同朋三者懇委員は辞任すべきである。━━━今や、安芸教区 同朋三者懇は有害である。

はじめに(同朋三者懇名簿があります)
 斎藤英明安芸教区基推委相談員の作成した文書によると、そもそも、今回の寺族研修会(講師岸田秀先生)案内状「差別」文書事件は、安芸教区基幹運動推進委員会同朋部会三者懇部委員の告発に端を発しています。
 私は、平成15年5月12日付けで三者懇部委員全員に質問状を送りました。
   (1)武田勝道が作成した平成15年3月12日開催安芸教区広陵東組寺族研修会(講師岸田秀先生)の案内状は、差別文書か。
   (2)文書作成者に接触することなく差別文書の認定をし、「お詫び」をすることが許されるか。
の2点について、回答を求めました。回答をいただいたのは、板垣宝潤(品覚寺・佐伯沖・江田島町津久茂)、智谷公和(浄行寺・安芸北・安芸区瀬野)の2氏のみでした。
 安芸教区基幹運動推進委員会同朋部会三者懇部(注1)の会議での発言は、告発という意識的なものではなかったかも知れない。それが斎藤英明安芸教区相談員によって、問題化された。その後は、例によって利用された。それが、実相かも知れません。しかし、現実に名誉を毀損された者が生まれたのです。三者懇部委員が、私の質問を無視する態度は、不誠実そのものです。札幌別院や本山の差別落書き事件は、このような体質がその一因になっています。
 広島別院は、告発者の氏名を公表しません。告発者も名乗り出ません。告発者と被告発者に対称性(互換性)がありません。告発者は、あたかもキリスト教的神です。自分が断罪される寸毫の可能性もなく、他を裁く。そこには、ただ堕落のみあります。
 沖和史委員への書簡(平成15年8月30日)で述べましたように、上記の2点の質問に回答しない差別問題を担当する同朋部会三者懇部委員は、その資格がないと言うべきです。

    注1)安芸教区基幹運動推進委員会同朋部会三者懇部とは、部落解放同盟広島県連合会と
       浄土真宗本願寺派安芸教区と同備後教区の三者で構成する差別問題に取り組む
       同朋三者懇の安芸教区のメンバーの集まりである。

 なお、以下に、安芸教区 基幹運動推進委員会 同朋部会 三者懇部のメンバーの氏名を載せます。

小目次へ

安芸教区 基幹運動推進委員会 同朋部会 三者懇部 委員名簿

任期 平成13年(2001年)4月1日〜平成15年(2003年)3月31日
児玉竹丸(浄正寺・高田北)甲田町浅塚
武田敏弘(浄泉坊・高田北)高宮町川根
智谷公和(浄行寺・安芸北)安芸区瀬野
平田俊諦(明円寺・山県西)大朝町岩戸
圓山龍渓(浄円寺・山県中)豊平町戸谷
城山大賢(報正寺・山県太田)筒賀村上筒賀
岡部宗雄(田中寺・佐伯東)佐伯区八幡東
鳥鼠恵華(立善寺・佐伯西)廿日市市原
沖 和史(大通寺・佐伯奥)湯来町伏谷
板垣宝潤(品覚寺・佐伯沖)江田島町津久茂
菅瀬融爾(教蓮寺・沼田)安佐北区口田南
多田浩司(西善寺・深川)東区福田
                             以上、12名。

小目次へ

安芸教区 基幹運動推進委員会 同朋部会 三者懇部 委員名簿

任期 平成15年(2003年)4月1日〜平成17年(2005年)3月31日
児玉竹丸(浄正寺・高田北)甲田町浅塚
武田敏弘(浄泉坊・高田北)高宮町川根
智谷公和(浄行寺・安芸北)安芸区瀬野
平田俊諦(明円寺・山県西)大朝町岩戸
圓山龍渓(浄円寺・山県中)豊平町戸谷
城山大賢(報正寺・山県太田)筒賀村上筒賀
岡部宗雄(田中寺・佐伯東)佐伯区八幡東
鳥鼠恵華(立善寺・佐伯西)廿日市市原】        基推委離任
沖 和史(大通寺・佐伯奥)湯来町伏谷
板垣宝潤(品覚寺・佐伯沖)江田島町津久茂】     基推委離任
菅瀬融爾(教蓮寺・沼田)安佐北区口田南
多田浩司(西善寺・深川)東区福田】           社会福祉に変更

新任
木村善友(善正寺・安芸南)蒲刈町向
藤井聡之(教雲寺・沼田)安佐北区安佐町後山

                             以上、11名。

                         (平成15年(2003年)8月30日記)

小目次へ

安芸教区 基幹運動推進委員会 同朋部会 三者懇部 委員名簿
任期 平成17年(2005年)4月1日〜平成19年(2007年)3月31日

児玉竹丸(浄正寺・高田北組)〒739-1106安芸高田市甲田町浅塚
木村善友(善正寺・安芸南組)〒737-0311呉市蒲刈町向
智谷公和(浄行寺・安芸北組)〒739-0311広島市安芸区瀬野
平田俊諦(明円寺・山県西組)〒731-2104山県郡北広島町大朝
圓山龍渓(浄円寺・山県中組)〒731-1711山県郡北広島町戸谷
城山大賢(報正寺・山県太田組)〒731-3701山県郡安芸太田町上筒賀
満井秀城(西教寺・佐伯西組)〒739-0461廿日市市大野郷
沖 和史(大通寺・佐伯奥組)〒738--0513広島市佐伯区湯来町伏谷
菅瀬融爾(教蓮寺・沼田組)〒739-1734広島市安佐北区口田
藤井聡之(教雲寺・沼田組)〒731-3352広島市安佐北区安佐町後山

                             以上、10名。



追記(平成15年(2003年)8月31日)
 「逃げないでください。」−この言葉を沖和史さんは忘れてはいませんね。昨年(平成14年(2002年)8月22日)、広島別院で行われた安芸教区基幹運動推進委員会主催第1回教学講座(テーマ「信心の社会性」)での沖さんの言葉です。記録集からは削除されていますが、講師の龍谷大学教授内藤知康さんに向けて発せられた言葉です。質問事項は、主催者側の依頼した論点で、内藤さんの立てられた論点ではなかったようですが、共に浄土真宗の僧侶であり、内藤さんも回答義務を感じられたのでしょう。やり取り自体には好感をもって聞いていました。私は、今、沖さんに向けて云います。「逃げないでください。ちゃんと誠実に質問に答えてください。あなたは、三者懇部委員なのです。」



質問項目について(平成15年(2003年)12月28日記)

 安芸教区同朋三者懇委員あての質問書(平成15年(2003年)5月12日)では、質問項目が次の2点になっています。
(1)武田勝道が作成した平成15年3月12日開催安芸教区広陵東組寺族研修会(講師岸田秀先生)の案内状は、差別文書か。
(2)文書作成者に接触することなく差別文書の認定をし、「お詫び」をすることが許されるか。

 平成15年(2003年)3月19日の書面で中山知見広島別院輪番(安芸教区教務所長)に求めた質問項目は以下の4点でした。
(1)私が書いた案内状のどこが差別文章なのか。
(2)誰の指摘が、どういう経緯で差別であるとの教区の判断になったのか。
(3)作成者に何らの接触もなく差別文書であることのお詫びをする行為こそ差別を助長する行為であると思うが、これについて教区および宗門はどう思うか。
(4)広島別院の職員が、このような研修会には別院の施設を貸さないと発言したと聞くが、誰がどのような権限で発言したのか。中山輪番はこの判断に関与しているのか。また、判断の基準を示せ。

 (2)(4)についても明らかにしなければ、基幹運動の改善はできないと今痛感します。







同朋三者懇委員へ質問状(平成15年5月12日)
                               平成15年5月12日
安芸教区基幹運動推進委員会
同朋部会三者懇部委員(平成15年3月)
( 委員名 ) 殿
                       安芸教区広陵東組教西寺住職
                       (監正局審事)
                       武田勝道          印

前略
 私が作成したさる3月12日開催の広陵東組寺族研修会の案内状について、私が司会をしていた研修会の席上、広陵東組組長(当時)上園恵水氏が差別文書としてお詫びをしました。私は、直ちにその場で、差別文書ではないと反論しました。終了後、上園氏に別院の関与を確認したところ、広島別院輪番(当時)中山知見氏の指示によるとのことでした。別院は、具体的には、3月7日の安芸教区基推委同朋部会三者懇部で告発があったと説明しました。私は、4月21日の新旧輪番歓送迎会のおり、元教区基推委相談員で同朋部会三者懇部委員岡部宗雄氏に、この案内状は差別文書ではないことと告発者が同朋部会三者懇部委員でありながら名乗らないのはおかしいと言いました。岡部氏は、本人に伝えておくと約束しました。しかし、現在にいたるまで告発者は名乗り出ていません。
 私は、この案内状を差別文書であるとは考えておりません。この案内状を差別文書とすることは、私の名誉を著しく毀損するものと考えます。
 告発者が名乗り出ないので、同朋部会三者懇部のメンバー諸氏に、後記の2点について、5月20日までに、文書で簡単明瞭にご回答をいただきますようお願いいたします。
 なお、念のため「差別の疑いがある文書である。」、「誤解を与えかねない文書である。」、「不快文書である。」等、どのように表現を変えても、「差別文書である。」に収斂することを付け加えます。このような曖昧な言辞を弄することは、自己を安全地帯におきながら、他をおとしいれその名誉を毀損し社会的生命を絶たんとする行為であり、差別問題でしてはなりません。差別問題として告発する者は、それが差別行為として許されないことを明言する義務(accountability)があります。黙秘することは、差別を許容することです。まして、告発者が黙秘することは、差別問題を利用したことを意味します。

