四川外国語学院・遊学日記  2004/09
                  2004/9/1〜11/           2004/10
                                       2004/11

中国・重慶は反日感情が一番激しい所である。それなりの理由がある。敢えて重慶の大学を選び留学(遊学)し次代を担う若者の考え,生活を見てみた。

日本軍が重慶を爆撃して犯した罪は三つあると言う。
 1、平和を破壊する罪、すなわち他国を侵略する罪である。
 2、戦争法規と慣例に違反した罪、すなわち重慶を爆撃した時に国際法に反する手段をとった罪、及び平民の生命と財産を害する罪である。
1907年のハーグ陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約付属書陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則の第27条は以下のように定めている:

「包囲攻撃する時に、宗教、技芸、学校及び慈善事業に関する建物、医院及び収容所などは目標にしてはいけない」

日本が加入した1929年の「海軍条約」も同様に定めている。

「平民に恐怖を感じさせ、非軍事的性質の個人財産を害し、あるいは非戦闘員を傷害するなどを目的とする空襲を禁止する」

戦争は奇麗事では終わらない,悲惨で酷いものである。旧日本軍のみならず,近時の戦争を例にとっても,同様な事例は多い。一部の為政者の利害のみで国民人を悲惨な情況に追いやる戦争は絶対してはならない。

8/27
早朝7/30新幹線で名古屋へ。名古屋空港発中国。重慶行きが1時間半の遅れ。途中上海給油30分。直ちに重慶へ。名古屋から同乗の重慶行きは隣の席の女性,ほか数人。上海から労働者タイプの重慶帰省客と重慶訛りの人の多さに驚く。皆,作業服でアカ抜けしていない。田舎者と言う感じ。

隣席の女性は「日本の女性雑誌」を読んでいる。日本人と少し違う感じ女性は自分で「日本人でもあり中国人でもある」と言う。中国の両親が養育している1歳半の子供を日本に連れて帰り1年後,また中国と日本,中国の両方の養育をしていると言う。パソコンにカメラ取り付け,中国と日本,相互で画面で会話しているので心配は無いと言う。

22時到着。1時間遅れの到着にも,関わらず,李,周,周さん夫。三人が3時間飛行場で待っていてくれた。小李は花束を脇に抱えて,私に歓迎の意を表す。周さんの夫の車で大学へ1時間余。受付で留学責任者黎先生に挨拶後。4人は遅い食事を街に向う。

寮は3−2。土曜日でもあるし,店は閉まっている所が多い。一軒,豪華ではない,中華料理店へはいる。早速,小李に某大学の資料を渡し,彼女たちに心ばかりの日本からのプレゼント。明日の再会を約して宿舎に帰る。

8/28
小周の主人は機嫌が好い時と,悪い時があり極端だ。友人の車で送迎は有難い。小周も主人に随分と気兼ねをしている。印象としては,どのような関係か疑っているようだ。昼まで係り,荷物の収用。明日は小周の自宅に招待される。
★中国はアメリカに次ぐ世界第2位のネット人口。オンラインゲームに興じる若者が圧倒的に多い,

8/29 .。
10時ころ,小周は主人と私を向かえに来た。百貨商店で,米,シャンプウ。体育シューズ,トイレットペーパ。300元購入,途中,小周の主人がいない。家に帰ったと言う。豪華な12階の部屋に驚く,月賦で買ったのだと言う。まるで。映画に出てくる昔の貴族のような室内装飾。中国は貧富の差が大である。ここには,お手伝いさんが毎日日参すると言う。

汗びっしょりの私にシャワーを進められ,買ったばかりのシャツに着替える。主人は夕べ中国女子バレーチーム対ソ連女子バレーのテレビ観戦で朝4時まで応援,眠りに就いていると言う。小周は買い物に行くから,自分の部屋のパソコンを使うように進められ言葉に甘え1時間ばかり使用させていただいた。

