玉 台 観
滕王元嬰が建築した玉台観に来て古籍を尋ね想いを賦したもの。

浩刧因王造。     浩刧 王造に因る
平台訪古遊。     平台 古遊を訪う
彩雲蕭史駐。     彩雲 蕭史 駐まり
文字魯恭留。     文字 魯恭 留まる
宮闕通羣帝。     宮闕 羣帝に通じ
乾坤到十洲。     乾坤 十洲に到る
人伝有笙鶴。     人は伝う 笙鶴 有りて
時過北山頭。     時に北山の頭を過ぐと

詩語解
[玉台観] 唐代,高祖の季子滕王元嬰が閬州の刺史であった時に建築した所の道院で,閬州北山の巓に在る。
観は道士の居住する所で,寺は僧の居住する所。
[浩刧] 佛語で浩刧は無窮の刧,猶を萬古ということと同じ,此処では古昔という意味で取る。
[平台] 梁の孝王の建築した宮観の名前。
[因王造] 滕王が造営したこと。
[訪古遊] 滕王が昔,遊んだ跡を訪ねた,こと。
[蕭史] 蕭史は笙を善く吹くので,秦の穆公の女,弄玉が之を好んだ爲に公は之を妻とした。弄玉が日に簫を吹く音色が鳳声に似ているので,鳳凰が飛来して其の屋根に止まった。其処で公は鳳台を造営した。
[魯恭] 魯の恭王は漢の王族で,盛事に宮室を治め,終に孔子の旧宅を壊して,その居を広めようとしたら,中に鐘磬琴瑟の声が聞こえて来た,驚いて之を捜索したら壁中に古文尚書・論語が在ったと言う。
[羣帝] 道書に羣帝が有り大帝が最も貴いとしてある。羣帝は東西南北・中央の五方を司る神をいうと在る。
[十洲] 神仙の集まる所で十個の仙島をいう。
[笙鶴] 王子喬は周の霊王の太子の晉と言うものである,好んで笙を吹き鳳鳴をなした。後に白鶴に乗り緱氏山頂に留まり,手を挙げて時の人人に謝して去った,という。

詩意
昔,滕王元嬰が建築した玉台観に来て古籍を尋ねた。それは梁の孝王の建築した平台と同様に高大で秀麗,目を奪うほどの建造物だ。
思うに蕭史や弄玉などという仙人などが五色の雲に乗って来て,笙を善く吹いたという,復, 滕王が昔,遊んだ跡には筆跡もあるが,其の筆力は魯の恭王が霊光殿に掲げていた文字と同様だ。
此処の道院から臨めば方位を司る諸神の居る宮闕にも通ずるような心持ちがする。見渡す天地は仙人のいる十洲へも続いているようである。所以,鶴に乗って笙を善く吹く周の太子晉のような人がいて,時々北山の辺を飛び渡ることがあると人々は言い伝える。

鹵莽解釈
玉台観は唐の高祖の季子元嬰が造築したしものである。滕王は初唐の四傑の一人,王勃の滕王閣の賦で有名な主人公である。この観は恐らく滕王が女を携えて朝真した所であろうと言う説がある。
観は道院の事で唐の時代には非常に道教が流行して,有名な女性で女道士になった者も多い。即天武后,楊太真等も曾て女道士であった。滕王の女も女道士であったであろうと推測・想像する。
玉台観の詩は二首有り,一首は七律である。七律は主に観の壮麗であることを説いている。玉台観内に滕王亭子というものが有る。是は滕王の遊宴の所で王族故に奢侈を極めたものと伝える。
杜甫は厳武が長安に二聖山梁橋道使として喚び戻されて後に,梓洲・閬洲方面の蜀の地方を漂泊して居た時に此の観を過ぎたものと見える。
「浩刧因王造。平台訪古遊。」は点題である。「彩雲蕭史駐。文字魯恭留。」は観中の遺事を写した。滕王が女は已に女道士,彩雲に駕す簫史も来た,魯恭の文字もあると言えば滕王の手沢の珍書も猶を現存していることを想像させる,「宮闕通羣帝。乾坤到十洲。」は観の形勢。想像の句である。宮闕が縹緲として直ちに帝坐に通じ,乾坤は眉睫に在って遠く十洲の神山にも到ることが出来る,という。「人伝有笙鶴。時過北山頭。」暗に女道士の品行が修まらずして,男子に接近する機会があることを風刺している,と見たが如何。婉曲に此の様なことを綺麗な句で,スッパヌク所は面白い。
此の詩は多くの故事が錯綜して用いられ,理解度が困難な向きもあろう。初唐の気挌が備えられている。何義門は王楊の気味有りと言う。李子徳は実写の所,滞跡無く,虛写の所,筆に遠神有り,と言う。
此の詩の特徴は,道教の思想に依って作り上げられている。唐代に盛んに行われた,杜甫も此の影響を受けた,此の詩を見ても杜甫の思想の一面を知ることが出来る。