(1)武田勝道が作成した平成15年3月12日開催安芸教区広陵東組寺族研修会(講師岸田秀先生)の案内状は、差別文書か。
(2)文書作成者に接触することなく差別文書の認定をし、「お詫び」をすることが許されるか。
                                      以上







沖和史委員へ(平成15年8月30日)────同朋三者懇委員は、辞任すべきである。
                             平成15年8月30日
安芸教区基幹運動推進委員会
同朋部会三者懇部委員
沖和史殿
                      安芸教区広陵東組教西寺住職
                      (監正局審事)
                      武田勝道          印

前略
 私は、平成15年5月12日に、平成15年3月現在の安芸教区基幹運動推進委員会同朋部会三者懇部委員全員にあて、2点について質問状を出しました。
 12名の三者懇部委員中、板垣宝潤(品覚寺・佐伯沖・江田島町津久茂)、智谷公和(浄行寺・安芸北・安芸区瀬野)の2氏のみからご返事をいただきました。ご両氏は、本件を全くご存じなく、ご返事には、お尋ねした2点について触れてありませんでした。それにしても、他の皆さんは、あまりにも委員の自覚がないのではないでしょうか。同朋部会三者懇部委員でありながら、回答しない・回答できないということは、委員の資格がありません。
 中川英尚現広陵東組長(種智院大学教授としてあなたと同僚であった方です。)が、この(平成15年)6月中旬に、本件の関係者に事件について意見書の提出を求めました。あなたは、6月9日に別院で、池谷亮真輪番・斎藤英明教区相談員ら別院職員と中川組長と話し合われているので、このことはご承知と思います。この求めに対し、上園恵水前組長と日下正実前副組長は現在にいたるまで回答していません。中川組長の作業が遅いので確認したところ、日下前副組長が「出すのはバカらしい」と返事をしてきたと述べました。日下正実氏は、養子入寺の前に本山務めをしていた頃、池谷亮真氏の部下です。
 従来の基幹運動に携わっている人たちは、本山・教区共に、実にいい加減だったと感じます。酒生事件、近くは小滝事件です。酒生氏は、お会いしたこともなく個人的には存じませんが、あの事件では、手続きを完全に無視した処分を宗門はいたしました。備後教区の小滝事件も同様ですが、そもそも全くのでっち上げ事件であったことが、当事者および備後教区によって認められました。手続きと実体的真実は、不即不離、一体です。加えて、差別問題が迷走しがちなのは、正義を標榜し、善人の仮面をかぶってそれを利用するヤカラがいるからです。小滝事件は、名誉回復までに6年の歳月を費やしました。しかも、宗門内では回復されず、国の裁判によってでした。残念なことです。
 私は、あなたが、
      (1)武田勝道が作成した平成15年3月12日開催安芸教区広陵東組寺族研修会(講師岸田秀先生)の案内状は、差別文書か。
      (2)文書作成者に接触することなく差別文書の認定をし、「お詫び」をすることが許されるか。
の2点について回答しないことは不誠実だ、とお考えにならない神経が理解できません。本件について回答せず、あちこちのBBSに実名で誠実に書き込みをされている「人物」と本事件の「あなた」が、同一人物とは私にはイメージできません。しかし、誠実そうな仮面と今回の不誠実な対応とを見て、あなたもいい加減な僧侶であると失望すべきなのでしょうか。
                                  以上
  本件の経緯および資料については、
  http://www.ccv.ne.jp/home/kyosaiji/index.html
  にアップしていますので、ご覧になってください。







借りられない別院に寄付すべきではない
 案内状「差別」文書事件は、この僧侶・寺族の研修会に別院施設を貸すか貸さないかの問題に発展していました。「借りられない別院に寄付すべきではない」のコーナーをご覧ください。







沖和史部長から(平成15年10月9日)
         沖和史安芸教区同朋部会三者懇部長との電話での議論(平成15年9月1日〜2日)






小目次へ

                                  2003年10月9目.
安芸教区広陵東組教西寺住職
武田勝道様

前略
 去る8月30日付書簡拝受致しまして後お電話致しまして、個人的事情により10月に入ってからお返事申し上げることをお約束致しました。10月第1週も多忙にてお返事が遅れましたことをお詫び申し上げます。
 以前に5月12目付書簡を頂いておりますが、この書簡は突然に5月20日までの回答を求めるものであり、しかも私は求められた二点について内容や背景を知る立場にないものですから、何らかの誤解に基づく不躾過ぎる要求と考え、お返事致しませんでした。それを「委員の自覚がない」「回答しない・回答できないということは、委員の資格がありません」と一方的に決めつけられても、お答えのしようがありません。応答を求められるのであれば、まず受信者の置かれた状況をお考えのうえ、書簡をお出し頂きたく存じます。
 中川英尚先生が現在広陵東組において組長のお立場でご尽力なさつていらつしやることは、とても有難く思っております。もちろんその具体的内容は存じておりませんが、あなたが提起なさった問題に関して組内で事実確認をして頂いているものと存じます。
 上園さん、日下さんは存じ上げておりませんし、お二人が組内でどのような行動をしていらっしゃるのか存じ上げる立場にありません。したがってお二人の行動は私のとる態度と今は関連するところがありませんし、日下さんが池谷所長の部下であったというお話が去年度に起きたこの件とどのようなかかわりがあるのか、残念ながら理解致しかねます。
 酒生さんの件につきましては、ここにお書きになる理由が判然と致しませんが、もしも広陵東組基推委寺族部長法山総貫名で出された「岸田秀 が 一神教を語る」というビラにおける「私たちの宗派の元総長や自民党の某氏が、かって(ママ)行い、現在も行っているように、これらを脅し、威嚇、抹殺の武器にすることを許しました」というほのめかしの内容を意味するのでしたら、その矛先は宗派全体にではなくて宗会に向けられるべきであると存じます。宗会において彼は議員全員の賛成により除名され、しかも宗会では除名を誤りと認めていないのですから。
 また、宗派と酒生さんとは和解していますので、彼が「元総長」によって社会的生命を断たれたという事実はありません。むしろ「お互いに相手を誹謗しない」という意味の和解条項を遵守していないのは酒生さんの方であると聞いております。
 「備後教区の小滝事件」というのが何を指すのか不案内ですから、内容抜きにそれをお書きになっても、相手(つまり私)の持つ情報の内容(の貧しさ)を無視した、一方的な主張にしかなりません。このような相手の持つ情報内容をまったく顧慮しない、一方的な主張は、5月12日付の書簡にも顕著に現れております。5月12日付書簡に回答しなかった理由はすでに述べました。一方的に「不誠実だ、とお考えにならない神経が理解できません」と仰る前に、私の持つ情報がどのようなものであるのか、あるいは5月中旬の時点でどのようなものであったのかを、冷静にお考え頂きたく存じます。

 以上を前提に、お約束どおり、以下私個人の見解を申し述べたいと存じます。

 約1ヶ月前にお電話致しましたとき、あなたがお書きになり、広陵東組基推委寺族部長法山総貫名で出された「岸田秀 が 一神教を語る」というビラに書かれた文章の問題箇所を二点指摘いたしました。

 (1) 一神教、セックス、部落差別について語ることは、社会的生命を断たれるリスクがあります」という文。
 (2) 「(このことが、)私たちの宗派の元総長や自民党の某氏が、かって(ママ)行い、現在も行っているように、これらを脅し、威嚇、抹殺の武器にする(ことを許しました)」という、ほのめかしによる誘導。