宿舎に帰ると言うと,昼食を一緒にと重慶一番の有名食堂に入る。「重慶到着日に此処へ来る予定が閉店だったのだ」と言う。重慶料理を堪能。小周の主人が漸く打ち解けはじめる。三星堆など歴史・地理が好みと話題が共通したのだ。2時小周の自宅へ帰る。5時過ぎに小李が来るので又,

夕食をと,4人で大衆食堂で食する。4人で私の宿舎に入る。宿舎に入ると突然管理者が大声で「女性入室禁止が読めないか。」と怒鳴り始めた。騒ぎを聞きつけて一般学生が「老師の元女生徒だ,何が悪い」と私に加勢する。小周も小李も以前私と知遇だったのだ。

「年齢に関係はない,男は男だ」と管理人は言う。と他の学生が説明する。小周も小李も重慶の方言で捲し立てる。険悪な雰囲気である。一般学生が増えて管理人を取り囲み説明している。何を言っているのか全然聞き取れない。管理人はバツの悪そうな顔で私を見て引き下がった。

8/30
3,00過ぎ事務室に行く,写真を3枚渡す。事務員風の女性から「入門班課級表」をもらう。班級は参観後どこの班でもよい,自分の好む班に入れば好いと言う。但し,9/1〜9/6までまだ休み,月曜日から授業は始まる。教室は第一教室。「9月30日まで到着するように」との伝達は何だったか疑問。ノート,果物を買いに売店から帰ると,事務員が「留学責任者黎先生が銀行のカード・・・・・」と言う。

寮に帰りシャワーを浴び,洗濯。1楼の管理室,事務員が「洗濯表」を渡しに来たので,「涼しくなったら洗濯物は出す。今は自分で処理する」と言う所へ,修理専門業者が部屋の電灯交換に来た。下の臨時食販売で飯とオカズを買う。3元5角。安いが飯は中国独特でパラパラ。粘り気がない,水を加え,電子レンジで20分再度炊く,何とかいけそうだ。オカズも辛も辣くもない。

サッカーアジア予選試合のブーイングで騒がれた日本。心配していた反日感情も今のよころ異常差は感じられない。小周は「日本のサッカーチームのキーパーのフアンです,英語系の生徒にサインを貰いにホテルまで行き求めたと」言う。「中国にも日本サッカーフアンは沢山いる」と言う。夕飯後,下のグランドでジョギング3周。汗びっしょり,午前中はどんよりした曇り日だが午後から快晴になった。
★中国では1994年,プロサッカーリーグ「甲A」「甲B]が誕生した。日本のJIに相当する甲Aは,全14チームが各都市をフライチャイズにして戦いを続ける。熱狂的なサポートはイタリアのセリエAを凌ぐ,サッカーの話題には注意が必要。

8/31
10時前,小周から電話あり,銀行に向う沙坪覇中心の中国銀行で両替。帰途,電気スタンド,1対を買う。帰国時に小周宅に置いて帰るので彼女の好みも入れて買う。大学正門入り口東側の日本語系事務所に行き。羅国忠学部長と面会する,話題は「成都北西200キロの振興大学が人選を募集している。来年1年間,行かないか,」と誘いを受ける。回答は暫く考えさせてほしい旨,伝えて一番奥の社会人中心の日本語系教育の主任から週2回,日本語指導の依頼を請ける。

9/1
なんと言つてもNHKのテレビが受信出来るのが嬉しい。水害の情況が逐一解かる。古里,我家の風水害も解かる。朝食は下の露店風の食堂からマントウ4個買う。昼食は日本から炊飯器持参で飯と水量の加減に失敗。教師用の食堂に行く。が量が多すぎる。21元。3種類。食べきれない,「打包」とは言えなかった。

校内売店でタオル3枚,ハンガー掛け,シャンプーを購入。歩くことを第一に考える。小周が5時,日本語指導の授業を終えて正門で待ち合わせ。彼女と銀行に行く,13000元,預金。148412円。日本語系学部長の羅先生に日本から持って来た,こころざしをプレゼントする。成都郊外の綿陽市に日本語指導に一年間行かないかと又,誘われた。即答をさけた。

