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中国遊学日記
  (西安交通大学)   (9/1.2002〜 )  2002年10はここから                            無断転載を禁止します
   2002年9月

(8/30) YangYang先生が西安空港に出向かいを頂き。感謝!
(8/31) 近くの学生スーパーで果物を買う。
(9/ 1) OMさんと再会。14日間、4000`が自慢。
(9/ 2) 青島製、管ビール3缶買う。1缶2・7元
(9/ 3) CCTB2では日本の朝日テレビを真似た新聞記事の説明
(9/ 4) ¨叫虫子¨早速1Fロビー守衛所に注文に行く
(9/ 5) クラス分けのテストが9・00から行われた
(9/ 6) 康橋苑はエレベータ付き3Fの豪華な学食兼売店
(9/ 7) シャワーの出る方向が一定しない。
(9/ 8)  一般的に中国では¨嗜好品¨は高価だ。
(9/ 9) 今日は気合が入り午後から予習に専念した。
(9/10) 秋風秋雨人を愁殺する(秋瑾)
(9/11) 日本人留学生を嘗めきった態度だ。
(9/12) 小高は「西安師範大学に転校するんだ」と言う。
(9/13) 我ながら聴力の低さに頭が痛い
(9/14) 財布を掏られた。中には17日からの寝台車切符が入っていた。
(9/15) 教授の描いた画を所望した,と快く一枚の絵画を差し出された。
(9/16) 交通大学留学希望者は心得るべし!南門西北の中国銀行は最悪。
(9/17) 姚君、3時ジャスト、留学生楼に来てくれた。持つべきは朋なり!
(9/18) 「日中学童助学会」ポランテア参加。
(9/19) 雨の中、貧困家庭「窟洞」住民の訪問。
(9/20) 延安市革命記念館。毛沢東、周恩来、旧居の棗園。参觀
(9/21) 部屋は洗濯ものの満艦船。
(9/22) 「公安局の最も重要なことは何ですか?」「治安です」
(9/23) 名門大学を目指して入って来た彼等の「走り方」はぎこちない
(9/24) 授業の終わりに国慶節の休みが発表された。
(9/25) 互相学習希望の英語系、李爽に電話する。綺麗な中国語だ。
(9/26) 子供に対して“陪読”が中国一般家庭の習わしと言う。 
(9/27) 
教科書も以前は「生詞」に日本語解釈が多かった。今は少ない。
(9/28) 留学生の90%がパソコンを持って来ている。
(9/29) 「理想の恋人とは」中国語教材中
(9/30) 日本から「日本語能力試験対策問題集」を送ってもらう。
       

◆(8・30) 広島〜上海空港一時間半。給油1時間、待合室で休憩中(au-global,rassport) 携帯電話にメールが入る。折り返し返信。北京、上海、香港、アメリカ、カナダ、韓国、 オーストラリアに使用可能と言うので無料なのを二個入手。一個は家族用に。西安に向う。上海では予想以上の乗客ほぼ満席状態二時間、正味3時間。午後8時30分西安到着。

yang
先生が
大学の車で出迎えだ、謝意を述べて車中で近況を聞くと「学校方面」。と 言う。受け付け係りが一年前と変わっていた。「何処の部屋が好いか」と言う。今回は  3Fをお願いした。322室。荷物を整理しシャワーを浴びベットに入る





◆(8・31)朝食に4fの学生食堂に行くが休み。受け付けで電話カードを購入。昨年の服 務員が驚いた様子だ、一応の挨拶を終え、その足で学生スーパへ買い物。二軒廻り食料品・果物。後、日本へ電話。通話出来て一安心した。

後、王教授と姚君に到着の連絡を執る。
姚君と5・30分に食事の約束をする。45元。暑い!。汗がタラタラと流れる。2.3回、外出し商店でバナナとりんごを買う





◆(9・1) 早朝・6時半起床。散歩に出掛ける。第7号食堂前を通ると営業中だった。早 速、中に入って見る。二間の間口で14箇所の営業、総数、数千人が入れる。壮観だ。早速カードを購入した。10元。軽食を摂り南門方面に散策中、韓国のY君と出会う。昨年から3年間の留学と言う。