 この二点につきましては、最後に言及させて頂きます。
 あなたが5月12日付書簡でお尋ねの第1点は、

@ 武田勝道が作成した平成15年3月12目開催安芸教区広陵東組寺族研修会(講師岸田秀先生)の案内状は、差別文書か。

となっております。
 先ず第一の不可解な点を示します。
 当時私の手元には「案内状」がありませんでした(3月7日の三者懇部会議において見たのですが、詳しく覚えているはずもありません)。ですから、まずもってあなたのお名前で出された案内状があったのかなかったのかさえ、確かめようのない状態でした。その後の確認で、事実はあなたのお名前での「案内状」など存在しないことが明らかになっております。受信当時私には広陵東組基推委寺族部長法山総貫名で出された「案内状」があなたによって作成されたことを知る手段はありませんでした。3月12目の研修会の出来事も、あなたの書簡を頂いた後に教務所に行ったとき初めて聞き及びました。
 ですから、この書簡を頂いた当時、上記の「武田勝道が作成した平成15年3月12目開催安芸教区広陵東組寺族研修会(講師岸田秀先生)の案内状」という文言は、広陵東組の事情に疎い、私を含む第三者(「案内状」の作成経過を知らない者)にはまったく意味の通らない文言となっていました。
 つぎの不可解な点を述べます。
 あなたは5月12日付書簡で、
  別院は、具体的には、3月7日の安芸教区基推委同朋部会三者懇部で告発があつたと説明しました。
と書いておられます。
 三者懇部では、当日の会議が終了した折、一委員から上記研修会のビラが提示され、問題があるとの見解が示されました。私自身も含めて、多くの委員が「変なアジビラが来た」という程度の認識で大して気にも留めていなかった訳ですから、基推委の活動に対する私の認識の曖昧さを教えられました。そのときに、このような文が浄土真宗の基推委名で出されることの問題点が指摘されたと思います。(もちろん、お電話で申し上げたように、ご本願に随順する生き方を求める僧侶個人の発言としても妥当性を欠くのは言うまでもありません。当日集まった私たち三者懇部委員のすべてがこの文を「変な文」であると認識し、ほとんどの人が捨ててしまったほどなのですから。)
 あなたが「告発」ということばで何を表現なさりたいのかよく分かりませんが、経緯は以上の通りであって、「告発」ということばで示される「犯罪事実を申告して犯人の訴追を求める」という要求は、三者懇部会議においては全くありませんでした。
 そのことは、教区基推委に対する三者懇部からの文書による申し入れでもなく、また、差別問題を解決するために基幹運動本部から出された『差別事件 糾明のための方途(改訂版)』にしたがって活動したのでもないことから、明白です。さらに、お電話では、斉藤相談員もそのようなことばを使っていないとあなたもお認めでした。ですから、「告発」ということばはあなたの側から出たものと推測いたします。
 第三の不可解な点は安芸教区基推委に所属する誰も「差別文書」と言っていないのに、「差別文書」という文言が一人歩きしている点です。上の会議には斉藤相談員も同席していらっしゃいましたので、放置しないよう、早速に教区基推委の立場から行動していただいたのだと存じます。このような経過から勘案すると、教区基推委会長、相談員が組基推委会長、相談員に対して組基推委発行の「案内文」内にある文章の問題点を指摘したにとどまり、差別事件としての対応を求めなかったのは、適切な対応であったと考えられます。
 さらに、研修会の席上上園組基推委がこの文章の妥当性を欠いた点を謝られたのは、この文書の最終責任者である会長としての立場から当然であるように見えます。しかし組基推委会長が「差別文書であった」と仰ったのかどうか確認する術を私は持ちませんので、電話であなたに確認したところ、そうは仰らなかったとお返事頂いたと存じます。
 したがって、どなたが「差別文書」と言い出したのかは、広陵東組基推委の調査で明らかになることと期待しております。

 以上の不可解な点から考えると、上の質間@は、安芸教区基推委同朋部会三者懇部委員に対してのものとしては、何のための質問なのかよく分からないことになります。
「差別文書」であると言った者が誰なのか知らない私ども三者懇部委員に対して、広陵東組基推委名の「案内文」が「差別文書」か否かと問いただし、期限付き回答を求めることが、常識に適った態度なのでしょうか?
 なぜあなたが特に三者懇部委員に、あなたがお書きになったという「案内文」が「差別文書」であるか否かを質問なさらなければならないのでしょうか?その理由が分かりません。あなたの誤解(あるいは、誇張)がこの質問という行為を生んだとお考えになりませんか?(あなたは沼田組のどなたかが「告発」したと思い込んだ様子ですが、そのような思い込みで動いていらっしゃるのではありませんか?)
 三者懇部のだれがあなたの名誉を毀損したというのでしょうか?根拠もなくこのようなことばを使うべきではないと考えますが、いかがですか?
 もしあなたの仰るように「「誤解を与えかねない文書である」「不快文書である」など、どのように表現を変えても、差別文書である」に収斂する」のであると仮定するならば、あなたが基推委法山さん名で書いた文は「差別文書」になります。しかしこのような大雑把な規定の仕方は、基推委の活動においてはなされていません。このような定義を押し付けるのは、「不適切さを指摘するものが悪い」という言論封殺の方向に向かうのではないかと危惧します。
 たとえば北海道教区で頻発する差別落書きや差別はがき事件は、被差別者を排除し、殺そうとする意図を示す、明らかな差別事件です。したがって北海道教区において対応委員会が設置されました。また、去年2月の本願寺新報の「ハンセン病元患者」の記事は、日本社会に存在し真宗教団に存在する差別感情、差別意識を利用したものであり、その後の経過から、差別記事であると考えます(総局が基幹運動推進本部を構成しながら、「元患者」の指摘を重視せず、その問題性を認識することができないのが今の問題です。一般化して言えば、差別されたマイノリティーの声を聞こうとしない差別者側の傲慢が、今の問題です)。この件では対応委員会は設置されていませんが、きちんとした対応が必要なことは言うまでもありません。
 第3回世界宗教者会議におけるMさんの差別発言問題は部落解放同盟との率直な話し合い(解放同盟側から言えぱ糾弾活動)の末、問題点が共有され、解決しました。このように、多くの場合、当事者が誰であるか分かれば本人に自覚を促し、問題点(何が問題なのか、なぜ問題とされたのか、何が誤解されたのか、なぜ誤解されたのか、など)が共有されればそれで問題はほとんど解決するのです。けれども頑なに「不適切だと指摘するものが悪い、私は差別していないし、悪くない」という立場を取り続けて問題点を共有する意思を持たないとき、その人の差別性がよりあらわになります。酒生さんの件、本願寺新報事件はその例だと思います。
 以上が@についての私個人の見解です。あなたの「このような暖昧な言辞を弄することは」以下、「差別問題を利用したことを意味します」という見解は妥当性を持たないことをご理解いただきたいと存じます。「黙秘」という言葉遣いも穏当ではありません。
 私にはあなたがわざわざ大げさな言葉遣いを選び、問題を複雑にしようとしているように見えます。

 次に

A 文書作成者に接触することなく差別文書の認定をし、「お詫び」をすることが許されるのか。

について私の見解をお示しいたします。まず、一般的に言えば、基推委の活動においては、このような経過をたどることはありません。
 今回の件で申しますと、上に述べたとおり、安芸教区基推委のどの機関も「差別文書」であると認定しておりませんし、また「お詫び」もしていないと存じます。
 今問題の文が「広陵東組基推委」名で出されている以上、教区基推委会長も相談員も、広陵東組基推委に責任の所在があると考えるのは当然ですし、また実際に対外的責任は、陰の執筆者ではなくて、表に名が挙がっている広陵東組基推委にあります(組織的決定による文書であるはずですから)。ですから、責任者である組基推会長に話をするのが当然です。
 もしもこの点を捉えて「文書作成者に接触することなく」と仰るのでしたら、それはないものねだりというものです。ましてやこのやり取りの当事者ではなく、「お詫び」もしていない教区基推委一委員にこれに答えよと言うのがいかに的外れであるかお分かり頂きたく存じます。あなたがお尋ねになるべきお相手は、「文書作成者に接触することなく差別文書の認定をし」た方、「文書作成者に接触することなくお詫び」なさったお方なのではありませんか?
 もしも三者懇部委員がそのような行動をとったとあなたが思い込まれているのであれば、大いなる誤解です。誤解の上になされた質問にお答えすることはできません。
 さらに、この件について「「お詫び」をすることが許されるのか」という質問が出されたとき、いったい誰が「認定」し、誰が「お詫び」し、誰が「許す」のか、ということを明確にしないとお答えのしようがありません。しかし、あなたの文章では主語が指定されていませんので、お答えすることが不可能です。
 あなたの書面を読むと「お詫び」なさったのは広陵東組基推委会長上園さんのようですから、この文の主語を広陵東組基推委会長ととることができると存じます。したがって、広陵東組基推委における調査が、事実関係を明らかにしてくれるものと期待しております。
 以上の通り、この質問も三者懇部になさるべき牲格のものではないと存じます。よくよく冷静にお考えの上、お取り下げくださいますよう、期待しております。

