四川外国語学院・遊学日記 2004/10 2004/09 2004/11 近代詩人で毛沢東と袂を分け詩人を選んだ柳亞子。七律詩や長編の詩文は読むものを感動させる。重慶沙坪覇公園広場に銅像が鎮座していた。柳亜子の≪自伝≫の中に、『私は旧体詩」(漢詩)を作るのが好きである。「新体詩」の作詩は不得手である。新体詩規律はよく知らない、旧体詩(漢詩)で私の政治宣伝をし、又、私の武器でも有り大刀、槍のようなものである。旧体詩、新体詩の作者は大刀、槍の使用を間違ってはいけない。』1945年10月16日于、沙坪は津南村。と書き残している。柳亞子 10/01 中国では旧正月の「春節」と今日から始まる国慶節が人口の大移動。此処大学のキャンパスも閑散とし。学生達の大半が帰省している。パソコン館に入り,自分のホームページを開いて驚いた,何と「文字化け」。早速,整理に取り掛かる。査看=編(石馬)=自動選択=基地=日本語。出口で時間オーバを注意された。寮に帰り調べもの中に電子辞書の電池切れに気が就く。 早速,売店で電池を購入する。店先に鎮座するのは,部屋の電灯,トイレの修理屋さんだった。「貴方が店のオーナーですか」と聞くと,「妹が経営している,私はバイトです」と言う。ゆで卵を4個買い,一緒に来た,マレーシアの留学生 龍君に2個プレゼント。 10/02 ぐっすり眠れた。7,30分起床,10時まえ「磁器口」の掛け軸のことが思い出され,大学から謝礼金も出たし,600元なら買うことも出来ると磁器口に出かけた。中国は国慶節,人山人海。先日の文芸館が見つからない。フスローと民芸調の手提げ袋,合計90元で購入。靴磨き1元。 寮に帰る時には既に汚れがめだつ。汗ビッショリ,早速シャワーで気分一心。3時前,パソコン館で1時間,日本に居る,中国留学生の日本文の添削。趙先生にメールを始めて送る。 ★中国の大学卒業者の就職活動は,前年の年末からスタートし,新年の旧正月「春節」前後に最盛期をむかえる。近年急速な発展を続ける中国はここ数年,就職難の時代到来,希望通り就職するのは至難の業。そこで日本中国合弁企業で,雑業を厭わず働きたい,重慶では日本語ブームである。 10/03 中級班の模範生,「荀思」と一緒に夕飯を食する。夕方散歩に出かけて偶然出会う。飯を食しながら話す。彼は来年4月日本へ留学する。彼は重慶大学卒業後,ある重電機メーカーに就職したが,給料が安いので(1500元)日本を夢見て日本語に挑戦中である。元重慶大学の先生と一緒に住んでいると言う。 10/04 朝から霧雨,昼過ぎまで『教案』作成に専念。計画に時間を割く。午後仮眠後PC館に行く。途中カードで現金,1000元卸す。残高,9000元。10月に4〜5回,11月に4〜5回の計9回で0にする予定。1回に1000元しか卸せない。然し,中国どこでも出し入れ出来る。西安でも同様,ここ重慶でも,朝起きてみたら冬だった。秋期の季節がない。の感じ, 着る服に困った,そこで,初級班の模範女子生徒3人に買い物に付き合って貰うことにした。米も少なくなった,7日,重慶西南師範大学中文系副教授O先生を訪問する予定,其の時,大米を買う予定,セーター,ジャンバーが急用となった。 10/05 11時,正門に既に,翁,陳,孔,の女子学生3人が待っていた。彼女達を陪してタクシーで解放碑まで飛ばす。先ず「新華書店」で書籍を物色,2冊購入。既に昼食の時間だ,「火鍋でもご馳走しよう」私には中にいれる具が解からないので,彼女達に好きな物を選んで食する。次に,下着,セーター,室内用ブルゾン,等等。私が即決でバンバン買うので,「日本人はお金持ちですね〜」目を丸くしている。 実はそうでは無いのだ,彼女達はデパートショッピングを楽しむつもりだろうが,私は帰国する際,全部捨てて帰るつもりなのだ。いちいちデパート巡りしている暇な時間は無い。寮に帰る,趙先生からメールの返信,りつ子さん風邪のメール,小李が日本語の添削を兼ねたメール,等等。 10/06 一日中,部屋で日本語指導の為の教案ずくりに費やす。中国の国慶節は外に出ないに限る。