金さんは帰国し職業復帰と言う。部屋を出た処でOMさんと出会う。夕方6.00から数名で夕食会を開く参加してほしいと言う。OMさん曰く、14日間。4000`メートルを走破した旨の報告会だった。







◆(9・2) OMさん出発に際し「劉海」運転手を紹介される。名刺交換後、午後、手紙を出しに北門に行くが閉門だった。昼食は本科生専用の食堂で摂る。味が不味い。前年と同じだ。シャンプーを買いに出掛ける、青島製、管ビール3缶買う。1缶2・7元日本圓、約45円。酸牛乳4パック購入。






◆(9・3) 朝6時40分起床。朝のジョギング中、大講堂前で太極拳の練習に参加する。午前中は日本から持ち込みの教本で中国語の予習。昼食は部屋でパン2枚、青島ビール1缶。酸牛乳1パック。テレビスイッチON、驚いたCCTB2では日本の朝日テレビを真似て新聞を貼り付けアシスタントが説明する。

夕方、西安賓館に行く。昨年西門附近売店でお世話になった。挨拶を済ませ小品を渡す。返礼に 500景≪遊遍陜西≫書籍を頂く。






◆(9・4) 早朝の散歩中、白楽天の遺跡廻りの変化に驚いた。周りが高層ビルの様変わり。新入生が両親に付き添われ、続々と入って来る。食堂でも田舎ポット出と直ぐ解かる服装だ、甲斐甲斐しく子供の面倒を見ている。

子供は両親のなすが侭だ、暫らくの別れとなる。
新入生歓迎のビラが同郷の先輩達から壁にベタベタ貼りつけられている。地方色豊かで微笑ましい。小韓から電話。「先生、逢いたい!」「就職は決まりましたか?」「いいえ、まだです」「日曜日に食事でも一緒にしませんか?」「はい」「11時頃どうですか?」「11時ですか?」夜と間違えている。「午前の11時だ」「解かりました。先生は中国料理大丈夫ですか?」「大丈夫」「又、電話します」

夜、10時頃 ¨叫虫子¨(蟲に刺される)て目がさめる。早速1Fロビー守衛所に文句を言いに行く。「毛布を換えて欲しい」「今日は無いから明日にして欲しい」






◆(9・5) クラス分けのテストが9・00から行われた。昨年と殆ど同様なもの。新人は18人。 中に男性のシニアがいた。3班程度で気楽に始めるか?折角、海外に来たのだ、上のクラスで真剣に勉学に勤しむか?迷う。答案用紙半ばで、白紙で考えた。王教授は「好きなクラスを選びなさい」先日電話で話した。

14・00小劉から電話、17・30頃、西安賓館で逢う約束。18・00小劉。小華と3人で小雁塔隣の唐××飯店で食事をする。英語通訳の小華が「日本のかな文字、カタカナ文字の¨QiYuan¨はどこから?と聞く」この起源の発音に少少戸惑った。

「何年位、中国語をしている?」「83年から始めた、約20年前ごろ、然し実力は4.5年程度だ」「それだけ話せて何是、留学に来た?」「我不是留学、而是遊学」『留学に来たのではない。遊学に来たのだ』小華からメールでソニーのPS2の問い合わせにかなりの時間で説明したが、中国では既に容易に入手出来ることに驚いた。「
日本にある物はなんでも手にはいる。」と豪語する。





◆(9・6) 6・30散歩、7・00食事。10・00まで熟睡。休日をゆっくり寮で過ごす。昆明の××に電話するが通じない。電話カードを買い足す。これで3枚目。交通大学のキャンパスは広大だ、東南門附近に白いビルが続々と建造されている。

