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中国遊学日記
 (ニ)  西安交通大学(2002/10/1〜31)2002年11はここから
           無断転載を禁止します
 2002年10月

(10/1) 姜君が「論文が出来ました、看て下さい」と添削の依頼
(10/2)  国慶節の始まり,経済発展の著しい中国人の旅行ブーム
(10/3)  今回の歴史探訪は昨年と違いタクシーの借りきり。一日750元。
(10/4) 司馬遷祠墓党家村古民居普救寺喬家大院

(10/5) 平遥古城双林寺
鎮国寺解冊関帝廟万国寺
(10/6) 丁村民俗博物館。○司馬光祠墓。三門峡ダム。
(10/7)  觀雀楼。○蒲津渡遺跡。○永樂宮。○函谷関。
(10/8) 交大電子工学系卒業者に日本語指導者募集 
(10/9)  今日2.3時限は罷課ではなく脱課」。1時限が終わるとゾロゾロ
(10/10) うまいなーと感じる。教える方が本気なら生徒も真剣だ
(10/11) 日本と中国の文化の相違感を作文でも発表した。
(10/12) 閲読の時間に旅行記の作文を出すよう催促を受けた
(10/13)  明日、昆明に起つと聞いて早目に切り上げた
(10/14) 麗奈から『漢語新辞典』をプレゼントされた。
(10/15)  正宗按摩店西門前を左に折れ500mの所にあった
(10/16) 「課文だけの語学を思い知らされた。先ず自己紹介から
(10/17) 東大街の「中華書店」に出向き、書籍3冊購入
(10/18) シャオSHI、口が堅 いと私の席に来てなんと日本語で注意を促した
(10/19) 中国人の時間観念は日本人には理解できない。
(10/20) 日本から持参した日本製の即席ラーメン。を食する

(10/21) 交大のエリートコースに乗って来た頭脳明晰さは物が違う。
(10/22) 
第一≪教案≫作成がない基本的なことが抜けている。
(10/23) 2時限を切り上げて、自習。単語帳を作成する
(10/24) 小銭が必要となったので、学生スーパーへ封筒を買いに行く
(10/25) キャンパスの公園では中老高年達が朝のジョギング、太極拳 
(10/26) 咸陽博物館長も説明に同乗すると言う。大変光栄な出来事
(10/27) これで彼との修改も終わった。姜君おめでとう!
(10/28) 外国語学院の出場した男の子悔し泣きしてましたョ
(10/29) 小姐達も我々を覚えていて手を差し伸べ握手老板も一緒
(10/30) 読経の声と違う風声に成尋阿闍梨の五台山参台記を思う
(10/31) 眼下の大白塔が朝日に聳える山頂の白雪と紺碧の空



◆(10/1)  
 国慶節の始まり、早朝散歩に出かける途中、本科生の生徒達はリュクに荷物を詰込 み帰省を急ぐ姿を多く見る。中国国民の大移動!経済的に豊かになり旅行者の 一時  的なラッシュだ。留学生もこの休暇を利用して早 くから計画を立てる。

同斑同学の香美は一人旅行で「敦煌」へ、又、同郷で同斑同学のF・美恵子は青海の西寧へ中国語を活かす絶好のチャンスと旅たって行った。昨年9月の彼女達とは一回り二周りも進歩していた。古都長安、西安は歴史文物探訪出発地の基点でもある。
 
学生スーパーに出向き「小銭」に換える。寮に帰ると知人二人から国際郵便が届いていた,この時期の郵便は嬉しい。午後仮眠後、小韓に電話をかけた、3日からの小旅行の打ち合せ、西安賓館6.30と決める、6.00着、小黄と韓雪燕と逢う、「××は、いりませんかァー」昨年、日本人観光客にしきりに勧めていた彼女元気が無い、不景気だと言う。
 
10・00ドアのノック、姜君が「論文が出来ました、看て下さい」と添削の依頼。修改修改で大分好くなった。「なんとか、是で行ける!」と励まし11・00頃、ご帰還を願った。

