秦 州 雑 詩(二十首之一) 乾元二年(759年)秋七月華州より官を棄てて西に向かい秦州に到る。第一首は全体を述べている。杜甫48歳のとき、。秦州(甘粛省天水市)での作。近体詩。 杜甫の秦州雑誌は五律二十首。感ずる事,事に就く事,景に触れ文を為す事,見る事,聞く事,縦横変化妙を極める。一時に出来たのもでない。杜甫の五言律詩中,鴻裁とされる所以が解せる。 (第一首) 満目悲生事。 満目 生事を悲しむ 因人作遠遊。 人に因りて 遠遊を作す 遅廻度隴怯。 浩蕩及関愁。 水落魚龍夜。 水は落つ 魚龍の夜 山空鳥鼠秋。 山は空し 西征問烽火。 西征して 烽火を問い 心折此淹留。 乾元二年(759年)秋。この年の七月、長安一帯は大飢饉に襲われ、杜甫は官を辞職し、食料を求めて家族と共に此の地にやって来た。その頃国内では、朝廷に帰順した史思明が再び背き、その為、戦いは絶えず、又、国境では [詩語] [雑誌] 所見を書き付けた詩。 [満目] 見渡す限り。 [生事] 人生一般の生活。 [因人] 人を頼って。 [ [度] 経過すること。 [隴] 隴坂、陜西省の隴州の西北にある大きな坂、その高さは二千余メートルあるという。その坂を経過するするのに、七日を要すと言われる。 [ [ [水落] 『蘇拭・後赤壁賦』 (水落石出)=水が非常に減っているさま。(川底などの石がゴロゴロして露出している) [魚龍] 川の名。渭水の支流。ケンスイのこと。其処には五色の魚が棲んでおり、その魚は俗に龍と呼ばれる、ところから呼ぶ。 [ [烽火] のろし。狼煙という。狼煙は垂直に立ちのぼり遠方の関所からも見分けられるという。 [ [訳文] 自分(杜甫)は何を見ても人間の意の如くあらず、悲しませるものばかりで、この度、人を頼って遠方に旅することになった。 隴坂を越えて行くときは心はおびえて道中はかどらず、麓の関所に辿り着いても心の愁いは限り無く広ろがるばかりだ。 水かさの落ちた魚龍川に夜はとずれ、人気のない 西に旅して戦争の模様を聞き出し私は、心もくだけて此処、秦州に逗留することとなった。 秦 州 雑 詩(二十首之十九) 鳳林戈未息 鳳林戈未息。 鳳林 戈未だ息まず 魚海路常難。 魚海 路常に難し 候火雲峰峻。 候火 雲峰 峻にして 懸軍幕井乾。 懸軍 幕井 乾わく 風連西極動。 風は西極に連りて動き 月過北庭寒。 月は北庭を過ぎて寒し 古老思飛将。 古老 飛将を思う 何時議築壇。 何の時か築壇を議せん [鹵莾解事] 此の詩は秦州雑詩十九首に示す。乱を憂え良将を思う情,痛惋悲憤切切と述べる,吐蕃(唐代・西域の国名。今のチベット。)掃討を望む。「鳳林」は関所の名,黄河の側にある。この時,已に吐蕃に侵略され併合せれてしまった。「魚海」は県の名,加洲の西にあり吐蕃との国境である。 戦争の区域は拡大し道路は寸断し通行は険しく以て「鳳林戈未息。魚海路常難。」と破題し且つ対句で叙述する。 前聯は深く敵地に侵入した軍隊の行軍の難儀を述べる。敵軍襲来の前衛兵の烽火の合図は,雲に聳える高所から頻繁に伝来される,然し我が軍は已に人馬とも疲労困憊し,道路は険悪,進軍は容易ならず,未知の土地,井戸を掘るが水量は極めて少なく,忽ち渇水して一軍が飢渇に迫る。という状態である。是が「候火雲峰峻。懸軍幕井乾。」 後聯は深く敵地に入り見る所の「吐蕃の惨澹たる情景を明瞭にし,風は萬里限りなく西極より吹き起こり,悲しい秋声が動き,月は北庭の辺まで照らし殺気まで生ずる,もの寂しさ,則ち 「風連西極動。月過北庭寒。」。此の「西極」「北庭」は共に吐蕃を指す。 故に古老は,漢時の飛将軍李広の様な将軍を一日も早く得て,早く此の騒乱を掃討することを切望して止まない。が収束の「古老思飛将。何時議築壇。」と言う。 この時,忠臣な郭子儀という大将が罷免され,之を起用することを諷した,と言う説もある。 Copyright(C)1999-2011 by Kansikan AllRightsReserved ie5.5 / homepage builder vol.4"石九鼎の漢詩舘" |