★中国の大学はほとんどが全寮制,1部屋原則8人の寮で学友と寝食を共にする,広大なキャンパスには食堂,購買部,市場,理髪店,郵便局,銀行,病院,などがあり,校内から一歩も出なくても生活が出来る。学生,教師も同じ敷地内で生活しているため,学生同士,学生と教師の緊密感が生まれ,将来,就職しても協力しながら,競争する,「横の絆」を大切にする。中国のパワーは日本の比ではない。

9/2
朝から小雨。7,00起床,ジョギングの為,但し寮門は閉じて開かない。再度7,20分1楼に降りると開いていた。雨のため散歩は取りやめ。夕べ小李の買ってくれた牛乳とパンで済ませる。10,00時までウトウトと寝ていた。トイレの修理屋が来る。テレビを看ていると修理屋のオッサンが「解かるか?」と訛りのある普通語で問う。

「2/3くらいは,」ビックリした顔で右手の親指を立てて「非情に好い」とお世辞を言って出て行つた。昼食の時間,楼下の臨時食{露天}で油条と卵を2個買い5円(人民元)を出すと,3元1毛,つり銭がかえってきた。言葉は重慶の方言で解からない。

この土地での生活が不安になって来た,留学制度の不備ばかりが目につく。小周から電話,昼食を食べたか?と聞くので自分で飯を作ったと答えた。彼女は「今日16,00時から日本語指導の授業が有るので,明日10,00時に銀行へお金を預けに一緒に行きカードを作りましょう」と言う。明細書を書く。約30万円を預けることにした。

9/3
。曇り。昨夜小李から,「4日土曜日に街を案内する」と言う。又,小周は「日曜日に別々に街を案内する」と言う,電話有り。日本系の日本語学部長,羅教授に,{来年,南陽市(成都北西)の師範大学へ1年間の日本語指導の件を家庭の事情でと,正式に断りに}行く。又,来週開始。羅教授から,水。木曜日に中級・初級クラスの日本語指導が言い渡される。週2回,3,00〜4,30.。

帰路途中,留学生事務室長黎先生と遇う。校内の銀行を案内して頂く。此処に中国交通銀行が有り金銭の出し入れが出来るとは便利だ。コンピューター室使用可能のカードも戴く。然し使用方法が解からない。昼食は下の臨時食販売所で求める。量が多い,食べ切れない。

中国の携帯電話を買う計画で小周に依頼,説明書を読む,どうやら謎が解けそうだ。足が痛いスニーカーが合わない,失敗だった。午後3時パソコン館へ行く,およそ500台以上はあるだろう,まさに壮観。カードを出すと指定された場所へ案内され,アドレスまで打ち込んでくれる。小東西の贈り物が効果を発した,yahoo japanからメール仕様にも日本語表示が解からない。仕方なし,今日はローマ字で送る。

明日は小李が「解放碑」街に連れて行って買い物に付き合うと言う。日本語用の教材を求める必要がある。下着もシャツもほしい。とにかく,汗がでる,さすが「三大火鍋の街,重慶」脱水症に気をつける必要がある,水分を多く摂る。汗が出る,の繰り返し。2本のミネラルウオーターを買ってかえる。

9/4昨夜,遅く小李から電話。「4日土曜日は中止,友人の盲腸炎の手術に通訳を頼まれたので日曜日3時解放碑の海逸酒店のロビーで遇いましょう」と言う。朝食はパンと牛乳,地図を開いて解放碑が何処にあるのか確認しようとしたが解からない,日本語系の事務所に行き,羅教授が又,成都の件を問う,不可能だと伝えた。奥の事務室に行くと3名が雑談中,解放碑の海逸酒店を教えて戴いた。新華書店も有ると言う。

既に11時半,PC館へ行く,受付の事務員は今日は違っていた,日本語表示については小周に聞くことにする。今日もローマ字で書く,昨日のが記載され送信されていたので,ひと安心,昼食後,通訳ソマッドを読む,露店食事販売で夕食を売っていたので4円,持ち帰り食する。

