教育(保育)の目的は、人の自立にあり、それは、自己責任と宗教的情操のなかで培われます。個人と集団の関係は、解決不能な永遠のテーマです。世俗の権力を超越したところに権威を置く真の宗教(浄土真宗)をバックボーンとする私立教育こそ、個人のゆたかな個性を開花させ、社会との微妙な調和をもたらすことができます。自由は、人にもっとも大切な価値であり、そして、それは個人主義に偏ります。浄土真宗は、個人にウエイトを置きます。やわらぎの保育は、自由を身につけ実現する能力を育てます。
教育は、子どもに、文化を伝えることを目的とします。近代の学校制度は、近代的効率追求の結果であり、そして機能もしてきました。しかし、今やその完成された集団主義のため、子どもは窒息しています。
組織が統一性をもち、教諭集団が活性化するためには、民間施設であることが必要です。やわらぎの先生たちには、全人的に子どもに接するように指導しています。全人的に接するには、品位がなければなりません。ハビトゥス(習慣)として幼児が身につけるには、大人がハビトゥスとして身につけていなければなりませんが、品位ある先生方を確保するのは至難なことであります。どれだけ先生集団に品位が実現できたか忸怩たるものがありますが、園の最重点課題として努力しています。
やわらぎは、教西寺の教育福祉部門を担う学校法人教西寺学園・社会福祉法人高林会の設立精神に則り、浄土真宗の信仰に基づき、仏の子を育てるという理想から、教西寺が有する知的伝統を、野性味あふれる環境の中で、幼児保育に及ぼし、宗教的情操をゆたかに持ち、知的なるものを尊重し、意欲的で、たくましく、そして他人と違った行動を信念に持ってすることが出来る子どもが育つ保育を行います。全保育室に、阿弥陀様のレリーフを安置し、阿弥陀様の受容と承認のまなざしのなかで、やわらぎの幼子は育ちます。
その中で、たくましく活動するうちに伝統が薫習する、そういう環境を大切にしたい。やわらぎの構成員は、このような環境を実現するために努力しています。
幼児の時期には、子どもの自発に対する適切な応答(受容と制御)が大切です。やわらぎは、忍耐強く子どもを待っています。
「みんな仲よく」という有害な呪文を排除して、本当の人間関係を教えたい。共感する心と、人と人の心の本当の結びつきを味あわせて、人の世を楽しめる心を育てたい。
充分な遊びを経験させることにより、知識の裏打ちになる具体的な直接体験を豊富にさせたい。物語を大切にし、言葉を大切にする人に育てたい。言語の自己統制機能は、本当の意味での自律性(セルフコントロール)を養って、成長して独り立ちできる人間を育てます。
身体が、心を形作ります。正しい姿勢(立腰)を保持した日常生活を大切にします。
|