何処へ行っても人上人海。国慶節が終わって日を改めて出かけるに限る。今年は「三星堆遺跡」を計画していたら,イギリス博物館が主要な文物を展覧する為,持ち出して見るべきものが無いと言う消息が入り,気が滅入っている。 10/07 西南師範大学OS副教授を訪問した。9.00時出発。同行には四川外国語学院のK先生。バスの出発点までK先生とタクシーで,そこからバスセンター。北碚まで1時間,11時ごろ到着。北碚バスセンター附近は国慶節のせいか人人。OS先生と携帯電話で連絡をとる約20分で再会出来た,KさんをOSさんに紹介後,タクシーで大学まで,校内を一巡案内してもらう。閑静な学園が第一印象。生徒数約20,000人,規模からして先年の西安交通大学を想い起こした。 留学生楼に向う,日本人留学生は?一人の日本人留学生と面談,どこの大学も同様な問題をかかえている。北碚と言う土地柄は優秀な人材が多く輩出している。環境がよい。重慶と異なり,静かな落ち着いた街の印象をうけた。昼食をご馳走になり,大学附近のスーパーで大米をOSさんに選んでもらいナップサックに。「今度来る留学先は西南師範大学ですね。」OSの声を後に。2時Kさんと連絡し重慶へ帰る。日本から夏先生のメール,同華のメール,が着ていた。 10/08 午前10時ごろ, Kさんから日本から荷物が届いていると知らせてくれる。午後2,00に日本語系に行く,家から書籍と常用薬,原爆資料館指導員のりつ子さん,資料を沢山送付願った,生徒の教材に使用後,日本語系に寄贈の予定。教室に行くが誰もいない,小翁に電話し小陳と2人が来た。日程の変更に気ずかなかった,2,30時ばかり学習。PC館に行くがPCに日本語が表示されない。露店食事販売で飯とオカズを買い寮で食す, 10/09 2,30時,中級班,18名出席,国慶節ボケか気分が盛り上がらない。はたまた教材に問題か。生徒の中に本科生の生徒が数名いた。HICから郷土の資料が送られて来た,早速メールでお礼の返事を送る。火曜日から公園で2年級3名と相互学習をすることにした。時間は其のつど携帯で連絡する。雨天の場合はどうするか? 10/10 当大学は学生食堂が数箇所ある。食事に関しては,今まで遊学した大学で一番良好。女子学生が60〜70%を占めているのも原因の一つと考えられる。今日は国慶節の代替え授業。部屋のパソコンを電話線から別に高速回線にすると言う。今更,何故?,譜に落ちない。午前中の漢語のテストの出来が好くない。 日本在住時は中国留学生〜研究院生に日本語を教えている。彼等の40%は日本寄宿所と中国の実家をパソコンにカメラ取り付けでインターネットで会話している。彼等の技術習得は早い。それに習い自分も重慶〜日本の回線と思いノートパソコンを買い持ってきたが,ここまで時代遅れとは予想していなかった。 10/11 朝3時に目覚める,又睡眠,起きたら8時前,慌てて教室へ駆け込む。小彭から旅行無事終えたと消息の電話が入る。午後領事館勤務の小李から重慶西南師範大学OS先生のピザの修得は困難の電話が入る。受け持ち区分が違うが,何とか好い方法は無いかと相談していたが残念だ。PC高速回線申請の書類にサインし提出終了。 10/12 社会主義国家には,乞食は居ないのが定説である。マルクスとかレーニンとか,硬いことは別にして。中国には乞食がいる。何処からこの大学に入って来たのか。学生食堂に50〜60歳の女の乞食が学生の各テーブルを巡る,両手を合わせて小銭を希う。慈悲深い学生はその品の好い乞食に小銭を恵む。店員は箒を持って追い払うが,すぐ入って来る。 テスト最悪。「把」字の理解が出来ていない。証明書の写真を摂る。そこで小銭入れの財布を落とした事に気ずいた。 10/13 写真を取りに行く,財布はあった,中身を調べるようにと言うが,調べなかった。大金が入っている訳でも無い。感謝の意を示した。小張が電話カードを入れに来てくれた,雑談後,小周から電話,暫く病院に入院すると言う,小李に電話して小周の病状を聞いてもらう。両人とも三星堆の文物は英国博物館に持ち出し中と言う。 