寓 目
秦州雑詩の中の一首,

一県葡萄熟。     一県 葡萄熟い
秋山苜蓿多。     秋山 苜蓿多し
関雲常帯雨。     関雲 常に雨を帯び
塞水不成河。     塞水 河を成さず
熢燧羌女軽。     羌女 熢燧を軽んじ
胡児掣駱駝。     胡児 駱駝を掣る
自傷遅暮眼。     自ずから傷む 遅暮の眼
葬乱飽経過。     葬乱 経過に飽きしを

詩語解
[寓目] 眼にとまったこと。
[一県] 県じゆう。
[苜蓿](もくしゅく)。草の名,うまごやし,のこと。又,一名,懷風,光風,連枝草とも言う
[関雲]
 関所の雲。
[塞水] とりでの水。
[不成河] 仇兆鰲;註,塞外は土地が高く四方荒涼として阻てるものが無く流れ落ちるので,流れは河とならぬ,という。
[熢燧](ほうすい)。 のろしのこと。(乾いた狼の糞が上々とされていた。一説に「乾いた狼の糞」は煙が垂直に登る故,味方の歩兵が遠方から確認出来る。少々の風では,靡かない,という。」)尚,「燧」は昼に,「熢」は夜に於いてす。
[羌女](きょうじょ)。「羌」は西方の蛮族。
[胡児](こじ)。「胡」は北方の異民族。当時此の地方には漢族と蛮族が入り混じって住んで居た。
[掣] (御すること。)
[遅暮眼] 遅暮はダンダンと年をとること。「遅暮眼」は老人の眼と解すれば好い。
[葬乱] 亡国の際の国乱。

詩意
県中何処へ行っても葡萄が熟して紫に,秋の山には,うまごやし,が青く多く生えて,全く中国とは異なった植物が四方に蔓延している。関塞の雲は何時も湿り雨を含んでいるが,川水は忽ち流れている。
此処の住民は胡種の女が多く胡児が又多くいるから,風俗が殺伐であり,女でも熢燧などは少しも恐れず,子供でも多きな駱駝を御して行くという風景である。自分は五十以上の老人になって,その眼に視るものは,此の世の中の兵乱ばかりで,中国の戦乱を避けて,此の秦州に彷徨って来たのに,此処にも騒乱が起きているのに気づいた,自分は何処へ行っても泰平の世の中を見る事が出来ないことは,実に心細くてたまらない。


鹵莽解字
秦州雑誌中の一首である。秦州は西域の蛮族の居る處と境を接していて,動物も植物も風俗も皆な違う,然し日常生活には困らない,杜甫の眼に触れた事物を観察し世変の起こらいことを思い賦したのである。
「 一県葡萄熟。秋山苜蓿多」は葡萄も苜蓿も皆な中国の植物では無い。西域の天竺方面から移植されたものである。
杜甫には見慣れぬ植物である,異様に感じた,且つ秦州が西域と近いと言いながら,西域の植物により充たさている以上,唐の境土で無いような心地もしたのだろう。
「関雲常帯雨。塞水不成河。」は土地の気候と地勢を記し,
「 熢燧羌女軽。胡児掣駱駝。」は此の土地の風俗が危険であることを述べる。
最後に自分の感慨を述べている,
「 自傷遅暮眼。葬乱飽経過。」則ち自分は中国の乱を避けて此の辺地来たが,老いの眼に映るものは恐れるべきの世の中の禍機である,千年以前の杜甫が悲憤した時代と,戦乱の惨害と言う点に於いては
現在も変わらない。



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