「康橋苑」学生食堂兼売店がオープンしていた。昨年は無かった。この康橋苑はエレベータ付き3Fの豪華なもの。今日のテレビで北京師範大学の百周年記念が放映されて書道家でもある中国書道界の重鎮「啓功」の矍鑠たる姿が印象に残った。






◆(9・7) 朝5・45起床。1Fのロビーに降りるが守衛は未だ起きてこない。鍵が架けてあり、門も頑丈な鍵が架かっている。朝帰りの留学生が門の前で開門を待っている。散歩の途中、韓国留学生の¨小高¨に逢う。朝食を終えて朝しゃんを終える。シャワーはすでに湯が出る。然しシャワーの出る方向が一定しない。
  
夕食は寮の前¨第7食堂¨。実物とサンプルとの違いに失敗だった。¨味を清淡¨(味をあっさり) と言ったが、八角。韮などの臭いが強烈だ。夜国際電話が入るが特に別状無し。小韓から電話「明日、外国語学院正門11・00に待ちます」と言う。





◆(9・8) 夕べ¨蚊¨に悩まされた。昨日、一日中、窓を開けて外気を入れた。ブラインド を信用したのが失敗だった。スプレー式の殺虫剤を持って来るべきだったと後悔する。11時小韓と一年ぶりに逢う。4年級の彼女は一段と女性らしく美しくなっていた。相変わらずポニーテールが好く似合う。西安のコーヒー店は¨名典コーヒー店¨老樹コーヒ店¨が有名だと言う。

幸いに隣に¨名典コーヒー店 ¨ があった。一判的に中国では¨嗜好品¨は高価だ。
20〜30元は高い。然し、味は日本並み、クラス選別の話をすると、小韓が言う、「私だったら真中の3級のクラスを選ぶヮ」





◆(9・9) クラス編成が発表された。顔見知りの或る講師が¨shiQiao五斑!¨と大声で言う。一瞬躊躇した。上級クラスだ。予想はしていたが五斑となれば昨年のようには遊ばれない!。試みに参加して、それから又考えようと教室に入った。

昨年の下級クラスの連中が目に付く、若者の進歩は早い、一年間精進した結果とは言え、海外留学の結果は確実に出ている。2時限目、20代後半の講師が、各自自己紹介をさせて。授業を始めようとした。生徒に自己紹介をさせて、自分はしない解釈に釈然としない不自然さ感じた。3分の2の生徒が前期引継ぎでこのクラスだと後で解かる。私は空かさず先生の名前を黒板に書くよう求めた。

講師の名はZhang。西北大学卒業専科は中国文学。現代中国文学を1917年と位置付けけ、好みは¨魯迅¨とおっしゃる。私が¨秋瑾¨の名を上げると彼は、秋瑾は作家では無い!革命家だ作家では無い。と、のたまう。最初のジャブが飛んで来た。

昼食を留学生寮4Fに行く今日から開店していた。マネージヤーの小高が私を見るなり奇声を上げ手を差し出し握手で歓迎した。今日は気合が入り午後から予習に専念した。






◆(9・10) 早朝からシトシトと秋雨、何時も例の如く散歩に出かけ早目に切り上げる。4Fで朝食を済ませる、2元。授業に出る、一年ぶりのYao先生の講義は彼女独特の会話に説得力がある。猛然と早口で語り捲くる。聞き漏らすまいと神経を集中する。概してYao先生の講義は人気がある。

午後昼寝の後、九州から来たシニアーの男性を買い物先に案内する。この筑紫次郎「西安がこぎゃん汚い所とは知らんかと」とボヤク 「総て旅行会社に任せた」と言う無責任な筑紫次郎は何かにつけボヤク。

夕食の際、韓国の小高が「明日、東大街へめしを食いに行こう、朝鮮料理は大丈夫か?」と下手な中国語で誘う。理由は二つあった。一つは≪日本特有の箸箱セット≫土産に3個持参していた一つを彼にプレゼントした。夜、ドアをノック、姜君が論文を修改してほしいと来る。此れを機会に姜君、私の部屋に来る。日本から書籍が届く。