 最後に、広陵東組基推委寺族部長法山さんの名で書かれた文の問題点を指摘いたします。

(1)「一神教、セックス、部落差別について語ることは、社会的生命を断たれるリスクがあります」

 まず、この文を私はうまく理解することができません。「社会的生命を断たれる」のは普通人間であると思いますが、その人間がどのような人なのかよく分かりません。したがって、まずここで、広陵東組基推委は何を言いたいのか、と、多くの人は当惑すると思います。「変な文」だと受取るのは、このような文章の晦渋さにもよります。
 一応「ある人が一神教、セックス、部落差別について何かを語るならば、これらを語ることによって、その人は社会的生命を誰かに断たれるリスクを負います」と読むことにしますと、今度は「一神教について何事かを語るならば誰かに社会的生命を断たれるリスクを負う」という因果関係が証明されるのかという疑問がわきます。
 私は宗教学の講義においても飲み屋においてもキリスト教・イスラム教・ユダヤ教について語っていましたが、誰かに社会的生命を断たれるリスクがあるとは全く考えたことがありません。ほとんどの方が私と同じであろうと思います。キリスト教・イスラム教・ユダヤ教について何かを語るとき、社会的生命を断たれるのではないかと緊張して語った人に私は会ったことがありません。また、一神教について何かを語る人の社会的生命を断つことのできる個人も団体もあろうとも思えません。ですから、「一神教について語ることは、社会的を断たれるリスクがあります」=「ある人が一神教について何かを語るならば、その人は社会的生命を誰かに断たれるリスクを負います」という事実は存在しないと存じます。このような事実に基づかない文を基推委が書くこと大いに問題ですし、妥当性があるとも思えません。
 セックスについては、日本は全く寛容な(おかしな)国で、語るどころか買春などの罪を犯しても、社会的生命を失うことはありません(現今ニュースになっている中国での売買春犯罪容疑が象徴的です)。したがって、上の主張は実体がないと思います。
 それでは、部落差別をはじめとする差別について語れば、社会的生命を断たれることがあるのでしょうか?
 私は同朋研修や県市町村の研修会で幾度となく部落差別について語っていますが、社会的生命を断たれるリスクがあると考えたことはありません。プライヴェートな場で被差別部落や民族や女性にたいする自らの差別感情を声高に語る人は多いのですが、彼らが社会的生命を断たれたという話は聞きません。
 たとえ誰かが差別行為を行ったとしても、それをもとにその人の社会的生命を断つことができる人はいませんし、組織も存在しません。
 たとえば、石原東京都知事は「第三国人が騒擾事件を起こす」という民族・人種差別発言を行い、国が国連人権委員会から勧告を受けることになっても、次には「ババア」発言で女性差別を行い(生殖可能年齢を過ぎたであろう自分の妻を貶める発言をする都知事も貶められた妻も、またその息子たちも、なぜ平気なのだろうかと、私は彼らの人格を疑っていますが…)、さらには最近「あったり前だ」「だけど、彼(田中審議官)がそういう目にあう当然のいきさつがあるんじゃないですか」などと、個人を狙うテロ(殺人)を推奨している人物ですが、これほどの基本的人権無視発言を続ける彼の社会的生命が断たれていないことをどう思われるのでしょうか。
 もちろん、差別行為者は批判を受けますし、国際法では行為に応じた罰を受けるべきだと考えられています。わが教団では「(差別)行為者が差別から解放され、差別撤廃に向けて取り組む推進者となることを目的として」学習を行うよう方針が定められています。
 以上の通り、上の文は、全く事実を反映していない、大いに問題のある文です。私には何のために書かれたのか全く理解することができません。何のためのプロパガンダなのでしょうか?
 ですから、もしもこの文が事実に基づくとあなたが仰るのでしたら、具体的事例をもとに真宗信者としてよくよく語しあう必要があると私は考えています。

(2)「これらについて、「よい僧侶」は建前ばかりしか語りません。そのことが、私たちの宗派の元総長や自民党の某氏が、かって行い、現在も行っているように、これらを脅し、威嚇、抹殺の武器にすることを許しました」

 一神教について、また、セックスについて「建前ばかりしか語」らない僧侶を私は想像できませんが、あなたの周りにはいらっしゃるのでしょうか。
 したがって、私の経験の範囲から、上の文を書く上で、あなたは、おそらく「差別は許されない」「差別してはならない」などの発言を「建前」と受け取られているのだと推測します。
もちろん、私たちは差別したくないと考えていても、差別してしまう存在です。(このことをもって、差別心は凡夫の自性だ」と断定するのは間違いです。念のため。)
 しかし、もしも本音では「差別は許される」「差別してもよい」とあなたがお考えであるとすれば、あなたは差別主義者です(そうお考えでないことを明言されるようお願いいたします)。また、「十方衆生」という誓願の前で、建前でなく本音で生きよう、本音にしたがって大いに差別しよう、あるいは差別するのは仕方ない、と言うのであれば、それは宗祖のご消息(くすりあればとて毒をこのむべからず)を身に受けない、似非真宗信者ということになりましょう(そうお考えでないことを明言されるよう期待いたします)。
 私はそのような意見に帰着するいかなる本音論も信じません。岸田さんがどのように「果敢に」発言されているのか知りませんが、彼が社会的生命を失っていないことをどう考えればよいのかという点もあわせ、私はあなたの文章がひどく危ういと思います。
 あなたは酒生さんが「元総長」によって社会的生命を断たれたと思い込んでいらっしゃるようですが、彼は一神教、セックス、部落差別についてどのようなことを語ったのでしょうか?そして彼が語ったことを、脅し、威嚇、抹殺の武器にした「元総長」とはどなたなのでしょうか?「案内文」においてこのように曖昧に書くのではなく、はっきりと事例を示されたらいかがでしょうか?あなたは賢明にも「曖昧な言辞を弄することは、自己を安全地帯におきながら、他をおとしいれその名誉を毀損し社会的生命を絶たんとする行為であり、差別問題でしてはなりません」と5月12日付書簡で記していらっしゃいます。どうやら.すべての現存の「元総長」は名誉毀損であなたを訴える権利を持つことになったようですね。
 問題はこのほのめかしが、一神教やセックスではなくて部落差別にのみ関心が向くよう仕向けられ、読む人の「同和はこわい」という間違った意識に訴えて、「部落解放運動の暴力性とそれを利用する者」という方向に誘導していることです。これは、「一神教」をテーマとする広陵東組研修会への参加を勧誘するのに教団内にある部落差別意識を利用する、不適切な態度であると考えます。もしもそうではないとお考えでしたら、その証拠をこの「案内文」に即してお示しください。すなわち、「元総長」と自民党の某氏が過去・現在にわたり、一神教・セックスについて誰かある人が語ったことを武器に使い、その人を脅した証拠、威嚇した証拠、抹殺した証拠です。

 以上述べました諸点をよくお考え頂きますようお願い申し上げます。強調したいのは、誰でも学ぶことによって、差別を「克服すべき自分の課題」とする可能性を持つということです。その意味では、この「案内文」は、反省し学ぶ上での良い教材となることでしょう。
 最後にもう一言。基推委の活動の一環として行われた広陵東組基推委名での「案内状」の問題は、広陵東組基推委の責任において取り組むべきであるという当然のことをご理解くださいますよう、お願い申し上げます。この「案内状」に関する上の私の指摘も、この「案内状」が基推委名で出されている以上、あなたばかりでなく、広陵東組基推委も同じように具体的にお考え頂く必要があると存じます。
 以上、一委員の問題提起に触発された私の見解を申し述べました。まだ言い尽くせていない点もあるかと思いますが、十分に長いお返事になりましたので、ここらで失礼します。
                                            合掌
                             (  郵便番号     住所  )
                                    大通寺小住
                                      沖 和史 拝

沖和史部長へ(平成15年12月22日)────今や、同朋三者懇は有害である。







小目次へ

                                     平成15年12月22日
安芸教区基幹運動推進委員会
同朋部会三者懇部長
沖和史殿
                                安芸教区広陵東組教西寺住職
                                (監正局審事)
                                武田勝道         印

                  「回答書(数字)」は、別添平成15年(2003年)10月9日付貴回答書の私が反論した箇所を示します。

前略
 待望の回答を頂きました。ずるい文章なので失望しました。
 沖和史さん、あなたは、偽善者です。でなければ、恐るべき無知です。私は、反論する気力を阻喪させるに十分な空虚感に襲われました。
 私は、「安芸教区基推委同朋部会三者懇部終了後の雑談での指摘」が、雑談の場であったとしても、この程度の内容・根拠で行われたことにあ然といたしました。あなたが権力者でなければ、与太の戯言と放置しておくべき程度です。あなたは、一僧侶、一大学教授として発言することと、安芸教区基推委同朋部会三者懇部長という権力者として発言することの違いが分かっておられません。あなたが三者懇部長である以上、差別問題について、安芸教区内の宗門人に対して発言することは、権力者としての発言になります。念のため申し上げておきますが、権力者という言葉を悪い意味で使用しているのではありません。私自身の行動も、ある場面(例えば、本願寺派監正局の審決会で審事として発言するとき。審決書に押印するとき。)では権力者としての行動です。一大学教授の立場も、受講する学生にとっては、権力者です。
 頂いたあなたのお返事の問題点一つ一つに反論しようとも考えましたが、お返事全体について反論しなければならず、返って本質を見失い、迷路に迷い込むことになると思われますので、論点を絞って以下反論いたします。したがって、以下の反論は、すべてを網羅したものではないとお断りしておきます。私は、あなたの平成15年(2003年)10月9日付けの回答書の全体が間違っていると考えます。
 まず、あなたは法律用語に対する基本的な理解を欠如していながら、一面、法律用語に余りにもとらわれ過ぎておられます。
 元浄土真宗本願寺派宗会議員酒生文彦氏の件で、「和解」という言葉を使用する場合、それは完全に法律用語としての「和解」です。法律用語としての「和解」は、一方の主張を全面的に認めても「和解」が成立する場合があります。日常語としての使用法と全く違うところです。また、仲良くという意味も全くありません。専門用語は十分注意して読まなければなりません。
 告発という言葉は、これは必ずしも刑事法での法律用語としてのみ使用されている言葉ではありません。不正を「指摘」「批判」する意の強調としての日常語の用法が、どの国語辞典にも載っています。類似の言葉ですが、告訴という言葉は、法律用語に使用が限定されています。「告発」と同じように、法律用語に出自がありながら日常語化した用語に、「意思」があります。意思は、法律用語でありながら、意志と異なり、情緒的でない中性的客観的理性的な語感が好まれたのだと思われますが、近時では、あなたもご使用のように「意思」という表記のほうが普通に使用されています。まずは、「和解」と「告発」の用語について押えておきたいと思います。


