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酒垂窯の由来

はと笛(防長民芸舎)       仁王面(防長民芸舎)

 酒垂窯は、山口県防府市の、防府天満宮の背後にそびえる、酒垂山で煙をあげていました。この酒垂山一帯は、奈良時代の周防鋳銭司(貨幣鋳造所)のころから、萩焼の粘土の産地としてその名を知られておりました。
 菅原道真を祭った、日本三大天神として有名な防府天満宮に守られるように、逸品を産みつづけましたが、大正以後、後継者もなく、その姿は絶えてしまいました。

 しかし昭和二〇年以降、故山田正司氏が、自らの窯名を酒垂窯として、萩土を使った伝統を継承し、再びその煙をたなびかせました。
 山田氏は昭和十一年官立東京美術学校彫刻科塑造部を卒業。終戦後、防府市に戻り「防長民芸舎」を創設し、陶器、民芸品の製作を行い、数十種の受賞作も創り出しています。

 現在は、山田氏の次女である克子が松山研太郎と酒垂窯を継承し、広島は己斐の地で、「陶芸まつやま」の窯として伝統を守り続けています。
 酒垂窯「陶芸まつやま」の作品は、伝統の萩土だけに留まらず、日本各地の土とうわ薬のさまざまな組み合わせで、生活の中に『粋』を楽しむ陶芸の作品を制作しております。