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中国遊学日記
 (西安)  (10/1.2001〜 ) ☆2002年9月はココから
                  
無断転載を禁止します
 2001年10月
   (1)  一瞬、我が耳を疑った
   (2)  値段の交渉無しで乗った男達
   (3)  車掌は手を出し「ドーン・ドーン」
   (4)  「三学街と書院門」通りが素晴らしい
   (5)  そこは「盲流の集団住居場所」と解かった
   (6)  旅行経験の無さか?ガイドは名簿帳さえ持って無い
   (7)  マリア様に顔向けが出来ないので行くのを止めた
   (8)  雨の中、大理古城を散歩する
   (9)   初めて聞く”葫芦絲”の音色に立ち竦んだ
   (10) 母親の前で、よくもマァーあんなこと出来るわネ
   (11)  ママ、座席は取ってあるよ
   (12)  肥満アナの公共性に欠ける表現方式に怒りを感じた
   (13)  君子危うきに近寄らず
   (14)  自分の好きなネクタイとマフラーを選びなさい 
   (15)  “グイヅー!。リーベン・グイヅー!”
   (16)  手帳をバスに落としましたか?
   (17)  紛失した手帳は如何にしたものか?
   (18)  ○○賓館に行く途中、老紳士がいなくなった!
   (19)  【中国語シャワー】を浴びて過ごす日々
   (20)  拾い主は雑誌社の記者だった。
   (21)  法門寺・乾陵・茂陵・咸陽博物館を参觀
   (22)  コースは雲を突いて架設した長空棧道
   (23)  Sさんは「交大」留学生寮を見学したいと言う
   (24)  漫画を地で往く世界に踏み込むことは出来ない。
   (25)  公安局係官の説明及び質疑応答
   (26)  キャンパス内の「白楽天」遺跡を散策
   (27)  陜西省歴史博物館と清真大寺を訪ね
   (28)  購買力は凄いものがある
   (29)  「駄目だ!」この一件だけはダメ
   (30) 学生手帳を見せるとすんなりと通過した。




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  (1)
   私は一瞬、我が耳を疑った

中国の国慶節。校内はいたって閑静である。テレビでは国内外の旅遊観覧の放映を流す。授業は7日まで休み。「読写教程」課、以下、北京から他方の担任講師は凡て帰郷している。昼食を摂りに行くが食堂は休み。部屋に帰り、パンとインスタントコーヒーで済ます。Mさんが帰国前、インスタントコーヒーを置いて帰ったのが今日は大助かりだ。2時過ぎ「交大」北門で2元7号路線バスに乗車。二人ずれの乗客が1元バスと勘違いしてる。大慌てで下車する。中国人社会の1元と2元の格差は大きい。乗客が色分け出来る位、歴然としている 

                                                                                西 門楼
「西門」附近のスーパーで「リンゴ・1ケース35元」を劉・姜夫妻にお土産とし購入し持参する。今日は劉・姜夫妻の招待で食事に招かれている。以前から小姜が国慶節には一緒に食事をしようと言っていた。劉さんの発案で日本料理に決めた。朱雀門の「西安晩報社新聞ビル1F」 『小笠原』劉さん家族5名と小姜がサッと精算しに行く。ワリカンの無い中国、申し訳ない!彼等に出費させてしまったと悔やむ。「小笠原」から全員、南門まで徒歩。歩きながら劉・姜さんのお嬢さんと会話が弾む。 

明確な中国語会話は若者に限る。現在の中国若者の指向が窺がえる。健全な思想に頷く。「鐘楼」附近は凄い人出だ。まさに「人海人山」。夜おそくまで「金花」屋上では国慶節を祝う

タクシーで帰宅途中、車内で老紳士が曰く。
◆「今日の食事のことは知らなかった。小姜は君に知らせて、なぜボクに言わなかったのだ」老紳士は中国語が未だ未熟だった。小姜は、中国語で私を介して老紳士に干渉をして来た

◆ 「1年間で、君のように中国語が話せるように、なるだろうか?」 老紳士は真剣だった。◇「大丈夫ですよ!」事実、私は老紳士の真剣な学習態度には感心していた。そう答えた。

◆老紳士は「中国語に四声が、あるとは知らなかった!」 私は一瞬、我が耳を疑った。以前、老紳士は日本で2年くらい中国語を習って来た、と言っていたはずだ!・・・・・・・・・・。

   ※ 青春とは人生のある時期ではなく、心の持ち方を言う
      サミュエル・ウルマン[1840-1924](独:事業家):青春-
                                              10/1/2001
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  (2)
   値段の交渉無しで乗った男達  

小李に9.00過ぎ、電話を掛ける約束も手帳が見当たらない。紛失したか!一瞬不安がよぎる小韓にも電話不能。1日〜6日は実家へ帰っていると言うものの、不可能。11.20小黄からの電話を待つ。約束の時間無し。宿舎を出る。小黄とは気分が乗らなかったのも原因の1つ。

「交大」北門からタクシーで”大雁塔”まで9元。人出が凄い!鐘楼附近と大雁塔前は「スリ」の名所。中国朋友が私に何時も注意をする。

先ず、大雁塔の前をブラブラ。入場するまでも無い、路傍で”焼き芋1個”5角。”西瓜一切れ”1元。昼食代わりにして、さて、”寒窖”はどうしたものか?迷った挙句、附近の「唐華賓館」を訪ねる。カウンターで「寒窖」の大体の場所を尋ねるタクシーで30元位と言う。先ずトイレへ

元のバス停場所に戻り、右に行くものか?左に行くものか?迷う。三輪車の運転手が来た。”10元で往復”OKと言う。”往返的運費”は朝、辞書で調べたもの、珍しく値切りもせず乗車。

乗車した後、シマッタ!値切るべきだった。ガタガタ道を猛々と煤煙を挙げて走る。

暫らくして、四人の男が乗り込む。値段の交渉もない。「乗れ!」運転手が言う。乗った四人の男達は暫らくして下車。此処で一悶着が起きた。値段の交渉無しで乗った男達、何がしの小銭を渡してスタスタ行ってしまった。運転手が呼べども、叫べごも、振り向きもせず行った。運転手大いに怒る。こんなことがあるのかナー。さては俺様は10元。又々同じことを考えたか

寒窖に到着。大雁塔のバス停の親子連れに逢う。奥さんが「先は程、バス停に居たでしょ」◇「そうです」。夫婦連れの子供が「ハロー」と言う。今、中国は子供の英語フイバーは凄い。

寒窰の見学を終えて秦二世皇帝陵。ご丁寧に運転手、私を墓陵前でカメラのシャッタを切ってくれる。門票の係員、趙高の悪事を延々と述べる。運転手も頷きながら聞いていた。

帰路、「唐華賓館」で一休み後、大雁塔バス停から西門までバス1.5元。西門附近、行き着けのスーパーで明日から4日間の買い物(43元)をして宿舎へ帰る。食堂の老板(女)の1日も開店すると言う言葉を信用したのが間違いだった。

宿舎に帰り・洗濯・スニーカーも洗う、洗濯機スイッチON、学生スーパーで、ビール3本5.70元洗濯物を干し、6日からの雲南省小旅行の荷物の準備をした。
                                               10/02/2001
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  (3)
  車掌は手を出し「ドーン・ドーン」

4Fの学生食堂が開いていない。部屋に帰り早速、買い置きしていた即席ラーメンにお湯を注ぎ食べるが美味くない。パン食。リンゴ。昨日ヨーグルトを買って置いて好かった。

日本人女子留学生の中に、何時も人より速く一人で食事に来ている女の子(SY)がいる。無口で人付き合いが上手な子ではない。大学生時代に西安に留学経験があると言う。

このSYは「恋に破れて」西安に来たのではないか、ともっぱらの人の噂だった。私はこの女子留学生に「正門」行きを勧めてみた。彼女即座にOKの返事だった。出発時間を決めた。

9時、「交大」北門で落ち合う。彼女は日本人男子M留学生と「鐘楼」に来たことがあると言うこの日本人男子M留学生、スポーツマンで中仲の美男子だ、何れ中国語が達者になれば中国女子学生の友達が出来るのも時間の問題だ。
バス終点で近くのスーパーに行き、向日葵の種(瓜子)を2袋、51元。買って西門に行く。

昼食は小姜と四人で近所の飯店に出かけた。食べきれない量だ。小姜は計算済みらしくポリ袋に入れてもらい、持ち帰る。従業員の差し入れだった。今日も小姜のオゴリ。51元。 西門までの徒歩は老紳士の話題だ。小姜は言う。「投之以李、投之以桃」 

4.30分、バス停に出る。乗車後、何時ものように「ドーン・ドーン」と車内に異様な音が聞こえる。西安のバスは、シャーシーでも壊れているのか? 「ドーン・ドーン」緊張する!注意して観察していた。、何んのことは無い。車掌が外に手を出して、バスのボディーを叩いている。

通行人、自転車に乗っている人達に注意を促す「ドーン・ドーン」だった。人騒がせな「ドーン・ドーン」はどのバスでも車掌が手を出して叩いている。少々の雨降りでも車掌は手を出し「ドーン・ドーン」。汚れたバスは叩いた處だけ綺麗だ。

手帳を無くして困難を極める。電話一覧表が記してある。全然なすすべがない。
                                               10/03/2001
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  (4)
   「三学街と書院門」通りが素晴らしい  

9.30分・宿舎を出発。7路車が中仲来ない。1元車は頻繁に運転されている。乗客は何時も満員だ、15分位待ってやっと乗車。40代の男性が{席}を譲ってくれる。気恥かしいが感謝!中国のバス乗車で何回もの経験だ。交通道徳と交通規制有無の中国、理解に苦しむ。

「鐘楼」で下車、地下道前の随道入り口で立ち売り人に「陜西省旅遊交通図」を2,5元で買う。10,00待ち合わせ場所「世紀金花デパート」地下1Fで小周と逢う。旅行打ち合せで席を後部の「コーヒー店」に移る。コーヒー2人で40元。この国では未だコーヒーを愛飲する人は少ない

