岸田秀・小滝透対談「精神分析の立場から親鸞を語る」

案内状
対談テーマにそってお聞きしたいことがおありでしたら、参加されない場合でも、質問をお送りください。できればeメールでお願いします。

この案内状は、平成16年(2004年)2月20日安芸教区全寺院に郵送いたしました。
安芸教区以外の僧侶も、希望者はどうぞご参加ください。
申込書は本書をダウンロードしてご使用ください。








各 位
                                       広陵東組 基推委 寺族部長 碓井真行


  精神分析の立場から親鸞を語る
                                 岸田秀と小滝透の対談

 親鸞聖人の真実は、仏教の精髄です。聖人のご一生は、私たち真宗僧侶に、真実をお示しくださいました。
 浄土真宗の弥陀一仏の教えを一神教的とする考えがあります(金子大栄)。宗門の外から、一神教に造詣がお深く、かつキリスト教の立場にとらわれないお二人に、一神教の視点を手掛かりに、親鸞聖人を遠慮なく語っていただきます。
 宗門僧侶寺族の多数のご参加をお待ち申し上げます。
 なお、前回寺族研修会の案内状「差別」事件については、ホームページ「安芸ねっと」(http://www.ccv.ne.jp/home/kyosaiji/)をご覧ください。
(文責 武田勝道)

講師     岸田秀先生、小滝透先生  (対談司会 武田勝道)
日時     平成16年3月8日(月)
                  午後2時〜午後5時20分
場所     広島市まちづくり市民交流プラザ6F
                 広島市中区袋町6番36号(袋町小学校隣)Tel 082-545-3911
対象     僧侶および寺族    参加費無料
懇親会    ワシントンホテル22F 銀ざ   会費  8,000円
                                     午後6時〜

講師の紹介
岸田秀(きしだ しゅう)
1933年(昭和8年)生。早稲田大学卒。精神分析学者。和光大学教授。
著書「ものぐさ精神分析」、「性的唯幻論序説」、「一神教vs多神教」その他多数。
小滝透(こたき とおる)
1948年(昭和23年)生。金沢大学中退。サウジアラビア王立アラビック・インスティチュート卒。
著書「神の世界史三部作−ユダヤ教、キリスト教、イスラム教」、「イスラームの流れと今」
その他多数。

………… キ ………… リ ………… ト ………… リ …………

申込期限 平成16年3月1日(月)
参加申込書  ( 広陵東組 寺族研修会 平成16年(2004年)3月8日(月) )

  寺院名
      組       寺   研 修 会  
  懇 親 会  

  ご 芳 名 
 参加 不参加  参加 不参加

  ご 芳 名
 参加 不参加  参加 不参加
    楷書でご記入下さい。               ○でお囲み下さい。

  申込先 FAX 082−221−1523(光明寺(碓井))





                                     平成16年2月
各位
                                    広陵東組 基推委 寺族部
                                    部長 碓井真行(光明寺)

アンケートのご依頼

 別紙案内状のとおり、対談を企画いたしました。皆様のご参加が何よりのご支援と存じます。よろしくお願いいたします。
さて、皆様に、予め対談の核になる課題をご提示いただければ、司会が、対談をスムーズに進行でき、参加者とシンクロナイズした、より有意義な対談になるのではないかと存じます。
 前回は、参加者のみにアンケートをお願いいたしました。しかし、不参加の場合も、問題提起の意味で質問希望もあるかと思い、対談のご案内と同時にアンケート用紙をお送りすることにしました。
 つきましては、下記アンケートにご記入のうえ、FAXにてご返信くだされば有難く存じます。対談をみのりあるものにするため、是非ご協力ください。

返信先    Fax専用(082)234−1212(教西寺 武田勝道宛)
期 限     2月29日(日)までにご返信ください。

             岸田・小滝対談(平成16.3.8)でお聞きしたいこと          
組名
寺院名
お名前

















パソコンを使える方は、電子文字化のための労力を省きたいので、eメールもしくはeメール添付ファイルとして、ご提出ください。
メールアドレス  kyosaiji@ccv.ne.jp

お聞きしたいこと(事前質問)   岸田秀先生の回答(H16(2004).06.23)小滝透先生の回答(H16(2004).05.26)
岸田秀・小滝透対談(平成16(2004).3.8)でお聞きしたいこと

岸田秀先生の回答(H16(2004).06.23)

小滝透先生の回答(H16(2004).05.26)





以下は、対談に先立って2人の講師にお渡しした。

Webページには、質問者の氏名を削除してアップしていましたが、小滝透先生の回答に質問者の氏名が記載してありますので、本ページにも氏名を記載します。なお、質問はいったん提出後変更されたり、また対談当日提出されたものもあり、先生方にお渡しした質問リストにはいくつかのバージョンがありました。(平成16年(2004年)6月20日)











