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西安遊学日記
 (三)  西安交通大学(2002/11/1〜27) 
                   無断転載を禁止します
 2002年11月

(1)  「来週から「閲読」の講義に行きます。少しコワイい」
(2)  宿舎に着き先ず洗濯物を済ませる。
(3)  風邪クスリと咳止め、のクスリを買うために、南門から出かける。
(4)  知人から「あす西安に遊びに行く、到着したら電話する
(5)  「宿舎を見学したい、連絡する」と言うので待つ
(6)  信じられない箇所のページが文字化けで現われる。
(7)  極力テレビの無い生活をしてみ たかった。
(8)  「今日、優勝を狙っている」と言う
(9)  日本では想像出来ないくらい中国の汚染は酷い
(10) 『碑林』に出かけた。両サイトの露店が面白い 
(11) 先生から『五台山紀行』のレポートを返却された 
(12  50%」「80%」染めますか?の意味だった。お粗末、失敗のお話し。
(13) 
事問題は新しいニュースが必要である。と嬉しいことを言う
(14) 包裹很重(多)、請到我的留学生楼(××号)到來取一下
(15) 小李が来た。エレビ主持は彼女だった。「言わなかった?」と恍ける

(16) 今回は○開封。○少林寺。小劉に初参加の礼奈を紹介した
(17) 岳飛廟は雑踏の中、しかも今日は縁日、廟内は閑静だ。
(18) 食事が余り進まない、胃腸が油製を拒否している。
(19) 鼓楼から東大街まで徒歩”外文書店”で書籍2冊購入。
(20) 人を噛み殺した虎には何の罰も受けさせることは出来ない
(21) 「王維の樹木を折って持ち帰る日本人に困る」私の目は輝いた。 
(22) 重慶の小穎か「今から手紙を出したい、間に合うか、どうかの電話
(23) 長安城堡大酒店全日空ホテルでコーヒータイム
(24)  素晴らしい天気だ。昨日までの天気が信じられない。
(25)  自転車を買って交通大学まで昼食を食べに来ようかしラ

(26) Yao老師は手を伸ばし握手。その手の暖かさが彼女の人柄を表していた
(27) 再見!シイーアン!




2002年11月
◆(11・01)
晉祠を参觀、いずこも同じ形式で新鮮味が欠ける。
中餐后、早めに太原火車站に到着。列車に乗り込む。老師達の隣の座席。17・15 発  2537次返西安。
座席を通してYang先生が「来週から「閲読」の講義に行きます。少しコワイい」と言う。

「歓迎します、実は私は今、出席していません。講義のプリント古過ぎます」

許老師・Yang老師・Ou老師・Lu老師・Yao老師・他の先生の道中の好意に謝謝!






◆(11・02)
早朝、西安駅に到着。マイクロバスは我々を乗せ交大に向かう、平安無事に到着。宿舎に着き先ず洗濯物を済ませる。熟睡。旅行記の筆を進める。





◆(11・03)
早朝。自宅から国際電話。MKの母親が危篤状態になった。東京行きも微妙になった。と伝達が入る国外に居ると何が起きても冷静になれるものだ、と自分自身で納得する。
 
風邪クスリと咳止め、のクスリを買うために、南門から出かける。

 




◆(11・04)
昨夜遅く、中国語学習指導の知人から「あす西安に遊びに行く、到着したら電話する」旨の連絡が入る。航空機の遅れで半日間のロス。麗奈が同行する。

19・00〜19・30。宿泊の皇城ホテルロビーで会う。鐘楼〜鼓楼まで歩きながら、最近の話 題を聞く。回民族の夜店を案内し四人で「水盆羊肉」を食す。麗奈が「お土産です」と回民族特有の模様の小品を手渡す。ホテルに帰りみんなでコーヒーを飲み別れる。





◆(11・05) 
夕べ「宿舎を見学したい、連絡する」と言うので待つが昼食時になっても電話がない。

20・30ごろ電話、「連絡したが駄目でした、ガイドに交大の見学を頼んだが場所が遠いと断られた」と言う。


4・30ごろ小雁が来る。上達が早い。
夕食時、四国三郎が「16名全員の採用は決まっているらしい。只、配置先はまだ未定」と言う。9日が面接日、事実なら早く小雁に知らせたやりたい。