そろそろ、村からの脱出の時期に来た。食事時分、日本人シニアーとの会話は楽しい。然し西安賓館の小張の一言「昨年に比べて中文のレベルが落ちた危険信号だ。





◆(10・02) 
早朝のキャンパスは人影も疎ら、校内居住の老人たちが太極拳に余念が無い
4F学食のマネージャー小高に元気が無い。売り上げが芳しく無いのだろう。それに引き 換え、小王は何時も元気溌剌、笑顔も可愛い性格が好い小姐。「挨!小王、我要茶」(チョット、王ちゃん、お茶が欲しい)と言えば、どんなに忙しくても「挨、明白了!」(ハーイ、解ったワ)みんなから愛されている。

朝食後、教科書を開いて看ていたら小王が覗き込む。意外や意外!博学に驚いた。今朝は小王から随分と教わることが多かった。
 
何時も誰かが訊ねてくるのでドアに『正在午睡覚、別敲門』(今、昼寝中につき、ドアのノックは禁止)と張り紙。午后仮眠タイム。15・00明日からの小旅行『平遥古城行き他15・16ヶ所』の準備。必要品のチェック。





◆(10・03) 
今回の歴史探訪は昨年と違いタクシーの借りきり。一日750元。
参加者3・4人なら随分と安く上がる。筑紫次郎。京都御所。彼等の通訳として西安外国 語学院日本語科4年級小韓。と私。運転手『劉海』さん35歳。温厚で2児の父親。

司馬遷祠墓
○党家村古民居。
普救寺。


◆(10・04)
喬家大院
平遥古城
双林寺
鎮国寺


◆(10・05)
解冊関帝廟
万固寺
丁村民俗博物館
司馬光祠墓


◆(10・06)
三門峡ダム
觀雀楼
蒲津渡遺跡
永樂宮


◆(10・07)
函谷関





◆(10・08)
国慶節も終わり、キャンパスも普段に戻って賑やかだ。早朝の競歩訓練も始る。赤い手帳を持って北門に集まる集団は6・30開門までには既に数百人が待ち構える。印鑑を捺して証明ができたら一斉に出発だ。

第7食堂で朝食を摂る。頭がボートとして旅ボケ状態。旅行の精算をする。一人1800元。日本円で¥24.000。昼過ぎ姜君から電話、日本語科の先生からスピーチコンテストの原 稿の見直しを命じられた、と報告。「今日は時間が取れない」と答える。
 
3・00過ぎ202室に16名の今秋、交大電子工学系卒業者に日本語指導者募集に尽き集まるよう伝達がある。日本のコンピユーター会社の面接の為と言う。

本科日本語系の中国人学生が「互相学習」をお願いします、と女の子を連れて来た。見ると昨年、麗奈の「互相学習」を頼みに来た日本語系の生徒だ。ご帰還を願う。

家から国際電話、叔父の死去の知らせだ。苦悩の末、帰国しないと決めた。





◆(10・09)
食文化の違いを感じる。中国食も既に1ヶ月が過ぎ体調に変化が現われる。肌がすべすべする。又、油性食の多いのに肥えない。却ってスリムになってきた。

今日2.3時限は「罷課」ではなく「曠課」。1時限が終わるとゾロゾロと生徒が教室から出て行く。昨日から留学して来た日本の女子大生はキョトンとした表情だ。自室に戻り、テープの聞き取り練習に励む。一日約40個の新単語の教科にはマイッタ!。
 