◆(9・11) 驚いた、昨年初日のショックを想い出させた。例の四川訛りの老教授が講義に来た。、「聞読・課目」新聞・雑誌のコピーを講義を担当。先ず延々と自分の経歴を眼鏡を少少ずらかせて語る姿は昨年と同様。コピー紙8枚を各自に手渡されて観た。

憤慨遣る方無し。なんと4,5年前の≪小渕内閣に関する古事≫≪橋竜の政治の功績≫ 日本の古雑誌か新聞をコピーしたようなもの。日本人留学生を嘗めきった態度に怒りを感じた。即刻≪罷課≫(授業ボイコット)教室を跡にした。自分の部屋で「生詞」の記憶自習と「テープの聴力」に切りあげて以後一際「罷課」を決め込んだ。

結果として当然、この、クラス生徒の出席率が悪く、この教授は《3ケ月未満で体調を崩し教室には出て来ないと言う。》噂では ≪炒魚+尤魚≫ChaoYouYu。(スルメ烏賊を炙る。転じて解雇。クビになる)。 HSK信者が一人いる。「自分がクラスに居たら皆が遠慮して教室がシラケル」と言い来週から部屋で自習すると言う。午後2時から≪務義活動≫(ボランテア)活動兼旅行の説明会、2時間遅れの4時開始だった。日本人も中国に住めば時間感覚も中国人並になる。






◆(9・12) 昨日、少し手抜きの自習が祟って気分が重かった。まして上級クラスの若者は実力者揃いだ。「聴力の課目」テープのダビングを考え、貸し出しが必須と考え事務所に申し出る。教科書の途中参加者は要注意。後で解かったことは、生徒全員がテープをダビングしていた。年長者只一人の私は何かにつけ、ニュースが入り難い。

17日発の汽車の切符が取れた旨の連絡が入る。夜6・00小高から電話。ガラッパチの「四国三郎」と3人で東大街解放路図書大厦北側≪高麗亜≫に朝鮮料理を食する。小高は、ご子息が韓国で医院経営、中国滞在費一際ご子息が振り込んで繰れる優雅な身分。今度、小高は西安師範大学に転校するんだと言う。

小高の二つ目の理由がこれで 解明できた。私は中国料理よりも朝鮮料理が口に合う。
小高と再会を期し寮で別れた





◆(9・13) 朝、目が醒めて少少の雨の中を散歩。授業1・2時限(2時間)「視聴」新しい課目。テープ映像を視角。内容は中国ラサ地方の風俗、訛りとボリュームの関係で解せず、我ながら聴力の低さに頭が痛い。

帰国後は聴力専門に力を入れる必要性がありそうだ。最近留学に来た「姫」が「筑紫次郎」のクラスに入った。西安観光に来て旅行会社の勧めで帰国後、留学に来たと言う。一斑は入門クラス、「中国語に四声が有ることも知らない。」彼は姫のことが心配だ。

「姫」が帰国したいと言うのを、筑紫次郎が中国に留まり努力するよう説得している。






◆(9・14) 東南門を出て対面に路店が並ぶ、今日は部屋の電灯の買い替えを考えて蛍光灯スタンド一器と蛍光灯二灯を購入した。二個の電気スタンドでデスク周りも随分明るくなった。明日、訪問予定の「趙建科教授」に手土産として鐘楼附近の金花商店で¨月餅¨30元。を買う。

帰り雨の中を鐘楼で7路バスに乗り込む。財布から1元を出す。慶興公園で下車。此処で大失敗に気づく、財布をスラレたのに気づいた。財布の中には17日からの寝台車切符が入っていた。明日は日曜日。月曜日にでも再度切符を買うしかない。