◆(11・06)
今日から「閲読」の講師が代わる、とニュースが入った。早速期待して教室にはる・・・例の先生だった。失礼して室外へ、PC教室に誰も居ない、早速ON、インタネットで今を知る。

「五台山記」作文作成中なので資料が欲しい、そこで自分のHPを開いた。

海外で見るのと訳が大分違う。信じられない箇所のページが文字化けで現われる。「五台山記」を入念に読む。調べたい箇所をノートに筆記。問題は表示される時間が遅いこと。止むを得ぬ。

午睡仮眠中ドアをノックする音で目が醒めた。英語系最初の生徒が来た。日本語は全く ダメ!目元のきりっとした聡明さが窺がえる、博学でもある。
2時間の中国語は疲れる。





◆(11・07)
「熱門問題」に出てみた、Yang先生ではい。1時限で早退した。「聴力」のYang先生が日本教科書を持って質問に来た、文法が入り組んだかなり難しい 問題だった。彼女は7年間ご主人と日本に留学されていた。ご主人は交通大学建築系の教授らしい。

明日、西安外国語学院で「日本語スピーチコンテスト」が開催される。我がクラスから同郷のF恵美子が出場する。小韓に電話するが通じない。

個人部屋に設置されているテレビを元の位置に替えた。極力テレビの無い生活をしてみたかった。テレビスイッチON、暫らく看たが新鮮さは無い。

◆(11・08)
朝、小韓と連絡。12・00に漢学院前で逢う約束した。7・30マイクロバスで出発。K君が居  た。「今日、優勝を狙っている」と言う。彼は2・3年まえから交通大学にいる。hsk中国語 を受験する為にいる猛者。昨年OMさんの傍に何時も彼とN女史がいた三羽カラス。OMさ んに忠義を尽くしていた。

8・00開始。参加大学は約10校。韓国留学生が各校ともに圧倒的に多い。12・00になって も終わらない。約束の時間になった。外では小韓が待っていた。私達は外大の食堂で昼 食を摂りながら雑談をした。米飯は交大に軍牌があがる。おかず類は外大と見た。

寮に帰り書籍類を南門近くの郵便局に持って行く。日本までの輸送代 156元。16s。シャワーを浴びて、仮眠する。ドアをノックする音で目が醒めた。迂闊だった(2時30分)今日は小李が互相学習する曜日だった。

夜テレビスイッチON 暫らくしてテレビから小李らしい声が聞こえる。看た!小李だ。キャスター兼アシスタント眼鏡を架けない薄化粧の小李は、はっきりした表情で中国語を語る。





◆(11・09)
遅い朝食を摂り部屋に戻る、あと2週間の滞在。最後の仕上げの教本点検。特に「生詞」 の検査に時間をかける、『汚染の中での生活』⇒教本から。汚水、”天気汚染予報”まで 中国にはある。各地の毎日の汚染をテレビで汚染予報で知ることが出来る。

今、中国は 年年汚染状態が進み深刻のようだ。
日本では想像出来ないくらい中国の汚染は酷い。教本に重要項目を書付る。

昼食に食堂に行く、意外や意外。1ヶ月前2人連れで相互学習の依頼人の片割れだ。これが原因で搬家(引越し)だった。





◆(11・10)
10・00まで予習。10・00過ぎ『碑林』に出かけた。バスで1元。日曜日は参觀人が多い。中の参觀は次ぎにして、両サイド露店が面白い。掘り出し物も結構ある。栞を12枚、220元と半値以下にした。

ビール党の友人に「碑林」模様の栓抜き5個、15元。これも3分の2以下。少少腹が減った焼き芋、1元。

寮に帰り、明日からの食物に南門に果物を買いに行く。小金(100元)を崩すのも目的。りんご、ネーブル、梨、23元。






◆(11・11)
「読書」のZhang先生から『五台山紀行』のレポートを返却された。同時に『中文新聞の海外版』に投稿してみたら、と朱書き。暫時、熟考、人民日報に投稿することに決めた。

