張 戴
張戴(張孟陽)河北省武邑の人。晋の太康の時、張華及び弟の張協と共に三張と称せられた作家である。
 [四愁詩」は夙に張衡に作られ傳玄によって擬せられ、今また張戴によって擬作せらるに至った。

張衡の原作が有名で有った。この様な為に模倣擬作が繰り返される処に、詩の流行の原点とい所為に注目に値いする。 詩の体裁「体式」は一篇四章と原詩と略、同様。句数は張衡、傳玄ととって一章八句になっている。

   擬四愁詩四首 (其の一)
我所思兮在南巣     我が 思う所は南巣に在り(わ おも とろ なんそう あ)
従之巫山高     往いて之に従はんと欲すれば巫山高し(  ゆ これ したが ほっ ふざんたか  登崖遠望涕泗交     崖に登り 遠く望めば 涕泗 交わる<(がい のぼ とほ のぞ ていし まじ)
我之懐矣心痛労     我の懐ふや心痛労す(われ おも こころしょうろう)
佳人遣我筒中布     佳人我に遣る筒中の布(かじん われ おく とうちゅう ふ)
何以贈之流黄素     何を以てか之に贈らん流黄の素(なに もっ これ おく りゅうおう そ)
願因瓢風超遠路     願はくは瓢風に因って超遠を路えん(ねが ひょうふう よ えんろ こ)
終然莫致増想慕     終然致す莫く想慕を増す(しゅうぜんいた な そうぼ ま)
「詩語」
(南巣)=昔の巣、又は居巣と言う地名で、今の安徽省巣県の東北に在った。
(巫山)=四川省巫山県に在る山。
(筒中)=筒の中に収めた細い糸で織った布。
(流黄素)=黄いばんだ生絹。
〈 終然)=ついに。結局。

「訳文」
私の思う人は南巣い在る。その人の所へ行こうとすれば、巫山が高く聳えて妨げている。崖に登って眺めると、涕が流れる。私の心は痛み疲れる。
美人が私に筒に入った細い布をくれた。その返礼に何か送ろうか、黄ばんだ生絹にしよう。ひらひらする風に乗って遠い道を乗り越えてと思うが、結局はそちらへ、身体を遣ることが出来ないので慕わしさが、募るばかりだ。



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