杜甫年譜

王朝年代  西暦  年齢     経  歴  その他
玄宗先天1  712   1 河南省鞏県に生まれる。父は閑、母は崔氏祖父は杜審言。 八月、玄宗即位、改元。李白12歳。(『古事記』なる。)
開元  1  713   2 ・・ 十二月改元。姚崇を宰相と為す
開元  2  714   3 珠玉錦繍を焚て奢侈を禁ずる。左右教坊を置く。 興慶宮を作る。大祚栄渤海郡王となる。
開元  3  715   4 自から剣器行に序して曰く:『開元三年余は尚ほ童稚、郾城に於いて、公孫氏の剣器を舞すを記す』。 岑参生まれる。
西域八国降を請う。侍読官を置く。廬懷真を以って黄門藍と為る。
開元 4  716   5 ・・ 六月、睿宗崩ず(662~)。天笠の善無異経詩に至る。吏思訓卒す。
開元 5  717   6 詔して逸書を求む。自から曰く『七齢にして思い即ち荘なり。口を開けば鳳凰を詠ず。』 (第八回遣唐使派遣。阿部仲麻呂。吉備真備・僧玄?ら入唐。)
開元 6  718   7 はじめて詩文を作る。 孔子廟を修す。
開元 7  719   8 ・・・ 王維、進士に及第。
開元  8  720   9 自ら曰く;『九齢大字を書す。作有り一嚢を成す』 (『日本書紀』成る。)
開元  9  721  10 ・・・ 姚宗卒す。劉子玄卒す。
開元 10  722  11 ・・ 安南の乱を討伐す。始めて兵を募り宿衛とす。麗正書院を置き修書講経す。
開元 11  723  12 ・・ 元結生まれる。四月、張説・中書令となる。十月・驪山に温泉を置く。宇文融を御史中丞と為す。内侍楊國勗大将軍となる。東駕北巡。皇后を廃す。
開元 12  724  13 ・・・ ・・・
開元 13  725  14 この時期・洛陽で文人仲間に入る。 水運渾天機を作る。泰山を封す。宋州に到る。
開元 14  726  15 自ら曰く;『往昔十四五、出て翰墨場に遊ぶ、斯文崔魏徒、我を以って斑揚に比す』と。 厳武生まれる。墨水靺鞨使入貢す。
開元 15  727  16 ・・・ 王昌齢、進士に及第。
開元 16  728  17 ・・ 帝の生日を千秋節とす。詔して明経進士及第を毎歳百人に限る。張嘉卒す。吐蕃入寇。開元衍暦を行う。
開元 17  729  18 ・・・ 孟雲卿生まれる。
開元 18  730  19 山西省の?瑕に遊ぶ。 十一月、張説死す(776~)
開元 19  731  20 呉・越(江蘇・浙江)に遊ぶ。 詩書を吐蕃に賜う。王毛仲に死を賜う。高力士寵幸を得て勢威漸く内外に張る。
開元 20  732  21 呉・越に遊ぶ。 ・・・
開元 21  733  22 呉・越に遊ぶ。 .(第九回遣唐使派遣。)十二月・張九齢・宰相となる。
開元 22  734  23 呉・越に遊ぶ。 五月、張九齢、中書令となる。李林甫、礼部尚書となる
開元 23  735  24 呉・越より洛陽に帰り、進士の試験を受けるが落第する 王維・張九齢の推薦で右拾遺になる。
開元 24  736  25 斉・趙(山東・河北)に遊び、蘇源明と交わる。  安禄山、契丹を討って敗る。張九齢、安禄山を誅すべしと奏上。十一月、張九齢失脚。李林甫、中書令となる。
開元 25  737  26 斉・趙に遊ぶ。 四月、張九齢・荊州刺史に左遷される
開元26  738  27 斉・趙に遊ぶ。 王昌齢、嶺南に流される。
開元27  739  28 斉・趙に遊ぶ。 王昌齢、赦されて北に帰る途中、巴陵で李白に遇う。
開元28  740  29 斉・趙に遊ぶ。 張九齢、死す(678~)。孟浩年、死す
(689~)
開元29  741  30 洛陽に帰り,陸渾荘を築き、夫人楊氏と結婚する
・・・・