(1)
 私の平成15年(2003年)5月12日付け質問書への回答をあなたがされなかった理由を、内容や背景を知らなかったことに求められています。回答書の(1)
 私は、該質問書で十分状況を把握できると思いますが、安芸教区基幹運動推進委員会同朋部会三者懇部長というこの問題についての権力者であるあなたは、別院にお問い合わせをされるべきではなかったのでしょうか。
 「沼田組の僧侶の告発」という言葉を、私の思い込みとされていますが、中山知見広島別院輪番(安芸教区教務所長)は、誰がどのような内容の告発をしたか、明らかにするのは勘弁してくれといわれますので、ファックスの発信元を書いたことです。確認がとれないので寺院名は伏せました。
 あなたは、権力者として知らなければならないことは、知る立場にないとか第三者を装って回答書の(7)、知らないことを正当化し逃げます。案内状(あなたの言葉では、「アジビラ」)の「問題性」を指摘した三者懇部の一委員の見解を賞賛回答書の(9)しながらその氏名を隠す陰湿な態度、このような秘密独裁権力者的態度が人々に恐怖を与え、言論封殺を生むのです。言論封殺とは、あなたに差し上げるべき言葉です。回答書の(16)
 「一委員」氏は、なぜ差別問題のように、告発(指摘)された者が社会的生命を失う恐れのある重大マターで、差別問題を担当する安芸教区同朋三者懇委員として「案内状」の問題性を指摘しながら、名乗り出ないのでしょうか。彼は同朋三者懇委員でありながら、なぜ自ら指摘した「問題性」について議論することを拒むのでしょうか。私は、人間のクズという言葉以外に彼を形容する言葉を知りません。(全日本仏教会理事長・曹洞宗宗務総長(いずれも当時)の町田宗夫氏が、その第三回世界宗教者平和会議での発言で社会的生命を失っていないとするあなたに掛かっても、「一委員」氏は議論する義務があると私は思いますが。)
 また、部長であるあなたが知るべきこと回答書の(5)といえば、備後教区が作成した事実無根の捏造文書によりでっち上げられた元北海道教区教務所長備後教区比婆組正専寺住職小滝了信「差別」事件です。現に、電話でお話したときは、小滝了信氏が札幌別院輪番時代かなり無理な人事をしたと聞いているとあなたはお話しされていました。小滝氏は裁判上の和解をしましたが、その内容も、あなたの立場でしたら、容易にお知りになれたことでしょう。

(2)
 あなたは、「宗派と酒生さんとは和解していますので、彼が「元総長」によって社会的生命を断たれたという事実はありません。」回答書の(3)といわれますが、どうしてこのような脳天気なことが考えられるのか、私にはさっぱり理解できません。電話でお話したとき(平成15年9月1〜2日)は、あなたは「酒生文彦氏は後日大阪教区で宗会議員選挙に立候補できたのであるから社会的生命を断たれていない」と発言されました。どちらにせよ、「和解」も「立候補」も社会的生命と関係ありません。また、事後的事由によって、断たれた「社会的生命」が治癒するものではありません。回答書の(17)(18)にも関連しますが、解同(部落解放同盟)(あなた方は、なぜ、全解連・全自同を拒否されるのでしょう)の「お許し」により、差別問題が「解決」するとするあなたの姿勢が、「和解」したから「社会的生命を断たれたという事実はありません」につながるのです。
 加えて、あなたが、「和解」を、法律用語として使用されているのか、日常語として使用されているのか曖昧にお使いですが、法律用語としての「和解」であれば、酒生さんが和解条項を遵守していないのではなく、遵守していないのは、当時の総局です。当時、本山の広報部長は、中山知見氏でした。平成14年8月に、中山氏にあの広報部長名の見解は間違っていると私が指摘したとき、中山氏本人もあれは間違っていると自認されていました。日常語としての「和解」であれば、酒生氏は、彼の宗会除名を画策した人々と和解していないと思います。
 裁判上の「和解」をした「宗派」には、沖和史を含むのですか。武田勝道を含むのですか。あなたは、主語を省略するのが普通である日本語で、しかも省略して何の不都合も生じない箇所で、主語主語といって、一見厳密さを要求されますが、このような重要な箇所で、ずさんな言い回しをされています。法的和解は、法人格がなければその主体になれないから、法人としての宗派のことで、宗派の代表者としての総長名義で裁判上の和解をしたことをいうのだ、だから、あなたや私を含む含まないの問題とは関係ないといわれるのですか。わずか3行前で、「その矛先は宗派全体でなく宗会に向けられるべき」と「宗派全体」と「宗会」を厳密に区別されています。あなたの推論は、非常に恣意的です。

(3)
 「文書作成者に接触することなく差別文書の認定をし、「お詫び」をすることが許されるか。」との私の質問に対し、あなたは、「一般的に言えば、基推委の活動においては、このような経過をたどることはありません」回答書の(19)と持って回った言い方をされます。差別問題を取り扱う同朋三者懇部長は、端的に差別問題の取り扱い方として、「許されない。間違っている。」とお答えになるべきです。
 そもそも、発端が安芸教区基推委同朋三者懇の気楽な雑談の場であったとしても、「一委員」氏が問題提起し「部長」氏が支持され回答書の(9)、現に斉藤英明氏が安芸教区基推委の相談員として行動回答書の(11)しました。それを受けて、中山知見広島別院輪番(安芸教区基推委会長)が、上園恵水広陵東組組長(広陵東組基推委会長)に指示をして、上園組長が「案内状」を差別文書であるとして研修日当日お詫び(謝罪)をしたのです。その後、平成15年(2003年)3月18日の広陵東組基推委常任委員会で、任期切れ間際の上園組長によって、法山総貫広陵東組基推委寺族部長に、「案内状」を差別文書と認めるよう厳しい追及があったのです。
 平成15年(2003年)3月8日の中山知見輪番、斉藤英明教区相談員、上園恵水組長、高橋哲了組選出教区基推委同朋委員の4者協議の最初から武田勝道が「案内状」の執筆者であることが分かっています。「差別」文書作成者に、発言の機会を確保するという手続きの基本を踏んでいないことを、私は批判しているのですから、主語云々という、ピントはずれのお遊びをして、この問いは上園広陵東組基推委会長にせよと言われるのは、あなたは部長としての職責を果たしていない。あなたのこのお答えは、同朋三者懇部が、部落解放同盟に関心のあることのみ取り扱う機関であることを証明しています。同朋三者懇部は、安芸教区基推委内にあって、部落解放同盟の出先として、その権威を利用して、言論封殺をしているのです。

(4)
 「セックスについては、日本は全く寛容な(おかしな)国で、語るどころか買春などの罪を犯しても、社会的生命を失うことはありません」回答書の(24)とあなたは述べられます。あなたに言いたい。では、あなたが実験してください。ご自身が買春して、それを公表してください。種智院大学では、教授でいることができるのですか。ぜひ実行して発言を証明してください。
 山崎拓自民党副総裁(前幹事長)は女性問題で、太田誠一元総務庁長官は「集団レイプする人はまだ元気があるからいい。正常に近いんじゃないか」という発言のために衆議院選挙で落選し、彼らの政治生命は風前の灯です。宇野宗助元総理大臣とアメリカの民主党のクリントン前大統領、洋の東西どちらもどちらですが、性を公にすることは危険です。常識でしょう。昔は、アメリカも男性天国でした。ケネディ大統領は、ホワイトハウスで性の乱痴気騒ぎをしていましたが、日米の青年男女に崇拝されました。建国の父ジェファーソン第3代大統領は、自らの所有する女性黒人奴隷の一人を愛人にして子供を生ませています。くだらないので、例を挙げるのはやめます。
 一神教については、9月1〜2日の電話でもお話したとおり平成3年(1991年)7月12日に筑波大学の五十嵐一助教授がサルマン・ラシュディ著「悪魔の詩」を翻訳し殺された例で十分でしょう。

(5)
 私の発言内容回答書の(12)についてですが、私は9月の電話で、上園恵水広陵東組組長(広陵東組基推委会長)の「お詫び」の中で彼が、「差別文書」という単語を使用したか否かについて、はっきり記憶していないと言いました。誤解のないようにして頂きたいのは、話の文脈から「案内状」が差別文書になる旨の発言を上園組長はしたが、「差別文書」という単語を使用したか否か、いまはっきり記憶していないと発言したことです。
 あなたは、石原東京都知事の発言についてお書きになっています回答書の(27)が、彼は、マスコミが前後を省略(隠蔽?)したり、発言を正確に伝えていないと、抗議しています。私には、あなたの書き方は、客観性を欠いているように思えます。私は、マスコミの隠蔽が故意かどうかは知りませんが、故意である可能性も十分あると思います。