『高原遊踪のパンフ「昆明・大理・麗江・双飛七日間」』『飛行機搭乗往復巻』を渡される。中国人12名との小旅行。各一人部屋も確保した(中国人との相部屋を小周が心配してくた)手荷物は少なめに。シャンプー。化粧品は自分の物を使えば好い。小周からアドバイスを受ける

昼食を”西安飯荘”75元(2人分)今日は私が支払らう。米飯が美味い。栄華衰勢の激しい中国。西安飯荘は現在も盛況だった。2Fは割高では有るが食事客クラスが上は今も変らない。
端履門通りから”碑林博物館”へ、途中「美容院」がズラリ軒を連ねる、各店舗営業成績が気になる。美容院の客は男性80%と言うから驚く。本地人愛好の”麻辣盪”も盛況を呈していた

徒歩で20分、碑林博物館。学生証が此処で発揮した。半額で入場(15元)小周曰く、私も学生証がほしい!石窟博物館が目新しい。休暇日とあって人出が凄い。平日に来るべきと早々に退場。碑林の傍路「三学街と書院門」通りが素晴らしい。次回再度来ることと決める。

小周の会社と取引があると言う書籍骨董店に出行く。「蘭亭序の三セット」最初350元と言う。”垂唾”を見越して300元と言う。「200元なら・・」と言うと「OK」と言う。「ちょっと待った少し考える。一回りして来る」と言い辞退する。『どうなっているんだ!』価格は有って無きが如し。

出た場所が書院門の端れ、左に南門。前に長安堡大酒店。”タイタニックに似ているでしょ”小周が言う。”みんな、そう呼ぶのょ”と説明する。巨大な船体が現われた感じだ。全日空ホテル増建築中の建物だった。碑林散策は「南門」から逆順路を書院門から歩き書画骨董探しの方が樂だと感じた。以来、暇さえ有れば私の碑林書画骨董書店めぐりが始る。

附近の飯店で一服”トウジャン”を食する。豆乳のことだった。牛乳の摂取量が限られている中国では高タンパク質の豆乳を毎朝常食する。トウジャンのチエーン店が続々出店している。

タクシーで宿舎まで8元。寮前の学生スーパーでビールのつまみ、ピーナツ1袋6元。購入。寄宿舎到着後は、部屋にバスタブが無いのでシャワーと湯で体を拭く。一日の洗濯。が常例
                                              10/04/2001
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  (5)
   そこは盲流の集団住居場所だと解かった

朝食は部屋でパンとヨーグルト。11,00''まで読書・予習。今日は大雁塔。曲江池。小雁塔。秦荘襄王之墓陵。行きの計画を立てる。11,30''「交大北門」からタクシーで大雁塔まで9元。大雁塔前の石像が気になる。レフ板を記録しようにも観光客が多すぎてメモもとれない。

カメラに収め、近くの”唐華賓館”に行き”清華”で昼食を取る。「大米・麻婆豆腐」を注文する。ウエイトレスが「日本人は麻婆豆腐が好きですね」と言う。好きではない。唯、豆腐が食べたいだけだった。客が少ない。香港・日本の2・3組だけ。デザートに果物・漬物が美味かった

ピーナツは残した。計28元。カウンターで100元を小銭に両替して貰い「春暁公園」の道を問うバス停で715号車を待つ。マイクロバスだ、汚い!仕方が無いので乗車する。”寒窰”まで1元先日来たホロ付き三輪車は10元だった。あの時のルンルン気分の親爺の顔が浮ぶ。

「寒窰」の売店で砿泉水を買い「曲江池入り口」まで歩く、途中「秦二世皇帝墓」の汚い看板前で自転車修理中のオヤジに聞く、1km先だと言う、今日は曲江池の写真が目的なので石碑をデジタルカメラに収める。715号車が来た、大雁塔で下車して「春暁公園」まで歩く。

「春暁公園」「唐歌舞餐庁」「唐華賓館」を 『三唐』と称して市は観光客にアピールしている。春暁公園は見るべきものは無い。園内で「春暁公園簡介」を写し書きする。隣で中国女性の中高先生も書き写しに余念が無い。私に老師ですか?「書」と「専」の字を聞いてくる。簡体字で「書」と「専」が読み難いらしい。後方の字が「英」「専英」だと答えると、安堵して書き写す。

空模様が変だ!小雁塔と西安賓館行きは変更して「秦荘襄王墓陵」に目的を決めてタクシーに乗車。”動物園の裏”と言い交通図を示す、そこは「盲流の集団住居場所」と解かる。周囲は汚物で鼻を突く。一瞬恐怖を抱いた。幸いに時間的に皆な出稼ぎに出て人影が無い。無数の屋根代わりの「布」「毛布」が風にハタハタと揺らぐだけだ。一層不気味さを感じた。

17,30''ごろ宿舎に帰る。早速、買い貯めのビールを飲みながら日誌を記す。21,30''日本から国際電話が入る。気分が多少滅入ったこの時期の電話は有り難い。

宝鶏市に行く計画を立て西外語の小韓の寮に電話で小韓の電話番号を聞くき電話を掛けた電話の向こうに父親らしい声だ「韓小姐はいますか?私は日本人留学生です。・・・・・・・」 小韓が電話に出て来て 「父は聞き取れなかったようです。始めての外国人との電話ですから」 まさか!のマサカ!「なんじゃー?そりゃー?」“悩顛をブン殴られた”ような感じだった。

  ※ 自分が正しいと思っている行為は、
    決して人前でこれみよがしにするものではない  -新約聖書-
                                             10/05/2001
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  (6)
   旅行経験の無さか?ガイドは名簿帳さえ持って無い

『10/6. 西安乗WH2409/20・30−−22・10抵昆・入住酒店。 住昆明』
18,00「交大北門」に周華が勤務先のタクシーで迎えに来る。一路西安空港へ高速道路に入ると濃霧が出てきた。19,30''着。国内機搭乗専用待合室は旅行客が多い。特に中国南方の人々が目に付く。国内機搭乗建設費50元を購入。ここで小周は元同僚ジェミーと再会する。

外国企業勤務では中国名以外にアメリカ流の名が有ると言う。勤務中はこの名で呼び合う。中国の英語ブームをここでも垣間見る。中国の顔は完全に米国・ヨーロッパに向いている。

周華の説明ではジェミー(趙紅)は西安に両親と子供・ダンナ・を残し昆明に勤務と言う。彼女は周華に昆明での再会を約束して、他の同僚と2Fに上り食事に行った。

昆明空港着。19名中13名しかいない。旅行会社が数社、其々募集したものらしと周華は言う 導遊員が空港出口でプラカードを立てて待つ。然し中国人客はバラバラに出て行ったらしい旅行経験の無さか?ガイドは名簿帳さえ持って無い。捜しようもない。伝達の不行き届きだ。

導遊員が捜すこと1時間余り一組の新婚カップルが車中に入って来た。携帯電話で連絡しても他の人々は見つからない。先ずはホテルへ。何のことは無い!他の者は先回りしてホテルご到着だ。全員旅行会社のバッグと帽子を身に着けている。我々には無い。

部屋割りで私一人部屋は確保しているが周華の一人部屋が徹底不足で無い。周華は怒りもせず平然としている。止むを得ず周華は他の女性と相部屋で一件落着。と言うことになった。 (西安に帰ったら保証金を弁償することで決着)

                                              10/06/2001
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  (7)
   マリア様に顔向けが出来ないので行くのを止めた

『10/7. 石林・西山・龍門・大觀楼。 住昆明』
昆明8,00出発。雲南昆明高速道路に入る(小石ー貝站)8,25''。全体の土地が赤褐色になる昆明〜石林。(80kmの標識が現われる)「石林」。では専属のガイドを雇った。40元。専用ガイド、卒さんの好意で最後は「お茶」を頂き疲れが取れた感じがした。


西山・龍門は外国人の見学者はいない。殆どが中国人、華僑。登山コースとして有名な場所でもある。交通路は決して便利とは言いない、然し塔頂からの眺望は一見の価値はあった。西山は昆明市の市街西南15kmにあり、昆明湖の西岸に聳えて、最高峰は太華山。昆明湖の水面から470mほどある。「龍門」は「西山」の羅漢崖の岩崖にある。「昆明湖と龍門

乗客のなかに四人連れ(夫婦・老婆・女の子供)がいる。老婆の世話をする女性には感心していた。リフトで上下する以外、電動自動車の乗車で移動する。この西山の観光に老婆は不参加でバス車内に一人でいた。

老婆は曰く:「マリア様に顔向けが出来ないので行くのを止めた。」 この老婆は敬虔なクリスチャンだった。「龍門」には道教ほか佛門の関係資料がある。

老婆さまの言葉が全然聞き取れない。傍に女性がいた。母親と娘だった。陜西省武功県の出身、現在は娘夫婦と生活していると言う。家に17歳の子供を残しての旅行と言う。一人子政策の中国、子供が2人とは?・・・・このような話題にはスゴク興味が有る。

◇「罰款も随分出費したんでしょうネ」
◆「当時のお金で1800元よ。」と母親は微笑む、 この一件は安価か?高価か?理解し難い□「・・・・・・・安いワ!・・・ご主人の役職・相当なものょ!」 周華が呟いた。

大觀楼の参觀は時間的に無理と言うので、最終日に参觀することになった。
                                               10/07/2001
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  (8)
   雨の中、大理古城を散歩する  

『BUS赴大理・蝴蝶泉崇聖寺三塔・大理古城・洋人街。 住大理』
昆明〜大理までバスで 5時間。チョット・動作がトロイ周華。お陰でバス乗車は最後部。振動もさることながら椅子の幅が狭い、乗降車の際が一番苦労する。

雨の中、大理古城を散歩する。雨の石畳。ムード満点。洋人街では日本語で客引きをする。オドロキである。洋人街の一画、とある喫茶店で西洋人が一団。コーヒーを飲んでいる。中国のこんな奥地の観光地にも外国人が来るのかと不思議に思えた。