グランドへ出て散歩,薄暗い,7,20分寮に変える,洗濯,通訳ソメッドを読む,も少し早く読むべきだだったと後悔した。明日の本屋へ行くのが楽しみだ。nhkテレビをみる,インターネットが中国でも問題になっている。四川外国語学院ではカードの無料は嬉しいが日本語表示が出来ないのが残念だ。

9/5昨夜は雷雨,雷,雨の連続で眠れなかった。雷雨の連続の夜中はさすが驚く。学校が山中にあるから,かも知れない。2つ隣の部屋から睦言,人の声が聞こえる,外国人らしい。眼が冴えて眠れない,朝方少し眠った。今日は小李と3時に解放碑で遇う約束だ,11時前に先ず守衛室へ心ばかりの物を持って挨拶に行く。「サンキュー」と老伴娘。

11時前に正門からタクシーで解放碑まで35元。「新華書店」を目指す。日本語指導の書籍を4冊購入,計80元。予定の時間まで2時間あるので「書籍喫茶」でパンと牛乳を飲む。3時に小李が来た,雨も降るし,茶房でお茶でも飲みながら話そうと,香港系の店にはいる。小李の日本の留学につて,某大学の教授他知人の根回しにより,教育学部の研究生〜博士課程が用意されている。

尤も彼女のこれまでの履歴が好いのも推薦される。重慶到着前から彼女の留学に関して大きな問題が出てきた。私が重慶に確認にきたのも重慶遊学の一つ。雑談ご帰路に向う。タクシーに乗車したら,小李が50元「川外」と言いながら運転手にわたす,申し訳ない。

帰って飯を炊く,炊くまえに鉱水がないのに気がつく,散歩を兼ねてミネラルウオータ2本と果物3個,買って寮に帰れば汗びっしょり雨も止んだ。飯を食らう途中ドアを叩く音がする。黒人美女美男だなにやら話しかけてくるが解からない,部屋をまちがえたのでもないらしい。「没関系」シャットアウト。テレビでNHKが見られるのが嬉しい。

9/6今日から中国語の授業開始。朝5時に目覚め,ご飯を炊飯器で炊く,昨夜買った「ご飯オカズセット」は量が多すぎる。食事をしながらテレビをみる,台風18号が日本上陸の恐れが有ると報じている。教室に入る。黎先生が「shijiudingあなたは上級」と呼びに来た。
生徒は少ない,外国人,後に遅刻は平然と言う態度で入ってくるのもいる。10人くらい,中に日本人の若者がいた。気のやさしい青年だ。皆が携帯を持っている。チッップ制の携帯が好いようだ。今なら2000元で買得るという。授業内容は以前留学した大学とほぼ同じ。

9/7朝から小雨,昨夜家から電話,不信電話と思い挙げなかった由。今日授業が終わり掛けたが留守番電話,留守番電話に吹き込めと言う。小周から携帯電話を買ったから正門で4,30に待ち合わす。銀行で両替する。昨日,小周に同伴してもらったPC館で初めて日本語が表示された。自宅の4F書斎のPCに送る。今日の授業内容,漢語写作。聴力。携帯電話 9.700元+10元。

寮の自室からPCを取り付けたいが,電話線しか使えない。PCにカメラを取り付け,日本の家族と画面でのやり取りの計画も,出来そうもない。何もかも,遅れている。少々不満が募りストレスが貯まり出した。

9/8午後,3時「日本語指導,2F」初日なので30分早め出かけた。昔採った杵束。緊張感はない。生徒39名。事務所から,会話を中心にして,ほしい。との意向。先ず自己紹介,一人一人名簿を睨み,特長を記録する。日本語のレベルはまずまず良。
突然後ろの方の座席の男子学生が「日本の大学生の様子を知りたい,」質問第1号。日本語レベルは中の上,中国語に日本語を加えて話した。全寮制の彼等の部屋は一部屋に3段のベツトが二つ,狭い空間で6人が暮らす。この空間で大学期間中,人間形成も育成される。緊密な人間関係も育成される。

