長沙送李十一(銜)
長沙で李銜を送った詩。大暦五年秋長沙にての作。

與子避地西康州。     子と地を避く西康州
洞庭相遇十二秋。     洞庭相遇う十二秋
遠愧尚方曾賜屐。     遠く愧づ尚方 曾て屐を賜いしに
竟非吾土倦登楼。     竟に吾が土に非ず楼に登るに倦む
久存膠漆応難竝。     久しく膠漆を存す 応に竝び難かるべし
一辱泥塗遂晩収。     一たび泥塗に辱かしめられて遂に晩に収めらる
李杜齊名真忝竊。     李杜 名を齊しくす真に忝竊なり
朔雲寒菊倍離憂。     朔雲 寒菊 離憂を倍す

詩語解
[李十一] 名は銜,作者の自注に見える。
[子] 李銜。
[避地] 逃避。
[西康州] 同谷県
[十二秋] 作者は乾元二年冬同谷に寓す,それにより大暦五年秋まで,故に十二秋という。
[遠愧尚方曾賜屐] 作者,曾て左拾遺であった,尚方の賜屐とは,「仇兆鰲;註,郎官遙かに授けられる。賜屐入朝に如かず」。作者の用例をみ見ると,賜屐はみな県令の事,王喬鳬舄の故事である。
(拾遺の事とは関係無きの疑い有るものも,此処では,旧説に従う)。
[竟非吾土倦登楼] 王粲の登楼賦中の語を翻用する,賦に言う,信に美なりと雖も,吾が土に非ず,曾て何ぞ足らず以て少しも留まるに,荊州の地,美なれども郷土に非ざる,以て留まるに足らざる,意。
[存膠漆] 李衡が作者に対して膠漆のように親密な友誼を保つことを言う。
[応難竝] 竝とは,他人が衡と竝立する,意。
[一辱泥塗] 自己の道路に苦しむを言う。「左伝」に言う,趙孟絳県の老人に謝して曰く;我が子をして辱く泥塗に在らしむること久し,と。
[晩収] おそくなって官途に収められる,
[李杜齊名] 李白。杜甫。名を斉しくするもの。
[忝竊] 辱め,ぬすむ,謙遜の辞。もったいなし,の意。
[朔雲寒菊] 時物を言う。

詩意
おまえと曾って西康州(同谷)へ避難したことがある,それが十二年め叉,此処の洞庭で出会うた,
私は曾って都で尚方から屐を賜った身でありながら今このような境遇に居ることは遠く恥じ入るところである。いくら,此処が風景が良いといっても,所詮,自分の故郷の土地でないから,王粲と同じように楼に登って看る事には倦んでしまった。
おまえが,今までも永く自分と膠漆の親交を存することは他に並ぶものが無いことであろう,私は一たび泥塗に身を辱めた爲に竟に晩年になってから,やっと官途に取り入れられることになった。
お前の様な優れた火とと李杜という風に名をそろえて言われるのは,勿体ないことである,それが別とはしない,北より来る雲の色も寒天に咲く菊の花も只だ益々自分の別れの憂いを増すばかりである。





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