畫 鷹
開元二九年(30)..近体詩。鷹について読む。

素錬風霜起。   素錬 風霜 起る
蒼鷹畫作殊。   蒼鷹 畫作 殊なり
欆身思狡兎。   身を欆てて 狡兎を思う
側目似愁胡。   目を側てて 愁胡に似たり
條鏇光堪摘。   條鏇光り 摘むに堪えたり
軒楹勢可呼。   軒楹 勢い呼ぶ可し
何当撃凡鳥。   何か当に 凡鳥を撃ち
毛血灑平蕉。   毛血 平蕉に灑ぐべき

詩語解
[風]、一に如と作る。
[漢書・李広伝]側目而視、号曰蒼鷹。(目を側し而して視る、号は蒼鷹と曰く)
[孫楚・鷹賦]深目蛾眉、状如愁胡。(深き目は蛾眉ににて、状は愁える胡の如く)
[孫楚・鷹賦]招則易呼。(招いて則ち呼び易し)
[素錬]しりぎぬ。即ち画絹のこと。
[風霜起]絹面の白さと、鷹の勢いとより霜を連想する。風霜は粛殺の気。『淮南子』に「字挟風霜」有り,叉『孫楚・鷹賦』に「風霜激厲」と有る。要するに鷹が殺気を帯びて飛動するような猛猛しい姿を言う。
[蒼鷹]ごましおの羽色の鷹。
[狡兎]ずるいウサギ。比喩している。
[側目]横目に睨む。
[愁胡]心配そうな顔つきをした胡人。鷹の目つきを愁胡に例えることは、晋の孫楚の鷹賦に見える。
[軒楹]のきば、はしら。
[平蕉]荒野。平原の荒草。

詩意
此処に鷹を描いた絵絹が有るが、この絹面から風や霜が起こるのかと怪しむ。此の鷹の出来ばえは素晴らしい。肩を怒らせて兎でも、手取りにしたいと思うらしく、その横眼のさまは愁いている胡人に似ている。

この姿は生きている鷹と思う程である。繋ぎ止めている紐や脚の錠前は取棄ててやるに相応しいく、今にも猟に呼び出しても良い勢いが有る、果たして何時、凡鳥を撃ち捨てて平野に毛血をそそぐ事が出来ようか。


鹵莽解説
此の詩は全篇を通じて絵画という意味を失わせないように現している。真物の鷹と絵に描いた鷹との間に,読む者に全く判然区別された観念を抱かせる様にしている。漢詩作法に於いては,題画の詩を賦すのは容易でようで容易でない。山水に題する古人題画の作を見ても,真の山水か絵の山水か,朦朧とした句が多い。

是を巧みに辨別した筆法は極めて少ない。山水にしても,動物にしても然り。此の詩,古来より言う「鷹」と言う様な難物を捉え来て写し,筆力が蒼勁で霊気が飛動するのを見るのが非常に面白い。是は杜甫の全幅の精神が此の様な絵画にまで感応するからであると。

尾聯の二句の表現法は,精悍であり,杜甫が惡しを憎み,奸曲の人物を好まぬ気性が,払払と見えて一層,痛快である。
『王阮亭』曰く; 「五字已囁鷹之神」と批評している。前聯は緩やかに之を受けて,「欆身」「側目」の二字を以て蒼鷹(真鷹)の状を慕写し,後聯は「光堪摘」「勢可呼」といい画鷹の神を色を以て画いている。

 「堪」「可」の二つの虚字を非常に働かして,これは絵画で有る,真鷹では無いとの意味を徹低させている。因みに最後の句作法を古人の漢詩人は 『一歩推開の法』 と言う。




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