9/9
米が少なくなってきた。20キロは買うべきだった。最近は炊飯器で飯の炊き方のコツを覚え,少々満足できる程度になって来た。日本語指導:初級と言うので,興味はあった。少々品に欠ける生徒もいる。教材をどの様にするかが問題と感じた。彼等は各自で好き教科書を持っていたが,生かされていない。日本語の言う。「助詞」に問題がある。日本語のイントネーションにも問題がある。濁音に誤りの箇所が多い。小菅と出会う,「これが私の電話とメール」と小周の前で書いた紙片を手渡してきた。

小周が「明日日本語系の先生方と火鍋を食べに行くことになっています。6,40ごろ正門の前で待っていてください」。寮に帰る途中,露店食事材料店で「菜だけ」仕入れる3円人民元。PC館へ行き,日本へ4通メールを送る。

9/10
今日は日本語学部長羅教授ら総勢20名くらいと一緒に「火鍋」を食した。味は薄めにしていると言う席に着く。美味,入迷了。小周から日本語指導料は1時限あたり120元支給する旨の知らせを受ける。了承し早速「教案」作成に取り掛かる。夜,小李が「明日,土曜日の重慶博物館参観を付き合う」と電話がある。10,00博物館前で約束した。夜,王先生から電話,「明日,主人を紹介する,夜8時正門まで迎えにゆく。一緒に食事をしよう」と言う。

★中国では留学ブームは依然として強い,然も,年々,低年化の傾向にある。グローバル社会で活躍したい夢をもち成功の秘訣と考えている。留学先はオーストラリア,ニュージランド,カナダなどが人気がある,日本へ留学したい人も多い,然し,近年日本留学は狭き門の状態。逆に日本企業の中国開拓で日本語を習う若者が多い。
9/11
10時に博物館に到着,然し以前と様子が違う,携帯電話に小涛から。今何処にいるかと言う。タクシー下車場所だと連絡する。然し博物館は修理改善と場所を移転していると言う。開館は来年7月の予定と言う。因って重慶博物館は休業中。小涛と散策しながら浦側のモテルの喫茶コーナで談話。ホテルの下にスーパーマーケットがある。大米をひと袋茶碗,コップを購入後寮に帰る。

6,00正門に王先生夫妻,ほか1組の夫婦が自家用車で出迎えてくれた。「重慶小王鴨」かなり有名な火鍋料理を出す店らしい。彼等の重慶語の会話は聞き取れない。『中国大都市ならどこでも普通話が通じます。』の宣伝文句は嘘である。大学内では普通話で通じる,初めての経験である。尤も3,500万人の人口,四川省農村からの流出入の出稼ぎの多い大都市重慶は広い。2年前,北京から来た学生は同じ中国人でも会話は不可能だと言う。重慶人は重慶の方言を重んじる。

9/12
一日中,寮で整理と漢語の学習,及び日本語指導の資料。教案ずくりに時間をとられた。テレビでは9/11事件をナマナマしく報道している。売店で便箋用紙を買う。ついでにPC館が開いていたので入り日本へメールを6,通送る。寮に帰り食事中携帯電話が鳴る,躊躇してマゴついている内にポッン。日本と中国の携帯電話の操作が違う。日本語指導の中級班はに日本語と中国語。事務所の責任者に名刺の代わりに雑誌を渡す。

9/13
授業中,眠くて仕方がない。寮の学校内に一般学士と生活時間帯と分離されていない。管理が問題,寮の学生達の騒ぎをみて順当でないなと判断できる。以前,某外国語学院へ友人の招待で数回見学し食堂で食したが,この大学の食事は上の上の部類には入るが。何かにつけて不十分な所が眼につく。留学生を受け入れる体制が整なっていない。

重慶西南師範大学OS助教授が見学に来て欲しいと言う。規模,人材に差が有ると言う。今日,日本で個人レッスンをしていた曲莉恵から電話が有り。今,彼女は郷帰り中でで大連。「センセ,日本人はお金もちだから,気をつけてね,ありがとう,きみは,いつ日本へ帰るの」「28日頃,早く日本に帰えって日本語,教えてくださいね」と励まされた。昼食後,解放碑にタクシーを飛ばし「新華書店」で日本語教材を先日買い損ねた,どうしても入手したい1冊。帰り早速コピーをする。40人分。20元。