天宝 1  742  31 洛陽に在す。 正月、改元。王昌齢、江寧丞に転出。王維、右補闕を拝す。李白、翰林供奉となる。
天宝  2  743  32 洛陽に在す。 ・・・
天宝  3  744  33 洛陽に在り、夏、李白と洛陽で遇う,秋、李白、髙適と、梁宋(河南省)に遊ぶ。 玄宗、寿王の妃楊氏を宮中に入れ、楊太真と号させる。李白、三月、翰林供奉を辞す。岑参、進士に及第する。
天宝  4  745  34 齊・魯(河南・山東)に遊ぶ。夏、済州に行き、北海太守の李邕に遇う。秋、山東の石門で李白と別れる。 八月、楊太真、妃妃となる。
天宝  5  746  35 長安に出る。 ・・・
天宝  6  747  36 長安に在り、玄宗、一芸に通ずる者を特別に登庸とし、杜甫、元結、髙適ら、その挙に応ずるも、宰相李林甫に阻まれ一律に落第させられる。 元結「二風詩論」を記す。
天宝  7  748  37 長安に在り、韋済に就職の世話を要請する。 ・・・
天宝  8  749  38 長安に在り、冬、洛陽に帰る。 髙適、有道科に及第する。岑参、安西節度使髙仙芝のもとで、掌書記となる。
天宝  9  750  39 長安に戻る、長子、宗文生まれる。 ・・・
天宝 10  751  40 長安に在り、「三大礼賦」を献じ、玄宗の嘉賞を受けて、秀賢院待制を命ぜられる。 三月、岑参、武威に行く、四月、楊國忠、雲南の征討軍を起こし、六万の軍を失う。五月、唐軍、ラサセン帝国とタラスで闘う。秋、岑参、長安に帰る。元結、「系楽府」を作る。(『懐風藻』成る)
天宝 11  752  41 長安に在り、秋、髙適、岑参、儲光義らと慈恩塔に登り、詩を賦す。 十一月、宰相李林甫死す、楊國忠宰相となる。(第十回遣唐使派遣、東大寺大仏開眼)
天宝 12  753  42 長安に戻り、次子、宗武生まれる。 (遣唐使藤原清河の帰国にあたり、阿部仲麻呂、帰国の途につくも、途中難破して安南に漂着、唐に戻る。)
天宝 13  754  43 長安に在り。『封西岳賦』を奉る。秋、長雨と物価高騰にあい、家族を奉先県に疎開させる。 三月、髙適、河西節度使哥舒翰のもとで、掌書記となる。六月、楊國忠、再度雲南の征討軍を起こし、唐軍ほとんど全滅する。(鑑真和尚、日本に入国)
天宝 14  755  44 長安に在り。九月、奉先の家族を訪れる。十月、河西の尉を授けられたが受けず、改めて右衛率府兵曹参軍事に任じられる。十一月再び奉先の家族を見舞う。 十一月、安禄山、范陽で挙兵。玄宗、哥舒翰を兵馬副元帥に任ず。十二月、洛陽陥落。髙仙芝、封常清、敗戦の責任を問われて、潼閑で斬られる。髙適、左拾遺を拝す。
天宝 15
 756  45 長安に在り。五月、家族を白水県に移し、六月、更に鄭州の羌村に移す。 正月、安禄山大燕皇帝を称す。六月長安陥落。王維、賊の捕虜となる。玄宗、蜀に蒙塵。途中、馬嵬にて、楊貴妃に死を賜う。髙適、玄宗を追って蜀に行き、侍御史を拝す。
天宝 15

粛宗
至徳 1
 756  45 粛宗、霊武にて即位するを聞き、単身鄜州より霊武にはせ参ずる途中、賊軍に捕らわれ、長安に送られて監禁される。   

七月、粛宗霊武で即位。改元。八月髙適諫議大夫に抜擢される。十月氷王璘、江南に於いて挙兵。此の月、房琯、陳陶斜で敗れる。十二月、李白、氷王璘の幕に加わる。此の年、岑参は輪台にあり、秋、酒泉に留まる
   2
 757  46 四月、長安を脱走し鳳翔の行在所に赴く、五月、左拾遺を授けられる。房琯の罪を弁護して粛宗の怒りにふれ、八月、暇を与えられて鄜州に帰る。此処で最大長編詩『北征』を作る。十一月ごろ、家族を連れて長安にもどる。 正月、安禄山、安慶緒に殺される。二月、粛宗、行在所を鳳翔に移す。同月、李白、潯陽の獄に繋がれる。九月、長安修復。十月、洛陽修復。粛宗、長安に戻る。十二月、玄宗蜀より長安に戻る。岑参、右補闕を拝す。王昌齢死す(698)