26。27日、「開封」行きを劉さんに相談すると、2日間では無理だと言う。同乗予定の人と相談連絡すると言い電話を切る。今回は是非とも開封には行きたい。

姜君からスピーチコンテストの原稿の修改を頼まれる。5Fの学習室で待つと言う。教師から主題がぼやけている。と指摘されたと言う。約2時間かけて修改を終わる。





◆(10・10)
早朝のジョギング兼散歩も最近肌寒さを感じ、薄てのジャンバーを一枚増やして出門。2Fの留学生用告知板に、「特別自由参加者募集!参加費用無料」と題し太極拳。書道。中国料理の作りかた講義。中国歴史文化講座。などが張り出された。早速、歴史文化講座に申し込む。京都御所は中国料理と太極拳。筑紫次郎は太極拳。

「熱話門題」1時限の生徒参加が最近少ない。講師の授業の進め方に問題ありと感じる。「聴力」のYao教授は、さすが毎回聴講生が増す。留学生でも人気NO1。

第一、「教案作成」万端。教えかたが、うまいなーと感じる。教える方が本気なら生徒も真剣だ。
夕食時、4斑の三沢基地氏が言う。4斑には生徒が多過ぎる、半分に分けるよう学校と協議に入った。生徒数20名。教室確保、講師などの問題ですぐには解決しないだろう。リーダは韓国留学生。元教師の彼の検分は何時も実践的な見方だ





◆(10・11)
昨夜遅く小韓から先般旅行の翻訳と態度指摘について指摘され、自分の不手際の断りの電話があった。四国三郎氏今日、外国語学院に行くが、誰か紹介して欲しいと言う。

12・00一緒に出発、然し小韓は1・00から授業があり学園の案内には出られないと言う。私と小韓は今回の旅行中、小韓に注意を促したことに誤解を生じた。こと件は話し合いで解決した。
日本と中国の文化の相違感を作文でも発表した。

200・小李との互相学習開始、4・00まで、中国語の「聴力」も1・30が限度。後の30分を日本語指導。最近夜中に目覚め、睡眠不足状態。午后の仮眠が必要と感じる。





◆(10・12)
「閲読」の時間に旅行記の作文を出すよう私と韓国学生が催促を受けた。告知板に10月28日〜11月2日の間、留学生の慰労を兼ねて旅行会が挙行される、

場所は「五台山と平遥古城」。「平遥古城のことはShiJiuDingに聞きなさい」と言う。これでは旅行記を提出し得えない分けにはいかない。今夜から本格的に書くことにした。


一応書き終えた処で姜君から電話、スピーチコンテストの原稿を見て欲しい旨だった。来た序でに自分の旅行記を見せた。最後の段落に迷いが生じていた。小周と連絡がとれない。これでは明日、日曜日の食事の約束は無理かもしれない。午前3・00に目が醒めた。寝付かれないので、原稿の清書をする。





◆(10・13)
朝8・30食堂に行くが休店。開店、休店がはっきりしない。原則として日曜日は休店。然し時々開店するから迷惑だ。止むを得ず第7食堂で食事を済ませる。カード式は便利だ。

9・00小周から電話。12・00に「金花商店ロビー」で逢う約束をした。昨年のお礼にと、日本から持ち込んだ小品を渡したかった。東大街からタクシーで「高麗亜」朝鮮料理店に誘う。中国料理に少々飽きてきた。朝鮮料理に新鮮味を感じていた。


一年ぶりに再会した印象は別に無く、以前の小周のままだった。昆明の話題に始終した。「機会があれば奥様と一緒にきて下さい。」「有り難う」 明日、昆明に起つと聞いて早目に切り上げた。寮に帰り小周が添削をしてくれた作文を書き直した。





◆(10・14)
1時限目、昨日書き直した旅行レポートを先生に渡す。少少の自信はあったが結果待ち午后、麗奈が日本語の会話練習に来た。彼女の日語教科書を開いた。かなりのハード差に驚く。麗奈から『漢語新辞典』をプレゼントされた。「ありがとう」快く頂戴した

昨年、交大北門の書店で「現代中国語辞典」を買った。書籍は重い。今回敢えて持参しなかった、どうしても、必要なら、こちらで調達すればと,思った。三沢基地氏は40元にしてくれた。と、意気洋洋と帰って来た。最近此の辞書が欲しかった。迷った買おうか?


