私のエッセイ(「鉄と真宗」など)

鉄と真宗(平成8年(1996年))
 「鉄と真宗」
                     武田 勝道(浄土真宗本願寺派 教西寺 住職)

 真宗の信仰主体は、農民であるといわれている。私には、親鸞の人間性が、農民文化と距離があるように思われた。親鸞の中には、合理性と呪術性の奇妙な融合がある。
 今年の6月に、沼隈郡の光照寺・宝田院、御調郡の照源寺、三次市の照林坊を訪ねた。光照寺・照源寺・照林坊は、備後の真宗3ヵ寺といわれるが、現在西本願寺派の寺院だけで557ある安芸国への布教の拠点になった。その道をたどりながら、ヒントを得た。
 金属鉱物が、キーワードだった。八幡の神は、福岡の香春(かわら)岳に祭った神である。香春岳は、鉱山で、八幡の神は、銅や鉄の神である。
 中国山地は、広島県内を含めカンナ(鉄穴)とタタラ(鑪)の製鉄で中世以前から栄えた地である。大鉄師に関東出身者もいる。備後に上陸した真宗は、関東の高田専修寺系の真宗である。八幡神社は、鉄を作り運んだ道に、ものの見事に沿って立地され、この鉄の道は、尾道から安芸石見国境一帯の高橋久光の領国に至っている。照林坊は、このルート上を移動している。
 親鸞は、念仏が弾圧されたとき、越後(直江津)に流配されたが、戸隠との間に砂鉄の採れた黒姫山がある。六日町大峯山も鉱山である。赦免後、茨城の下妻に移っているが、その近くにも鉱山があり、移動性の強い鉱山師(山伏)のルートで関東に移住したと思われる。親鸞の特異な形状の杖と毛皮の敷物そして赤色の下着は、鉱山師との交流を示している。鉱山では、宗教が強く信じられていたが、それは、阿弥陀信仰と太子信仰である。
 真宗の現代に通用する合理性は、いつの時代もハイテク技術である金属精錬に源泉があるのである。
                         中国新聞(平成8年(1996年)12月12日)掲載






