白 帝
大暦元年秋。近体詩。夔州の人民の困窮に同情してよんだ詩。

白帝城中雲出門。     白帝城中 雲 門を出づ
白帝城下雨翻盆。     白帝城下 雨 盆を翻す
高江急峡雷霆闘。     高江急峡 雷霆闘い
古木蒼藤日月昏。     古木蒼藤 日月昏し
戎馬不如帰馬逸。     戎馬は如かず 帰馬の逸するに
千家今有百家存。     千家 今 百家の存する有り
哀哀寡婦誅求盡。     哀哀寡婦 誅求され盡くす
慟哭秋原何処邨。     慟哭す秋原 何処の邨に

○起句, 一作白帝城頭雲若屯。 
○翆, 一作古。
○蒼, 詳註云,一作長。
○戎, 一作去。
○百, 一作十。


詩語
[翻盆] 翻盆とは,盆中の水を ひっくり返す,kと。
[高江] 高所にある江。
[雷霆闘] 仇兆鰲は水声の比喩としている,(実景と看る,見方が多い。)
[帰馬逸] (周の武王は「牛を桃林の野に放ち,馬を華山の陽に帰す」史記;周本紀。という。)
[逸] 気楽なさま。
[百家存] 死亡流移のため,家数が減じたことを指す。
[誅求] 強引に税金を取りたてられる。


詩意
白帝城の城門の中から雲が湧き出す,城の下では雨が盥をヒックリ返したように降る。高所の江,急峻の峡には雷霆が闘っている。古木や蒼藤の茂みは日月も暗くなっている。戎馬が騒いでいるが,帰耕した馬の方が気楽そうでいる。以前は千戸もあった家は今では百戸だけ残っている。気の毒に思うのは寡婦(やもめおんな)が税金に苦しみ,秋の野の村で慟哭しているのが,聞こえて」くる。
 
鹵莽解字
永年・水不足に悩む中国は『長江三峡プロジェクトの建設についての決議』は今に始まったことではない。一百年’以前から立案されて続けて来た,已に”孫中山”の計画は当時の政府関係者の注目する處だったが,世界中の科学者から環境汚染が問題児され立案に終わった。

1992年4月3日 全国人民代表大会は『長江三峡プロジェクトの建設についての決議』を採択。
1994年12月14日
 三峡プロジェクト、正式に着工。
1995年 三峡ダムの第一期工事で水没する住民の移転、全面的に始動。
1997年11月8日 三峡プロジェクトの長江本流の堰き止めに成功。
2000年7月17日
 150世帯が重慶市雲陽県から上海市崇明県に移住。これは政府が行った最初の他の省・直轄市への移住である。
2001年1月5日
 『長江三峡プロジェクトの水没地区と移転建築区の文物古跡の保護企画報告』が正式に可決された。
2003年6月1日
 三峡ダムの水門を下ろし、貯水開始。
2006年5月20日
 三峡ダムの堰堤の本体部分がすべて完成。
2006年10月27日 三峡ダムの貯水は156メートルに達し、初期の運営期に入り、水防、発電と航運の機能を全面的に発揮し始めた。100年  プロジェクト完成後、長江の最も危険な区間である湖北省の荊江区間の水防能力は、これまでの10年に1回の洪水を防ぐ能力から、100年に1回の洪水を防ぐ能力にまで高まり、荊江の両岸の1500万の人口と2300万ムー(1ムーは約6.667アール)の耕地を保護することができるようになった。
19の県と市の113万人 ダム建設に伴う移住民は、湖北省、重慶市の19の県と市に及び、移住先に落ち着いた人口は約113万人。
17年 1993年の準備工事から計算すれば、プロジェクトの総工期は17年で、2003年には第1期ユニットが発電を始め、2009年に全部が竣工する。
846億8000万キロワット時 三峡の水力発電所の設備の最大出力は1820万キロワットで、年間平均発電量は846億8000万キロワット時。世界最大の水力発電所となる。
175メートル 三峡ダム完成後の正常な貯水の水位は175メートル。
37%
 三峡ダムが完成後、合計で1万トンの船隊が武漢から直接に重慶に行くことができ、水運コストは37%下がる。今後の課題は水庫の”汚泥処理問題”中国は”三門峡ダムを如何に利用するんか。


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