事前質問

教西寺(武田勝道
 ●性
 島田裕巳氏は、キリスト教の本質は、「性の宗教」としています。また、原罪は性に結びつけられ、告解は主に性にまつわる事柄としています(島田裕巳「ミッション・スクールの功罪」54〜55ページ、『神と空』平成9(1997).2.25所収)。アルジェリアの革命家フェラウーンは、「アラブは女性の膣にその名誉を埋め込んでいる」といっているそうですが(岸田秀・小滝透「アメリカの正義病・イスラムの原理病」156ページ、平成14(2002).3.30)、一神教の本質は、「性の宗教」なのでしょうか。
 部落差別問題と性の問題は、関連しますか。
 上記は、昨年の研修会当日岸田先生にお渡しした質問事項の一つです。鯖田豊之(元京都府立医科大学教授)「肉食の思想」(昭和41(1966).1)は、ヨーロッパ文明の性格に肉食を重視しています。一神教やセックス観に肉食の影響を考えることができますか。一神教に特徴的なセックス観がありますか。部落差別(あるいは一般に差別)と性の問題は関連があるでしょうか。

●都市
 先日お亡くなりになった網野善彦氏(中世日本史家)は、真宗は都市の宗教であると強調されています。都市の宗教は、一神教(あるいは一神教的)になるのでしょうか。

●差別
 岸田先生は、一神教は被差別グループが生んだ宗教とされますが、親鸞に被差別グループの特徴が見られますか。真宗教団に、被差別の特徴がありますか。

●王、国家は、差別装置でしょうか。現在の国家も、出入国を厳しく監視して、富の偏在を維持しようとしています。

●私は、キリスト教の予定説は、他力思想と同じと思います。他力思想と一神教についてお考えを拝聴したい。

 
教伝寺(尼子成爾
Q1  岸田先生は「母性的宗教は世界宗教にはなれない」として、危機的状況になると仏教原理主義じゃないけれど、結局一神教的な仏教が登場してきてしまう。という意見を容認されていますが、鎌倉期の大乗仏教(浄土宗・浄土真宗・曹洞宗・日蓮宗)の登場をすべて一神教的として受けとめるのか、それとも多神教ないし無神教として受けとめるのか、ご教示下さい。すくなくとも阿弥陀仏は現世を規定し契約をする絶対神ではないし、親鸞聖人も無量の諸仏の中から選択したわけで絶対神として味わってはおられなかったと頂いております。
 なお、なぜ母性的な宗教は世界宗教になれないのか、多神教的、血縁的と言うことと、父性・母性ということは連動しているのですか。

Q2  中沢新一氏が〈仏教が好き〉の中で「最近ではお坊さんも平気で『幸福』という言葉を使っています。よくお坊さんが『人間はどうしたら幸福になれるでしょう』と言う質問をされているのを見かけます。そこでお坊さんが少し当惑してくれればいいんだけど、しないんですね。さも当然のごとく『我執を捨てれば、あなたは幸福になれる』と答えるのですが、我執を捨てれば安心は得られるかもしれないけれど、ハッピーなったりはしないだろうに、ボヌールが訪れたりはしないだろうに、と思えたりするのです。」(P178)と言っています。確かに宗門の中でも現世幸福追求型の説教をする坊さんもいます。(この世は苦の世界、あなたは苦悩の真っ只中にあるが、信心を得たら幸せな感謝の日暮らしができるなど)
 キリスト教、イスラム教では幸福という言葉をどのように捉えているのですか。

Q3  先生は、ユダヤ教・キリスト教を差別された民の宗教と捉えておられます。したがって復讐神としての一神教の性格を差別のルサンチマンと言われますが、親鸞聖人の教義を差別された民のための教えと思われますか。確かに東国の狩猟民や武士など、殺生を生業とする人々に受け入れられていますが、親鸞聖人自身には自分たちを差別された民と思う意識はなかったし、(石、礫のようなる我ら)という言葉も仏法の中での(非行非善の我ら)という受けとめであり、現世での(我ら)ではなかったと思います。 ユダヤ教・キリスト教の差別された民の宗教と親鸞聖人の教義の立場の違いと、もしあれば共通点を教えてください。

 
海宝寺(長門義碩
 本来の仏教は、仏になる為の教えという性格を持っています。しかし、百済より日本にもたらされた仏教は現世利益の霊験あらたかな仏像、教えとして伝来したようです。仏になるとは、悟りを得ることであり、悟りを除いて仏教は成立しないはずです。ただし、中国、韓国、タイ、ビルマ等、また日本仏教にしても、現世利益が花盛りです。