危険な こころみ(平成7年(1995年))
危険な  こころみ
                             教西寺住職 武田勝道

 パソコン(パーソナルコンピューター)は、昨年から今年にかけ、劇的に値下がりしました。このパソコンの値段の低下と処理能力の格段の向上により、マルチメディア社会が実現することになりました。マルチメディア(複合媒体)とは、文字・映像・音などいろいろな情報を同時に組み合わせて使う手段で、パソコンがその中核機器です。
 マルチメディア技術の進歩により、現実との区別が困難なぐらいの実に精巧な電子的環境が作られています。こうした現実とまったく区別のつかない擬似環境が、バーチャル・リアリティー(仮想現実・人工現実・虚現実)といわれているものです。
 このような状況で、ビデオによる反復視聴やリセットボタン(最初からやり直すためのスイッチ)を押すことによるテレビゲームのやり直しにより時間感覚が歪み、現在未来の境界があいまいになったり、生と死の間を自由に往来できるような感覚を有するようになりました。そして身体的な現実体験なしに仮想空間にはまることによる身体感覚の喪失も、もたらしました。
 今年の春以来、私たちは、オウム真理教について、大量の文字・映像の情報を得ました。ポアという言葉も有名になりました。過激な身体性重視も、テレビの修行風景を見て知りました。オウムは、感覚遮断・情報遮断により信者の人間性を剥奪しました。
 マルチメディアは、パソコンの機能向上と価格低下により、文字どおりパーソナル化(個人化)されました。文字をよむ能力をリテラシーといいますが、映像のリテラシー、情報のリテラシーも、基本的文法の学習が必要です。学習抜きのメディアの個人化は、とんでもない狂ったリテラシーを身につける危険性が著しく大きいことを意味します。メディアの個人化は、個人の主体性の確立のチャンスであると同時に、その喪失のリスクでもあります。オウムは、外的な物理的薬物的遮断により洗脳しました。メディアの個人化は、他人の手を借りず、いわば無意識の自己洗脳に陥ります。私たちの教団は、映像などのメディアリテラシーの学習機会を提供するために、早急に対応しなければなりません。
 近時、私たちの宗門では、「現場の教学(教義)」を旗じるしに、'真宗ポストモダン'が主張されています。社会科学では、ポストモダン(脱近代あるいは反近代主義)は、バブル経済崩壊とともに消えた(佐伯啓思)ともいわれていますが、'真宗ポストモダン'は、現在も強力に主張されています。
 '真宗ポストモダン'は、儀礼(=荘厳)を強調します。なぜ、儀礼を強調するのでしょうか。精神は仮想現実に飲み込めても、身体が残るからです。人間全体を取り込むためには、身体をどうしても放置するわけにはいかないのです。おまけに、身体感覚は揺らいでいます。オウムの身体性重視は、ここにその理由があるのです。儀礼は、身体を仮想に取り込もうとする営みなのです。'真宗ポストモダン'とオウムの身体に対する同じ態度は、両者が通底する証左です。ポストモダンという甘い言葉によって、私たちの真宗の教えが、オウム真理教の轍を踏む誤りをおかしてはなりません。
 個の溶解によって、人は、「夢のような安逸」(大澤真幸)に浸ることができます。しかし、それは、人間性を喪失した昆虫の世界です。'真宗ポストモダン'は、個を共同体(人の集合)に溶解させるこころみですが、私は、非常に危険なものをそこに感じます。個の確立は、宗教・文化・学問の結晶、人間の歴史、智慧そのものなのです。
 お釈迦様の言葉に、「犀の角のようにただ独り歩め」とあります。私が10代から好んでいる言葉です。私は、硬派に個を追求していきたい。釈尊と親鸞聖人のスタンスの本籍は、そこにあるのですから。
                     オミジョ1995年9月号掲載(平成7年(1995年)9月8日)

なお、儀礼については、ここもご参照ください。







差別事件寸感(平成16年(2004年))
差別事件寸感
                                   武田勝道

 宗門の内外また宗教界・世俗社会でも、差別事件とは、所詮、他人事なのでしょう。引っ掛かったやつがドジだ、ということです。そして限りなく差別問題について自制という名の回避をしてきているのです。差別問題について発言しないのです。聞く前から分かっている綺麗事発言に終始するのです。発言しないのも綺麗事発言に終始するのも、同じことです。従来の宗門基幹運動に携わっていた方は、ここが理解できていませんでした。差別問題は危機管理であるという見解がありますが、宗門内でのバッシングを恐れずあえて危機管理という言葉を使用するならば、綱渡りをするのが本当の危機管理だと思います。自由主義社会では、危険と背中合わせで生活するのです。最初から危険をすべて排除するのは、危機管理ではありません。それは、ヒトラードイツ、旧ソビエト連邦、現在の北朝鮮等の全体社会というのです。自由の維持費はすこぶる高価であることを知らねばなりません。私は、親鸞聖人こそ、すこぶる高価な犠牲を払われて、人間の尊厳、人間の自由を私たちに示されたのだと考えています。だから、親鸞が、そして浄土真宗のみ教えが現代に生きているのだと思います。

 京都部落問題研究資料センター(旧京都部落史研究所)所長の灘本昌久さんは、「(差別問題は自由に議論すべきであるが、)差別問題を自由に議論すれば、当然被差別者にとって不快であったり許し難い見解が出てくるのはいたしかたのない」(「差別問題における思索と現実」233頁、231頁(「脱常識の部落問題」朝治武・灘本昌久・畑中敏之編所収、1998.5.15、かもがわ出版))とまで述べています。灘本昌久さんは、誠実に発言される方で、10数年前に灘本さんの発言を知り、著作を探したことがあります。私は、案内状事件に至るまで全く個人的な接触はありませんでしたが、その頃から彼を尊敬していました。しかし、ポストは、それが重要ポストであればあるほど人間を変えます。灘本さんに意見を求めることは、私の案内状およびHP「安芸ねっと」を手間隙掛けて読んでいただけるか、解放同盟広島県支部が絡む同朋三者懇が相手の事件に自分の考えを素直に述べられるのか、彼が現在部落解放同盟系の重要研究機関のトップに就任されているだけに、非常にリスキーでした。