日本の「漫画」について話題が移る。中国の学生のあいだに日本の漫画ブームがある。若者は何処の国でも感覚は鋭い。レポート用紙を見つけた彼女が「先生それ見せて下さい」感想を聞くと「100点万点、上手ネ」とお世辞を忘れない。

「生詞帳」に生詞を書き足す。何度も書き写す。明日は「聴力」のテストがある。





◆(10・15)
最近、熟睡できない。気分が高ぶっている。授業中集中力ができない。欠伸がでる。授業にも慣れたせいか、生徒の出席率も好くない。ただオロス3名は真面目だ。

午后仮眠後、劉さんから電話、今から南門入り口で待つ。先日、劉さんに「按摩」の件で 依頼したもの。三沢基地氏が腰が痛いと言うので頼んでいた。私もデスクと椅子に違和 感があり肩こりに苦しんでいた。


西門前を右に折れ500mの所にあった。1時間50元。盲目の2名が部屋に入いって来た 4 ・5分経過した所で、「1時間か」と言う。「1時間だ」と答える。彼等2名はヒソヒソ話している。「お茶にしますか?ジュースにしますか?」愛想が好すぎる。

疲れきった体調に、気持ち好さからウトウトして来た。時計も無い、上着も無い別部屋で着替えて「按摩室」にいる。時間が長すぎる。「今何時だ?」「3時35分です」ウム?按摩時間が長い!「もう いい!」着替え室に入り唖然とした。1時間延長、劉さんは控え室で待ってい
劉さんこの一件を聞きけ苛々と笑う。お粗末!失敗のお話でした。
 
夕方、外から「日本語の指導で」問い合わせある。L教授が私を紹介したと言う。





◆(10・16)
早朝、久しぶりの散歩。学生達は相変わらず毎朝、競歩訓練の一団又一団と走りすぎて 行く。少少風邪気味だクスリを飲み無理をおして授業に出る。短期留学生の旅行費、280元を支払う。長期留学生は3分の1程度の金額、差が多きい。
 
午后、学生が来た一瞬緊張する。以前の一件がある。彼女は1Fの呂教授の紹介だった。以前の16名中、事情があり当日欠席した。11月9日、日本の会社の面接を受けると言う。今年7月電子工学科を卒業して今就職活動中と言う。是非もない、引き受けた。

自宅で独習の日本語をして来た彼女は日語のスピードに就いて行けない。「課文だけの語学」を思い知らされた。先ず自己紹介から、面接官い対しての注意を中文で教える。日語の発音も不自然。一般的に中国人の日語は最初発音の音程が不自然だ。周2回日語を教えると伝えた。先ず自己紹介の練習から入る。

「私は陜西省西安市の出身です。名前は蒋雁と言います。西安交通大学電子工学科を卒業しました。家族は父、母、私の3人家族です。父は学校の教師です、母は病院の薬剤師です。私は是非日本に行き日本の技術を学びたいです。」原稿を書き次の回には言えるように伝える。彼女は早速ノートに書いた

昨日の按摩がきき過ぎたのか今日は全身がだるい。





◆(10・17)
毎朝、寮の前の樹木に来る朝鮮鶯の鳴き方が一段と上手になって来た。「ホゥー ホケ・・・・」と未だ完成な鳴き方ではないが可愛い。小雁の日本語の記憶力は好い。
 
日本からのエクスプレス2冊。書籍が届いた。10月6日、日本発送が未だ到着しない。康橋苑ビル3Fに旅行用下着を買いに行くが無い。体調もほぐれ順調になって来た。昼食後の仮眠から醒めて東大街の「中華書店」に出向き、書籍3冊購入。





◆(10・18)
風が強い。ポプラ並木の続くキャンパスに未だ紅葉していない葉っぱが落ちる。それを清掃夫達が砂塵と共に掃き溜める。砂塵が濛々と立ち込める、通行人は手で砂塵を振るい払いながら歩く交通大学の風物詩が今日も繰り替えされる。