 最後に付け加えます。この12月3日に、安芸教区指導による安芸教区広陵東組僧侶研修会が広島別院で開催されました。安芸教区からの出向者は、篠原典祐氏、尾谷教純氏と安芸教区基推委相談員の斉藤英明氏でした。広陵東組の参加者は、名簿によると後記のとおりです。内容は、以下のとおりでした。同朋三者懇部長沖和史さん、あなたは、安芸教区基推委同朋三者懇は、差別問題を自由に議論することを阻害する組織であると反省される謙虚さは微塵もお持ちではないのでしょうね。
 無知で怠惰で怯懦な僧侶を、衒学と威嚇で支配してきたのが、宗門の従来の基幹運動であり安芸教区の同朋三者懇です。言葉を持ち、金剛心を持つ人は、反論します。最初からこのような人物はターゲットにならないのでしょう。そうでない僧侶は、鬱積するだけです。差別落書きがなくならないのは当然といえましょう。

 広陵東組選出安芸教区基推委同朋委員高橋哲了は、研修のねらいの説明で、安芸教区共通テーマの副題「―差別・被差別の事実から、私と教団の差別の体質を改める実践を―、〜もう一度、身近な問題を考えてみよう〜」から、平成15年(2003年)3月12日(水)の広陵東組基推委寺族部(部長(当時)法山総貫)主催の寺族研修会(演題「一神教 vs 多神教」講師岸田秀先生)の案内状(文書名義部長法山総貫、執筆者武田勝道)が「差別」文書か否かの問題を、今回の研修会で一番身近な問題であるから議論するよう要望した。
 安芸教区広陵東組基推委相談員松尾淳成は、平成15年(2003年)3月12日(水)の広陵東組基推委寺族部主催の寺族研修会(演題「一神教 vs 多神教」講師岸田秀先生)の案内状(文書名義部長法山総貫、執筆者武田勝道)を差別文書ではないと発言した。
 安芸教区広陵東組基推委寺族部前部長法山総貫は、平成15年(2003年)3月12日(水)の寺族部主催の寺族研修会に広島別院の施設の貸与の拒否が検討されたこと、及び平成16年(2004年)3月8日(月)に行う岸田秀先生と小滝透先生によるタイトル「親鸞を精神分析─一神教の視点から」(仮称)の対談(寺族部主催の寺族研修会)に、広島別院が親鸞に「聖人」を付けていないことを理由にして、別院の施設の貸与を保留したことに対し、2年や3年で任を離れる他教区出身の別院輪番(教務所長)が、建設の寄付をしている地元教区の僧侶のまじめな研修会に、その別院の施設を貸与しないとすることが許されるかと僧侶研修会全体会で問題提起した。反対発言はなかった。
 安芸教区からの出向者篠原典祐は、武田勝道が「差別問題では、自由な議論よりは「さよう心得よ」という啓蒙主義が幅をきかせている」「(差別問題は自由に議論すべきであるが、)差別問題を自由に議論すれば、当然被差別者にとって不快であったり許し難い見解が出てくるのはいたしかたのない」という意見の是非を問うたのにたいし、差別問題は自由に議論すべきであり、差別問題を自由に議論すれば、当然被差別者にとって不快であったり許し難い見解が出てくるのはいたしかたないと篠原典祐も思うと答えた。
 安芸教区基推委相談員斉藤英明は、武田勝道の「私たちの宗門は、現在、部落解放同盟(解同)のみと対話し、全国部落解放運動連合会(全解連)・全国自由同和会(全自同)との対話チャンネルを拒否しているがなぜか」との質問にたいし、本山基幹運動本部の見解を繰り返した。武田が、「部落差別問題が、宗門内のみの問題であれば、宗門の見解(その時々の総局の見解にしかすぎない)と相違するとして対話を拒否するのもあるいは成り立つかもしれない。しかし、部落差別は、宗門内あるいは宗教の範疇のみの問題ではない、浄土真宗のご法義の及んでいない宗門の外でも部落差別はある。宗教対立(わが宗教のみが世界のすべてという考え方に起因する)を超えなければならない宗教の多元化の現代、現在の宗門の基幹運動の考え方が正しいか否かの問題は別にして、宗門の意見と違う意見と対話を拒むべきなのか。あなたの意見を聞きたい。」と重ねて質問した。斉藤英明は、部落解放同盟(解同)以外の団体とも対話すべきであると思うと答えた。

安芸教区広陵東組僧侶研修会(平成15年(2003年)12月3日(水))参加者
登世岡浩雄、長門義碩、上園恵水、尼子成爾、三光清子、大野和麿、岡部哲信、久保田孝誓、法山総貫、永光至邦、新田洸真、武田勝道、潤居秀顕、宗藤芳丸、原田真澄、松尾淳成、船橋周慈、中川英尚、諏訪了我、乗元善昭、日下正実、村田敬子、古川知行、井上正晃、武田秀道、武田達裕、永浦健児、高橋哲了、友国義信、田中晃敬、碓井真行(配布名簿による)




P.S.
 ご丁寧に、「かって(ママ)」と私の表記をご訂正頂いていますが、私は、別に誤りだと認識しておりません。新明解国語辞典(第五版)は、「口語では「かって」と言う向きが多くなった」としています。明治時代の表記法で文章を書いても始まりません。私は、現在の表記法は、話し言葉を文字化するものと認識しています。

P.S.
 大分量のしかも意見の異なる他人の文章を電子文字化するのは、大変な作業ですので、爾後、文書を頂くときは、紙の文書とともに、eメール(kyosaiji@ccv.ne.jp)の添付文書としても送信頂ければ有難いです。私の方は、資料を安芸ねっと(http://www.ccv.ne.jp/home/kyosaiji/)にアップしています。ホームページからダウンロードしてください。アドレスをお教え頂ければ、お手紙と同時に、同じ内容をeメールでお送りもいたします。




注:平成15年(2003年)12月3日の安芸教区指導による安芸教区広陵東組僧侶研修会については、「差別問題は、誰とでも自由に話し合えることが大切。」の(注1)を参照。



「差別事件寸感」をお読みください。

武田反論(沖和史部長へ(平成15年12月22日))用資料







【沖和史さんの文章に反論するために、武田勝道が必要箇所を赤字ゴシック体にし、番号を振りました。「回答書の(数字)」で私の反論対象箇所を示します。なお、その他の部分も私は承認するものではありません。】

武田勝道の反論

小目次へ

以下は、沖和史さんの文章です。


                                       2003年10月9目.
安芸教区広陵東組教西寺住職
武田勝道様

前略
 去る8月30日付書簡拝受致しまして後お電話致しまして、個人的事情により10月に入ってからお返事申し上げることをお約束致しました。10月第1週も多忙にてお返事が遅れましたことをお詫び申し上げます。
 以前に5月12目付書簡を頂いておりますが、この書簡は突然に5月20日までの回答を求めるものであり、しかも私は求められた二点について内容や背景を知る立場にない(1)ものですから、何らかの誤解に基づく不躾過ぎる要求と考え、お返事致しませんでした。それを「委員の自覚がない」「回答しない・回答できないということは、委員の資格がありません」と一方的に決めつけられても、お答えのしようがありません。応答を求められるのであれば、まず受信者の置かれた状況をお考えのうえ、書簡をお出し頂きたく存じます。
 中川英尚先生が現在広陵東組において組長のお立場でご尽力なさつていらつしやることは、とても有難く思っております。もちろんその具体的内容は存じておりませんが、あなたが提起なさった問題に関して組内で事実確認をして頂いているものと存じます。
 上園さん、日下さんは存じ上げておりませんし、お二人が組内でどのような行動をしていらっしゃるのか存じ上げる立場にありません。したがってお二人の行動は私のとる態度と今は関連するところがありませんし、日下さんが池谷所長の部下であったというお話が去年度に起きたこの件とどのようなかかわりがあるのか、残念ながら理解致しかねます(2)
 酒生さんの件につきましては、ここにお書きになる理由が判然と致しませんが、もしも広陵東組基推委寺族部長法山総貫名で出された「岸田秀 が 一神教を語る」というビラにおける「私たちの宗派の元総長や自民党の某氏が、かって(ママ)行い、現在も行っているように、これらを脅し、威嚇、抹殺の武器にすることを許しました」というほのめかしの内容を意味するのでしたら、その矛先は宗派全体にではなくて宗会に向けられるべきであると存じます。宗会において彼は議員全員の賛成により除名され、しかも宗会では除名を誤りと認めていないのですから。
 また、宗派と酒生さんとは和解していますので、彼が「元総長」によって社会的生命を断たれたという事実はありません(3)。むしろ「お互いに相手を誹謗しない」という意味の和解条項を遵守していないのは酒生さんの方であると聞いております(4)
 「備後教区の小滝事件」というのが何を指すのか不案内(5)ですから、内容抜きにそれをお書きになっても、相手(つまり私)の持つ情報の内容(の貧しさ)を無視した、一方的な主張にしかなりません。このような相手の持つ情報内容をまったく顧慮しない、一方的な主張は、5月12日付の書簡にも顕著に現れております。5月12日付書簡に回答しなかった理由はすでに述べました。一方的に「不誠実だ、とお考えにならない神経が理解できません」と仰る前に、私の持つ情報がどのようなものであるのか、あるいは5月中旬の時点でどのようなものであったのかを、冷静にお考え頂きたく存じます。

