無家別 妻子も親もいない孤独な男が他方へ征役に出されようとして,その家に別れ去る心を述べた詩。乾元二年華州での作。 寂寞天宝後。園盧但蒿藜。 寂寞たり天宝の後,園盧但だ蒿藜 我里百余家。世乱各東西。 我が里百余家,世乱れて各ゝ東西 存者無消息。死者為塵沼。 存する者無消息無く,死せる者は塵沼と為る 賎子因陣敗。帰来尋旧蹊。 賎子陣敗に因り,帰り来たって旧蹊を尋ねる 久行見空巷。日痩気惨凄。 久行空巷を見る,日痩て気惨凄なり 四隣何所有。一二老寡妻。 四隣は何の有る所ぞ,一二の老寡妻 宿鳥恋本枝。安辞且窮棲。 宿鳥本枝を恋う,安んぞ且つ窮棲するを辞せん 方春獨荷鋤。日暮還潅畦。 方に春にして獨り鋤を荷う,日暮還た畦に潅ぐ 県吏知我至。召令習鼓[革 卑] 県吏我が至るを知る,召して鼓[革 卑]を習わ令む 雖従本州役。内顧無所携。 本州の役に従と雖も,内に顧みるに携える所無し 近行止一身。遠去終轉迷。 近く行くに止一身,遠く去れば終に轉た迷う 家郷既盪盡。遠近理亦斎。 家郷既に盪盡す,遠近,理亦た斎し 永痛長病母。五年委溝谿。 永く痛む長病の母,五年,溝谿に委するを 生我不得力。終身両酸嘶。 我を生むも力を得ず,終身両ながら酸嘶 人生無家別。何似為蒸黎。 人生,無家の別れ,何を似ってか蒸黎と為さん 訳文 天宝の騒乱以後は我が地方も寂寞としてきた。畑や庵には但だ蒿「ヨモギ」とか藜「アカザ」生え,はびこるばかりとなった。自分の村には百軒あまりの家があるが,世が乱れてから住民は各ゝ東に西にと散ってしまう,生き残っている者は頼りも無く,死んだ者は泥や塵と為った。自分は戦争に出ていたが、戦争に負けたので帰ってきた。 懐かしい旧蹊を尋ねてみる、久しく出歩いていて今、誰もいない空巷を見ると,太陽の光も力なげに、あたりの気象も、もの悲しそうにみえる。我が向かいに立つのはただ狐や狸である。彼らは自分に対して怒るように毛を逆立てて啼くくのである。又、近所隣に何が有るかと見てみると、一人二人の年寄りやもめばかりである。 樹に宿る鳥はやはり、もと棲んでいた枝が恋しい。丁度、春なので自分は獨り鋤を荷う,日が暮れてもまだ畑の畦に水を潅ぎ入れている。ところが我が県の役人は自分が戦争から戻って来たのを知って、自分を呼び出して戦太鼓や小鼓を打つことを習わせる。自分はお上の為、仕方なしに所属の州の仕事には従事しているものの、 さてさて一私人と内部を顧みると、自分には携える所の妻子眷属というものが無いのだ、県内の近かくに行くににも我が身ひとつである。もし、もっと遠方の地に行くのであれば、終に轉た迷うて前途わけの分からない境涯になってしまうだろう。然し、考えてみれば一家一郷既に何も無い今では,遠近,何処にしても良い運命に出会わない、と言う道理は同じことだ。 自分が永久に痛ましく思うことは、自分の長患いをした、おつかさん。あの、おつかさんは五年の間、冷たい地下の水にうち捨てられている。自分をお生みくだされたが,自分から扶養されるという目にお会いなされずにお果てになされた。 此れに就いては、おつかさんも自分も生涯辛い思いでで泣いたものである。自分は、これからも、この気持ちは無くならない。ああ!この世界に於いて別れるべき家人を持たない別れをするとは。何を似ってか蒸黎と為さん。 Copyright(C)1999-2011 by Kansikan AllRightsReserved http://www.ccv.ne.jp/home/tohou/sanbetu20.htm 石九鼎の漢詩舘 |