芳原松陵
芳原松陵。名は一男、字は士絶、始め翠陰と号した。後に松陵と号す。岡山市の出身。
大正03/02/02。生まれ、二松学舎を卒業後、大東文化学院高等科を卒業。育英に従事する。後に二松学舎に講師。詩は国分青崖。石田東陵。土屋竹雨、服部空谷に受ける。


   山中芭蕉堂  (二首之一)
朝発山中宿。   朝に発す 山中の宿
偶尋俳聖堂。   偶々尋ぬ 俳聖堂
峡雲含雨気。   峡雲 雨気を含み
崖樹帯嵐光。   崖樹 嵐光を帯びる
何恨征途遠。   何ぞ恨まん 征途の遠きを
却憐遺詠香。   却って憐れむ 遺詠の香しきを
潺淙幽澗水。   潺淙たる 幽澗の水
又見激津梁。   又た見る 津梁を激するを

   山中芭蕉堂  (二首之二)

行脚辞東奥。   行脚 東奥を辞し
蕉翁来浴泉。   蕉翁 来りて泉に浴する
看雲山澗曲。   雲を看る 山澗の曲
詠菊石橋辺。   菊を詠ず 石橋の辺
韻千秋響。   韻 千秋に響き     (山中や 菊は手折らぬ 湯の匂い)芭蕉の句あり
逸情三越傳。   逸情 三越に傳う      三越=越前・越中・越後
幽人尋聖躅。   幽人 聖躅を尋ねば      聖躅=聖人の業績。 ;俳聖芭蕉
一宇映清漣。   一宇 清漣に映る

   訪周南教授帰後乃賦贈   周南教授を訪い帰後乃ち賦して贈る

高士不羣思索居。   高士 羣せず 索居を思う      索居=友を持たない生活
山林韜迹意安舒。   山林 迹を韜んで 意 安舒たり
欽君健筆凌雲外。   欽す君が 健筆 凌雲の外
座聴松風繙古書。   座して松風を聴き 古書を繙く

   ◆周南教授木下周南。名は彪。宮内庁退官後、岡山大学・台湾大学に教授す
        「大正天皇御製詩謹解」の著。あり。後。広島県芦品郡神辺町に隠遁する


   青 衿   昭和四十四年

青衿休挟策。   青衿 策を挟むを休めよ
覆面作群来。   覆面 群を作して来る
館上飛挙石。   館上 挙石を飛ばし
街頭振角材。   街頭 角材を振い
終成騎虎勢。   終いに 騎虎の勢と成る
不避鬩牆哀。   避けず 鬩牆の哀を         鬩牆=牆に鬩ぐ。うちわもめ
日冷杏壇路。   日は冷かなり 杏壇の路      杏壇=孔子が学問を教えた所
幾時春色回。   幾時か 春色 回らん

 ◆安保に端を発した、S44年に始まる学生運動。当時の為政者は岸伸介。バリケードで学園封鎖。有能な教授は比較的平穏な大学に身を移す、学生運動の口実は無能な教授の吊るし挙げ、果ては。大学講堂占領は街頭闘争にエスカレート。ゲバ棒。投石。更に、火炎ビン。「世に名を馳せた。:全学連」無謀とも執れる学生運動。当時の学生運動のエネルギー発散の捌け口は、学生達同志の争いになり、終焉には果てしない時間が続いた。

   記念日作

神武鴻謨不可忘。   神武の鴻謨 忘るべからず
橿原登極鎮扶桑。   橿原の登極 扶桑を鎮む
老残幸値年辛酉。   老残 幸いに値う 年の辛酉
昧爽或看金鵄年。   昧爽 或いは看ん 金鵄の年

   啄木歌碑

北上川光曳練流。   北上川光曳練流
寒鴉衰柳断橋頭。   寒鴉 衰柳 断橋の頭(ほとり)
高岡十仞碑三尺。   高岡 十仞 碑 三尺
忍読哀歌雲日秋。   哀歌を 読むに忍びんや 雲日の秋



    贈還読書蘆主人

天賦詩才本絶倫。   天賦の詩才 もと絶倫
不移氷雪古精神。   氷雪(の如き)を移さず  古精神
南窓倚傲一樽酒。   南窓 傲を倚す 一樽の酒
擬彼柴桑千載人。   擬す彼の 柴桑千載の人に

        08/12/07     石 九鼎   著す