10/14 初級班にHICから届いた積雪,スキーの写真を見せる。積雪のない重慶,一様に驚いて見入っている。朝からの霧雨に気分も滅入ってしまう。『蜀犬,日に吠える』古文に有る通り。蜀(四川省)の犬は,偶に顔を出す太陽に驚いて吠える。現代文なら,さしずめ,『蜀犬向太陽汪汪』。湿気が多く洗濯物が乾きにくいのが難の一つ。 10/15 今日も朝から霧雨。将に『霧都』と呼ぶに相応しい。日本から持参した,日本語検定試験教本で本科生女子2名,男子1名に個人レッスン。携帯電話にカード56元分,打ち込みを小張がしてくれる。これで結果OK. 10/16 帰国までの中級班,初級班の教案が殆ど出来上がった。クラス別には心配な面もある。日本から送ってくれた『日本語ジャーナル』数冊から問題集をコピーした。生徒には好評である。主な区分けは,日本茶道,和服,相撲,主な企業,日本の大学生活,日本の地理,気候,産業,雇用制度,日本の教育の問題,等,副題として「テスト形式」にした。 10/17 漢語の授業は午前8,00〜11,40時まで2科目。月曜日〜金曜日。川外(四川外国語学院)の留学生向けの授業で中心的な授業は中級,上級では9月の新学期と雖も,新人は少ない。1年前からの生徒が多い,故に教科書も上,中下のうち中,下の部に進んでいる。北京語言大学,北京大学出版のものを採用していた。 夜7,00時,小万が『把』字を主に使い方法を聞く。『把』構文に関しては現在使用されている教科書は最高によい。約30ページ,例題を含めて2-300の例句で説明している。他に『被』構文もページを割いているが,『把』構文を,ここまで懇切丁寧に解説した教科書に出合ったことは無かった。韓国の留学生は言う「長文を『把』句字で,折り畳んで話す術を覚えれば,中国語らしい中国語になる。」快成る哉!。日本で数ある教書でまだ,お目にかかったことが無い。本場で修得出来るのが留学「遊学」の特長の一つ。この教科書を日本で製本すれば間違いなく,ベストセラーになる。 10/18 久しぶりの受講に出た,教師たちの態度が硬い,明らかに反感を持っている。些細な声調にも注意してくる。大体この学校に限らず留学生の漢語の発音,(四声)が全然出来ていない。更に生徒に遠慮するのか注意しない。「何か言いたい事があれば発言するように,」と言うので反感覚悟で提案した。「このままでは,中国人とコミニュケーションは取れないことは教師達は知っているはずである」と。以後各国の生徒の著しく,声調の悪い者には注意しだした。 夜8時ころドアをノックする,小張だバナナ,一房20本もある高価なものを持って部屋に入って来た。部屋のテレビはNHKの放送受信が可能であり,日本語科の彼はそれを聞きに来たのだった。 10/19 「漢語報刊閲覧教程」,の講義は留学生を対象としては難以度NO1.この女教授は本科生にも教え,主任と聞いた。四声,イントネーションとも好い。教師の普通話の正確さを期する為に試験があり,その試験にパスした教師は間違いなく素晴らしい。この女教授は2人の1人と聞いた。もう1人は「漢語聴力教程」の人。ある時,重慶では珍しく正確な発声に,「先生は北方出身ですか」と聞いた,彼は,紛れも無く重慶生まれ,重慶育ちだと答えた。見事な普通話に驚いた。尊敬するに値いする。刻苦研鑚すれば出来る見本を看た。 10/20 漢語教程(語言技能類)が週の半分くらいの時間を割いて授業されている。この教師,性格明朗,教え方も最高,解かるまで教える,重慶出身と思いきや,彼女は名門の中国東北師範大学中文系卒業。何を聞いても中文では知っていた。高い銭を出して留学に来た甲斐がある。日本では味わえない。特に文法を好く理解していた。20余年来の中国語学習で初めて,この道,専門の先生に出会えた。最高の思い出となった。 語学留学は語言大学,師範大学,日本語科のある大学が相応しいと思った。過去4〜5回の遊学で悟ったのは,一般的にネームバリューで大学留学を選ぶが,授業内容は名前負けする大学が多い。尤も留学と遊学とでは意味も違ってくるが。有名大学が必ずしも,留学生によいとは限らない。