9/14
日本語指導後,小周が「夕食を一緒に食べましょう」と学食に誘ってくれた。量が多い,然し中国人は食が多い,いつも食べる量が多いのにホトホト関心する。大袈裟に言えば,洗面器一杯くらい平らげる。食べる量が多ければ健康で英知もまわる。日本人の小食と比にならない。之だけでも日本人の勝ち目は無さそうだ。彼女は私の小食を心配して,「伯伯,大丈夫?」と聴く,二人きりの時は自然体。小李も同じ「叔叔」と呼ぶ。

彼女は6時から授業があるからと立ち去った。この学校は夜間の日本語授業も開催されるほど盛況である。私の水曜日の中級クラスは20数名と減った。中の一人が「会話練習をしたい」と言う。語彙がすくない彼等との会話練習は時間の経緯で苦労する。

9/15
キャンパスの中で,後ろの方から声を掛けられた。「先生は日本人ですね,パソコンで日本語で書いているのを見ました」割りと流暢な女子学生の日本語だ。私がメールで日本在住中国留学生の文章を添削中だったのを後ろの通路で見たらしい。「そうです,日本からきました」「本科生の2年生です。今度,是非,日本語を教えてください」「暇な時間があれば」「先生の部屋に電話します。教えて下さい,私の携帯電話は・・・・・」積極的である。
★中国の携帯電話は,電話会社への登録が必要な日本と違い,非常に簡単である。本体とプリペートカードを購入し,カードに記載された番号を入力さえすれば,誰でもすぐ使える。

9/16
中級の下のクラスの生徒も多少減少した。社会人が80%,中に本科生が時間空きを利用して講義に参加しているらしい。生徒の名前が記憶しにくい。日本と同様,前列に居る生徒は成績も良い。後列は出来がよくないのが多い。来週金曜日,教職員合同参加の慰安小旅行がある。羅学部長から参加するよう意見を求められた。バスを借りきり郊外の大学所有の別荘地。南温泉地区附近と言う。金,土,日の2泊3日の予定。寮で準備を始める。日本から小李の日本語添削依頼のメールが届いていた,

9/17
黎先生が入院したと申先生が授業中に連絡があり,少々責任をかんじた。無理なお願いをしていたわけではないが。日本語指導の「赤い表紙の日語」がない。講義の時,テーブルの下に置いたのを思い出し,行き問うてみた。あった!。帰る際,老婦責任者の教授が「現在の講義の教本は優し過ぎる日本の文化,を日本語で講義するよう」と言う。“日本語検定試験講座”日本から持って来たものだ。

一瞬『バカナ』と思った。内容もしらず,以後は使用ならんと言う。「好い教科書です。毎週小テストをしているが全員50点以下です」仕方がない,日本の風俗に関する書籍を捜すしかない。3度に1回,このテキストを使用しようと思う。好い教科書である信念のもとにに日本から持参したものである。PC館に入り日本にメールを送る。夕食後,小周が「日曜日に近くの温泉に招待する」と言う。20日もバスタブに入っていない。楽しみだ。

9/18
10時,タクシーで解放碑へ行く。すぐ「新華書店」に行き,日本文化の資料を求めて3冊購入する。これで何とか成りそうだ。店内で生徒に一人ど出会い。書籍喫茶コーナーで茶を飲みながら雑談する。学校に帰りPC館で日本へ「広島国際センター」のkさんのメールアドレスを聞く。寮に帰る。女生徒が又,追いかけて来た。名前はPENG と言う。2年級の日本語科,会話の練習をしたい,と言う。PC館で私が日本語で書き込み中を見て,日本人と知ったと言う。
★中国の若い女性にとって,最大の関心事はフアッション。そのバイブル的な存在が,日本発の最新フアッション雑誌,中国女性のフアッションセンスは急速に高まりつつある。プロポーション抜群の女性に出会うこと,しばしばである。