明日9・00外国語学院正門前で小韓と逢う約束をする。同郷の2年級日本語科生徒紹介すると言う。筑紫次郎には中国語指導のワンペアの先生を見付けたと連絡すると、彼は週3回が好いと言う。






◆(9・15) 久しぶりの睡懶覚(朝ねぼう)。7食堂で軽食後、北門を出て右に折れ西安理工大学前の商工銀行を探す。中国では汽車の切符類は商工銀行隣の窓口で簡単に買える。時間が迫るが見付けられない、タクシーで外国語学院に行く。

小韓と彼女の後輩が待っていた。教室で話しましょうと言う。5・6名の女子大生が自習していた。商工銀行が近くにキップ売り場が有ると言う。無事17日の寝台車切符が買えた。昨年と同様に小韓を連れてバスに乗車し西安美術学院(西安美術大学)に到着。

事前に教授宅に電話。21Fでご夫婦に快く迎えて頂く。雑談後、奥さんが餃子を作る準備をしていた。久しぶりの家庭料理と楽しい時間を過ごした。

帰る際、思い気って¨教授の描いた画を所望したい旨を述べる¨と快く一枚の絵画を頂くことが出来た。奥様から仮眠して帰るようの言葉、丁重にお断りし再会を期して失礼させて頂いた。
絵画は桂林を題材にした素晴らしい逸品。帰国後,額に入れ,一詩を書く必要がありそうだ。




◆(9・16)朝、2Fの留学生告知板に「学費、必要費を17日午後4時〜5時までに支払うように」と中国語が書いてある。告知板は当然ながら、すべて中国語。南門を出て左に10分の所に中国銀行がある。昨年も随分利用した。ところが、此処で大問題が発生した。

先ず、取引銀行と住所、銀行名、電話番号を英語で書けと言う。電話は無いと言うと、それでは好い。と言う。取引銀行の所在地までは覚えていない。女店員が「見習」の名札を付けている。ラチが騰がらない。隣の男行員が半ば口を開けて馬鹿みたいに鈍い。女店員も仕事が解からないので隣の男行員に聞く。

男は半ば口を開けたままドローンとした目つきで何やら言うが窓の外からでは聞きとれない。完全に頭に来た僕は、他の銀行に行くから、お金15万円とパスポートを返せと 強引に引き取り寮に帰る。

寮から旅行会社勤務の姚澤に事情を話した。彼は今、上海から西安に帰る途中で今夜中には帰る。明日3時には寮まで14万円の人民元を持って行くと言う。持つべきは朋なり!

交通大学留学希望者は心得るべし!南門西北200mの中国銀行に行くのは控えたほ うが好い。≪海外電匯申請書≫なる物に日本の口座銀行名、所在地、電話番号、全部英語で書けと言う。私は中国語を学習しに来ている。中国語で書いて何故悪いと言うと、ああでもない。こうでもない。ケチを付ける。

明日、大学に費用を納めなければならないと言ってもガンとして聞き入れない。明日、日本から来た新留学生がこの銀行に殺到するだろう、考えただけでもゾートした。






◆(9・17)姚君、3時ジャスト留学生楼正面に来てくれた。14万円分。レート、659、人民幣9226元。学費を3時から支払う。3ケ月分、4・510元。部屋代(単房)は旅行から帰ってからで好いと言う。

20・30寝台車に乗り込む。列車の中でHSK10級者が若い女子学生に、のたまう 留学生最上級の生徒の中にだってレベルは低い。、この件につて愛知大学3年級の大樹君。韓国留学生金竜君。大阪教育大学3年級の麗那。四国三郎、筑紫次郎、京都御所、三沢基地等々の意見を聞いた。

総体的に彼等の意見は「自分の実力のレベルを知る為の受験と考えるべきだ。」が多 い。
中国では年に3回HSK試験が行われ、日本に比べチャンスが多い。中国に留学生し平均7・8級を取得して帰る。語学ができれば就職有利と錯覚しているのが多い一昔5.6年前はそれで好かった