早速、裏の学生スーパーに原稿用紙とペンを買いに出かけた。書き損じが多い、文中の氏名が不詳な箇所を調べる時間に追われる。自分のHPを開き確認。

6時過ぎやっと清書が完成した。肩が凝る。学生楼に行き新聞社の住所の確認に行くが 今日は解からんと言う。

 3・30麗奈が学習に来る。帰国前に電気スタンドと電気毛布を取りに25日には必ず来なさいと告げる。






◆(11・12)
1時限目、許教授が教室でYang先生の講義を視察。実は北京の新聞社の住所を私に教えに来ていたのだ。1時限が終わると、私に住所メモを渡して教室を出て行った。直ぐ部屋に帰り封筒に宛先 を書き南門近くの郵便局で出す。
 
その足で「九龍」散髪店に向う。先般の行った技術はグー。美人服務員が西安訛りで話 かけてくる、意味が通じない、終わったと思い席を立つた。染め用具を持って来る「不、不是」と答える。5元の料金を支払い店を出た。店を出て考えた、「50」「80」の言葉は「50%」「80%」染めますか?の意味だった。お粗末、失敗のお話し。

東南門の陸橋の上で、Yao先生と出会う。「どこえ行きましたか」「理髪店です」「私の家はそこのビル、機会があれば遊びに来なさい」「あうがとうございます」

寮に帰る、50分の徒歩、クタビレタァー。12・30食堂に行くビールとメシを貰い部屋で一服。さすがに酔いが早い。ベットにドタッー。目が醒めた2・30朝と夜と勘違いするほど熟睡。






◆(11・13)
 2・3時限YangYng先生が溌剌と入って来た。開口一番「老朋友ばかりですね」続けて、時 事問題は新しいニュースが必要である。と嬉しいことを言う。輪番に時事問題で何を望むかを問う、それぞれ意見を言う。

02/11/1    鄭州晩報。
02/10/29   北京娯楽新報
02/10/29   華商報     などのプリントが各自目読 5分置きに配られた。Yang先生の中国語で説明一切無し、聞き漏らすまいと精神を集中力した。必死で聴力に傾けた。来週から輪番で各自で発表するよう提案された。

2.・00英語系の小張がドアをノック入って来る。鄭州晩報のプリントを例に取りながら中国語で会話する。中国人の海外留学の際、条件としてどのくらいの費用が必要なのか(出国条件を含め)

英国66万人民元。米国50〜100万人民元。日本200万人民元。法国は学費免除で一番人気がある、と言う。各大学の工学系教授の子弟が法、英国に留学後現地人と結婚し永住する理由が此処にあった。

書籍類が多くなって来た。明日パッケージに入れる計画。






◆(11・14)
6・30起床、何時もと同じ散歩、ジョギング。学生達は早い、集団となって北門の集まる。全速力で走る、最初は痛々しく思えたが今は微笑みを以って送り出される。軍医の医科生は服装も凛々しく列を崩さず、直角を曲がる時の行進は思わず笑みが出る。日本ではめったに看るチャンスがない。行進方法だ。

第7食堂に7・00頃、入り温かい牛乳飲み、ゆで卵2個を寮に持参する。徐に学食で「お粥」の朝食。簡単な四種類のおかず、計2元也。8時から授業が12時まで、午后から自由時間。これが一般留学生のパターン。
 
郵便局に小包用の箱を買う、持ち帰り品物を入れて電話をする。包裹很重(多)、請到我的留学生楼(××号)到來取一下。これでOK直ぐに取りに来てくれる。

辞書調べで肩も凝る、疲れがピークに達している。仮眠30分後、散策に出る。1Fロビーで自分宛ての手紙を見つけポケットに入れ、外の空気を胸一杯吸う。初冬の風が肌を冷やす、梧桐の落葉が一日一日と多くなった。





◆(11・15)
1時限2時限共、『聴視』題目は『大紅灯籠高高斯挂』鞏犁主演。昨週に続き今日は下巻。こんな授業が在るのも楽しい。尤も観たあと講師から内容に就いて感想を聞かれる。喬家大院に遊んだ撮影基地を思いだす。