 浄土真宗の開祖親鸞聖人は、流罪の後、非僧非俗の立場で求道し布教されました。墨衣は着けていても、肉食妻帯をして一生を終わられました。阿弥陀仏の信奉者である聖人は、悪人成仏を信寺浄土を願って90歳の生涯を終えられ、私どもは、この宗祖の生き方を引き継いで現在まで来ました。若し正式な僧であれば、百五十余の戒律を守り天台の修行をしなければなりません。明治政府は、政策として妻帯を許すという方法を取りました。これによって従来の出家仏教は骨抜きになりました。修行の入口が先ず崩されたのです。しかし、その修行が真似事となり、観光寺院や法外の院号・院殿号、祈祷などで現在に至っています。先生方の目にはどの様に見えるでしょうか。

 
安芸南組誓光寺(福田朋範
 京都大学大学院人間環境学研究科の舟木徹男さんが、「「もったいない」という宗教心理についての考察」で、「精神分析は西欧近代に出現した「魂の治療」の技術であったが、それ以前にも人間精神の病を治癒へ導く技術が存在していたことは疑いようのない事実であるし、またそれが主として宗教の領域に委ねられていたことも否定する者はいないだろう。」と述べられておりますが、科学としての精神分析と宗教としての浄土真宗の類似点、相違点をご教示願えればありがたいと思います。合掌

 
熊本教区山鹿組光顕寺(田中唯信
○浄土真宗の弥陀一仏の教えと、他のキリスト教・イスラム教等の一神教とは違うように思うのですが(例えば「廻向」の方向等)、同じ点・違う点をお教えください。

○一神教が排他的なのは、どこにその要素が生じる原因また背景があったのでしょうか。お教えください。

 
光明寺(碓井真行
どんな人間の心の中にも、ヒトラー的なものとマザーテレサ的なものが同居している───ということですが、ヒトラー的なもの(破壊・暴力・残虐etc)は、人間という存在の本質的なもの、決して取り去ることが出来ないものなのでしょうか。
 ヒロシマの原爆体験後、私はもう二度と戦争には参加はできないはずだと思っておりましたが、やはりくり返すのでしょうか。
 アメリカは、アフガニスタンを壊しイラクを潰し、"テロ"はいけない!と大合唱していますが、それに日本の年よりまでが、同調しているのを見聞して驚くばかりですが、どうして大衆はいつの時代も愚かで無力なのでしょう。しっかり目を見開いて"現実"を見てほしいです。現実と真実との違いを教えて下さい。

 
善コ寺(友国義信
1.なぜ日本にイスラム教やキリスト教が浸透しないのか?

2.浄土真宗の教えは祈祷や迷信に頼らない理性的な生き方を示しているのに、なぜ、庶民の生活の中にまで浸透してゆかないのだろうか?

3.親鸞の悪人正機説を自身は罪悪深重の凡夫であると自覚することによって救われる人と、ニヒリズムに陥った人との違いはどこにあるのか?

 
専光寺(季平弘順
1.「エディプス・コンプレックス」に対応される言葉として「アジャセ・コンプレックス」が心理学の面でよく用いられます。ギリシャ悲劇の中に出てくるエディプス・コンプレックス」が男の子が母親に愛着を持ち、同姓の父に対して反発的な感情を持つことであるのに対して、「アジャセ・コンプレックス」 の場合は、母を愛するがゆえに母に反抗しようとする感情だと理解しています。この点について精神分析の立場から解説していただきたくおもいます。

2.世界の宗教を大きく分けると母性的宗教と父性的宗教に大別することが出来ると思います。神学的宗教的レベルで考えますと、ポール・ティリヒの言う「存在論的なタイプ」の信仰と「道徳的なタイプ」の信仰との区別に対応するものだと思います。浄土真宗はどちらのタイプに属するとお考えでしょうか。

 
善通寺(古川知行
他力本願の教えの広さに民衆は充分に教えが理解できるか。


海宝寺(長門義城
岸田先生の「人間は本能の壊れた動物」という観点、キリスト教の原罪(アダムとイブが禁断の実を食べたことによって起こったという)、そして親鸞の「一切の群生海(ぐんじょうかい)、無始(むし)よりこのかた乃至今日今時に至るまで、穢悪汚染(えあくわぜん)にして清浄の心なし、虚仮諂偽(こけてんぎ)にして真実の心なし」(『教行信証』信文類三(本) 三一問答 法義釈 至心釈・聖典225頁)、という人間観、以上3点の相違点について両先生のご意見をお聞かせください。

cf 蓮如「無始已来つくりとつくる悪業煩悩(あくごうぼんのう)」御文章第五帖第五通(信心獲得章)





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