◆(9・18)
今回参加したのは「日中学童助学会」ポランテア参加。陜西省安塞県楼坪郷小学貧困児童の家庭に物心面に援助しょうとする団体。

◆(9・19)
陜西省安塞県楼坪郷人民武装部に宿泊。雨の中、貧困家庭「窟洞」住民
ボランテアに参加したのは、新華社新聞記者、交大教授李紅を含めて14,5名。西安に日本語を教えに来ている人が「日本中国学童助学会」を通して参加を呼んだもの。先ず安塞県楼坪郷人民武装部に到着。楼坪郷小学校長が貧困家庭65名の生徒の名簿を李紅教授に渡した。彼等はみな「ヤオトン」に住んでいると聞いた。数年前から、この団体は日本で教材道具、衣類(中古衣料をも含めて)全国の善意ある人達からの寄付を集めて、学費が払えない貧困家庭に寄付をしている。

然し、金銭、教材を寄贈しても子供まで、届いていない。途中で何かの事情で届かない。今回は家庭に取材し写真記録を証拠とし教育関係者立会いの元で寄贈しようと試みられた。二日間5班に分かれ雨の中を取材と中国語通訳を兼ねて同行した。黄土高原の雨の中の歩行は困難を極めた。

私たちは分散して12家庭を訪問取材した。李教授と交通大学研究生日本語科王君と同行し、「日中学童助学会」に報告書を作成する為、日本人感覚で彼等の生活状態を聞くため李先生の傍で翻訳記録を書きとめて「日本中国学童助学会」に提出した。全家庭とも「ヤオドン」に住んでいた。

麦,小麦、蕎麦,稗、高粱、しか農作物が無い彼等、働いて現金を稼ぐ方法もない。ヤオドンの中には裸電球一つ。室内の空気は悪い、家財道具も無い、茶碗と幾つかの箸。悲惨を極めた生活。ある地域でテレビがある家庭に出会えた。娘が結婚し娘婿が買ったものだと言う。母親が言う15歳になると娘は嫁に行く。」低い声で「事実は売られるのだ」と言う。子供達は登校したい。しかし学費が払えな為行けない、

日本で放映される「ヤオドン」とは雲泥の差だ。精神異常を来たした母親。健康を害した父親たち。環境が極端に悪い。老人子供を置き去りにして街に出て帰らない母親。子供たちの表情も硬い。

あはたに望むものは、インタビューに対いて担任の女教師の言葉が忘れられない「子供達が将来、成長し偉大な人物になって帰って来て村の経済改革をしてほしい。」 道路一本あれば、その道路がここには無い。





◆(9・20)
延安市革命記念館。毛沢東、周恩来、旧居の棗園。参觀。





◆(9・21) 早朝6・00西安駅に到着。東南門までタクシー、早速洗濯に係る。朝食を4Fで済ませ部屋に帰り一休み、さすがに疲れた。熟睡して午後0・00過ぎ小王に「瓜子」をプ レゼント。部屋は洗濯ものの満艦船。

復習中も睡魔をもようす、夕方4Fへ食事に行く。「姫」が互相学習で私が紹介した学生の愚痴ばかり 「ではhinghingは辞めにしましょう」わがままな「姫」には手の打ちようも無い。






◆(9・22) 朝、東南門から道路に出て北門まで通過し7食堂で食事を済ませる。部屋で 復習・テープを聞き予習。筑紫次郎が来て京都御所が夕食を作り4Fで用意すると言う 行く予定にしたが、香美から「王君の家庭訪問し食事をすると言う。私も来るようにと伝 言です」と言う。京都御所と麗奈にも大事な用事が有ると断る。

王君とは一年ぶりの再会、父親と雑談、客人として30才位の女性が現われた、中国語会話にと。王君の母親の友人だと紹介された。美貌で知的で落ち着き払った態度は近寄り難い。「職業は?」「公安局勤務です」「公安局の最も重要なことは何ですか?」「治安です」「日本の公安は?」「日本の公安関係者は道路交通も兼ねています」