乾元 1  758  47 左拾遺として長安に在り。賈至・王維・岑参らと詩を唱和する。六月、華州司功参軍事に出される。歳末、洛陽に赴く。 二月、改元。王維、大子中允に降ろされ、のち中書舎人に転じ、更に給事中にもどる。八月、李白は野郎の地に向けて流される。
乾元 2  759  48 春、洛陽より華州に帰る。七月、官を罷められ、家族を連れて秦州に旅立つ。十月、同谷に移り、十二月、成都に辿り着く。 三月、郭子儀ら安慶緒を相州に攻めて大敗する。三月・岑参、虢州長史に出される。九月、史思明、安慶緒を殺して大燕皇帝を自称する。此の年、李白、巫山のあたりで恩赦にあう。
上元 1  760  49 成都に在り。春、浣花渓のほとりに草堂を築く。初秋、新津に遊ぶ。晩秋、蜀州に行き髙適と逢う 閏四月改元。髙適、彭州刺史に左遷され、蜀州刺史を兼ねる。
上元 2  761  50 冬、髙適、杜甫の浣花草堂を訪れる。 三月、史朝義、史思明を殺す。四月、段子璋叛乱、髙適、崔光遠に従って段子璋を討つ。髙適、西川節度使に任ぜられる。十二月、厳武、成都尹、兼御史大夫として成都に着任。王維、死す。(699-)
代宗
 宝応 1
 762  51 夏まで草堂に在り。七月、厳武が都に戻るのを送って綿州に到り、徐知道の反乱に出会い成都に帰れず、梓州に赴く。十一月射洪県に行く。 四月甲寅、玄宗崩ず(685-).。丁卯、粛宗崩ず(711-)。四月、改元。六月、帝山陵橋道使として中央に召還され、替わって髙適が成都尹となる。李白死す(701-)。
広徳 1  763  52 正月、梓州に在り。その後、綿州・漢州に行き、夏、梓州に帰る。また、閬州に行き、秋末に梓州に帰る。 正月、史朝義縊死し、安・史の乱はここに終わる。七月改元。十月、チベット長安を陥れる代宗は陜州に幸するが郭子儀が長安を収復する。
広徳 2  764  53 春、梓州より、閬州に行くが、厳武が再び蜀に戻ることを聞き、三月成都に戻る。六月、厳武の推薦により、節度参謀・検校工部員外郎となり、厳武の幕に仕える。 正月、王維の弟王瑨宰相となる。髙適、刑部侍郎となり、三月長安に帰る。厳武、剣南東川節度使として、二月蜀に着任。
永泰 1  765  54 正月、官を辞して浣花草堂に戻る。五月、家族と共に草堂を離れ、長江を下る。戎州・渝州を経て、秋初、忠州に、九月、雲安に到着。病気の爲、雲安に留まる。 正月改元。正月髙適死す(?-)。四月厳武死す(726-).。十一月、岑参、嘉州刺史に任ぜらたが、任地に到着出来ず、都に戻る。
大暦 1  766  55 春、雲安に在り。暮春、夔州に移る。夔州城外の西閣に住む。 十一月改元。二月、岑参、杜鴻漸のもとで職方郎中兼殿中侍御史となり、七月、成都に到着。
大暦 2  767  56 夔州に在り。春、西閣より赤甲に移り、三月瀼西に移り、秋、東屯に移る。弟の観、長安より来たる。 六月、岑参再び嘉州刺史となり、任地に赴く。
大暦 3  768  57 正月、夔州を去り、三月、江陵に到着。秋末、公安県に移居し、歳暮、岳州に赴く。 三月、岑参、嘉州刺史を辞するが都には帰れず。韓愈、生まれる。
大暦 4  769  58 正月、岳州より洞庭湖に入り、湘水を南に遡って、潭州から衡州に到る。夏、また潭州にもどり、ここに留まる。
大暦 5  770  59 春、潭州に在り。四月、乱を避けて衡州に行く。郴州に赴こうとして耒陽で大水にあい、引き返して秋に潭州に戻る。冬、北に向かい襄陽を経て長安に帰ることを志しながら、ついに潭州と岳州の間で舟中に客死した。 正月、岑参成都の客舎で死す(715-).。阿倍仲麻呂、唐にて死す(701-)