大理のガイドは早口だ、聞き取るのに苦労した。幸い周華のアドバイスもあり意味は解かる。乗客の中は多種多様だった。西安郊外の農村から親子三人。特に息子が陽気で坐を盛り上げる。この息子36歳、親孝行だ。何かに就けて両親に話かける、家庭では一児のパパと言う

此処では二毛作、稲刈りと田植えが一緒で家族総出で忙しそうだ。農作業を見て自分たちの農具と比較する。母親はしきりに「ここは遅れている」と夫と頷く。私は彼らの会話が楽しい。

この農村出身の息子は上着のポケットから ”朝食に出される” 湯でタマゴを2,3個、取り出ては喰らう。私はよい方法を考えたものだと、「グー」と息子に親指を立てて敬意をはらう。

夕べ、周華と同室だった女と両親の三人連れ。何時も座席は前席をブン捕る。名手と見た。中国特有のぶん取り合戦は何時も、この女(31歳の母親)に勝敗が就く。アッパレと言うほかが無い。オトナシイ大和男児には真似ができない。・・・・・?賢い女だ。

食事だ。量が足らなくなると「ヨゥー タンバー」⇒『スープが有るだろう!持って来い』と催促するのは、このキツネ顔の彼女だ、三人共よく喰らう。洗面器一杯位は軽く食う。お決まりは中国式の『犬食い』顔を茶碗に近かづけて箸で掻き込む。なぜ茶碗を持って食べないのか。中国での食事に何時も思う。私が茶碗を持ち食するのを見て、女は照れくさそうに茶碗を持つ

大理は「玉石」が有名らしい。本物と偽物の見分け方を教えてくれる。ガラスに「傷をつける」傷がつくから本物と言うわけだ。と店員は説明する。値段の交渉の結果 「土産に」と300元を20元で買う。 本物か偽物かは解からない。どう考えても300元が20元になるとは考えられない。
                                               10/08/2001
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  (9)
   初めて聞く”葫芦絲”の音色に立ち竦んだ

『遊ジ海・南詔風情島・欣賞大理白族三道茶・歌舞演技・BUS赴麗江・黒龍潭・四方街』

ジ海に船舶遊覧で過ごす。「ジ海」もとは葉楡澤とも言う。形が人間の耳に似て、風浪が海のように大きいので「ジ海」という。海抜2000m近い。水面が透き通り又冷たい。

あいにくの小雨。船の中の部屋で過ごす、部屋代料金一人20元、徴収して来た。晴天なら屋上で眺望しながら過ごせるが致し方ない。船の小部屋ではマージャン5卓があり其々グループを作り一時を過ごす。私と周華も誘われたが鄭重に断る。

南詔風情島に上陸し遊覧する。豪華な少数民族ホテルで一服する。少数民族衣装を着た人が三々五々農作業に忙しい。家屋も風情がある。好物の「烏梅」を見つけた。船中では「大理白族三道茶・歌舞演技」が始る。民族衣装を纏い舞いを披露するもの。

上陸後、昨日訪れた「蝴蝶泉」で昼食。蝴蝶泉を出た処に数百の露店がある。ガイドは問題アリ!と言う。露店巡りの好きな私は周華と一緒に散策。 そこへダダッーと女子供に囲まれ土産物を見せる。興味は有るし困惑はする。10元で数珠を買った。

これが問題を起こした。女子供が我も吾れもと囲んで離れ難い。周華も戸惑い気味だ。そこへ、ジーと、様子を見ていた警官2人がハンドスピーカーで女子供を怒鳴り散らかす。観光客護衛の為とは言いながら警官の護衛が無かったらと思うと、背筋が寒くなった。

2,00''大理出発、バスで麗江17,00''着.。「黒龍潭」に向う。この「黒龍潭」と「麗江」が今回の最高の思い出の土地になった。「黒龍潭」で散策中、CDのメロディー。初めて聞く音色に立ち竦んだ。雲南省少数民族の独特の音色が形容し難い。これほど感激した音色は今迄に無い。完全に私を虜にしてしまった。購入した。CDの値段は私には問題ではなかった。

古城(四方街)に行く。町並みが最高だ。残念ながら夕闇せまる時刻。然し夜の古城が又素晴らしい。ともし火の元、セセラギの流れる小川で外人がコーヒータイム 周華と明日この場所に来ることを約束してホテルへ。この地を再度尋ねたい。異国情緒たっぷりだ。

そんな気持ちを駆り立てた。タクシーの運転手曰く;月決めで\250元の部屋もある。冬時期季節の雪天は数回、9〜10月は雨天が多い・・・。民族豊かな”麗江”は病みつきになる。

   ※恋ひ恋ひて逢へる時だに愛しき言尽してよ長くと思はば
                             -大伴坂上郎女-
                                              10/09/2001
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  (10)
   母親の前で、よくもマァーあんなこと出来るわネ

10/10『乗小索道遊雲杉坪・甘海子高原牧場・白水河・白沙壁画・BUS赴大理。 住大理』
 
早朝。雲杉坪,ロープウエイ乗り場へ、氷河が眼前に見える。感激した!高齢者用にと丁寧に酸素ボンベまで用意してある。なんと此処で高齢者の日本人観光客の団体に会う、懐かしい(テロ活動など実態のニュースが入らない中国では情報が知りたい。)

雲杉坪は海抜3025m。ロープウエイの全長958m。264mの高さまで昇る。一人40元。

                   
          山岳地帯の少数民族         白水川

同行者の中に初日・勝手にホテルに直行していた四人。夫婦・息子夫婦の極めつけは、息子だった。新婚と直感した息子夫婦は車中でも処かまわずベタベタだ。両親の前でも遠慮ナシ◇「母親の前で、よくもマァーあんなこと出来るわネ」 周華も呆れ顔だ。

母親と新婚の嫁とは一言の会話も無い。変な勘ぐりもしたくなる。許さざる恋の結果なのか?食事は嫁・息子・母親・父親の席順は旅の終りまで変らなかった。この坊や・食事になると母親に料理をアレヤ・コレヤ差し上げる。母親も同じことの繰り返し。

旅行道中・母親は大声で上海語で話す。大衆面前でなぜ普通語を話さないのか不思議だ!◇「自分が上海人だと、皆に誇示しているのヨ、上海人が一番偉いと思っているんだから」

この母親、普通語を知らないのかも知らない。息子は我々とは普通語では、話す。息子の嫁は普通語で話している。上海語でも話す。母親と嫁は未だ会話ナシ。
◇「お嫁さんも、大変ネ」 
◆「周華、君はヨカッタね、優しいご主人と自分のご両親と同居で、」
◇「お給料は主人より私の方が多いのよ」未だに ”三高”に拘っている。
                                             10/10/2001
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  (11)
    ママ、座席は取ってあるよ!

10/11 『BUS赴昆明・中餐後遊世博園。   住昆明』

バスの座席ブン取り合戦は続く。何時も最前線で待機しバス到着を待つ上海坊や。今朝は最後部で悠長に構えている。マイクロバスの6時間乗車は座席次第で疲れも違う。上海坊や「上海語」でママになにやら話している。 

車中最前席には前日からチャッカリ4個品物が並べられていた。周華が上海話を聞いていた

◆「ママ、座席は取ってあるよ」 
両親は「坊や、よい子だ」と悠然と席に坐る。上海親子は快適な旅行を続ける。

上海息子食事時分には決まって、隣の他人のテーブルに行き「茶碗4個とテッシュ4個」を取って来る 。 飯用。スープ用と。最初は必ずスープが出る。我々は一つの茶碗でスープを飲み、米飯に取り替える。この息子、さすが上海人だ!偉い!頭の回転が早い。

テーブルの料理が不足すると。忽ち母は”口を突き出して”「料理が足らん」と催促する。服務員は暫らくして ”無口で憮然とした態度でテーブルに料理を突き出す”一斉に箸が出る母親は何時も「湯で卵」を余分にブン取り、今日も又坊やに「食え!」と顎で催促する。嫁と母親の会話ま未だ無い。 大和男児は上海親子にはとても太刀打ちできない。

昼食後、世界花博99'跡へ行った。昆明は一名を「春城」とも言う、花が一年中咲いている。 「世界花博99'跡」をチャッカリ商法に取り入れている。中国の営業方式には総て脱帽だった。世界各国の建築様式でその国の展示がしてある。アジアでNO'1の集客数は、カンボジア。 ラオス。日本庭園は片隅みの方で存在感を示す、中国と日本の友好関係は何だろう?

周華とジェミーの勤務する外資系ホテルを訪問する。昆明NO’1ホテルのマネージャーであるジェミー(趙紅)女史は34歳。清廉され落ち着き払った態度はキャリアウーマンの貫録十分。ホテル内を案内される。明日開催されると言う「結婚式場」に700テーブルの大広間は圧巻だ

食事を共にする、ジェミーは周華をしきりに昆明へ転職を勧める。給料5倍の提出表示に周華の動揺は隠せない。周華には老いた両親と幼児・主人がいる。決心し兼ねて、帰西の後に返事をすることにする。ジェミーは半年に一度は西安に帰り、子供・主人・両親と逢う。一般的な中国キャリアウーマンの生き方に私は衝撃をうけていた。ある程度の理解は出来していたが

私はジェミーに将来の目的を尋ねた。彼女は即座に答えた。
◆「3年後カナダへ渡航する。その為に貯蓄を蓄えている。自分の人生は自分でチャレンジする。子供の教育と自分の生活設計を見極めて生きている。」 主人のことなんか眼中にない。

昔の日本もそうだった!と先人は言う。今の日本は?と自問自答してみた。西安交通大学には「茶髪:」学生は無い。学生に聞いてみた。曰く;両親から頂いたカラダは大事にする。髪も体の一部だ、と言う。しかし時代の波は確実に押し寄せて来ている。

ジェミー女史が交大に『昆明で働きたい中国語の堪能な日本の留学生いないかしら、すぐ来てはしいの』『今直ぐにとい言っても・・・』 『住居・食事・制服ホテル持ち。初任給は2000元。このホテルにはJALが入っていて日本語が話せる人がほしい。勤務時間は朝と夕方だけ』
                                              10/11/2001
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  (12)