大学教授が全部,留学生の授業に出てくることはない。 10/21 中級日本語指導で主任から,「日本文化を中心に進めるように」との注文を受けて,関係書籍を多く購入した,以下。 実用日語文法 新編日語(1)(2)(3)(4) 日語慣用句型手冊 日語助詞与助動詞 无師自通学日語 日語慣用句場面会話 日本文化概論 当代日本社会与文化 新世紀日本語教程 日本世情 日本之声 日本国概況 日本社会文化読解 10/22 張,万,崔,沈の4人が「火鍋」を食べに行こうと誘ってくれた。学校から徒歩20分の専門店。すでに予約していたらしく準備万端だった。重慶火鍋の特産は「銀耳湯「耗儿魚」だと教えられた,万力嘉は友人の誕生日で「磁器口」へ行きケーキ『陳痲花』油で揚げた菓子の一種を私に買って来てくれた。其の時『鐘家拈』の掛け軸の話をする,日曜日に買いに行くか迷っていると言うと,力嘉はママが行って安くしてくれると言う。午睡の夢の中で,書籍を入れる郵送の箱を買うのが出てきた。帰心を促す。 10/23 力嘉と10時に正門で待ち合わす。彼女の母親が接待してくれ,買い物にも案内すると言う。小何と3人でタクシーに乗車,かなり遠い,30分で到着。先ず室内の豪華絢爛たるやヨーロッパの貴族の部屋を彷彿させる。42インチの薄型テレビが鎮座している。中国も此処まで来たか?と驚いた。お手伝いさんが忙しく料理を作る,昨日の火鍋が原因か下痢気味,一時はどうなるか心配した。 彼女の家で食事を済ませ街に出かける,高級デパートでセーター,下着を彼女のママが選び,あれが,これが好いと言う。彼女はキャリアウーマン。名刺には某会社秘書兼部長とある。世界各国で仕入れ販売促進,日本にも何度も行ったと,写真を見せる。姪が北京で映画女優,名が陳沙沙と言う。彼女も仲々の重慶美人だ。離婚12年と言う。中国は今,離婚ブーム?。女性の給料が好いので,一人で結構生活して行ける。言うことも堂堂として自我を通す。重慶の女性は強い ★中国では「双職工」共稼ぎが普通で,日本のような「家庭の主婦」はいない,男女平等の国である,女性の方が給料が多いのも珍しくない。余裕のある家庭には「阿姨」さんが居る。(お手伝いさん)子供の遊び相手,掃除,洗濯,飯炊き,などなんでもお任せである。四川省の農村子女が多い。中学校出のおじようちゃん,教育程度は低い。 10/24 8,30時,バスで小張と沙坪覇に行く。沙坪覇と解放碑が重慶では繁華街。スリも多いから気をつけるようにと言う。CDを買うのが目的。三峡公園に,なんと「柳亜子」の銅像がある。記念に写真を撮る。昼前に帰り,学生食堂で力嘉を呼び一緒に鍋料理を食べる。午後から寮の部屋で書き取り練習。日本用の(AU)携帯に電話が掛る,母親の声に驚く。夕方2年級の3名が旅行したと菓子を持って来た。個人レッスンをお願いが,目的だった。チャッカリしている。 この3人,何時も行動を共にしている。3人とも四川省出身ではないのだ。大学2年級,重慶の方言が未だ解からない。他の学生とコミュニケーションがとれないと言う,3人は共通語で話す。大学入試成績でこの大学に配分されたのだ。 10/25 HSKの試験準備の為,受験予定者は別室で特訓開始。我々一般者は授業参加人4名。途中ノルウェイー留学生,飽羅が居なくなり,韓国人の安基淑と3人。午後4時から相互学習の4年級日本語科,殷那が来た。留学生教室で学習するが,さすが上手だ。小周の両親と職場が同じと言う。頭は好いが態度が悪い。 よいよ,遊学シーズン到来。授業も半落ちにする。中国の携帯が故障,どうしたものか思案中。今更新機種にするほどでも無い。無ければ不便だ。 10/26 小周から電話,九龍区の温泉に行こうと言う。4,00出発。天賜温泉は2度目。サウナから出て,按摩室に入り「垢擦り」をしてもらう。身が軽くなったようだ。帰りは沙坪覇で火鍋を食し,タクシーを捜す,乗車拒否と言う。学校附近は車の大渋滞と言う。遠周りして好いなら行くと言う。何時もと逆方向,山を越え坂を越え到着。50元。普通の倍以上の料金,門限があるから致し方ない。 ★重慶は山有り,坂有り,道路が狭い,拡張が出来ない。昔のままの自然環境が禍を残し北京,上海のようにはいかない。中国は自転車王国である,然し重慶と大連は自転車とは無縁である。 10/27 10時の休憩時間に日本語指導の謝礼金を貰いに行く。960元。来月は18日で終わりと聞く。「生徒の反応は如何ですか」と聞くと上等だと答えが返ってきた。 ★中国東北三省では1年の内4カ月働く。後の8カ月は遊んで暮らす。今は多少違う。以前はそうだった。いい年した大人が朝から,マージャン,トランプに興じる。何故か?嘘ではない,日本在住の東北人に聞けば解かる。 10/28 小張と郵便局に行き,書籍郵送の箱を買う。使用しない書籍を日本へ航空便で送るため。校内の郵便局でも重慶の方言で普通話が通じない。答えが返ってくるのは重慶の方言。全然聞き取れない。このような経験は初めてだ。 10/29 書籍を箱に入れて方言が解かる小張と一緒に郵便局に行く丁度そこえ小周も来てくれた。然し時間外だと言う。捲し立てる小周,ならば2百メートル先の街の郵便局に行こうと小周が先頭に歩く。小張は全然役に立たない。街の郵便局でも小周のテキパキした態度に小張も唖然として見ている。中国の女性の強さを今一度見た。 ★中国人の多くは,公共的な仕事では共通語で話す,日常生活ではその地方の方言を使う。重慶も例外でなく,共通語が通じない。大学の郵便局で共通語が通じない。全く予想外の事で少々慌てた。日本で中国語を習う時,中国では「共通語はどこでも通じますと,のたまう」。中国に来れば正否が解かる。13億人の中,3億人が正確な普通話が出来る。訛りのある普通話を話すのは別。これは教師の話である。中国何処でも普通話が通じるは,嘘である。仲間内では方言で話す,我々,共通語しか解からないものは彼等の会話は理解出来ない。 10/30 英語科の殷黎嫻と相互学習を初めて一週間になる。夜る留学生用の教室を使う。昼食を一緒に食べようと電話するとOK。学生食堂まで徒歩,殷黎嫻の同僚から,「今日はどうした風回し」と再三,冷かされる殷黎嫻は喜色満面,来週から午後7,00に開始で意見が一致した。 10/31 今天是星期日,早晨起床,我喝了[ロ加 ロ非]喝三杯。到十点鐘,我想去買東西,大学附近有一家超市場商店,我去過一次,那時,我訪問了重慶西南師範大学OS女史副教授路上,和“菅伊莉女教師”一起去的。 在商店買了許多的水果,忽然想去“一号”。我問了服務員,[女也]対我无言下?巴。我不得已找到別的服務員,我向打聴,[女也]説:“較而易挙不張嘴”説;“{イ尓}的中国話聴不[小 董]”我心裏説;{イ尓}是不是中国人?![女也]閉上嘴咀嚼方言的説;{イ尓}的中国話聴不[小 董]”在這里不是中国呀?!我想起来大学里的郵局也重慶方言多不通普通語。・・・・・ 請救命呀!我快要尿[ネ庫]子漏了! 我忘了喝[ロ加 ロ非]頻繁催促利尿作用。到付款地售口員説;“在商店里衛生間没有”還説“零銭有没有?” 救命愿望!快要漏了,去外面才発現了厠所。門口写着2角,得救了,但是零銭没有的,票門口的老板娘説;“零銭有没有?”我説;“没有”我給[女也]十塊銭,才得救了!。 在一号使用中我言我語; “那个二百五,真笨蛋”后面聴到声音,有一个打掃的男人説;“什麼二百五”我説;“没事儿,跟{イ尓}没関係,是老板娘的事”男人説;“[女也]是我的婆婆的。” 我着急一溜烟似地逃走了,真倒莓,路上把苹果掉在路上了,驚慌失措拾个苹果,慙愧極了。回宿舎精疲力尽了,[金 占]進被窩儿。我想起来,倒莓時,喝凉水也会塞牙!。 霧雨のち曇り。夕方,小張が部屋に来る,日本語の聞き取りが目的らしい。NHKのテレビ放送を見て聞いている。意味が解かるかと聞くと,半部くらいと言う。2回目の書籍輸送で話しあう。 2004/11 Copyright(C)1999-2004 by tohou AllRightsReserved 石九鼎の漢詩舘 thhp://www.ccv.ne.jp/home/tohou/sisen10.htm リンクは自由です。無断で複製・転載することを禁じます |