9/19
9,30'学校正門間に小周と彼女の夫が車で迎えに来た。先ず『魚城』=『釣魚城』に向った。2時間余り合川。眼下に嘉陵川が見える。参観後《天賜温泉》(重慶市九龍坡含谷開発区)。此処は人工的に地下1000mまでボーリング,して造営したリゾート公園。夏時期は24時間営業。水着着用,大プールからさまざま50個余りの浴池。サウナ,按摩,ユニークなのが,2m円形の日本酒の香ばしい匂いがする酒風呂。大小のホテルがある。日本と変らない。

帰路,サッカーのブーイングで悪評をかった袁家崗のスタジアムを見た。今,香港の歌手が公演に来ていて,周囲の駐車場は満杯。隣接地には更にスタジアムが開発工事中だった。日本選手が宿泊した高層ビルが乱立する。食事に朝鮮料理風の店をわざわざ私の為に選んでくれた。中国人はよく食べる。その量が桁外れ,洗面器に1杯もあろか,平らげる。それで肥えていない。概してこちらの人は汗をかかない。「汗だくで食するのは日本人だ」と笑う。皆スマートな容姿に皮膚が綺麗だ。体内からカロリーを燃焼させるのだろう。

9/20
夜中に激しい雷雨に落雷。地震,雷,火事,オヤジ。よく言ったもので,山間地,然も山沿いにある校舎は雷雨,落雷が大きく響く,爆発音に肝を冷やす思いで朝を迎えた。寝不足がたたり授業中はウトウトと居眠り状態が続く。新人は肩身がせまい。黎先生はまだ休暇中,他の先生が集まりなにやらヒソヒソ。近寄り難い雰囲気。

★中国語が堪能な日本人にとって北京,上海など大都市は,日本の不況で就職難と比較し,就職先として魅力ある都市の一つであったが,日系企業が経費節減策として,中国人の日本語のできる優秀な人材を採用し始めてている,原因は給与相場が日本人の半分以下といわれている,将来,一段と実力社会の様相を強めるであろう。
9/21
朝から霧雨,図書館を案内してくれた4人で雑談。図書館で「日本の着物。和服」の図鑑があれば日本の文化の紹介にと思い来たが,貸し出し料金200元,の高価さに呆れる。図書館で個人レッスンは無理と判断。今後の課題。PC館に行く。自分のHPが「文字化け」している!幸いにも学生に直し方を教えてもらう。

日本語系の教室に出向く,今年末で定年退職すると言う,張先生と会談,彼女のご子息は日本人と結婚し東京に住んでいる。孫とパソコンカメラで画面を見ながら話すのが唯一の楽しみだと言う。我が寮には未だ設備がない。不可能だ,計画では設置のつもりで重慶に来たが,まさか回線が無いとは予想していなかった。

9/22
日本から小荷物が届く。VHSテープの日本庭園が6本。中国でもVHSからCDに変換出切る機器がでている。教師達と図書館に贈呈する為に送ってもらった,遊学と雖も授業に慣れてきて,講師の教え方の上手,下手が気になる。1科目の内,余にも安易な教科書,内容も我々のクラスに合わない教科書が配布されたものを,教科書の交換を求めた。黎先生のストレスを増幅させた要因が自分にも多少あったと思い反省している。

9/23
日本語指導の中級下のクラスの生徒が20名。毎週テストと宿題が彼等に負担になっているのだろうか。出来る生徒は出来る。出来ない者は出来ない。ギャップを如何にして産めて行くかが課題。小周と一緒に図書館長にテープの贈呈に参上する。姉妹都市であるのに資料不足に憤然たる思い。PCのカード期限が切れる。新規の手続きに入る。明日からの日本語系教師の秋期慰安小旅行の準備をする。