10/12 『乗WH2410/11;45-13;40   返西安』

“ 西安” (昆明 大理 麗江 双飛七日遊。 主な行程表)
(報价:2280元/人。 儿童: 元/人。儿童12歳以下、含机票・旅遊車・餐費)含:西安/昆明往返机票(未含机場建築費): 住宿:両星或准両星標間: 用餐:八菜一湯(六早十一正) :用車:全程空調旅遊車 門票:景点首道門票。

昨日・夕食後ホテルでテレビを観た。頻道(10チャンネル・CCTB)日本及び旧日本軍の残虐性を延々と2時間、微に入細に入り、古い資料を持ち出し放映する。ゲスト3名を加え討論形式で進める。この肥満アナの公共性に欠ける表現方式に怒りを感じた。

日中友好関係に悪影響は必至。にもかかわらず放映される意図が解からない。このアナの声は中国語学習用の生テープでよく聞く。“再録”も“アナ”の記録も出来ずじまいに終った。

旅遊は最終日。「大觀楼」に行く。昆明では有名景勝地の一つ。民衆は今朝も大觀楼公園で老若男女が太極拳に興じている。

帰りの空港に向う車中で導遊員が全員に「身分証明書」を出してほしい飛行機の搭乗手続きだと集め出した。乗客は各人「身分証明書」を出す。私はパスポートを、農民出身の親子3人は3枚の「紙み切れの証明書」。ガイドは暫らく、この「紙み切れ」を見ていたが「好了!」老婆4人家族の子供は「出生証明書」、この父親「明日早朝“長沙”に出張だ」と言い、出さない。

◇「やはり、そうなのネ。彼が長沙に出張に行くのは“家族旅行”なのヨ。彼の部下がチャントしてくれるのヨ。それが中国の裏面なの」 周華が説明をする。彼は初日から時々ポケベルで公務の連絡を取っていた。

概して各地ガイドの普通話は理解できたが昆明のガイドの言葉は聞き取り難かった。

『太陽給 大 地帯来 了生命 不 然的 話 世界万 物都 不能 生 存』周華に問うと、言葉と言葉の切れ目が不自然だと教えてくれた。”持つベキ者は友”なり。

※ もし一人の女性が自分の人生について、包み隠さずうち明けたなら、
      何が起こるだろうか。
       世界は砕け散るだろう    -ミュリエル・ルキサー
                                               10/12/2001
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         (13)
   君子危うきに近寄らず、寡黙は金なり。

小姚から電話がある。中古の携帯電話を購入したと言う。話し中、3度も通話不能になる。彼は「旧古だから電波状態が悪いとすぐ通話不能になるのだ」とも言う。小姚の新しい電話番号を聞いただけでも安心した。一時は連絡不能で心配もした。彼は今、部屋探しに忙しい。

「西門」に行く。皆が歓待してくれる。後に「旅」の報告をする。一同「唱歌」で騒ぐ。この場所が自分の心を幾たびか癒してくれて救われた気持ちがする。小姜が食事に誘ってくれた。

小姜は帰りの道すがら私に老紳士の家族の事情を知りたがるが、私はノータッチ。知らない。知っていても知らない!。寡黙は金銀になる時もある。君子危うきに近寄らず。

西門の服務員の中には「西北大学卒業」の男性(35,6歳)が2人いる、いずれも重要ポストに付いている。頭も切れる、以前の職場のリストラで今ここで働いていると言う。中国も日本以上に厳しい。日本についての問題意識も相当辛らつな話題が出る。厳しい質問もしてくる。

女子服務員の小何が突然左手を取り私のシャツを手繰り上げる。「腕時計」拝見ときたのだ。メイドインジャパン。着ているシャツは何処か?と聞く。メイドインジャパン。中国製を身に着けていれば、彼等は安心しない。安く見られてしまう。ジャパン製は「好い」。となる。彼等は概してメイドインジャパン製品に憧れている。日本製品神話はいまも値強い。

小張がCDを3枚持って来た。海賊版らしい。一枚5元。中国歌手で興味が有るのは「王菲」だと伝えると彼は捜して措く、と言う。「盗版は辞めときなさい。関税で没収になるヨ」と小姜が注意するが小張は意に介しない。

※ 若い頃は、勝手気ままにピアノを弾きまくるのが喜びだった。
  だが経験を積むに従って、決められた枠の中で曲を書く方が、
  想像力を総動員しないと不可能なことだと気づいた
       -E.アラン[1868-1951(仏:哲学者.批評家)-
                                               10/13/2001
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  (14)
    自分の好きなネクタイとマフラーを選びなさい

4Fの学生食堂が休業。止むを得ない。前の一般学生食堂に行く。此は1Fに17個所の窓口にそれぞれ、6〜7人の料理人。2Fにもあり、収容数千人は入れる。食事時分はゴッタ返す一般本科学生はカードで「菜」の注文するから料理の受け取り時間が速い。

留学生は、そうはいかない。先ず、「菜」を確認し「料金場所」で支払い。レシートの紙切れをもって「菜」を受け取る。長期留学なら「カード」が必要だと思う。量が豊富。廉価。早期決着。湯でタマゴ2個、饅頭2個、酸乳1個。計4元1角。部屋に持ち帰りテレビを観ながら朝食。

テレビで「中国電話戸用・3億突破」と報道している。この国は携帯電話天国。当分は続く。

昼前、鐘楼近くの開元商城で買出し。早溶コーヒー、ザーサイ、スプーン。計37元30角。西門の朋友に「向日葵のタネ」2袋、15元。バスが来ない、約4,50分待ち113号車に乗車、西門着服務員が、先日、日本の留学生O氏とN女が来たと言う。何をしに来た?解からん、と言う。

今日は2Fに上がり「シルクの女用睡衣」を5着買う、最近日本語を教え始めた「王建」の母が2Fのマネージャー。「安くしておきます」5着で150元。普通1着100元で売る。生徒の母親から便宜を受けると「何か借りが出来た」感じだ。

精算を済ませ1Fに降りようとすると、母親が「自分の好きなネクタイとマフラーを選びなさい」 サービスします、と言う。さらに言う。
◇「小王が日本に留学すると言い、午前中、日本語教習所に通っているんです。母親の立場では日本へ行くのは反対です。小王の語学は大丈夫かしら?」
来た!来た!これだから困る。小王の母親が選んでくれたネクタイは高い物に就きそうだ。

帰りに老紳士と一緒に夕食をして帰る。バスに乗車して老紳士から、想像もしない事を聞く。◆「今日ネ、小劉(姜さんのご主人)に言ったんだ。君!奥さんと別れて若い彼女と結婚しなさい。 君なら幾らでも若い彼女が出来る。とネ。」
確かに小劉は頭脳明晰。ハムサムだ、人あたりも好い。男性として申し分ない。さらに続けて

◆「小劉は奥さん(小姜)を働かせて食っている。小姜が小劉に惚れた弱みなんだ。小姜は夜も働いている。毎日18時〜24時まで○○ホテルに売店を出しているんだ」

小姜から聞いたことはある ◇「私は働くことが好きなの」と。
◆「小姜と別れて、私と結婚させてくれ。と言ったんだ」 老紳士の病はとうとう重症になった

※秘する花を知る事。秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず
       -世阿弥[1363-1443](能楽家):花伝書-
                                             10/14/2001
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  (15)
   “グイーズ!。リーベン・グイズー!”

聴力教程は欠席。読写教程の教師が「”オロス”と”リーベン”はこのクラスは面白くなだろう高級2班を用意した。そちらへ行きなさい。」オロスはすでに国慶節前から姿を見せてない。最近、西洋人の発音に嫌気がさし。又聴力教程にも受講する意味を持たなくなってきていた

気分一新と学生超市の”散髪店”に行った。4元。技術・価格とも「グー」。言うことなし。午後タクシーで”碑林”に写真の取り直しに行く。道路工事中で「曲がれない、迂回して他の道を通っても好いか?」ここは、運転手に任すしかない。タクシー代13元。高いとも思わない。これは失敗だった事が後で判る。

後から気が付いた。東大街の大差市から歩いて20分だった事を思いだした。”碑林博物館”前の704路第18站から両辺の書画商店を散策した。”書院門”の出口に『陜西省西安師範・附属小学校』がある。下校時らしい、生徒が行儀よく列をなし出てくる。父兄が出向う者もいる

“栞”を4枚,買い、店の主に小路の名前を聞くと“三学街・書院門”と書く、さすが書道街の主だ、達筆で教えてくれた。今日は三学街の小路を歩く。此こにも、垂唾を催す書画があった。

来た道を逆に歩いてみた。東大街の大差市バス停に出た。大学前〜大差市までバスで1元〜2元で来ることが出来たのだ。“鐘楼”で西門行き2元。165路に乗車。何時もと道順が違う 途中止まらない!侭よ行くところ迄行くしかない!。終点に止った。下車した。何時もと違う場所だが、見覚えのあるスーパーがある。数百m先に“西門”が見えた。逆の場所だった。

一瞬安堵した。以前、大雁塔前〜西門行きのバス停と同じ反対側だった。これは今日の後々のラッキーに繋がる。何と“鐘楼”から7路バス終点までが道路工事のため交通止めだ!帰りのタクシーに乗車して判った。中国では“前触れの通告無し”で突然、交通止め!は日常茶飯事。一般大衆は文句一つ言わず、唯、黙々と歩く、自転車で往来スル。

今朝、散髪の後、学生スーパで買った“向日葵のタネ”を。西門の小姜に“皆で食って”と渡す暫らく何時ものように、中国語⇒日本語⇒朗読⇒中国語。其処へ、黄堅が2人の中国人を連れて入って来た。三人とも酒臭い!一人は西安軍医大学日本語教師、京都に留学経験有り父母、妻は日本に滞在、彼は曰く:“書道家に鐘善明氏がいる、俺の友人だ、交大にる。”

さらに曰く:
◆“中国NO'1・2の書家だ!知っていますか?”
◇“啓功、は知っています。鐘善明の書は知りません”
◆“ウム・・・・”    俺は、俺は、が口癖らしい。
そこへ、別の中国人が白酒の臭いをプンプンさせて
■“グイヅー!。リーベン・グイヅー!”           
『:鬼子!日本の鬼子!』 指を注し言う。私に対して始めて聞く「言葉」である。
中国語が解からない老紳士は幸せだ。ただ“ニヤニヤ”している。

私は思わず“拳”を握り締めていた。“冗談ヨ、冗談よ”若い女服務員が、しきりに言う。以前、 在中国日本商社員の経験談を聞いた、彼は食堂で偶然、心ない中国人に此の言葉で罵られた。彼の中国人は大戦時、日本軍に祖父母・両親を眼のまえで虐殺された。

この日本商社マンは自然体で、“対不起!対不起!”で表現するすべを知ら無かったと言う。
『三光のかぎり』を尽くした日本軍に大きな傷の痛手を抱えながら生きている中国人は多い
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中国知識階層の人々と忌憚無く談話すると必ず提起されるのは“靖国神社参拝問題”。

◇「真の心の平和は、最悪の事柄をそのまま受け入れることによって得られる。心理学的に考えれば、エネルギーを解放することになるからであろう」 林語堂(中国の文学者)
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◇帰宿後。ベットで『涅槃経』 吉祥天と黒闇天の故事を思い浮かべていた。

                                              10/15/2001

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  (16)
   手帳をバスに落としましたか?