王君の母親の好意は有り難いが、この手は苦手だ。早々に退散したほうが良さそうだ






◆(9・23) 早朝の散歩。6・30門を出る、雲ひとつ無い晴天、キャンパス内は汚染のない 快適な生活だ。競歩訓練、軍服を着用した一団約30名が列をなし足音も爽やかに「ホ ッ ホッ イー アール サン」と掛け声と共に過ぎて行く。

暫らくして又一団が来る。この時期、中国新入生は北門から東南門まで街路樹を競歩訓練、北門で係員に赤い手帳を渡し証明の印鑑を押してもらう。6・30前には100名位の一団が待機している。

名門大学を目指して入って来た彼等の「走り方法」はぎこちない。まだ慣れないせいか 「ドタ ドタ」と走る。
スポーツを全くしていない走り方だ。
  
午后4・00頃トランクを開き來月の食事費400元を封筒から出す。そこへドアのノック 慌てて現金をテーブルの上に置く。二人の女学生が「相互学習して欲しい」と言う。誰の紹介か聞くとFingFingから聞いたと言う。部屋に入れて椅子に坐す。

「省の博物館前、海音寺茶店でバイトいています。」静岡県に留学経験もあると言う「研究生です。27歳。名前は某某。電話は××。部屋番号は××。」書き留める。この研究生と言う者が曲者と後で解かる。信用した。では来週から始めよう。曜日を決め彼女たちを送りだした。

テーブルの上の400元が無い!
 
fingfingが来た。そこへ電話がかかる。猛然と喋り捲くる。「君の名は、電話番号は」私に忠告を言う意味のことだ。彼女の名は控えた。FingFingに変り電話は続く。

中国の格言
人を責めるの心を以って己を責め
己の恕するの心もて人を恕せば
聖賢の地位に到らざるを患えず






◆(9・24) 大学の部屋代を支払う。3ケ月分、4840元。高い。一年位長期留学なら絶対外に居留すべし!留学生楼に居留している者は一年未満の留学生が多い。一般的に韓国、ヨーロッパの留学生は外に居留している者が多い。韓国人のコミニュ ケーションは独特なものがある。寮と外での料金は1/3だと言う。断然、外の方が安い

昼食は学生寮で食し夜と朝は自炊する者も多い。四国三郎はシャワーでは物足らないと、タライを買い浴池変わりにしている、これを聞いた京都御所も早速買いだし行った人間が一人坐れる大き目のタライは結構重視されている。授業の終わりに国慶節の休みが発表された。10月1日から7日まで休暇。9月28日29日 は繰り替え授業。






◆(9・25) 昼食時、国慶節に「平遥古城」の旅行話をしたらOK。予定を今から立てる。4Fに部屋を変えたいと1Fの管理者に言うと「二部屋有るから好きな部屋を選びなさい」とキーを渡された。早速下見、413室に決めて一時間かけて移動した。同班同学の同郷の、恵美子の話では一ケ月700元だと言う。仲介業者に頼んだ、手数料一ケ月分支払う。それにしても安い!我が寮の13日分で一ケ月とは・・・・・・

夜、11・45遅いと日本人感覚では想いがちだが中国学生は夜11時に自分の寮に帰るそれまでは図書館で自習する。互相学習希望の英語系、李爽に電話する。綺麗な中国語だ、金曜日午後5時約2時間、日本語を教え、残りは中国語で会話。これなら充分中国語の練習になる。

極力、日本語を使わない生活を望むが奈何せん食堂では日本人村になる。中国語経験の少ない人は自然と日本語の生活に頼る。






◆(9・26)国家昂揚の為か、午後2・00〜2・30キャンパス全体に流れる長いメロデイーは さすが中国。9月からの新留学生もやっと仲間に入れてもらったと安堵感が沸くから不 思議だ。