3・4時限は「読書・中国視点」最近授業での風当たりが強くなって来た。”出る杭は打て”然しこちらは”蛙にションベン”。帰国も近い。

2・30小李が来た。やはりエレビ画面は彼女だった。「言わなかった?」と恍ける。最近”不労而獲”が新聞に掲載、コピーされた、これを話題に採り上げた。帰国の話をする、一瞬驚きの表情、「何時来るのですか」「未だ未定」今日の彼女の日本語は一段と上手になっている。褒めると白い歯がこぼれる。「電話ください」「メール出します」「来週が最後ですか?じゃ時間は2・30にしてください」然し、未だ日本語で会話はできない。

30分後、入れ替わりに麗奈が来る。冴えない顔をしている。『日本語科の進級が難しい』、クラスで十名くらいいると言う。日語系の内訳を聞くと、情報管理システム。物理1。科学1。数学1。科学技術3。概論。専門の日語は高級日語。翻訳。日本語一般。会話。と続く

先日、日本から来客の際、手土産を買ってくれた、そのお礼にと50元渡した、最初は遠慮していたが・・・2ケ月も家に帰へっていないので帰省したいと言う。理由は小遣いが心細くなったらしい。又彼とのデートも原因のひとつらしい。明日からの小旅行にパンと酸牛乳を買いに麗奈と途中まで一緒に行く。





◆(11・16)
早朝6・00起床、7・00小劉の車が我々を迎に来た。参加者は朋代・礼奈・香美。が後部席、私が助手席。今回は○開封。○少林寺。小劉に初参加の礼奈を紹介、一路、少林寺へ向う。午后過ぎ少林寺に到着。

かなり大きな集落である。村全体が少林寺。テレビなどで観る感じと異なる。実技など見 学は許されていない。最大の見学場所は、長年佛僧が念仏を唱え坐し石畳が凹んだ処と朋代が調べて来ている。

と。ある僧侶に尋ねると指差す、既に彼女達が見つけて私を呼んでいる。寺廟の一番奥のにあった。確かに石畳が凹んでいる。カメラに収める。彼女たちは実技が見たいと探し求める、あった!然し簡単な見世物程度。彼女達は一応は納得。礼奈がマジマジと一冊の少林寺写真集を見ている。どれどれ、ウーム!。人間極地の鍛錬。成せば成る?

遅い昼食を小劉を加え四人で食し開封に向かう。途中ダム建設の丘の上に大きな石像を発見。誰の石像か観てみよう。カメラに収める。これが今日の時間帯の遅れで失敗だった。

○中国重点文物保護単位。○打虎亭漢墓の画像石窟。すでに日は傾けかけていた。
夕方、開封に到着。河沿いにあるサッパリした街。が第一印象。寒風が我々を迎えて吹き荒れる。夕食後、ホテルへ、早々とベットに潜り込む。





◆(11・17)
○劉亭風景区。○大相国寺。○鉄塔。○包公祠。○西門城楼。○開封博物館。○繁塔。○岳飛廟

兎に角寒い、朝、露店で粥と油条を食べる。寒いので鉄塔は後回し、相国寺。奥まった所に”空海”が祭られていた。「清明上河図」が大小売られていた。本場だけに関係したものは多い。包公祠。中国の歴史に興味を持つT朋代は健脚を活かし歩き廻る。鉄塔。香美と朋代は鉄塔に登った。礼奈が先に乗車いてる。引き返したと言う。

繁塔は塔一面に佛の彫刻がある六角の塔。開封にこのような貴重な佛塔が在るとは想像しなかった。周辺を整備すれば観光客増大が見込めるに残念だ。
 
岳飛廟は雑踏の中、しかも今日は縁日、廟内は閑静だ。庭園に秦桧と妻ほか四名。手をうしろにして縛られている等身大の銅像が見もの。おまけに、鉄冊に入れられている。岳飛と秦桧の物語は有名。現在新建築中の岳飛廟。裏庭に関係碑林が何百と出番を待つ。

3・15帰路は西安に向けてまっしぐら。9・30西安到着。遅い晩の食事費用は小劉の定例。寮に帰ると、重慶から”張穎”から電話。「何度も電話しが留守だった。接続したら違う人が」4Fに搬家したのを連絡していなかった。今は教師の小穎、「趙教授と二人が待ってます日本語の教師として迎えたい。」感謝の意をのべる。