昨夜、小韓から電話があり、「手帳をバスに落としましたか?」
先日、彼女の所に電話があった。「もし必要が無ければ、そのままにして置く、必要であれば、男の人と一緒に取りに行った方が好い。一人で逢うことは危険が伴う」と言う。手帳には知人・友人のアドレスが書きこんである。彼等に迷惑を掛けるこがあれば困る。迷った。

最近、中老年の留学生が一人参入して来た。職種はカメラマン。西安を中心に撮影する為に2週間この交大に来たと言う。午前中は中国語個人レッスン。午後から自由時間で街へ撮影、が彼の生活パターンだ。宿泊地を大学を撰んだんが彼のミソだ。こう言う方法があるか!唸った。大学の宿泊1日、130元位。食費15元位。ホテルは、こうは行かない。奴さん考えたナ

“鐘楼”〜“西門”は現在、道路工事中で通行止め。この間は両側に回民族の住居地の集落がある。有名な「清真寺」もある。路傍両サイドは回民族の商店が列をなし、彼等の生活を支えていた。道路拡張工事計画が回民族住民の変革を意識させた。

西門では中国語⇒日本語解釈⇒中国語解釈の進行にしている。中国語の実地勉強場になる。服務員たちにとっては、日本語の学習場となる。中国語で進行すれば、疎外感を感じる者も出て来る。老紳士が突然、「帰る!」と言い出だした。時刻は3時すぎ、チョット早すぎる。

老紳士と私はバス停に出た。工事中で何時ものバスは来ない。「慶興公園行き」の標示を見てバスに乗り込む、場所違い、と解かり下車し「大差市行き」のバスに乗り換える。老紳士が見当たらない。車中を捜したがいない、困惑した。止むを得ず「ハヤテホテル」からタクシーで宿舎に帰った。老紳士はまだ寮には帰っていない。まさか痴呆の始りでは?心配だ。

暫らく「西門」行きは遠慮したほうが好さそうだ。老紳士から距離を置くことが最上だと考えた

 ※ 馬鹿をいっぺん通ってきた利口と、
  始めからの利口とは、やはり別物かもしれない
      寺田寅彦[1878-1935](物理学者.文学者)

                                               10/16/2001
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  (17)
   紛失した手帳は如何にしたものか?

授業後、昼食を済ませ45路車で“鐘楼”へ。バス停附近の路上で『西安市旅遊局』の看板を発見した。内容は一日遊で『東線一日遊』が20元。『西線一日遊』が30元。各館の入場券は入っていないらしい。朝8時出発〜夕方6時帰西安。少々不安はあるが、是非行って見たい。

今日が“西門”に参加する最終日と決めて城門をくぐる。老紳士のことで心労を患わすことに閉口しだした。小姜の中国語を老紳士に説明するのが、逆に老紳士にジェラシイーを感じさせていた。この事に気が付き始めた。私は老紳士の感情を最初は冗談だと一笑に付していた。劉さん夫婦は相変わらず仲睦まじい。年甲斐もない老紳士とは絶縁しかないと決心した。

二階に登りマネージャーの“王健の母”からシルクの睡衣を5枚買い足した。帰国後の土産物とした。あとは気持ち好く中国へ送り出してくれた彼女へ好物のチョコレートを買った。劉、姜夫婦に顔を合わさずに城門を出たのは少々心残りだった。然し劉、姜夫婦他の服務員に何時も言っていた「又来る」と言う約束は果たせると思う。

紛失した手帳は如何にしたものか、手帳は3冊持参して来た。今となっては無くても好い、困ることことも無い。しかし、わざわざ知らせてくれた中国人は、どんな人閧セろう?昆明旅遊時に小韓に連絡してくれた好意はありがたい。小杜にも手帳のことで電話を掛けて来たと言う。しかし、ここは日本と違う。千差万別な人間がウヨウヨしている。なにが起きても不思議ではない。先日の”『日本鬼子』”の一件が頭の中を過ぎる。

※天下の世話は実に大雑把なるものにて、命さえ捨てれば面白きなり
            -坂本龍馬[1835-67](幕末志士)-
                                               10/17/2001
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  (18)
    ○○賓館に行く途中、老紳士がいなくなった!

聴力教程は欠席。変りに本科生の聴講に参加。10.00"からの2時限目の“口語教程”は教授法抜群のY教師。テンポ好く、受講生も多い。教師なる者、ある程度の経験と年期が必要と心得る。Y教師で感心したのは何時も”教案”作成が充分であること。事前事後の確認がいい

昼食後、手持ちの金銭が少なくなり日本円を人民元に替えに「交大」前の中国銀行に行った行員も留学生の顔を覚えて、パスポートも学生証も無しで変換してくれるようになった。

「交大」前からバスで「碑林」に行く。512号車・4つ目のバス停が「碑林博物館」 0,5元。事情を知らぬ事とは言いながら、以前、タクシーで18元ボラレタのが悔しい。知識不足と諦めた。散策後、書画2枚購入して45号車。空調設備車(1元)で宿舎まで帰る。

学生寮入り口管理室のカウンターに自分宛ての通信の有無を確認するのが外出からの日課管理人に自分宛ての手紙を確認してもらい部屋に持ちかえる。今日は日本から中国語教室の劉麗霞先生の手紙が着ていた。西安に来てから2度目の来信だった。

一時帰国は何時か?帰国したら教室にに来て報告をしてほしい。劉先生ご自身は、4月から北京人民大学の招聘が来ている。現在勤務の遼寧省師範大学に留まるか否か不明だが4月には中国へ帰国する。などの内容だった。同班同学が思い出されて懐かしい。日本の中国語教室での学習法は正しかった。こちらに来て随分助かった。特に発音には自信が持てた

夜、予習していると、ドアをノックする音だ、例のP君だった。日本語教科書持参は何時もの例だ。一通り教えて雑談に入った。彼は今年夏休暇時、日本に遊学し帰りは神戸から船舶での帰路、一人の日本女性と知り合い、彼女を実家(武漢)に案内した。姉の子供を幼稚園に車で迎えに行った、10分前後、留守をしたその閧ノ日本女性がいなくなっていた。と言う。

この日本女性は中国語も話せない。Tバッグ一つ。中国最初の一人旅。P君が手で「親指と人差し指」15cm位を示し、このくらいアメリカ弗と日本円を持っていたと言う。P君「捜索願い」を出すべきか悩んでいる。所持金が多すぎる、先ず事故に会う遭遇性が強い。

彼は悩み続ける 彼は言う日本女性は中国を知らなさすぎる。例えば足の神経筋を切り、歩けないようにして、田舎へ売り飛ばす事は多いと聞く、と言う。以前この話は聞いたことがある

P君が帰った後、小姜から電話だ、○○賓館に行く途中、老紳士が無なくなった!附近で、はぐれたらしい、と言う。最近、老紳士は小姜の夜のバイト先まで”お付き合い”していたのだ老紳士が宿舎に帰ったら、折り返し自分の所へ電話してほしいと20分措きに3度も電話だ。 見つかった!と小姜から電話があったのは2時間あとだった。

※夕映えが美しいように、老人の場所から見た世界は美しい
            -伊藤整[1905-69](小説家):変容-
                                               10/18/2001
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  (19)
   中国語シャワーを浴びて過ごす日々

先日来から我が事務所の財務管理が気になる。短期留学の延期手続きも可能ではあるが、電話での連絡には限りがある。王教授にも理解をして頂いていた。年老いた病弱の母も気になる。昼食后ベットに横になる。暫らくして手紙を出しに南門に向う。時間を間違えて早すぎた2,30分の開門まで南門前の「慶興公園」を散策した。何時も“何故入場料10元?”と思う。

観光客は相変わらず多い。日本なら、このクラスの公園は無料にして一般解放する。維持費の為に入場料徴収とは解かるが、金銭になるものなら何でも徴収する!が方針とは解せぬ。「阿倍仲麻呂碑」の前に日本人2人づれ50歳前後の婦人が腰を下ろし休憩中だった。

上海⇒西安⇒北京⇒東京の気侭な旅烏。上海では【ニセ10元札を掴まされました】と笑いながら、見せてくれた。 「記念に持って帰る」と一人のご婦人。ご亭主は休み無しの勤務中。だと言う。女性が屈強なのは中国女性だけでは無い。一路平安を祈りその場所から離れた。

【中国語シャワーを浴びて】過ごすと自然に中国式な感覚に捕われて往くのが不思議である 先ず、声を大きくして話す習慣が身につく。2オクターブくらい音程が高くなっている。金銭の受け渡しが乱暴になっているのに気ずく。投げて寄越すから、金銭を投げてわたす。物を買う時、値札では買わない。必ず値切ってみる。値札で買うと損をした気分になるから不思議だ。

