梅雨もあけて、夏がやってきますね。
この夏は毎年8月10日19時より行っております、観音様縁日は残念ながら中止となりました。当日は法要のみ、限られた人数で御供養をさせて頂きます。
まだまだ油断が出来ないコロナウイルスですが、皆様もお気をつけてお過ごしください。
天文7年 (1538年) |
尾張国(愛知県津島市)に生まれる。 |
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天正10年 (1582年) |
高勝、明智光秀に仕え福知山城(京都市福知山市)の城代として2.500石を賜る。同年明智光秀、京都本能寺に織田信長を襲撃し、信長自害。その後、高勝、大津(滋賀県大津市)に移った後に浅野長政に召し出され、長政の子、幸長の守役となる。 |
文禄3年 (1594年) |
甲斐国にて2.500石を賜る。 |
慶長元年 (1596年) |
主君浅野長政 幸長父子に仕え、浅野藩の草創に尽力した功績により浅野姓を許され、浅野孫左衛門高勝を名乗る。 |
慶長2年 (1597年) |
朝鮮に出兵。 |
慶長5年 (1600年) |
朝鮮で主君浅野幸長の命を守った事により加増され、5.000石となる。同年、関ヶ原の合戦で幸長に従って東軍に参加。幸長、紀伊国37万国に移る。 |
慶長18年 (1608年) |
浅野孫左衛門高勝、京都に没す(76歳)。まもなく主君、浅野幸長も38歳で没す。 |
元和5年 (1619年) |
主君、浅野幸長の子 長晟に従って浅野孫左衛門高勝の子 高英、広島に移る。 |
寛永11年 (1634年) |
古江村に配置され、8.000石となる。 |
寛永14年 (1641年) |
東城に配置され、10.000石となり広島藩家老東城浅野家が誕生する。 |