◆(11・18)
第2回目の郵便小包を発送する。食事が余り進まない、胃腸が油製を拒否している。一股有味儿!臭いに敏感になり、拒否反応を起こす。昼食は食堂で米飯を茶碗に入れ、部屋で日本から持参のラーメン。海苔。とろろ昆布。フリカケ。と一緒に食べる。果物を多く摂取するようしている。

3・00麗奈が相互学習に来る。先日のレポートを添削し後、日本語外来語を詳解する。





◆(11・19)
朝から雨、寒くなって来た。西安特有の冷え込み。然し寮全体にスチーム暖房が設置され、部屋の中は快適。1時限終了間近か、Y老師が私の処へ来て、日本語の解からない所を教えて欲しいと言う。午后3・00この教室を使用することでOK。2時限は例によって「罷課」。4斑もこの教授には4名の生徒しかいないと言う。

小雨の中、7路で”鼓楼”まで行き「骨董品探し」掘り出し物一個。朱肉入れ。牛骨で作った精巧な彫り物。中国に来て何でも値切る習慣がついた。そろそろ直す必要がありそうだ。東大街まで徒歩”外文書店”で書籍2冊購入。1・30寮に帰り、仮眠。3・00に2FでY先生が待っていた。

西北大学博士課程の日本語問題集のコピーをバッグから取りだした。今回試験で出された問題集の一部。西北大学で博士課程に進むと言う。2時間ばかり主に日本語の文法ヲ、ニ、ト、ラル、ラレル。中心だ。「若い日本人留学生に聞いてみたが解からないと言う」早速、日本語検定試験問題集を見せて、解答練習する。

交大日本語科の教科書で、森鴎外の「高瀬舟」を習っている学生がいる。程度は高いが、日本語習得が付いて来ていない。折りしも、「講読時限」で明日まで『安楽死』についてレポートを提出するよう要求された。





◆(11・20)
2時限の”聞読”YANG老師の講義が面白い、今季2回目、今日はインターネットからコピーしたもの。コピー1枚が渡されて、各自五分くらい黙読。2002/10/24/13・06 (新華网)虎は何の殺人罪に当るか。
@2002・10・24・。ハルピンの東北虎林園で虎が作業員を噛み殺した。この処置に就いて論議されたもの。
Aこの虎はDNAの結果、6歳で正宗で純潔な東北の虎である。2枚目。各自五分くらい黙読、遺族には15万元が保証金して渡された。
B2002・10・25.重慶晨報。3枚目。各自五分くらい黙読
人を噛み殺した虎には何の罰も受けさせることは出来ない
1、虎には処罰される理由は無い
2、報復(虎を銃殺)は野生動物違反である。
3、虎林園の管理に落ち度がある。
C2002・10・24.北京娯楽新報は、東北虎園には管理に落ち度がある。市民投票で虎の違法に処理。
D目下、四つの提案がされる。 5枚目 各自五分くらい黙読

1、銃殺。2、麻酔注射で安楽死。 3、終身監禁。 4、猫科飼育繁育センターに送る。此処から各国の留学生の声(意見)が聞こえる。
1、韓国人⇒銃殺すべし 遺族の心情を考慮しても生かすことはならん。

2、日本人⇒銃殺すべき。アメリカで発生した例をあげる。
3、ベルギー人⇒安楽死。
4、オロス人⇒4 銃殺する理由がない。無罪放免。
各国全員が同じ意見では無い、大方の発言者の統計による。
西安交通大学では留学生の1部のクラスでインターネットの新情報を利用し授業が進められる。新しい試みが始められている。





◆(11・21)
今日、4時から中国公安局が留学生に重要事項を説明すると、告知板に張り出された。

リコンフアームの時期に来た。1Fのロビーで航空機の発着時刻を確認して、西北航空に電話した。確認が終わる。決まった以上は帰国前に”宝鶏”に取材したい、小韓の故里でもある、電話で連絡すると24日ならOKと言う。早速小劉に連絡をとる、8・00に出発。日帰り、一日800元。27日早朝、西安飛行場行きも確認した。

