野 望

乾元二年。近体詩。野良の夕暮れを詠じたもの。

清秋望不極。   清秋 望み極まらず
迢遞起層陰。   迢遞 層陰 起こる
遠水兼天浄。   遠水 兼ねて天浄く
孤城隠霧深。   孤城 隠れて霧深し
葉稀風更落。   葉稀なるに 風 更に落ち
山廻日初沈。   山廻かに 日 初めて沈む
独鶴帰何晩。   独鶴 帰る何ぞ晩き
昏鴉已滿林。   昏鴉 に滿つ

[曽陰]  詳註本作層陰(詳註に本と層陰と作る)
『梁武帝・詩』長州望不極 (長州 望み極まらず)。
『何遜・詩』獨鶴凌空逝 (獨鶴 空を凌いで逝く)。
『何遜・詩』昏鴉接翅飛 (昏鴉 翅を接して飛ぶ)

[詩語解]
[迢遞] 地に高低あり且つ遥かなり。
[層陰] 幾重もの曇り
[遠水二句] この二句は上三字下二字の句法を用いる。遠水、天の浄きを兼ね、孤城、霧の深きに隠れる。と読むも可なり。[風更落] (風更に落す。と「落」の字を他動詞に読むも可、然し可し「葉」を主とし「落」を自動とみる。

[詩意]
澄み切った秋の遠望は果てしない。高低の地勢には幾重かの夕曇りが起こり始めた。遠方の水面と共に天もすっきりしているが、この孤城は霧が深く立ち籠めた。稀になった葉が風のためにいっそう振る払われ落ち、遙かな山の彼方には太陽がやっと沈んでしまった。この時、日暮れのカラスは、もはや林に一杯停まったのに、一羽の鶴だけは、何故、此の様に遅く帰るのか。(鶴は蓋し自己を比して言う)。

鹵莽解字
此の詩は秋の野原の景色を眺望し描写し,最後に自分の心境を比興で述べただけのもの。然し其の描写法が秩序たち細密故,句句みな景色であるが,詠むもを秋景以外の観念を起こさせる。

秋の夕景色を写し「清秋望不極迢遞起層陰」と破題している。第二句が下の六句を総括,総べてのものは此の層陰の中にあり,遠方にあっても遠方の水だけは光っている,ねり絹を引いたように,白く空に映って見える。然し,孤城は隠々と霧に立ち籠められ遂にその影を没してしまった。是が「遠水兼天浄孤城隠霧深」の意味である。
この前聯は上句は水の明なる景を,下句は城の暗さ形を描写し,明暗相反した二つの物を以て,遠景の印象を一層明瞭にしたので,絵画を看るような面白さを出している。此の景趣を表現する爲に「兼」,「浄」,「隠」,「深」,の虚字を善く用いた處は杜甫の精細の工夫をみることが出来る。

前半は野望の景を正写し,後半は傍写にと,写景の平板を避けるようにしている。「葉稀風更落山廻日初沈」はダンダン秋が深くなり,木の葉も霜にかれて少なくなっている處へ,風が強いので,僅かの残りの枯れ葉も吹き飛ばされてしまう。是が「風更落」の意味。「更」の字を用いた妙味を味合うべし。

独鶴帰何晩昏鴉已滿林」只一窒フ鶴が,猶を野原を徘徊して塒(ねぐら)に帰らず,是は如何にと反問。
其の裏面に於いては自己を鶴に比す。自分のみ此の秦州の塞近くで流浪し,帰るにも帰る家無きとは情け無い。と,暗に嘆じた,作者は此の夕方の野色を獨り眺めて,遠景より近景にだんだん筆を運び,遂に眼前の獨鶴,昏鴉より自分の身に及び収束している。

『徐盡山』 曰く:[此の律詩は通首全実の法]なりと。
胡応麟』 曰く:[律詩句に景を写す,貌は豊碩と雖も往々之を煩雑に失す,叉景を写して言外の意なきは則ち堆積して味少なし,此の詩清秋,層陰,水,天城,霧,風,葉,山,日,帰鶴,昏鴉,首より尾に到るまで景を写すに有らざるはなし,而して余託,遙深,之れを詠めば自から悠然として会す可し」 と批評している。


                     Copyright(C)1999-2011 by Kansikan AllRightsReserved 
                                    ie5.5 / homepage builder vol.4"石九鼎の漢詩舘
"