3・4時限目「読写」に時間は単語の書き取りテスト。自信漫漫で出席したが・・・・・ 
予想していた単語とは完全に裏をかかれた感じだ、挽回しなければ少少焦り気味だった授業開始から自己発言を多くした。数日前授業開始前Yao先生から「シャオSHI、口が堅い」と私の席に来てなんと日本語で注意を促した。7年間ご夫婦で日本留学経験があると 聞いていた。以後彼女の日本語は授業中で聞いたことが無い。

4Fでは「中国料理教室」が開催されていた。夕食に向うと京都御所氏が日本料理「水だき」開始、久しぶりの日本料理、味が少少違う。食堂職員、小高、小王も食が進まない
 
大阪教育大学の礼奈が入ってきた。新疆ウイグル地区自治区からシルクロードを一人で3ヶ月の旅行あと交通大学に流れ着いた。色白で聡明さを窺がわせる女子大生。話題 が豊富で男性の留学生から愛されている。
02年12月まで留学すると言う。

礼奈の話では、45名中20名が教員試験に合格、不景気とあって教員志願が多いと言う





◆(10・19)
朝から雨、急に冷え込んで来た。咳が少少、風邪の前兆からか?外出を取りやめてベットで本を開く。李爽が30分遅れで互相学習に来る。中国人の時間観念は日本人とは別だ。この点を理解しないと中国には住めない。郷に入れば郷に随う。
 
第二外国語を日語と選んだ小李は日本には余り興味はないと言う。彼女の外国志望は1.フランス。2・イギリス。3・アメリカ。然し今、日本語を学習中考えが変わりつつある。

眼鏡を架けない彼女は可愛い。この言葉以来小李は私の前に眼鏡を架けず現われる。

乙女心は微妙なものだとつくずく感じた。昨日、筑紫次郎が語る。「あの姫が、貴方は押しが足らないわネと。わたしに、言うんです。どう思いますか、人生いろいろ。





◆(10・20)
咳がひどくなり三沢基地氏と北門近くの薬局に行く。咳止め一箱、序でに隣のスーパで氷砂糖。大きめの茶碗1個。日本から持参した日本製の即席ラーメン。を食するため。コーヒーの上等なもを物色したが好みのコーヒが無い。再度買いに来ると諦めた

寮に帰り今日も体調を労わり、ベットで横になり「聴力」の練習。28日からの旅行が気掛かりなので早目に直すことに専念する。





◆(10・21)
今朝、咳も少し樂になった。中国は大気汚染が予想以上に酷い。沿海地方を除いて中国の汚染はすすんでいる。中国に来て最初は乾燥が日本以上なのに驚く、朝洗濯して部屋でハンガーに吊るせば、夕方には乾燥している。

中国人は好く水分を取る。湯をわかし瓶に入れて持ち歩く。我が講師たち先生たちも授業中、平気で大きなコーヒー瓶に入れて来て飲む。授業中お構いなしに飲む。


昼食時、四国三郎氏から「三原」のパンフを頂く、3時、麗奈が互相学習に来る。レポートを出し、添削を依頼して来る。題目は「私の夢」

26日の咸陽取材には麗奈の父親が休日なので一緒に同行してくれると言う。果たして現 場が解かるだろうか。

5時、小雁が日本語の練習に来た。部屋に入る練習から自己紹介の練習で始る。小雁は驚くほど進歩が早い、日語ののみこみが早い。やはり交通大学の優秀生徒だ。交大のエリートコースに乗って来た頭脳明晰さは物が違う。と感心した。





◆(10/22)
さすが西安の冬将軍、朝が寒い。朝食後、1・2時限「話題交際問題」に出席した。数名が脱落していた。出席生徒が少ない。感じることは皆おなじなんだナーと変なところでガッテン。半分の授業後、後の時間は「脱課」しようと出たが結果的には最後までいた。『教え方に未熟さが残る』みんな一致した見方だ。彼には第一『教案』が無い。基本的なことが抜けている。黒板に書く『字』は書道家と間違うくらいうまい。残念だ。
 