 私は、自由のないところに主体的思考はないと考えます。自由なくして自分の人生を主体的に生きることはできない。差別問題を自由に語ることができないところで、差別のない世界が何になろう。自由のない美しい社会、そんな社会に住みたくありません。宗門の基幹運動が宗門内外の人々にリアリティを与えることができなかったのは、ここに原因があったと思います。

 「案内状のどこが「差別」なんだか全然わかりませんね。自動車に乗っていないのにスピード違反の切符を切られているような。」という灘本さんの見解には、非常に誠実さを感じました。灘本さんの見解に対し、池谷亮真広島別院輪番は、私(武田勝道)の質問の仕方が悪かったのだろうという始末です。灘本さんは、案内状を読んだだけでなく「安芸ねっと」に目を通して回答されたものです。池谷さんにとって、この事件は所詮他人事なのだなと私は思いました。池谷さんは、これまでご門主の名代としての輪番としての職務上の立場でしか「差別問題」に関わって来られていないなと感じました。そもそも、自分の人生を主体的に生きていないと思いました。

 中川英尚広陵東組組長が、池谷亮真広島別院輪番(安芸教区教務所長)への質問状(平成16年(2004年)3月4日付け)で、「一般的にはこの組常任委員会の時点(注1)挫折する人が多いのではないでしょうか。」と控えめな表現で述べられていますが、この挫折を「脅し、威嚇」に屈するというのでしょう。このような態度が常態になる状況では、行動する前にまず自己規制が働くようになります。
注1:平成15年(2003年) 3月18日(火)の広陵東組基推委常任委貝会のこと。

 「差別問題を自由に議論すれば、当然被差別者にとって不快であったり許し難い見解が出てくる」が、差別問題は自由に議論すべきとしなければ、差別問題は「脅し、威嚇、抹殺の武器」であり続けると私は思います。1979(昭和54)年、アメリカのプリンストンで開催された、第三回世界宗教者平和会議(WCRPV)において、全日本仏教会理事長・曹洞宗宗務総長(いずれも当時)の町田宗夫さんのいわゆる「町田事件」は、この文脈の事件でした。宗教界では、徹頭徹尾嘘でこり固めた綺麗事発言に終始するか、事実を無いものとして目をふさいで見ないかです。町田事件は後者でした。町田宗夫さんがどのような人格の持主か存じませんが、誠実な人格にとって、嘘でこり固めるよりも事実を虚構化し無化するほうが心理的に受け入れやすいと思います。ましてや、リスクを冒しながら「差別」を吟味するタフさをお持ちでなかったのでしょう。