 ※失われた青春を嘆き悲しむよりも、現代の男性は、
   成熟した私の年齢四十二歳になると、
   自分の過去が果たして静かに沈み、
   快く過ぎ去ってくれるかどうか、気にしはじめる。
   昔の詩を読み返していて、私は気づいたのだった。
   十代の私も二十代の私も、今の私と同じであり、
    かつての日々と同じに、今ここに存在していて、
   時間の経過は抽象にすぎない、と。
   現存する感覚、感受性の主体は、基本的に今も息づいていて、
   ここにある、と。
     D.H.ローレンス[1885-1930](英:作家.詩人.評論家)

                                              10/19/2001
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  (20)
   拾い主は雑誌社の記者だった。

夕べ姚君と電話、明朝10,30"南門で逢う約束をし電話を切る前に「不見不散!」と言うと姚君その言葉は彼女or女が使う言葉だと言う。「??」来週教室の教師に問うことにする。姚君と韓嬢と正門で落ち合う。静かな所でお茶を飲もうと「全日空ホテル」へ、タクシー10元。

”手帳の件”で「連絡者」の電話番号を小韓から聞く。小姚と小韓に一時帰国の件を話し、リコンファームを済ませる。「手帳の連絡者」が3,30"にシャングリラ・ホテル前で逢いたい、と言う一先ず食事に「南梢門」に出て3人で食事をする。2人に、これまでの友情の謝意を述べる。

私の「語学留学」は「語学遊学」に等しく、真面目な留学生生活では無かった。元々長期留学は無理と決めていた。将来も短期遊学は続く。元来外国語は「双方と意思の伝達」が最重要が自論である。少々の文法の間違いは気にしない。完全な語法を学ぶ事は必要ではある。

現在も将来も日中合作公司は語学達者な人材を求める。中国語を学び職業に活かしたい日本の若者は多い。語学が堪能だけでは中国では通用しない。日本滞在の中国留学生。とりわけ10年前までのエリートの中国留学生は今、企業で重要ポストに就いている。

指揮官として活躍している中国友人は多い。当然・彼等は中国の仕組みを知り尽くし、人脈を生かして活躍する。中国の裏面を知り尽くしている。部下として兵隊が必要なのは、どの世界でも同じである。日本の企業家は彼らを必要としている。これからも、続くだろ。

昼食後、”手帳を拾った人”に”紅烟”を”お礼”として用意した。西安賓館を通り過ぎる。昔の面影は今は無い。後方の小雁塔は霞に浮んで見えた。田舎大都市”西安”も経済発展は著しい。  榮枯衰勢を垣間見る。小韓は右前方の西安図書館に行くと言い別れた。小姚は私に自分の部屋を案内すると言う。私は「ポケベル」を盗まれた小姚の部屋に興味をもった。

薄汚い裏小路に入った一角のビル4階が彼の居住場所だった。「スリ」さんはお猿さん?か。壁を伝ってポケベル頂戴と相成った訳だ。路地裏で西安名物「永康稠酒」を買う。 小姚曰く:小姚の「お得意様。神奈川県のある若奥様が彼をご指名で一人で西安に遊びに来る。3個買って日本に帰り、又、買いたいと手紙で書いて来た。」私は興味本位で買ってみた。

小姚と私は「香格里拉金花飯店」前で待つ3,30"。”拾い主”が姿を見せた。小姚と私は先ず自己紹介。“拾い主”が小姚に私が中国語が解からないから一緒に来たのか?と聞いている 主は綿々と拾った時の事情を話す、小姚が私に日本語で「インテリだ」と言う。名刺を要求して来た。彼は雑誌社の記者だった。互いに名刺交換する小姚は流石だ!手持ちの名刺が無いと言う。手書きで渡し、“粗品”を渡そうとしても受け取らない。先ずは一件落着。                                                     10/20/2001
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  (21)
   法門寺・乾陵・茂陵・咸陽博物館を参觀

【西線一日遊】法門寺・乾陵・茂陵・咸陽博物館行きを実行しようと早朝出発。HYATT西安凱悦(阿房宮)飯店で200元両替。コーヒーブレイク。東大街八路調度亭(鐘楼前)乗車券30元徴収8,00”マイクロバスに乗車。満員だ!世紀金花百貨店屋上は早朝から太極拳を楽しむ人々で溢れる。乗車人11名全員中国人。ガイドは私が一人乗車と知り最前席を指定してくれる

乗車途中170元を徴収する。参觀入館料と言う。ガイドは後部席から順次どこから来たか問う遼寧省。浙江省。江西省。上海。各地の参觀者。私は広州人。外国人の目で中国を見るだけで無く彼等の"生の"生活習慣・思考を観察する為だ。常時のパターンで行動する。8,45"西安城西高速路、霧がスゴイ!9,15"渭水を渡る。茂陵・咸陽到着。2度目の参觀だ。

咸陽博物館簡介を買う。咸陽は曽て幾多の中国重大歴史を経過して来ている。商鞅が強国策を献じ、荊軻が咸陽宮より地図を献じ秦王を刺すことを計る、丞相李斯が腰斬に被り、宦官趙高が秦二皇帝を殺し、項羽が入関、咸陽を三ケ月も延焼する。秦始皇帝は咸陽で指揮の中心をとり、奮闘十年、六ケ国を統一し多民族の中史集約封建王朝を建立し咸陽を全国の政治・経済・文化・軍事の中心とした。

大門を入ると正面に(一殿)『秦歴史文物陳列』両サイドに西・東・文物陳列。(二殿)は西漢帝陵文物陳列。(三殿)は漢兵馬俑館が二箇所。筆頭は 『漢参千彩絵兵馬俑』 『漢玉馬』『漢馬蹄金』 『秦提練銅』 『楚陳爰金弊』 『秦錯金銀銅鼎』

10,00"咸陽を出発して一路茂陵に向う。道中“リンゴ畑と高粱畑”が延々と続く。道路脇には高粱の茎が乾燥の為に散乱している。道路も庭も区別は無い。高速道路両サイドに穀物を干す。自分の物は自分の物。他人の物も自分の物。公共性は無に等しい。感覚が違う。リンゴ畑とトウキビ畑の沿道には、ビニール袋とゴミ汚物が延々と続く。焼却設備は無い。

茂陵博物館は霍去病の墓標と石馬。石馬が匈奴を威圧する。左の聯に「石通人意馬嘶風」右聯には「芸運匠心亭暎日」。門外に出て露店でリンゴ二個1元を買う。水分も甘味も最高だ

乾陵着。2.00"〜2,30"昼食。『定食』15元。手っとり速く、安全であり、迷う時は何時も定食だ一人出張を兼ねた遼寧省の人と同席して喰らう。売店で「武則天伝奇故事」と「紹介武則天生平故事」を買う。2冊で6元。乾陵は広大な規模に圧倒される。

法門寺』4,00着。法門寺は周王朝の拠点で“周原遺跡”の一角にある。この寺には古くから佛骨’(舎利)が伝わったとされている。”デジタルカメラを始めて見る”と若い僧侶が寄って来る。この法門寺には「日本人専用」の休憩所がある。念力・念写に興味を持った。
                                               10/21/2001
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  (22)
   コースは雲を突いて架設した長空棧道

【華山一日遊】 思いきって中国五岳の一つ華山へ一人旅。8,10"鐘楼前で乗車。乗車巻220元。8,50"バスは高速道路に入る。宝鶏〜銅川は右の標識⇒『西潼19号線』西臨高速と合流。昨日と同じく濃霧が凄い。20m先が見えない前照灯の効果は無い。対向車のヘッドライトが微かに判明できる程度。スピードもかなり遅い。暫時、霧が晴れる。

高速から一般道に入ると両サイドの高粱畑と林檎畑の連続の風景。此処もゴミが入ったビニール袋が散乱。路傍に積み重ねている。焼却設備が無い。正に汚染物は垂れ流し状態だ。近時社会問題になる事は必至と感じた。 11,30"華山麓に到着。昼食(定食15元・華山遊導図1元・手袋と帽子8元)後、マイクロバスで登山口まで後はロープウェイ。

大停車場の側に河川を挟んで懸崖がそそり立つ。正に男性的な岩壁だ岩陰には既に紅葉が美しい。ロープウェイ〜雲台峰まで断崖・絶壁が続く。主峰の落雁峰は南峰(2160m)・蓮花峰(西峰)2080m・東峰(朝陽峰)2100m・.北は黄河を俯瞰し、南は秦嶺に連なる。『水経注』【遠くからこれを望めば花の状に似たり】とある。コースは雲を突いて架設した長空棧道・絶壁に穿った全身巌。蒼龍嶺・南天門・金鎖関・天梯・劈山救母石・など。

『崋山 古自より 一条の道』と言う。南北に通じる一路しかない。約10km。登山路は幾度も改修工事がなされて、鉄索を強化するなど遭難予防用の設備が整備されている。

【蒼龍嶺】崋山の中腹にあり、険しい斜面で足がおぼつか無い。東西が1500m、南北わずか1mにすぎず、両側は深い谷になっている。青松や白雲を遠望すると目がくらむ。俯瞰する気にはなれない。唐代の文学者・韓愈(韓退之・768〜824)は登山した後、振り返り、色を失い生還は絶望と思い込み、遺書を書き投げ下ろした。同行の人が無理やり酒を飲まして酔い潰し、担ぎ下ろしたと伝える。嶺の尽きる処に『韓愈投書処』の五字を彫った逸神巌がある。

華山の一人登攀は、何とも心もと無い。再起を機して早めに下山した。大駐車場の衛生間で下着の着替えを済ませる。サッパリした気分になり露店を回る。“絵葉書・8角。小石の数珠繋ぎポケベル・ストラップアクセサリー2箇・12元。ゆで卵3箇2元4角・ミネラルウォータ一1瓶”を買う、駐車場は断巌絶壁の岩肌に囲まれ、崋山麓は夕刻近くには肌寒さを感じる。  

駐車場脇の登山口にひときわ目立つ(1,50m×3,00m)1979年10月2日建立の碑が鎮座する【中国登山攀協会】
 崋山登山山岩比賽試練基地
懸崖絶壁に中国登山者の訓練基地が整備されていた。

