司馬光 

      宋名臣言行録   司馬温(1019〜1086)


        司馬光
(6)終心之要三、治国之要三。 
(7)凡才智之士、必得忠直之人

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   (6)
終心之要三、曰仁、曰明、曰武。治国之要三、曰官人、曰信賞、曰必罰。

 訳文・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・▲・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

心を修むるの要は三つ、曰く仁、曰く明、曰く武。国を治むるの要は三つ、曰く人お官にする、曰く賞を信にす、曰く罰を必す。  

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皇帝の側近にあって意見を具申する役を務めていた司馬光は、即位間もない神宗に上奏した。「精神の修養には三つのポイントがあります。一つ、仁義を会得すること。二つ、洞察力を身につけ、威厳を身に備えること。また、治世のポイントも三つあります。一つ、公平な人事を行うこと、二つ、信賞であること、三つ、必罰であること。」

彼は更に続けて言う。「私は、以前、諌官の職の時、この六つの重要さを仁宗に奏上し、又英宗にも同じことを奏上しました。今、同じことを奏上する次第です。日頃の学問は、すべて、この三つえお身につけるためのものと心得る次第です。」

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司馬温は北宗の仁宗・英宗・神宗に仕えた政治家・儒者。「資治通鑑」の著者で有名である

書不可不成誦。或在馬上、或中夜不寝時。詠其文、思其義、所得多矣。
 
 訳文・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・▽・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
書は誦を成さざるべからず。或るは馬上に在り、或いは中夜、寝ねざる時、その文を詠じその義を思えば、得るところ多し。

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司馬光は子供時分、暗誦が不得手で、皆より何時も遅れとり、兄弟でも一番遅れを取っていた。他の者が、とっくに終って外で遊んでいるのに、彼は一人、物陰で何度も暗誦に励んでいた。こうして、彼は人の何倍もの努力をして暗誦した文体は忘れることは無かった。

「書物は、暗誦できるほど、よく読むことだ。馬上にあっても、寝る前のほんの、一時でも、常に文章を口ずさみ、その意味を考えるなら、多くのことが得られるものだ。」司馬光は、後年このように述懐している。




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  (7)  凡才智之士、必得忠直之人
  

「わが家、は元より寒家。世々、清貧を以って相承ける。我が性、華靡を喜ばず」司馬光20歳の時、進士合格の祝宴で、彼ひとり受け賜る飾冠を被らず、隣席の者に注意され、やっとかぶった。

司馬光・古今の名著≪資治通鑑≫の執筆完成後、神宗が崩じ、幼少の哲宗を補佐した宣仁太后が権力を握ると、洛陽に十五年、隠遁していた司馬光を宰相として迎えられる。

凡才智之士、必得忠直之人、従傍制之。此明主用人之法也。

 訳文・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
およそ才智の士は、必ず忠直の人を得て、傍らよりこれを制す。これ明主、人を用うる法なり。

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宰相人事について、司馬光は帝の問いに答える「むかし、漢の高祖劉邦は、後事に託す人事について、『王陵は頭脳明晰とは言い難い、陳平に補佐させるといい、陳平は才気に溢れている、然し、総べてを任せるには危険だ』 才智あふれる者を用いる場合は、必らず実直な人物を傍に置き、独走を抑える。これが名君たる人事の要と申せましょう。



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