 沖和史安芸教区基推委同朋三者懇部長の、差別問題で社会的生命を失うことはないという発言は間違っています。差別発言で、死刑になったり刑務所に入れられることはあってなりません。そんな暗黒社会はご免こうむります。しかし、社会的に受け入れがたい重大で確信的差別発言、とくに政治家等重要な地位にある者がそれを行った場合は、その者が社会的地位(政治的地位)を失うべきです。もっとも社会的地位(政治的地位)を失うべき差別の認定は非常に難しく、必ず過誤が伴います。だから宗教者が差別問題に関わる時、一面では差別者に非情なまでに厳しくなるとともに、また一面では判定者は徹底的に謙虚でなければなりません。政治家の場合は、生ぬるくて結果が出ないとの意見もあるでしょうが選挙で淘汰する以外の適切な方法はないでしょう。大衆が無責任でおれないのが現代です。
 共生という美辞で人格を破壊し、生きる悦楽のない人生に何の意味があるでしょうか。びくびくとして生の躍動を抑圧しながらの正しく清い人生が親鸞聖人の人間観でしょうか。消極的でない誤りを恐れない、阿弥陀如来の眼差しの中で躍動するいのち、それが親鸞聖人の仏法です。
 匿名で何が議論できるのでしょうか。浄土真宗本願寺派安芸教区基推委同朋三者懇委員が匿名で差別文書の告発をし、1年半以上も名乗り出ない。浄土真宗本願寺派は、いつから秘密警察教団になったのでしょうか。秘密は恐怖を生みます。このような秘密警察行為を許してはなりません。
 捏造を行い匿名で告発した小滝了信事件や私の案内状事件は、差別行為指弾の利用であり、その告発者や加担者は許されてはなりません。
 このたびの「案内状事件」で、告発者が同朋三者懇委員でありながら匿名に隠れ、加えて研修会そのものへ同朋三者懇委員が誰一人としてチェックに来ない、浄土真宗本願寺派安芸教区基推委同朋三者懇の方々はとても不誠実です。彼らには、自分たちは差別の判定者であり、部落解放同盟がついているという慢心があるからです。

 取調べのテクニックにあります。とにかく被疑者にしゃべらせたら勝負はついたということです。差別で人を追い込むテクニックは正にそれです。権力を持つ者が、ある人間を引っ掛け、じわりじわりと圧迫していき、言質を取るために、徹底的にもがかせあるいは濡れ衣を拒否させ、徹底的に発言させる。そして後は発言内容の誤謬・矛盾をついていく。途中で、捏造もする。権力者にゴマをする権力亡者が捏造に手を貸す。酒生文彦事件もその類です。小滝了信事件もそうです。私の事件も同様です。宗門は、このような愚行をいつまでも繰り返すのでしょうか。
 5年後、10年後には「不二川公勝事件」「松原功人事件」が発生しているのでしょうか。不二川さんたちには、一抹の不安もないのでしょうか。門主信仰が強くて、門主の玉手箱に入った自分たちは往生が決定していると安心をいただかれているのでしょうか。現代に生きる不二川さん松原さんは、宗門の未来をしっかり見据えていただきたいと存じます。キリスト教徒は、いまもがいています。私は、キリスト教にさほど未来はないと思っています。しかし、わが宗門がまともな宗門にならなければ、教義はよかったが浄土真宗の寺門の内に誰もいなかったという悪夢を実現することになるのではないかと心配いたしております。
                              (平成16年(2004年)10月8日)

「差別」を一度でも利用した人間はその味がアヘンのように忘れられない【blog安芸ねっとwebry(平成17年(2005年)10月13日)】






沖積平野の農地化と真宗寺院の増加  (読後感)
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 堺屋太一を久しぶりに読んだ。(堺屋太一「「わがまま」のすすめ」東京書籍、平成16年(2004年)12月18日)

 一時期全部読んでいた時期があった。知価革命の頃から余り読まなくなった。

 松谷明彦「「人口減少経済」の新しい公式」(日本経済新聞社2004)も、少子化を前向きにとらえているが、堺屋さんが、15世紀イタリヤの人口4割減少がルネサンス開花につながったとの指摘は、明るい気持ちになる。

 堺屋さんは博識で、本論と直接関係ないところに私がはじめて知る知識があり、それが楽しみである。

 「沖積平野は川が氾濫して始末に終えない土地だった。それが一変するのは十五世紀末、中国から堤を築いて川道を固定する技術が入ってきてからです。こうなると沖積平野は沃野となって、農業生産が非常に高まる。同じころに鉱山開発、金属精錬の技術も入ってきて鉄や銅の生産量も増え、農機具も発達する。」(堺屋太一「「わがまま」のすすめ」165〜166頁)