午後8,00"西安交通大学単人寮に帰る。簡単な食事を済ませ、日誌を記す。張之敏から電話がある。明日9,00"南門で再会する約束をする。

                                               10/22/2001
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  (23)
   Sさんは「交大」留学生寮を見学したいと言う

張之敏が車を運転して「交大」南門前9,00"に来る、「何処に行きたいか」と聞くので【興教寺】だと言う。西安市の南に広がる長安県に車を走らせる。車中、張之敏の西安状況を聞く。環状線の下を潜る。環状高速道路は全長120km。現在工事半ば2002年には完成予定と言う。

郊外に入り長安県附近は道が未整理だ、西安には現在、大学が43校あると言う。傑作なのは“西安翻訳大学”生徒数12000人。数にも驚くが殆どが社会人。“西安師範大学”前を通過◇「この大学を我々は“農民大学”と呼ぶんだ。」
◆「どうして?」
◇「学生は田舎から来ている者が多い。卒業すると田舎に帰り学校の先生になる」

走行約1時間「興教寺」の標識が現われた。左折する農道には一面 【粟】【小麦】を乾燥している。道路を自分の庭として使用している。車は【干し物】を遠慮しながら路面を通過する。

興教寺参觀後、彼の携帯に2,3度勤務の連絡が入る。
◇「西安外国語学院で知人が待っているので紹介する、一緒に食事をしよう」と車を「外語」へ。西安外国語学院は2度目の訪問。女子学生が80%を占める「外語」は「交大」に比べて、開放的で華やかな感じだ。

日本人留学生Sさんと、俗な日本語で言えば“小股の切れ上がった”超中国美人。名前を王娟と言う。簡単な自己紹介の後、西安図書館の隣りのレストランで食事を共にする。

シャブシャブの料理をSさんの皿に甲斐甲斐しく添える中国美人王嬢は見ていても気持ちが好い。父親と娘と見間違う。インターネットで、お馴染みのSさんは「外語」に毎年2,3ケ月留学する。そのお世話をする王嬢は以前は張之敏の後輩だったと言う。 またSさんの「山西省平遥」1ヶ月自由旅行の献立が王嬢。

食後、Sさんは【「交大」留学生寮を見学したい。機会があれば「交大」に留学したい】と言う。Sさんの向学心には頭が下がる。西安交通大学留学生寮に案内し管理室兼守衛所でSさんの意向を係員に告げると、学生証無携帯でも今日は許可をすると言う。寮内を1h案内した。再会を期して交大の北門で別れた。
                                               10/23/2001
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  (24)
   漫画を地で往く世界に踏み込むことは出来ない。  

交大留学生O氏から、私の送別会を兼ねて昼食会をしたい、申し出を遅延していたが、今日引き受けた。O氏他何時も両サイドに従える男女2名。交通大学北門前の◇◇飯店。で開催話題は自然と中国経済動向と日本経済・日本企業の将来像など、語学の話は全然出ない。

1週間前から“姜さん”が“老紳士主催飲食会”出席依頼の電話を掛けてくるが断り続けていた。O氏から21日に他2名と劉・姜夫妻の僅か数名で飲食会をしたことを聞く。劉・姜夫妻の数々の好意に背き申し訳ない気持ちがする。漫画を地で往く世界に踏み込むことは出来ない

午後から雨。17,30"全日空ホテル着。西安滞在最後の小周と食事予約を電話で確認ずみ。加班で1h遅れて来た。雨は土砂降り、全日空ホテル内の日本料理店【雲海】で食事をする事にした。雲南旅行のアルバムを渡される。小周は旅行会社に出向き事は解決済みと言う。

気になる小周の昆明就職状況を聞いてみた。彼女曰く:母は現在インシュリン注射を毎日打つ状態であるが、小周の思う道を歩きなさいと言う、主人は子供はボクが育てるのかと言う。1歳すぎの子供には将来高度な教育を受けさせたい。ピアノ・絵画・水泳など幼児教育は今の中国一般家庭では普遍的な問題になっている。小周は決断しかねていた。

アメリカのテロ遭遇以来、西安の観光来客数は激減しテロ翌日にはアメリカ人だけでも350名がキャンセル。西安市場は大変だと小周が話す。【雲海】での食事料280元。飛び切り高い。

10,30"再会を期して寮に帰る。
                                               10/24/2001
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  (25)
    公安局係官の説明及び質疑応答
   
昨夜來の雨もすっかり上がり、部屋の前から見える樹木が精彩を取り戻す。二羽の百舌鳥が忙しげに樹木を飛来しては又休む。留学生寮前は樹木が囲み市街地の中心とは思えない。環境が素晴らしい。特に校内にはCO2の嫌な臭いが無い。市中とは空気がまるで違う感じだ

「jiaoda」北門に出てタクシーで小雁塔に向う。12元。開門まもない時間帯。駐車場には既に米国人の観光団体バスが連ねていた。朝靄けぶるなか小雁塔がスクッと優雅な姿をみせている。西安に来ると私は必ず小雁塔を訪れる。小雁塔は大雁塔に比べて「どうじゃー」と言った感じの威厳・厳めしさが無いのが私の性に合う。 小雁塔

売店で小雁塔簡介・10元。“中国重点風景旅遊名勝区”“陜西文物珍品”卜克2個40元。購う午後3時、杜麗娟が学習に来た。今日が最後の学習時間だ、彼女の日本語能力は遅々として進んでない、「交大」と「外語」との日本語カリキュラムそのものに原因があると感じた。

本科生は「物理課目」が負担になっている。2年級・3年級でも「外語」生徒の日本語修得とは歴然とした差がある。教科書を見ると”語法”に偏り過ぎている。日本の外語学習のように。

◇「先生、日本に帰ったらメール下さい。日本語でメールを送ります」彼女はアドレスを記す。教課後、小杜を寮門外に送り出すと、寮管理の例の女服務員が「3時からの会議に何故出ない」と食って掛かる。公安局から9月新入留学生に注意事項の説明があるとは掲示板で見た

「数日後帰国する者には必要ないと思っていた」 「行きなさい!」命令調に言う。小杜に会議室を教えてもらう。既に公安局係り官の説明は終りに近く質疑応答が始る。中国人と結婚している留学生の戸籍問題。校外に宿舎をする予定者は申請する。外国人不法侵入地域問題。中国滞在期間の事故発生時は即座に公安局に。等の知識を得た。
   
                                              10/25/2001
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  (26)
   キャンパス内の「白楽天」遺跡を散策

西安交通大学は中国国家教育部直轄の理・工・管理・文科融合の全国重点大学で百年余りの歴史をもつ。中国で最も早く創立された二つの大学の一つ。前身は1896年に上海で創立され1956年国務院の決定に従い交通大学主力は西安に移転した。1959年に正式に西安交通大学と命名された。

在校生14、000余名、その内、修士2、000余名、博士1,000余名、教職員1000余名、その中教授・助教授900余名、中国科学院・中国工学院院士5名がいる。

一カ所の国家工学研究センターと72カ所の実験室、その内に国家重点実験室・開放実験室・専門実験室10カ所。全学は75の学科・専攻に修士学位の授与権があり、36の学科。専攻に博士学位の授与権があり、八つのポスト・ドクターが設けられている。

西安交通大学のキャンパスは慶興宮公園(紀元714-907年・唐代皇帝宮殿所在地)の真向かいに位置する。この公園の中にには遣唐使阿倍仲麻呂の記念碑が建てられている。

キャンパスの南には唐代の有名な詩人、白居易の住んでいた『東亭』と言う遺跡や彩色の星図が描かれている前漢時代のお墓の遺跡などが有る。(西安交通大学パンフより抜粋)

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西安交通大学の短期遊学も終りに近くなりキャンパス南門近くの『白楽天』ゆかりの遺跡を尋ねた。周りは建設工事中で雑踏として『吾妻や風』の建物が工事人たちの簡易宿泊場になっていた。白壁に白居易記念の石込みの碑が周りの場所と不釣合いに雑然としていた。

史書を見ると、現在の西安市は、唐長安城の北部の一部に相当し、漢の長安城あとはかなり西にずれて、今の西安市の西北郊外に残っている。唐の長安城は南北が8,4km。東西9,7k 十二の城門を設け、人口百万人の世界第一の都市であった。

 現在の西安城・東南角にある慶興公園が唐の玄宗皇帝の皇太子であった頃の東宮の跡・(のちの玄宗皇帝の離宮)を改修したもの。復元図によれば、長安の中央線よりも北にあり、長安の街は慶興宮(公園)よりも遥かに南までのびていた。

西安交通大学は唐代の長安城の中であった。この広大なキャンパスは東京大学の約三倍の面積を占める。とにかく広い。キャンパスを巡る校路はプラタナスの樹木に覆われ日陰、雨避けに役立つ。
                                          
 
                                              10/26/2001
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  (27)
   陜西省歴史博物館と清真大寺を訪ねた

陜西省歴史博物館を訪ねた。「jiaoda」南門からタクシーに乗車(9元)、開門間もない時間でも入場(15元・但し学割)者で溢れていた。幸いにも1F特別コーナーで“中国陜西省絵画展”が開催されていた。国画(中国絵画)の鑑賞で時間の経過も忘れ、慌てて歴史館に入場した

一と通りの参觀を終り1Fに戻った所へ、日本人旅行団体14,5名が博物館へ入館して来た。中国人ガイドが流暢な日本語で説明する。急ぐ事も無いので、この団体さんの後方に付いて一箇所、説明がほしい処を、日本語ガイドの聴講拝借とする。

昼食しようと館外に出たが附近に目ぼしい場所も無い。売店でパンと牛乳を買い、バス停のベンチで「鐘楼行き」を待ちながら済ませた。バスで鐘楼(2元)で下車、徒歩10分の回民族住居集落場所にある 『清真大寺』を参觀(入場料15元)した。鐘楼〜大学の寮、バス1元。

寄宿舎から西安外国語学院に留学のSさんに電話をする、「外語」の見学を依頼していた約束時間だった。外語北門で落ち合う。外語の生徒は華やかだ、衣服・スタイル、センスが好い学業一途でない、のびのびとした雰囲気を感じる。この学園の特徴なのかも知れない。