3・45中国公安局の説明を聞きに行く、座席に就く、隣の女性が「西安理工大学の教授達に日本語の指導に来ている、」と言う。「1ヶ月ぶりに日本語が話せて嬉しい」と名刺代わりの記入された紙を頂く、I,由紀子と書してある「食事に苦労しています」「どの大学も同じでしょう」教え方も教授と生徒では随分違うだろう。

公安局の質疑応答で彼女の中国語。≪さすが上手だ!≫ 『格の違い』を感じた。女史が「西安のこと教えてください」と言う。「私は来週日本に帰国します、他の人を紹介しましょう」、と中国人と結婚している女性をその場で紹介した。

公安局員が「王維の樹木を折って記念に持ち帰る日本人に困る」私の目は輝いた。「ナンテン」と言う。まさか王維の陵墓にそんな樹木があるとは!「詳しい場所を教えて下さい」「公安局に帰り調べて交大の先生に知らせます」と言う。残念ながら、もう時間が無い!。





◆(11・22)
「ナンデン」は[藍田]だった。明日の予定として考えた。然し24日の「宝鶏」に決めていた。今回は「聴力」の力不足を感じる遊学であった。帰国後の反省材料。3・4時限の「読写」に最後のレポートを提出した。修改が間に合うか心配で、先生に水曜日には帰国することを伝えた。明日と残る時間を西安取材に当てたい。

2・30重慶の小穎か「今から手紙を出したい、間に合うか、どうか」の電話。中身は最近生まれたベィビーの写真だと言う。日本に送るよう言うと小穎は、「わかりました、明年見!拝拝!」

3・00前、小李が部屋に入って来た。学習後、理工大学日本語教師の話に「私、週に3回理工大学に行ってます是非、紹介してください、その先生に日本語を習いたい」小李は女史の電話番号を書き写す。






◆(11・23)
長安城堡大酒店(全日空ホテル)でコーヒータイム、少少高いが静かに時を過ごしたい時、此処を利用する。鼓楼附近を散策したいと思い今朝、由紀子女史を誘った。彼女は東大街に行く用事がある、丁度よい機会ですと言う。小李のことも有り「李爽」の一件を話す、心好く引き受けて頂いた。明日の「宝鶏行き」を誘うとOK。日本語教授法も参考になった。

鐘楼附近で昼食後、女史が東大街のブテックに「旗袍儿」の修理をだしている、今日その旗袍儿を取りに行くと言う東大街の一角の美容院を指差し「上手と言うので髪を染めたら肌に合はずさんざんでカットも上手でなかった。」と話す清楚で知的な美人の髪は風になびいている。到着後未だ修理が出来ていないと言う。私は老母にマフラーをプレゼントしたいと言うと格好の品物を見つけ出してくれた。帰路、彼女から教授達の日語の教え方について貴重な話を聞いた。

5・30最後の挨拶にと西安賓館に行く。小劉は居ないが小姜と小黄が居た。挨拶を交わし寮に帰る。京都御所が「肉ジャガを作った」と食堂に持って来た。コンブの煮焚き。エビの煮あげ。中国語より中国料理を撰ぶべきだと皆から冷やかされる。

部屋に帰ると直ぐ劉海に明日の「宝鶏行き」に一人増えたことを告げる。と何と霧の状態が酷いので中止にしたいと言う。残念ながら了解。

女史に「宝鶏行き」中止を伝えると、ではパソコンのカードを買いに一緒に行って欲しいと言う、明日は日曜日。カード会社も休日。交通大学にカード類一式売る店があると言うと、では交大に来ることで決着。


此処4・5日濃霧で西安飛行場の発着が出来ないと言う。帰国時が迫る。少少気になり家族に電話を入れる。部屋をノック、10月から交大に短期留学で来た同斑同学の「央」。彼女の中国語は「相当好。」いきなり五斑のクラスに編入も頷ける。劉海の電話番号を聞かせてほしい、西安空港まで友人を送迎するのだと言う。





◆(11・24)
素晴らしい天気だ。昨日までの天気が信じられない。9・00に目覚め、遅い朝食を摂る。由紀子女史から電話でPCの接続方法に就いて話す。私は西安最後の休日、好天気を利用して「碑林」に散策する一緒に如何?と誘うと快くOK。早速、小韓にпB「宝鶏行き」がダメとなり二人を紹介して帰国を思い立った