 浄土真宗寺院が増えるのが16世紀であり、私の「鉄と真宗」のテーマに通じ、安芸の真宗化の16世紀を思い興味深かった。広島では、広島市が河口にできたデルタ都市であると小学生のころから教えられる。
                               (平成16年(2004年)12月13日)






浄土真宗は、商工業の宗教
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 吉崎旅行(平成16年(2004年)12月15日)は、蓮如の事業家振りを強く実感させてくれました。

 吉崎は、天然の良港のすぐそばの丘の上にありました。良港の条件は、荒波を消す地形、船の係留スペース、温泉と遊女です。金沢、吉崎、敦賀、舞鶴、小規模であるが温泉津などです。大規模なところでは金沢、広島、大坂(大阪)などが、浄土真宗の都市です。吉崎、広島の沼隈(室町時代に鎮西探題が置かれたこともある鞆の浦があるところです。)は、浄土真宗の地方小都市です。沼隈は、今は山の中のイメージが強いが、昔の海岸線は、ずいぶん現在の内陸まで入っていたようです。
 海運の富を当てにした神社は、日御碕神社、大山祗神社(おおやまずみじんじゃ)などが代表です。
 大聖寺川の河口を福井県芦原(あわら)側と石川県塩屋側の両方を、吉崎御坊跡の吉崎の丘周辺から日本海沿岸を道が行き止まるところまでジャンボタクシーで2時間ばかり縦横に走りました。海運のもたらす富を当てにしてのロケーションがよく分かりました。
 蓮如の選んだ琵琶湖の堅田、大坂の石山本願寺すべて商業資本をにらんでのロケーションです。蓮如は、虎狼の住む人里離れた過疎の原野(御文章(蓮如上人作)の言葉ですが……)を選んだことは一度もありません。

 真宗が、日蓮宗と仲が悪いのは、信者がバッティングしているからです。浄土真宗の門徒は農民ではありません。江戸幕府は、浄土真宗を畏怖して農村へ閉じ込めようとしたのではないかと思います。徳川幕府は、小心なぐらい大名のレイアルトに気をつかっています。経済基盤の提供とともに、東西両本願寺や三重県の高田専修寺(せんじゅじ)の本山の分割とレイアウト、江戸の町からの真宗の排除等々宗教政策にも飴とむちの細心の政策をとっています。

 浄土真宗が、商工業を営む者の宗教であることを認識しなければ浄土真宗を知ることはできません。
                        (平成16年(2004年)12月17日)

参照してください:鉄と真宗






八幡神社と浄土真宗(試論)
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 八幡神社は、日本で一番多い神社である。朝鮮半島からの渡来人が、福岡県の香春岳(かわらだけ)につくった神社が濫觴である。現在は、大分県の宇佐神宮が元締めである。宇佐神宮は、道鏡事件の舞台である。天皇家と非常に縁が深い神社である。和気清麻呂が宇佐神宮(宇佐八幡宮)の神託を受けに下向した。広島に、御調八幡宮がある。神護景雲3年(769)和気清麻呂が大隈に流されたとき、姉の和気広虫(法均尼)がこの地に流され宇佐八幡をまつったのがはじまりと伝えられている。(こことは関係ないが、浄聞房も備後に遠流されている、歎異抄註記。)
 平成10年(1998年度)12月18日〜19日に、浄土真宗本願寺派安芸教区広陵東組寺族部研修旅行で、備後の真宗3ヵ寺のルーツといわれる三浦半島最宝寺を訪ねた。広陵東組では、しつこくこの問題意識で研修を重ねてきた。
 備後(広島県東部)は、教西寺の親戚寺院も何ケ寺かあり、何度か備後を訪問した。とくに、八幡神社は丁寧に訪問して、その神社間のレイアウトや個別神社の現況を観察した。神社は、歴史的調査が難しい。寺院は、小規模の寺院でも住職が住んでいる。寺伝がたとえ偽造であっても存在する場合が多い。調査の手掛かりになる。神社は伝承を欠く場合がほとんどである。平田篤胤のような自由な(むしろ、「でたらめ」と表現するほうが適切である)立論は、神道に歴史的な教義と神社の伝承を欠くところにはじめて存在し得たのである。
 広島県で、八幡神社が、三次から先年公立高校校長が自殺した世羅町を通って尾道に達するルート上に、適当な間隔でロケートされている。これは、県北から瀬戸内海へ、鉄を運搬する車馬の休憩場であったのではなかろうか。神社の広場に馬を繋ぐ。神楽舞台で、人間が休憩する。備後の真宗3ヵ寺の一つである三次市の照林坊は、その戦国時代の開基時の僧が、世羅町に伝道(徘徊)していたことを伝え、現在も世羅町に門徒(檀家のこと)を有している。
 広島県山県郡加計(かけ)から可部を経由して広島市に至る太田川の川岸に、川を航行する舟から神社を拝することができるように川に向けて八幡神社がレイアウトされている。航行上の目印(灯台)と航行の安全祈願の役割である。太田川は、山県郡と広島を結ぶ「たたら」の鉄を含む物産の交易路であった。
 神社には、「村の鎮守の森」と「物資交易の中継地(休憩・宿泊場所を含む)」(この機能が、神社が日本社会に根付いた一番の要因と考える)と「権力の権威付け・怨霊鎮魂」この三つの役割があったと思う。
 真宗と八幡神社の関係、これは真宗の商工鉱の深い繋がりを示している。
                     (平成16年(2004年)12月19日武田勝道記)
                     (平成17年(2005年)6月26日誤記の訂正と若干の追記)