「課文」は各自が読めと言った処から出発する。生徒各自に討論させる。討論させて生徒 の話を自分勝手に解釈する。思想の固まらない者の考え方を正しい方向え導く。これが 教育者。発音、文法も未成熟者には、それなりの方法を取るべきと感じた。

『留学生作文選』が各自の斑で渡された。意に反して「ヤオドン貧辺記」が掲載され「国慶 節之旅」は掲載されなかった。ページ数が4ページと多いのが原因と聞いた。

昼食後、劉海に電話。11月16日から17日の『開封・少林寺』今、小韓の資料調べと伝達。
 
南門傍のスーパーで電気毛布。パッチ上下。中国酒。果物を買う。寮に帰ると小雁が来 ていた。早速、日本語の特訓にかかる。





◆(10・23)
2時限を切り上げて、自習。単語帳を作成する。「聴力」と「詳解」が分けていないので予想外に時間が経過した。

午后は自室に「ご飯」を食堂から買ってかえり、お好みの味にして食べてみた。意外にいける。昼食後姜君から英語系専門の生徒を二人連れてゆきます日本語は全く出来ません、と電話。中文の練習にと金小姐から頼まれていた。


最近、愁うるべきことが生じている。研究生でもない一般本科学生に一時間10元〜15元 とお金を渡し中国語を個人レッスンしている。この風潮は昨年、ある停年退職者が銭にものを言わせて始めたもの。

中国の拝金主義が学生に蔓延しないことを望むばかりか、将来交通大学に留学する若 者に多大な迷惑と損失を蒙る。






◆(10・24)
今朝2Fの授業室前の掲示板に28日夜行。太原〜五台山〜平遥の時間帯が示される。平遥2日に西安に帰る、とある。25日2・00から説明があると言う。

明日の二人の学生は断るしか方法がない。小銭が必要となったので、学生スーパーで封筒を買いに行く。午睡ですっきりした所で予習と復習。間もなく小雁が日本語学習に来た。






◆(10・25)
早朝6・30散歩に出かける。一年級は白にブルーのジャンバー。二年級は黄色に白のジャンバー 競歩で何百の生徒が健脚を競う。二年級は数が少ない。走り方もドタドタ走りは少ない。

キャンパスの公園では中老高年達が朝のジョギング、太極拳に余念がない。朝靄の中をそれぞれ体を動かす。第4食堂でゆで卵2個、牛乳を飲みカードで買う。この時期は夜明けも遅く、薄くらい、

午前中は小雨。明日の咸陽行きが心配だ、小韓に電話をし時間の確認と天気予報。大丈夫でしょうと暢気なことを言う。

昼食のこの時期は中華料理の臭いが気になり食欲減退になっている。持参の即席ラーメンが随分助かる。めしは食堂で買う。米飯は問題ない。

3・30小李が来る。最近は少し上手になった。中国問題の教本で会話をする。後、学生スーパーでノートとペンを100元で買う。小銭に換えるためでもある。明日は晴れそうだ、日本から手紙が2通来ていた。





◆(10・26)
8・30麗奈がロビーに現われた。
南門から45号車に乗車、9・30労働路着。発10・30漢城北路〜咸陽。バス乗車。到着が遅いので麗奈の父親が麗奈の携帯電話に電話をして来た。咸陽バスターミナルに到着。麗奈の父親と友人が車で出迎えにきて頂いた。

一通りの挨拶後車上。咸陽市渭城区人民武装部前で停車。咸陽博物館女性員2名が今日の説明に同乗して来た。ところが此処で電話。咸陽博物館長も説明に同乗すると言う。大変光栄な出来事に浴した。 館長の説明は仔細を極め、感謝の意を捧げたい。