Sさんに案内され「漢学院」の職員と一緒に寮内の授業教室を見て廻った。3回目の訪問。教室・寮共もに明るい。特に廊下が明るい。HKSの試験場がこの西安外国語学院だと聞いた。寮は「交大」と大同少異。Sさんの部屋から小韓にрオたら会議中とのことだった。

帰りに「漢学院」の職員に宿泊を聞くと1泊120元と答える。交通大学と同額に近い。最近は夜遅く「交大」の留学生寮にも宿泊目的の人達が多くなってきた。騒がしい。シーズンに関係有るのかとも思う。騒がしく早朝に出掛けてゆく。

王教授が私の寮を尋ねて来られた。これまで便宜をお図り頂いたことにたいして、謝意を述べ、再会を期した。お別れの際、丁重な記念品を戴き恐縮した。
                                               10/27/2001
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  (28)
   購買力は凄いものがある。

西門の劉さん、姜さんご夫妻他従業員に帰国前の挨拶に行く。二ケ月前は汗を掻きながらこの城楼に登って来た。劉さんら男性達は観光客の買い者客を待ち。今日も手持ち無沙汰にトランプに興じていた。この場所が自分の癒しの拠り所となった、色々な中国人との接点となり怒ったり笑いもしたのが昨日のように思われた。

女性従業員たちは、教科書「中日交流・標準日本語」なる初級・中級各教本で自習していた教本「中日交流・標準日本語」各級は良書で日本でも中国留学生に教えていた経験がある。小黄と小王は来年日本へ語学留学すると意気込んでいる。

                  

    西門城楼工芸品売り場              西門瓮城

中国は今、経済改革で日本以上に厳しい、年層を問わずリストラで職業を失い生活は楽では無い。然し彼等はみな性格が明るい。国民性だけでは無いものが有る。デパートとなどで見かける購買力は凄いものがある。将来の生活に不安は有るが今日の生活を大事にする。中国人のバイタリティーには何時来ても脱帽する。

◇最近、中国では離婚が急増している。五年一昔前は知人に会えば“食事は済みましたか”が挨拶言葉であった。今では“別れた?”と言う言葉になってしまったと言われる程である。離婚率は高く無い、1997年〜連続4年離婚率は1,9% 北京、上海などの大都市での離婚率は年々は増加している、特に上海では4,86%に達して離婚率は高くなる一方と言う。

◇西安も交通渋滞は凄い!タクシーに乗車して言う言葉は「停滞不前」。自転車が横をスイスイ通り過ぎる。交通信号でストップするや否や、「新聞は要らんかね!」停車状態の車を廻り売り込む新聞売りの人々。窓が少しでも空いていれば新聞売りの手が入って来る。

◇西安のタクシーで人気の有るのが、日本製(スズキ自動車・アルト軽四輪車。)初乗り5元 現在、西安市に15,000台の(赤褐色)のスズキ・アルトが走り周る。運転手の操縦も凄い。一日に一回は事故を目撃する。乗客は助手席に座る。後部席に座ると『おのぼりさん』と判る北京天安門事件後、北京で「黄虫」で一世を風靡した。車種は違うが今、西安で活躍中!

◇中国のインターネットカフェ(中国語で「網[口巴]」)など、今ではもう珍し い話でもない、西安でも街を歩くと時々見かける。特に 大学の付近には、たいてい1件や2件はある。端末の多くは中国語環境のウィ ンドウズ、中には日本語環境のものもあり、我々日本人留学生も利用する ことができる。

◇短期留学などで行くときには、わざわざパソコンを持ち込こんだり、プロバイダー への加入登録などしなくともいい。メールのやりとりなども、たとえばMNSの Hotmailなどを利用すれば簡単。ちなみに料金は、1時間4元(約60円)程度。

◇中国留学では、学校の宿舎に住むのが当たり前であったが、今はこの常識は古くなりつつある。西安(交大)では、学校の外に住むことが認められていた。多くの留学生が宿舎を出てアパートなどに移り住んでいる。同班同学の朝鮮族美人・徐霞も外に住み授業に出て来ていた。彼女曰く「費用は宿舎の半額よ!」学校の許可が降りて、公安局が調べに来る。治安に問題無しとなれば、OKとなる。

                                               10/28/2001
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  (29)
   「駄目だ!」この一件だけはダメ!

夕べ小姚から西安から50kmの処にある「水陸庵」を調べてほしい。明日『水陸庵』に行こう。と電話がある、調べたが仔細な事は判らず。今朝小姚から「部屋替えが決定した時間が執れない、小韓に連絡した」と電話有り。小韓から「一緒に出掛けましょう」と言う電話がある。

9,00"交大北門で小韓と落ち合う。『兵馬俑』と『水陸庵』に行くことに決める。西安駅前の長距離バスセンターで兵馬俑行き306号車に乗車、道中は柘榴と高粱の連続畑が続く、柘榴はこの地の特産と言う。高粱畑を見て「紅い高粱」の映画「gongli」設定地を想い出していた。

『兵馬俑』は随分変化して規模も一段と広大となっている。右手の記念館内には「以前の農地の兵馬俑」跡が写真入で展示されていた。兵馬俑発見者の『揚さん』に会いたくて園内販売所を問うた。揚さんは官員に囲まれ写真集(150元)のサンイで疲れきっていた。毎日々々のサイン攻めで顔色も冴えない。今では臆万長者の揚爺さん、(彼は兵馬俑の発見記事録を出版して富の財産を得た。発見者は彼を含み農民4名と言う)今は幸せかどうか少し同情した

1,30"西安駅で小韓と昼食後「水陸庵」へ。マイクロバスで第4陸軍病院前で下車。大道路に出て郊外バスを手を挙げて停車。ギュウギュウ満員の車中、小韓が大きな声で「先生!お金が足りません!」出発前、彼女に2人分の交通費、食事代50元を渡していたのだ。

終点着。ホロ付き三輪車の親爺と25元で往復成立。田舎道をどんどん奥へ「変だ!」小韓が「この道?」と聞く。細い悪路でストップ先へは行けない。「先へは行けない」とオヤジが言う。片道の料金変換をオヤジが返さない。可愛い小韓が怒った!討々と喋り捲くる。20分続く、◇「小韓もういいよ、諦めよう」私の言葉が小韓を一層奮い立たせた。

◆「ビックリしたでしょ?」元の可愛い小韓にもどっていた。中国の女性は強い。「水陸庵」は予想以上の一級品だった。来て好かった、改めて感概深い場所である。夕闇迫る時刻、高速道路でバス待ち40分。手を挙げた!自家用車が止った。信じられない!中国で始めてのヒッチハイクだ。西安交通大学前まで送って頂いた。礼金を受け取らない。

小韓は西安外語学院まで送って貰っても好いかと私に聞く。「駄目だ!」この一件だけはダメだ「交大」前で、小韓をタクシーに乗せて、今までの、お礼を込めて50元渡した、明日からもう必要がないテレホンカード2枚もプレゼントするが遠慮して受け取らない。私は無理やりに小韓のポケットに入れた。
再見!小韓。
                                               10/29/2001
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   (30)
    学生手帳を見せるとすんなりと通過した。

28日から5日間、西安交通大学主催、留学生の為の小旅行で寮内は静まりがえっている。帰国当日を迎え、緊張のせいか早朝4,00"目覚めた。学生食堂(4F)が暫らく休業となり、昨夜、前の学生スーパーで朝食にとパンとリンゴを買った。インスタント・コーヒーを飲み終える。

階下に降りると、鉄条門の門錠をガチャガチャさせている人影が見える。夜も明けない、この時間帯だ、よく見るとドイツ留学生のマックだ。”開けてくれ”と催促するが、ドアの錠が架かって出られない。馴染みの守衛さんが起きてきた。マックは“飛び切り美人”を連れての朝帰りだ、私の帰国を聞いて「嘘だろう」と言う。マックと私は席順が隣同士、会話では常連だった

6,40"迎えの大学専用車が来た。この時期は濃霧が凄い、早めの出発が好いと鄭先生が手配してくれた。北門〜南門と廻る。南門で姚澤が空港まで見送ると待っている。西安空港高速道路は濃霧が一面に出てスピードダウン、速めの出発でよかったと安堵した。車中、小姚はポケットから“電子日本辞書”を出して調べ方を聞く。未だ慣れていないと言う。“日本の、お得意さんの女性が送ってくれた”と彼は嬉しそうだ。

◇“彼女夫婦には子供が恵まれないので、中国の孤児院を紹介しようと思う”彼は続ける・・

◇“中国人は頭脳が好いから、アメリカ人も中国孤児院から養子縁組で連れて帰るんだ”

◆“頭脳は日本人が好いと思うよ!” 私は最近、自信過剰の中国人に少し嫌気がしていた“アメリカに連れて帰っても色々事情があり、育てられないと新聞で読んだことがある。養子縁組だったら日本人にすべきだと思うネ、日本は精子バンクだって安全だ顔形も同じだから”◇“精子バンクって何ですか?”  車は空港に到着。料金130元を支払う。

今日は西安と韓国釜山からの発の航空便で出着が遅れると言う。40分遅れで手続き開始。託運場所で荷物の重量オーバと解かり大慌てだった。手持ちの日本円で何とか解決した。姚君と別れ際に「100元」を無理やりに彼のポケットに押し込んだ。帰りのリムジン用にと。

西安9,50"起飛。乗客は疎ら、上海12,45"起飛、乗客率満杯。広島3,40"着陸した。税関では一々個人荷物の厳重取り調べだ、バッグの中を全部調べる。察するにテロ事件と関係か?。私は4個のバッグだ、一つ一つ開けるのか?気が重くなった。幸いにも、私は西安に語学留学と告げ、証明書と学生手帳を見せるとすんなりと通過した。

送迎待合室傍で彼女が待っていた。
「お帰りなさい」
「ただいま、寂しい思いをさせたネ」
二人はリムジンバスに乗車。交通規則は万全だ。樹木の緑が目に染みる。空気が美味い!                                             
                                               10/30/2001
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