 以上を前提に、お約束どおり、以下私個人の見解を申し述べたいと存じます。

 約1ヶ月前にお電話致しましたとき、あなたがお書きになり、広陵東組基推委寺族部長法山総貫名で出された「岸田秀 が 一神教を語る」というビラに書かれた文章の問題箇所を二点指摘いたしました。

 (1) 一神教、セックス、部落差別について語ることは、社会的生命を断たれるリスクがあります」という文。
 (2) 「(このことが、)私たちの宗派の元総長や自民党の某氏が、かって(ママ)行い、現在も行っているように、これらを脅し、威嚇、抹殺の武器にする(ことを許しました)」という、ほのめかしによる誘導。

 この二点につきましては、最後に言及させて頂きます。
 あなたが5月12日付書簡でお尋ねの第1点は、

@ 武田勝道が作成した平成15年3月12目開催安芸教区広陵東組寺族研修会(講師岸田秀先生)の案内状は、差別文書か。

となっております。
 先ず第一の不可解な点を示します。
 当時私の手元には「案内状」がありませんでした(3月7日の三者懇部会議において見たのですが、詳しく覚えているはずもありません(6))。ですから、まずもってあなたのお名前で出された案内状があったのかなかったのかさえ、確かめようのない状態でした。その後の確認で、事実はあなたのお名前での「案内状」など存在しないことが明らかになっております。受信当時私には広陵東組基推委寺族部長法山総貫名で出された「案内状」があなたによって作成されたことを知る手段はありませんでした。3月12目の研修会の出来事も、あなたの書簡を頂いた後に教務所に行ったとき初めて聞き及びました。
 ですから、この書簡を頂いた当時、上記の「武田勝道が作成した平成15年3月12目開催安芸教区広陵東組寺族研修会(講師岸田秀先生)の案内状」という文言は、広陵東組の事情に疎い、私を含む第三者(7)(「案内状」の作成経過を知らない者)にはまったく意味の通らない文言となっていました。
 つぎの不可解な点を述べます。
 あなたは5月12日付書簡で、
     別院は、具体的には、3月7日の安芸教区基推委同朋部会三者懇部で告発があつたと説明しました。
と書いておられます。
 三者懇部では、当日の会議が終了した折、一委員から上記研修会のビラが提示され、問題があるとの見解が示されました。私自身も含めて、多くの委員が「変なアジビラが来た」という程度の認識で大して気にも留めていなかった(8)訳ですから、基推委の活動に対する私の認識の曖昧さを教えられました(9)。そのときに、このような文が浄土真宗の基推委名で出されることの問題点が指摘されたと思います。(もちろん、お電話で申し上げたように、ご本願に随順する生き方を求める僧侶個人の発言としても妥当性を欠くのは言うまでもありません。当日集まった私たち三者懇部委員のすべてがこの文を「変な文」であると認識し、ほとんどの人が捨ててしまった(10)ほどなのですから。)
 あなたが「告発」ということばで何を表現なさりたいのかよく分かりませんが、経緯は以上の通りであって、「告発」ということばで示される「犯罪事実を申告して犯人の訴追を求める」という要求は、三者懇部会議においては全くありませんでした。
 そのことは、教区基推委に対する三者懇部からの文書による申し入れでもなく、また、差別問題を解決するために基幹運動本部から出された『差別事件 糾明のための方途(改訂版)』にしたがって活動したのでもないことから、明白です。さらに、お電話では、斉藤相談員もそのようなことばを使っていないとあなたもお認めでした。ですから、「告発」ということばはあなたの側から出たものと推測いたします。
 第三の不可解な点は安芸教区基推委に所属する誰も「差別文書」と言っていないのに、「差別文書」という文言が一人歩きしている点です。上の会議には斉藤相談員も同席していらっしゃいましたので、放置しないよう、早速に教区基推委の立場から行動していただいたのだと存じます(11)。このような経過から勘案すると、教区基推委会長、相談員が組基推委会長、相談員に対して組基推委発行の「案内文」内にある文章の問題点を指摘したにとどまり、差別事件としての対応を求めなかったのは、適切な対応であったと考えられます。
 さらに、研修会の席上上園組基推委がこの文章の妥当性を欠いた点を謝られたのは、この文書の最終責任者である会長としての立場から当然であるように見えます。しかし組基推委会長が「差別文書であった」と仰ったのかどうか確認する術を私は持ちませんので、電話であなたに確認したところ、そうは仰らなかったとお返事頂いたと存じます(12)
 したがって、どなたが「差別文書」と言い出したのかは、広陵東組基推委の調査で明らかになることと期待しております。

 以上の不可解な点から考えると、上の質間@は、安芸教区基推委同朋部会三者懇部委員に対してのものとしては、何のための質問なのかよく分からないことになります。
 「差別文書」であると言った者が誰なのか知らない私ども三者懇部委員に対して、広陵東組基推委名の「案内文」が「差別文書」か否かと問いただし、期限付き回答を求める(13)ことが、常識に適った態度なのでしょうか?
 なぜあなたが特に三者懇部委員に、あなたがお書きになったという「案内文」が「差別文書」であるか否かを質問なさらなければならないのでしょうか?その理由が分かりません(14)。あなたの誤解(あるいは、誇張)がこの質問という行為を生んだとお考えになりませんか?(あなたは沼田組のどなたかが「告発」したと思い込んだ様子ですが、そのような思い込みで動いていらっしゃるのではありませんか?)
 三者懇部のだれがあなたの名誉を毀損したというのでしょうか?根拠もなくこのようなことばを使うべきではないと考えますが、いかがですか?
 もしあなたの仰るように「「誤解を与えかねない文書である」「不快文書である」など、どのように表現を変えても、差別文書である」に収斂する」のであると仮定するならば、あなたが基推委法山さん名で書いた文は「差別文書」になります(15)しかしこのような大雑把な規定の仕方は、基推委の活動においてはなされていません。このような定義を押し付けるのは、「不適切さを指摘するものが悪い」という言論封殺(16)の方向に向かうのではないかと危惧します。
 たとえば北海道教区で頻発する差別落書きや差別はがき事件は、被差別者を排除し、殺そうとする意図を示す、明らかな差別事件です。したがって北海道教区において対応委員会が設置されました。また、去年2月の本願寺新報の「ハンセン病元患者」の記事は、日本社会に存在し真宗教団に存在する差別感情、差別意識を利用したものであり、その後の経過から、差別記事であると考えます(総局が基幹運動推進本部を構成しながら、「元患者」の指摘を重視せず、その問題性を認識することができないのが今の問題です。一般化して言えば、差別されたマイノリティーの声を聞こうとしない差別者側の傲慢が、今の問題です)。この件では対応委員会は設置されていませんが、きちんとした対応が必要なことは言うまでもありません。
 第3回世界宗教者会議におけるMさんの差別発言問題は部落解放同盟との率直な話し合い(解放同盟側から言えぱ糾弾活動)の末、問題点が共有され、解決しました(17)。このように、多くの場合、当事者が誰であるか分かれば本人に自覚を促し、問題点(何が問題なのか、なぜ問題とされたのか、何が誤解されたのか、なぜ誤解されたのか、など)が共有されればそれで問題はほとんど解決するのです。けれども頑なに「不適切だと指摘するものが悪い、私は差別していないし、悪くない」という立場を取り続けて問題点を共有する意思を持たないとき、その人の差別性がよりあらわになります(18)。酒生さんの件、本願寺新報事件はその例だと思います。
 以上が@についての私個人の見解です。あなたの「このような暖昧な言辞を弄することは」以下、「差別問題を利用したことを意味します」という見解は妥当性を持たないことをご理解いただきたいと存じます。「黙秘」という言葉遣いも穏当ではありません。
 私にはあなたがわざわざ大げさな言葉遣いを選び、問題を複雑にしようとしているように見えます。