運転免許証の本籍地記載について
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 今頻発している「オレオレ詐欺」(「振り込め詐欺」)などの銀行預金口座を利用する詐欺に対処するため、携帯電話の本人確認に運転免許証の提示(電話ショップが免許証をコピーすることが提示ということである)を義務付ける法律(案)が、年明けの通常国会に提出される。

 被害者を呼び出すなどの犯罪行為そのものに利用されたわけではないが、昨年の奈良小学生女児殺害にも携帯電話が登場した。誘拐等あらゆる犯罪に携帯電話が使われる。情報伝達の手段として、対面よりも携帯電話の方が一般化した現在では、それが通常の方法で相手を直接認識できないこともあり、所有者の匿名を許すことはできない。したがって、携帯電話の取得や譲渡に本人確認をすること自体は、愉快なことではないが仕方ないであろう。

 本人確認の一番ポピュラーな方法は、運転免許証の提示になる。電話ショップの窓口では、証拠を残さなければならないから、免許証のコピーを禁止できない。これだけ犯罪に使用され、かつ、電話ショップの窓口の人間は社会的に信用性に乏しいため、コピーなしの本人確認はありえない。

 法案の本人確認は、徹底している。刑罰で担保している。虚偽申告には、罰金。業としての譲渡やレンタルには、懲役と罰金。犯罪時の警察の要請による電話会社の本人確認を拒否した時は、回線停止。考えられるケースすべてに網をかけている。

 たまたま昨年の平成16年10月21日、私は、次のような書込を、「BBS安芸ねっとpureland」にし、同日、法務省と警察庁にeメールした。


 私が、10年20年前から不思議に思い、区役所の職員やいろいろの方々に話したことがあります。それは、自動車運転免許証に本籍地の記載が必要かということです。

 現在の運転免許証の使用のされ方を法務省や警察庁の職員の方々は、ご存じないのであろうか。銀行で本人確認に免許証の提示が要求されるのも不愉快ですが、ビデオレンタルをはじめに、大概のレンタル業界で免許証がコピーされている実態を。

 本籍地の表示が部落差別につながるとして、戸籍の閲覧が不可とされるようになって久しいが、解放同盟や全解連(人権連)、全自同の運動家は、免許証の本籍地記載には問題がないと思いなのでしょうか。