昼食を日本料理「安部」と言うと女史「すぐ帰国なさるのに、なぜ?」私は小韓に日本食の「味覚」を知らせて帰国を考えていた。女史は3時半から講義が有ると途中退席。東大街のブテックで小韓は最初は遠慮していたが、お気に入り「真っ白」のマフラーをプレゼントして別れた。二度と西安で逢うこともないだろう、万感迫るものがあった。





◆(11・25)
1・2時限間終了。3・4時限(罷課)10・00女史から、交通大学を見学したい旨の電話、徒歩で北門まで30分。では北門で待つ、と打ち合せる。校内を案内後宿舎の前の売店で「PC接続用カード」を観るが解明できず、一先ず寮を案内する。

11・30寮の食堂に行く。先日の公安局の説明会で彼女は顔見知りの人達と雑談。そこへ京都御所が手造りの「ぜんざい」を出された、皆はすでに食したと言う。二人は舌鼓み、日本人のいない生活の彼女も生き生きしている。

寮の食事をする、後PCのよく解かる沖縄出身の女子大生Nが説明するが、理工大の専家楼と学生楼の電話設置が同一でないので、接続法は不明と言う。先の売店で「それらしきカード」を購入あと東門まで送る。

彼女曰く、「自転車を買って交通大学まで昼食を食べに来ようかしラ、」交通大学の昼食がお気に入りのようだ。「自転車盗難は日常茶話のこの国、注意を要します」「交大東門に置き食事に使う方法もあるワ」東門で別れた。

久しぶりに『小雁塔』までタクシーを飛ばす、8元。閑散として樹木もシットリしている。小雁塔の雰囲気を満喫する。突然思い出した、今日は3・30から麗奈の最後の相互学習だった、すぐタクシーで大学に帰る。

『日本の大学生生活と就職』と題するレポート書きを示し、添削してほしいと言う。一般的に中国の学生は日常の日本の大学学生生活を知らなさ過ぎる。一例が部活動、バイト類、約30分、筆を加えた。

後は麗奈の日本語を引き続き指導する人を紹介することだった。狙いは就けていた。面談の結果、週2回相互学習。「甘えん坊」の麗奈、少少気掛かりである。部屋に帰り荷物をトランクに入れる。整理中無用の物は幸い麗奈が持って帰ると言う、『漢語新辞書』は聡明で可愛いい”央”にプレゼント予約済み。






◆(11・26)
1時限の終了、Yao先生から『いつ出発ですか、手配は済みましたか』と心配して聞く。『ShiQiaoは出張と同じだ又中国に来る』と授業中、皆に話す。授業最後Yao老師から手をさし伸ばされ握手。その手の暖かさが彼女の人柄を表していた。階段を下りる途中YangYang先生に出会い『いつ出発するのですか』と同じ質問を受けた。再度、西安交通大学を撰んだのは間違いでは無かったと、納得した。

10・00理工大学の見学を思い発ち、女史(家)に電話したが没接電話。劉海に「明日の濃霧は大丈夫か」と聞くと「問題ない!」と答えた。残りの日本から持参した食品は?思案中、今回”開封”の旅でお世話になったT朋代に。彼女の教室は幸い休憩時間中、袋を手渡した。

3・00頃、T朋代と同室のT恵美子が「ロビーにあった」と私宛ての手紙を持って来てくれた。開封してビックリ先般西安に遊んだ彼女曰く、北京でバックと一緒に入れていたお土産をバッグとも「スリ」に取られた、出来れば、お土産と同じものを帰国の際、持ち帰って欲しい。すぐタクシーを飛ばし「鼓楼」の路地に行き買った。






◆(11・27)
5・00起床。天気は良さそうだ。身支度を整えて5・30ロビーに下りた。劉海は既にライトを正面玄関に向けて車の中にいた。守衛も今朝は早起きだ、「手続きは済んでいますか?部屋のキーは?」軽い会釈を残し乗車。車中、今回の出来事を話し謝意。空港は人も疎ら、劉海と再会を期して握手。
再見!
シイーアン!



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