 次に

A 文書作成者に接触することなく差別文書の認定をし、「お詫び」をすることが許されるのか。

について私の見解をお示しいたします。まず、一般的に言えば、基推委の活動においては、このような経過をたどることはありません(19)
 今回の件で申しますと、上に述べたとおり、安芸教区基推委のどの機関も「差別文書」であると認定しておりませんし、また「お詫び」もしていないと存じます。
 今問題の文が「広陵東組基推委」名で出されている以上、教区基推委会長も相談員も、広陵東組基推委に責任の所在があると考えるのは当然ですし、また実際に対外的責任は、陰の執筆者ではなくて、表に名が挙がっている広陵東組基推委にあります(組織的決定による文書であるはずですから)。ですから、責任者である組基推会長に話をするのが当然です。もしもこの点を捉えて「文書作成者に接触することなく」と仰るのでしたら、それはないものねだりというものです。ましてやこのやり取りの当事者ではなく、「お詫び」もしていない教区基推委一委員にこれに答えよと言うのがいかに的外れであるかお分かり頂きたく存じます。あなたがお尋ねになるべきお相手は、「文書作成者に接触することなく差別文書の認定をし」た方、「文書作成者に接触することなくお詫び」なさったお方なのではありませんか?
 もしも三者懇部委員がそのような行動をとったとあなたが思い込まれているのであれば、大いなる誤解です。誤解の上になされた質問にお答えすることはできません。
 さらに、この件について「「お詫び」をすることが許されるのか」という質問が出されたとき、いったい誰が「認定」し、誰が「お詫び」し、誰が「許す」のか、ということを明確にしないとお答えのしようがありません。しかし、あなたの文章では主語が指定されていませんので、お答えすることが不可能です(20)
 あなたの書面を読むと「お詫び」なさったのは広陵東組基推委会長上園さんのようですから、この文の主語を広陵東組基推委会長ととることができると存じます。したがって、広陵東組基推委における調査が、事実関係を明らかにしてくれるものと期待しております。
 以上の通り、この質問も三者懇部になさるべき牲格のものではないと存じます。よくよく冷静にお考えの上、お取り下げくださいますよう、期待しております。

 最後に、広陵東組基推委寺族部長法山さんの名で書かれた文の問題点を指摘いたします。

(1)「一神教、セックス、部落差別について語ることは、社会的生命を断たれるリスクがあります」

 まず、この文を私はうまく理解することができません。「社会的生命を断たれる」のは普通人間であると思いますが、その人間がどのような人なのかよく分かりません(21)。したがって、まずここで、広陵東組基推委は何を言いたいのか、と、多くの人は当惑すると思います。「変な文」だと受取るのは、このような文章の晦渋さ(22)にもよります。
 一応「ある人が一神教、セックス、部落差別について何かを語るならば、これらを語ることによって、その人は社会的生命を誰かに断たれるリスクを負います」と読むことにしますと、今度は「一神教について何事かを語るならば誰かに社会的生命を断たれるリスクを負う」という因果関係が証明されるのかという疑問がわきます。
 私は宗教学の講義においても飲み屋においてもキリスト教・イスラム教・ユダヤ教について語っていましたが、誰かに社会的生命を断たれるリスクがあるとは全く考えたことがありません(23)。ほとんどの方が私と同じであろうと思います。キリスト教・イスラム教・ユダヤ教について何かを語るとき、社会的生命を断たれるのではないかと緊張して語った人に私は会ったことがありません。また、一神教について何かを語る人の社会的生命を断つことのできる個人も団体もあろうとも思えません。ですから、「一神教について語ることは、社会的を断たれるリスクがあります」=「ある人が一神教について何かを語るならば、その人は社会的生命を誰かに断たれるリスクを負います」という事実は存在しないと存じます。このような事実に基づかない文を基推委が書くこと大いに問題ですし、妥当性があるとも思えません。
 セックスについては、日本は全く寛容な(おかしな)国で、語るどころか買春などの罪を犯しても、社会的生命を失うことはありません(24)(現今ニュースになっている中国での売買春犯罪容疑が象徴的です)。したがって、上の主張は実体がないと思います。
 それでは、部落差別をはじめとする差別について語れば、社会的生命を断たれることがあるのでしょうか?
 私は同朋研修や県市町村の研修会で幾度となく部落差別について語っていますが、社会的生命を断たれるリスクがあると考えたことはありません。プライヴェートな場で(25)被差別部落や民族や女性にたいする自らの差別感情を声高に語る人は多いのですが、彼らが社会的生命を断たれたという話は聞きません。
 たとえ誰かが差別行為を行ったとしても、それをもとにその人の社会的生命を断つことができる人はいませんし、組織も存在しません(26)
 たとえば、石原東京都知事は「第三国人が騒擾事件を起こす」という民族・人種差別発言を行い、国が国連人権委員会から勧告を受けることになっても、次には「ババア」発言で女性差別を行い(生殖可能年齢を過ぎたであろう自分の妻を貶める発言をする都知事も貶められた妻も、またその息子たちも、なぜ平気なのだろうかと、私は彼らの人格を疑っていますが…)、さらには最近「あったり前だ」「だけど、彼(田中審議官)がそういう目にあう当然のいきさつがあるんじゃないですか」などと、個人を狙うテロ(殺人)を推奨している人物ですが、これほどの基本的人権無視発言を続ける彼の社会的生命が断たれていないことをどう思われるのでしょうか(27)
 もちろん、差別行為者は批判を受けますし、国際法では行為に応じた罰を受けるべきだと考えられています。わが教団では「(差別)行為者が差別から解放され、差別撤廃に向けて取り組む推進者となることを目的として」学習を行うよう方針が定められています。
 以上の通り、上の文は、全く事実を反映していない、大いに問題のある文です(28)。私には何のために書かれたのか全く理解することができません。何のためのプロパガンダなのでしょうか?
 ですから、もしもこの文が事実に基づくとあなたが仰るのでしたら、具体的事例をもとに真宗信者としてよくよく語しあう必要があると私は考えています。

(2)「これらについて、「よい僧侶」は建前ばかりしか語りません。そのことが、私たちの宗派の元総長や自民党の某氏が、かって行い、現在も行っているように、これらを脅し、威嚇、抹殺の武器にすることを許しました」

 一神教について、また、セックスについて「建前ばかりしか語」らない僧侶を私は想像できませんが、あなたの周りにはいらっしゃるのでしょうか。
 したがって、私の経験の範囲から、上の文を書く上で、あなたは、おそらく「差別は許されない」「差別してはならない」などの発言を「建前」と受け取られているのだと推測します(29)
 もちろん、私たちは差別したくないと考えていても、差別してしまう存在です。(このことをもって、差別心は凡夫の自性だ」と断定するのは間違いです。念のため。)
 しかし、もしも本音では「差別は許される」「差別してもよい」とあなたがお考えであるとすれば、あなたは差別主義者です(そうお考えでないことを明言されるようお願いいたします)。また、「十方衆生」という誓願の前で、建前でなく本音で生きよう、本音にしたがって大いに差別しよう、あるいは差別するのは仕方ない、と言うのであれば、それは宗祖のご消息(くすりあればとて毒をこのむべからず)を身に受けない、似非真宗信者ということになりましょう(そうお考えでないことを明言されるよう期待いたします)。
 私はそのような意見に帰着するいかなる本音論も信じません。岸田さんがどのように「果敢に」発言されているのか知りませんが、彼が社会的生命を失っていないことをどう考えればよいのかという点もあわせ、私はあなたの文章がひどく危ういと思います。
 あなたは酒生さんが「元総長」によって社会的生命を断たれたと思い込んでいらっしゃるようですが、彼は一神教、セックス、部落差別についてどのようなことを語ったのでしょうか?そして彼が語ったことを、脅し、威嚇、抹殺の武器にした「元総長」とはどなたなのでしょうか?「案内文」においてこのように曖昧に書くのではなく、はっきりと事例を示されたらいかがでしょうか?あなたは賢明にも「曖昧な言辞を弄することは、自己を安全地帯におきながら、他をおとしいれその名誉を毀損し社会的生命を絶たんとする行為であり、差別問題でしてはなりません」と5月12日付書簡で記していらっしゃいます。どうやら.すべての現存の「元総長」は名誉毀損であなたを訴える権利を持つことになったようですね。
 問題はこのほのめかしが、一神教やセックスではなくて部落差別にのみ関心が向くよう仕向けられ、読む人の「同和はこわい」という間違った意識に訴えて、「部落解放運動の暴力性とそれを利用する者」という方向に誘導していることです。これは、「一神教」をテーマとする広陵東組研修会への参加を勧誘するのに教団内にある部落差別意識を利用する、不適切な態度であると考えます。もしもそうではないとお考えでしたら、その証拠をこの「案内文」に即してお示しください。すなわち、「元総長」と自民党の某氏が過去・現在にわたり、一神教・セックスについて誰かある人が語ったことを武器に使い、その人を脅した証拠、威嚇した証拠、抹殺した証拠です。

 以上述べました諸点をよくお考え頂きますようお願い申し上げます。強調したいのは、誰でも学ぶことによって、差別を「克服すべき自分の課題」とする可能性を持つということです。その意味では、この「案内文」は、反省し学ぶ上での良い教材となることでしょう。
 最後にもう一言。基推委の活動の一環として行われた広陵東組基推委名での「案内状」の問題は、広陵東組基推委の責任において取り組むべきであるという当然のことをご理解くださいますよう、お願い申し上げます。この「案内状」に関する上の私の指摘も、この「案内状」が基推委名で出されている以上、あなたばかりでなく、広陵東組基推委も同じように具体的にお考え頂く必要があると存じます。
 以上、一委員の問題提起に触発された私の見解を申し述べました。まだ言い尽くせていない点もあるかと思いますが、十分に長いお返事になりましたので、ここらで失礼します。
                                            合掌
                             (  郵便番号     住所  )
                                    大通寺小住
                                      沖 和史 拝



トップへ
戻る