戚夫人之墓。○周勃之墓。○蕭何之墓。○平陽之墓。○唐楊氏順陵
○秦恵文王公陵。○漢景帝劉啓陽陵。○漢哀帝劉欣義陵
之墓





◆(10・27)
明日からの旅行を控えて外出をせず午前中へやで復習。バックを取り出し必要な小道具の準備。あとは電気製品ホテルでの電源、変換機、デジカメとStick2枚。五台山はかなり寒いと聞く、服装に迷う。

午睡後、北門で手袋と洗面用具入れを購入。3人の知人に手紙を書く。夕食のビールが殊更美味い。食堂では姜君の話題で持ちきりだ。小韓に電話するが繋がらない。開封のこともあり少し苛立つ。

午后10頃、ドアのノックだ。姜君が優勝祝いの報告に来たのだ。何度も何度も最敬礼だ。自分の事のように嬉しい。これで彼との修改作業も終わった。姜君おめでとう!

 




◆(10・28)
1時限を終わり2時限は「罷課」課文の話題交際にも少少飽きががしてきた。銀行で3万円を人民元に交換。そこえ三沢基地氏と合う。彼は旅行には行かず、近くの名所旧跡を尋ねると言う。北京の留学経験を語るのを聞きながら寮に到着。

11・45昼食。午睡中、小韓から「姜さんはおめでとうございます。好かったです」の電話。会場へ聞きに行ったと言う。「姜さんの原稿入手できますか?」見たいと言う。「外国語学院の出場した男の子。悔し泣きしてましたョ」


開封の資料集まり来週旅行が終わって連絡すると答えた。夕食は4時に予約しはものの学校から用意していると言う。持参せず置くことにした パンが心配になった。

3時麗奈が「互相学習」に来た。先日の咸陽探訪での皆さんの協力に感謝の意を伝えた






◆(10・29)
寝台車は朝7・30太原に到着。マイクロバスに乗り『紅灯』で有名なコンリー主演。 喬家大院に着く。先般来た時は人海人山でゆっくり参觀できず残念。今回は如何?写真OKとおもいきや、台湾、香港の華僑の旅行団が続々と来る。少しは撮れた。

次ぎの「平遥古城」に向う。前回お世話になった『王玉仙』を迷いながら京都御所と尋ねる。居た!居た!小姐達も我々を覚えていて手を差し伸べ握手。老板も一緒に雑談。「お茶はサービスョ」可愛いと京都御所のお気に入り小姐。再会を期して。拝拝!


◆(10・30)
ホテルを早朝出発して五台山へ向う。薩摩頂。顕通寺。五爺廟。などを参觀。天気模様は曇天。時おり雨、さすが海抜3000m余り、肌寒い感じがする結果的には風邪を誘発し先生方にご迷惑をおかけした。咳こみが酷い。

ホテル五峰賓館に到着。部屋が寒々とした光景が一層寒さを感じさせる。夜食に賓館で中国の白酒を買いテーブルの皆と飲酒。蒙古留学生の酒の強さに驚き!グイッと一気に飲みケロッとしている。未だ19歳だ聞けば酒の年齢制限が無いと言う

夜来、山風徐徐と言うより狂風土作。唸りを超え、思わず読経の声と勘違う風声に『成尋阿闍梨の五台山参台記』を想い出していた。西暦1073年のこと。

 




◆10・31)
黛螺頂に登る。凍結した階段は注意を要す。眼下の『大白塔』が朝日に聳える。山頂の白雪と紺碧の空。ラマ教佛院の茶色の壁のコントラストが一幅の絵画。

佛教建築が随処に見られる。頂上付近で青息途息。高所の登山にリタイア。独りで降りる事にした。途中、ラマ教信者が五体倒地で登って来る。寒い中の信仰心に驚く。バスの中で暖を取り、残りの人とビデオ鑑賞。 登山に挑戦した先生、留学生達が降りて来た。


  11月⇒

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