貧交行
貧賤の際に交わりがあるものも、富貴となる後、その交わりを捨てて返り見ざることを、歎いて作った詩である。杜甫が賦を献じて後、久しく長安に寓居する。その旧友、之を想うものがない、故に此の作詩で述べたもの。天宝十一年の作詩とする。

翻手作雲覆手雨。    手を翻せば雲と作り手を覆せば雨
紛紛軽薄何須数。    紛紛たる軽薄 何ぞ数うるを須(もち)いん
君不見管鮑貧時交。   君 見ずや管鮑貧時の交を
此道今人棄如土。    此の道 今人 棄てて土の如く



詩語解
[翻手]たなごころを上にむける。
[覆手]たなごころを下にむける。「覆」は、くつがえす。
紛紛]みだれるさま。則ち雲・雨の状態をいう。
[雲・雨]交際の変化の無きことを例えていう。
軽薄]交情の軽薄なることをいう、今日親しくするとみれば明日は疎外にするという意味。
何須数]無数なること。数えたてることを要せず。
]世間一般人をさす。
此道]管・鮑の如き交情厚きをいう。
棄如土]棄てて返り見ない。ことをいう。

詩意
(貧交行の詩は古詩である,世の交友の軽薄なことを風刺したもの,杜甫が落第して京師に寓居していた頃,交友関係の冷淡さを嘆き作詩したもの,「行」は楽府の歌行の類で,曲と同じ。)管仲と鮑叔との貧しき時の交わりのさまを、今の世の人に忠告したもの。此の二人善く交わり、管仲は鮑叔牙のすすめにより斉の桓公に用いられ桓公をして覇業させた。管仲の語に[我を生む者は父母、我を知る者は鮑叔なり]という。

鹵莽解字
管鮑貧時交,境遇次第で相手の態度がコロコロと変わる,友情が長続きしない現状を鋭く指摘老したもの。 管仲・鮑叔。史記列傳冒頭に伯夷・叔斉の次にでてくる。管仲は若い頃,鮑叔と友達になった。

[我を生む者は父母,我れを知る者は鮑子也」春秋時代の斉の名臣管仲の言葉。鮑子は管仲の親友,鮑叔を指す,若い時から管仲の理解者だった鮑叔は,斉の桓公が敵対斉ryくに仕えて管仲を殺そうとした時も,その優秀さを説いて,思い止めさせた。やがて管仲は桓公を覇者に押し上げる最大の功労者となる。
「老馬の智 用う可し」 斉の桓公が遠征の帰途,道に迷うと,重臣・管仲は《老馬の智恵を用いるべきだと言い,老馬の後をついて行くと道が解った。叉,飲料水がきれると蟻塚の下に水が有るはずだと言う,探して掘ってみると水が出た。》



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