 私は、既婚者がそれを隠して女をだます結婚詐欺を防ぐためや、権利能力の制限をしるためには、戸籍の公開以外に方法はないと思いますが、部落差別につながるとして閲覧できないのが市町村の取り扱いです。私は、戸籍の閲覧が必要なケースがあり、完全に閲覧を禁止しているのが理解できません(公開項目を限定することは必要かもしれません)が、運転免許証に本籍地を記載する必要性をどこにも見出せません。運転免許証に本籍地の記載をしているのに異議が出ないのは、まことに摩訶不思議です。警察権力がバックなので文句が出にくいのでしょうか。現場の警察官が、免許証が関係する事案で、本籍地が必要であれば、このコンピュータ時代では県警本部等を経由して簡単に調べることができます。私の親戚に法務省の公務員がこの夏までいましたが、あまりにも明白に不要であり、簡単に不記載にできるので、どこからか文句が出ると思われ、会ったときは話題にすらすることをいつも忘れていました。

 いくらたっても、どこからも話題にならないので問題提起いたします。警察庁(国家公安委員会?)は、運転免許証に本籍地を記載しないように改善すべきと思います。


 運転免許証本籍地記載の問題は、いよいよ重要になったと思います。

 宗門基幹運動の空理空論は、必要ありません。

 一人雇用運動と併せ、本当の行動と本当の思想が大切です。
                             (平成17年(2005年)1月3日武田勝道記)






GHQ牧師(GHQ神父)
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「GHQ牧師(GHQ牧師)」という言葉をお聞きになった方は、お教えください。
あるいは「マッカーサー牧師」といってもいいのでしょうが、終戦時に、「これからは牧師になるといい思いができる」、「キリスト教の牧師だと飯が食える」と考えて牧師になった人が沢山いたようです。

仏教の僧侶も飯の種と考えている人がいますし、そのように考えている人のほうが美しい言辞をたくみに使えてすばらしい浄僧になれます。仏教僧侶もキリスト教の牧師(神父)も、演技派のほうが立派に見えます。

高山正之「世界は腹黒い 異見自在」(2004.12.13、高木書房、\1,800.)を読みました。産経新聞のコラム記事をまとめたもので、現在は週刊新潮に連載されています。陰謀史観のようなデタラメではなく、非常にまじめな意見です。東ティモールについての高山正之氏の見解は、私も同じです。自衛隊を東ティモールに派遣するのは言語道断です。かって西洋白人植民地主義の餌食にされ、いままた旧宗主国ポルトガルのベロ神父が登場する東ティモールは、東南アジアの悲劇です。  
                                       (blog安芸ねっとwebry 2005/01/12武田勝道)


以前、「GHQ牧師(GHQ牧師)」とか「マッカーサー牧師」という言葉を聞いたことがあります。おそらく教会の牧師や神父の方だけのある種の隠語ではなかったかと思います。ほとんどの方は、引退された年齢に達したものと思います。お聞きになったことがある方は、お教えください。
                                       (はてなBlog安芸ねっと2005-01-19武田勝道)


 旧陸軍将校の一体感を涵養するための非公式な団体に偕行社がありました。設立は、明治10年西南戦争の頃です。広島の偕行社は、済美小学校を経営していました。戦前は、名門小学校でした。広島の戦前の名門小学校は、浄土真宗の光道小学校、陸軍の済美小学校、広島高等師範学校の付属小学校でした。広島は、日露戦争の時に大本営が設置され明治天皇が住んでいました。今も広島城に御便殿跡があります。一部比治山の山頂に移転してあったように記憶しています。唱歌の「港」は、日露戦争へ兵隊を送った宇品港を歌ったものです。宇品は、県令千田さんが埋め立てたもので、当時千田公の住居があった千田町は私の母校の修道中学校高校があるところです。修道は、広島浅野藩の藩校を起源としています。今は知りませんが、私が通学していた頃は、千田さんの話をする先生がいました。宇品の商店や寺院は軍隊を相手に設立されたものです。阿川弘之は、済美小学校の出身のようです。

