房兵曹胡馬

 房兵曹。房は姓、名は詳細せず。兵曹は兵曹参軍事の官をいう。兵曹参軍事の房氏が乗っている外国産の馬に就いて述べた詩。近体詩。開元二九年。

胡馬大宛名。   胡馬 大宛の名
鋒綾痩骨成。   鋒綾 痩骨 成る
竹批雙耳峻。   竹批そぎ雙耳は峻し
風入四蹄軽。   風入りて四蹄は軽し
所向無空濶。   向う所 空濶 無し
真堪託死生。   真に死生を託すに堪えたり
驍騰有如此。   驍騰 此の如き有り
萬里可横行。   萬里 横行す可し

詩語
[大宛]=中央アジア、フエルガナ地方。漢以来、名馬の産地として知られる。
[胡馬]=胡は塞外の地方をさす。此は外国産の馬をさして胡馬という。『史記』に書く,「大宛汗血の馬を得名づけて天馬と言う」と。
[鋒綾]=刀の鋭く角が尖る如く、肉が少なく骨の出ている形容。姿をいう。
[痩骨]=肉の痩せた骨。馬は肉の肥えたのを貴ばず。筋肉逞しきを貴しとする。
[竹批]=「批」は斜めに削る意味。耳の尖った形容。「竹批雙耳峻」とは「耳が尖って、その状態は竹筒を、はすかいに 注ぐが如きと言う」。

  風入四蹄軽]=拾遺記に【曹洪が乗る所の馬を白皓と号す、此の馬、奔る時はただ耳中の風声を覚え、脚の地を踏まざるに似たり、時の人、之を風に乗り而行と謂う。】極めて迅速なこと。
[成]=充分に出来上がる。
[託す]=この馬にまかせる。
[死生]=騎馬の乗り手の生死。
[驍騰]=ぎょうとう。馬の美しい姿。驍は勇敢で武勇なこと。騰は躍り上がる様を言う。
[横行]=ほしいいままに行く。

 詩意
房兵曹がもっている胡馬は西域の大宛国から出た名馬で、肉が少く骨ぐみが高くかどだち、骨格は見事である、左右一対の耳は竹を削いだように尖り、走るときは四本の脚に風が生じて蹄は軽やかである。この馬の向うところ、千里の昿野も眼中に置くに無く、此の馬こそ死生を託する事が出来る。

鹵莽解説
  杜甫の「馬」の詩は他に、高都護驄馬行。天育縹騎図画。驄馬行。曹将軍画馬。丹青引等の作がある。此の一首だけでなく皆な、意が違い題によって論を立て其の妙を極めている。

此の詩は他作に比べると極めて短編であるが、少陵が年少気鋭の時の作で、其の房兵曹の胡馬を写すのに、偶々題を借りて自己の精神を発露したものと理解出来る。少陵以前に於いて詠物の詩は極めて少ない。
其の作法、其の物に就き力を極め刻画しているのみで、カメラで物の影をカメラに収めた様な、奕々として生きんとする精神と采思が詩に現れていない。

少陵は是に於いて詠物の一体を創作、其の物の精神を発揮、形態よりは精神に重きを置いた。詩も画も同様、形態が整っても、精神が現れなければ、全く死物であって鑑賞の価値が無い。後学者心得るべし。

此の詩、一二句を破題し、三四は其の骨相の俊爽を写し、五六は其の性情を写して功能に及ぶ、七八は房兵曹、此の名馬があって大功を立てる事が出来る事を言う。

『高都護驄馬行』には
[此の馬、陣に臨んで久しく敵なし、人と一心大功を成す。] と詠う。則ちその意味である。
則ち馬を詠じて、其の人を写した。馬の俊爽は兵曹の俊爽、馬の骨相は兵曹の骨相、馬の性情は兵曹の性情、馬の功能は兵曹の功能である。

普通詠物詩を作詩は描写体貼を事とし、粘皮帯骨を以て巧妙とするのとは選を異にしている。此の大宛國産の名馬を彷彿するのは房兵曹の人物の活躍すること、馬は其の借り物に過ぎない。
杜甫は頗る馬を愛したものと見え、馬の詩が随分多い。馬の性質、馬の骨相なども良く研究しているのは非常に面白い。

   乾隆の御批[驍騰有如此]の一句は上六句を束往し、下句に忽ち開いて房兵曹の身上を推して到る、兎起つて鶻落ちるの妙あり、要するに此の作、孤情逈出し、健思潜捜する、作者の気骨を相るに亦万里の横行す可し、文家の所謂る沈着痛快なるもの、蓋し此の上に出づるものなからん與]

鹵莽解事
   (僕、青年時、欲擬少陵、譜:天馬二首今汗顔之到也)
   批正を請うて論文を検分,調査検索するに史料(資料)の継ぎ貼り継ぎ接ぎ。接点が不明の論文:レポートの類が,頗る多い。皆目自論が無い愚物が多い。重要なのは則ち基本の自論有否が問題。陳腐化するデジタル利用,容易な資料検索ネット類(古書類)。我叉無眼福,不淺叉有耳福不淺;
○ 之を今ふうに言う,将に ガラパソク



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