談雄弁驚四筵。     高談雄弁 四筵を驚かす

賀知章が酔うと馬に乗っているが船に乗っているようにゆらゆらしている。或る時、酔うて目先がちらついて誤って井戸の中に落ちて水底で眠ったりする」汝陽王李?は酒を三斗ばかり飲んでやっと朝廷へ出る。途中でかうじ車に出会うものなら、口から涎をながす。汝陽などに封ぜられ酒泉にでも場所替えしてもらったらよかったろうに。そうでもないののは恨むべきことだ。」

左丞相李適之は日日の酒興に萬銭を費やす、酒を飲む様は大鯨が百筋の川水を吸うが如しでガブガブ飲む、彼は杯を口に銜ええながら清酒を楽しみながら味わい、獨酒は嫌いだと言う、」
崔宗之はさっぱりち垢抜けのした美少年で、盃を持ち上げてチョット青空を白眼で睨む様子をする。その様子が月の光かと間違うように玉樹が風前に立つているかと思うように見える。」
蘇晋は仏教信者で、縫いとりした仏像を掲げて、その前で年中ものいみをしているが、酔の中でも、時々禅定に入ることを好む。
李白は酒を一斗飲むうちに詩百篇も作る豪の者で、長安へ出かけて酒屋で眠る。天子から呼びよせられても酔ぱらって船に乗りきれず、。自分は酒中の仙人だなどと気楽なことを言うている。
張旭は三杯くらい酒を飲むと草書がうまく書けると、世間では草書の聖人と言うほど伝言している。彼は王公の前でも無頓着に帽子を脱ぎ、頂を露わし,筆を奮い紙上落とすと、出来上がった文字が雲や煙の沸き起こったように見える。」

焦遂は五斗の酒を傾けて、やっと意気が上がってきて、高談雄弁は、辺りを驚かすのである。
八人の酒友のことについて述べている詩である。製作時期は天宝五年とも、13年とも言う。然し定め難いと言う。

貧交行
翻手作雲覆手雨。    手を翻せば雲と作り手を覆せば雨
紛紛軽薄何須数。    紛紛たる軽薄 何ぞ数うるを須(もち)いん
君不見管鮑貧時交。   君 見ずや管鮑貧時の交を
此道今人棄如土。    此の道 今人 棄てて土の如く


(貧交行の詩は古詩である,世の交友の軽薄なことを風刺したもの,杜甫が落第して京師に寓居していた頃,交友関係の冷淡さを嘆き作詩したもの,「行」は楽府の歌行の類で,曲と同じ。)