9/24
3,00バスで出発,南泉地区保養センター着。霧雨のため,ボート,釣,などは中止。散策する人がいる。中国はマージャンの本場。到着間も無く開始。2卓用意されていた。誘われたが10何年もしていない。ルールも違うだろうと断ったが,初心者のメンバーが足らず強引に引き込まれ開始。ルールは至って簡単,役つくり無し,チー無し。ポン有り。夜る12,00で引き上げた。隣のメンバーは徹夜マージャン。好きな者は,やるものだと感心した。

9/25
1,00すぎ,帰路,途中買い物のため「麦徳龍。メトロ」大型スーパー停車1時間。重慶でも一。二の超大型スーパー。人口3500万人の重慶市,桁外れの規模が凄い。入り口,出口のチエックも厳しい。午後3時すぎ寮に到着。

☆都市部に住む中国人の多くは,本業とは別にサイドビジネスをもっている,収入益が目的だけではない。自らの人生を充実させる,独立精神旺盛な中国人はチャンスがあれば自分で事業を興したいという若者が多い。
9/26
『磁器口』に行く。学生達3名に誘われ参観。徒歩20分,重慶にこのような場所があるとは予想もしなかった。好みの場所だ。彭小姐が油で揚げたこの土地独特の菓子を2袋買い私に渡す。何小姐が先導,音楽喫茶で中国茶を飲みながら,時を過ごす。博物館で掛け軸の山水画が目にとまる,600元。ビタ1文も安くならんと言う。昼飯は「鶏雑菜」。菓子の1袋は管理人にプレゼント。『磁器口』は私の心を虜にした。

9/27
昼食を露店食事用たて3,5元で仕入れ,寮に持ち帰り食する。予習中,申先生がパソコンの様子を見に来た。1か月,電話線で使っていて半ば諦めていた。今更高速回線にしても,あと二ヶ月滞在,それにPC館のカードも新しい物に切り替えた。断るべきか迷った,然し趙先生が中国に帰国すると伝達してきたのも,この先生との経緯上致し方ない。大金がいるほどもない。「お任せします」と答えた。国慶節の予定が発表された,

9/28日
今日は中秋の明月。然し重慶は曇り,太陽は無い。14,00時3名の女子本科生2年級が日本語系の前の公園に来た。この三名もキャンパスで話かけて来た学生達。小彭はバイトで来ないと電話連絡があった。殷,何,沈,の3人とも四川省以外の出身と言う。2年級にしてはレベルが低い。水・木の日本語指導の教室に来るように伝えた。夜,小彭から電話「先生,何か,お困りはありませんか」本科生2年級では彼女が一番よく出来る。

彼女と電話カードを一緒に買いに行き,寮に帰り彼女がセットするが出来ない。小張に電話すると明日昼過ぎに来ると言う。Eメールはまだ出来ない,インターネットも出来ない。日本の携帯電話が重宝する。高料金覚悟で急場を凌ぐ。中国の携帯と日本の携帯のセット機能が異なるので,ONとOFをよく間違える。中国の携帯のメール書き込みは未だ出来ない。日本と同様,いかがわしいメールが来る。開かないことにするのは日本と同じ。

9/29
中級班で「日本の地理と四季の移り変り」を生徒に紹介した。生徒各自に日本語と中国語で書いたものをコピーして渡す。来週は「日本古来の着物。和服」を説明すると言って,教科書をコピーしたものを各自に渡し,朗読,声調に注意する。宿題として,「助詞の書き込み」を渡した。夜,12,00。自室のPCに接続ができた。然しYahoo japan以外からのメールはできない。電話の来ない,掛けない時間帯を利用するしかない。不便極まり無い。

9/30
日本の朋友,知人に手紙を出す。日本語系に顔をだすと,9月分の謝礼金として,960元戴いた。PC館が移動していた。待ち時間30分。HPの文字化けを直す。査看〜編「石馬」〜自動選択〜基地〜日本語。

☆中国の受験地獄は普通ではない,一人っ子政策の子供は親のプレッシャーで自殺するニュースも多い。普通校⇒区重点校⇒市重点校⇒国家重点校といったランキングが存在する中国では「国家重点大学に入るには「全国統一試験」を受験し各大学が設定した合格ラインに達しなければならない。
 2004/10

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