 この済美小学校が、敗戦後、YMCAに貸与されました。後年、YMCAは払い下げを受けました。GHQによって随分キリスト教に日本の公的財産が流されています。憲法の政教分離は何だったのかよく分かりません。憲法上は、国家神道とはもちろん明示されていません。アメリカの大統領就任式にはバイブルが主役です。ウクライナのやり直し大統領選挙後の就任式にもバイブルが登場していました。

 「GHQ牧師」の言葉をご存知の方は知らせてくださいと「blog安芸ねっとwebry」に書きましたが反応はありません。私は、HPやblogで、日本で最大教団といわれる本願寺教団についてハッキリ書いています。キリスト教の方々も誤魔化してばかりいては未来はありません。土井たか子さんも、キリスト教徒であることをなぜ隠されているのでしょうか。
                                        (はてなBlog安芸ねっと2005-02-08武田勝道)






「本願寺」……「はてな」のキーワードに登録しました
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「本願寺」

親鸞の血脈子孫を代表者(門主・門首)とする浄土真宗の本山。親鸞の孫の覚如(1270〜1351)に始まる。第8代蓮如(1415〜1499)は、御文章(御文)と呼ばれる文書伝道を盛んに用い、中興の祖といわれ、本願寺を飛躍的に発展させた。戦国時代末期の第11代顕如(1543〜1592)のとき、蓮如が建てた石山本願寺(現在の大阪城の起源)を要求する織田信長と戦った石山合戦(1570(元亀元)〜1580(天正8))の終結方法につき抗戦派長男教如(1558〜1614)と和平派末子(第4子)准如(1577〜1630)とが対立したが、顕如はついに和平し退去した。1593年(文禄2年)に、豊臣秀吉は、既に本願寺を継承していた教如を廃し、准如に本願寺を継がせた。しかし、1602年(慶長7年)、本願寺勢力の分断を目論む徳川家康は、教如に土地を寄進して本願寺を建立させた。双方とも、正式名称は本願寺を称するが、教如の本願寺を東本願寺(お東)、准如の本願寺を西本願寺(お西)と通称する。教団名は、それぞれ真宗大谷派・浄土真宗本願寺派という。西本願寺派(浄土真宗本願寺派)の方が、門徒数が多いため、単に本願寺あるいは本願寺教団というとき、西本願寺(の教団)を指すことがある。現在の西本願寺門主は、大谷光真

「はてなBlog安芸ねっと」をご覧ください。






国立追悼施設に反対する人々――民主主義とは
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国立追悼施設には、本願寺教団の基幹運動闘士と国粋的右翼が反対しています。

宗門の基幹運動闘士は、国立追悼施設は軍国主義に道を開くと主張し、国粋主義者は、靖国神社を空洞化するといいます。

国家組織を否定するアナーキストは、靖国神社や国立追悼施設を否定します。明治維新の折、国家組織を否定すれば、欧米列強の植民地になっただけです。それで良いというのならば、日本人をやめてさっさと日本から出て行くべきでしょう。現実の社会は、理想空間ではありません。理想に酔うと、不平等の極まりの社会主義国家の独裁政治をもたらすのみです。

民主主義とは、仲良く生きていけない人間が、なんとか折り合いをつけながら暮らす英知です。隣人と仲良くしなければならないというのは、民主主義の否定であることを私たちは銘記しなければなりません。民主主義とは、武器を票に代えて喧嘩をし、負ければ次回の選挙で復讐戦を行わせてガスを抜くという、理想主義とは懸け離れた実に実際的な仕組みです。小泉郵政民営化選挙での刺客は、小泉首相が自覚的かどうか知りませんが、非常に民主主義的なやり方です。

私は、本願寺教団の基幹運動闘士の主張は対立を煽るばかりであると考えます。汎宗派的国立追悼施設は、むしろ軍国主義と逆のベクトルを持ちます。
                            (平成17年(2005年)9月7日武田勝道記)

靖国問題
靖国神社と本願寺について……政治結社会長との対話








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