教材から抽出。≪子供に対して“陪読”が中国一般家庭の習わし≫と言う。それも父親 が子供に対して接する、日本では過去には当たり前が今、中国は教育が重要視されている。日本では父親に本を何時も読んでもらったと言う子供が何パーセントいるだろうか。オロス、イギリス、ベルギー、ドイツ、アメリカ、韓国、各国留学生の集団で(追求 升学率)⇒教育問題が熱い






◆(9・27)教材から⇒日本の予備校に関する補習授業の無い中国では、日本の予備校が注目を浴びていた。少子化問題で経営困難と言うことも理解され難い。

昨年と大きな差は「韓国留学生が多いのが特長」全般的には韓国でかなり高度な中国語をして来たな、と感じる。会話力はヨーロッパと同じく、抜群だ、それに比べて日本人は「目で理解」する習慣が禍を残し、会話は下手だナ。と感じる。中国語学習で一番特をしている漢字の国、日本が遅れを執っている。

ヨーロッパ、韓国、アメリカ、漢字の知らない人種が中国語を収得するのは日本人の比ではない。教科書も以前は「生詞」(新しい単語)に日本語解釈が多かった。今は少ない。「生詞」解釈に英語が多くなって来た。

韓国では漢字は数年だけ教育させる。れきっとした「ハングル語」がある人種が何故こうも中国語が上手なんだろう。中国の大学で日本語系がある大学は必ず日本語と中国語の相互交流を望む中国人が多い。

中国語と韓国語(ハングル語)の交流を希望する中国人はまだ少ない。その点、日本人は断然優位だ。しかし下手が多い。外国語学習法に問題がある。





◆(9・28) 1・2時限目は「視読」テレビドラマ。ジャッキーチエンのドタバタ劇、うんざりして余り関心が無く居眠り状態。そこえ名指しで“造句”(簡単なセンテンス。文を作る)を作れと言う。来たな!と感じた。よーし、ならば来週から“格の違い”見せると意気込む。夕方6・00から李爽が来た。格好の中国語練習になる。日本語はサッパリ駄目、先が思い遣られる。

今夜、ヤオドンの取材参加者の慰労会が主催者主導で行われた。第一回の李爽の相互学習と言うこともあり、欠席した。 

全体の留学生の90%がパソコンを持って来ている。昨年と比べ隔世の感じがある。接続の煩わしさから持って来なかったことが悔やまれる。筑紫次郎は新品を持参して来た。接続を同郷女子大生、F淑恵が簡単に済ませてしまったのにはオドロキだった。






◆(9・29)教材⇒1・2時限目「理想の恋人とは」中国語教材中、総じて男性に求めるものは と言うと、
1・瀟洒。 2・用心専一。 3・聡明。 4・職業好。 5・創造性。 6・開朗。 7・富用。

女性に求めるものは
1・漂亮。 2・温柔。 3・聡明。 4・天真。 5・朴美。 6・善良。

金無足赤、人無光人。
結論として⇒共同志趣⇒互朴型

各国学生に討論させる。独身男性講師は興味有り気に各国留学生の考えに頷いたり、ニャリとして聞くこれが若者の一般的な志向。2ケ月後に或る大学教授専門に日本語 を教えに来た美人教師兼通訳。日本人キャリアウーマンの一言が「意」を付いていた。





◆(9・30)この時期、各国から留学生が集まって来た。留学生食堂は賑やかなって来た。留学生も国慶節には如何に過ごすか、話題が出る。今日の授業も参加者が4.5名。それでも講師は真剣そのもの。

日本から「日本語能力試験対策問題集」を送ってもらう。こちら西安の学生に教えているうちに、必要性を感じた。今年は留学生楼2Fにパソコン室が設置されていた。昨年にはなかった。然し、何時も韓国留学生、ヨーロッパ留学生に占領されている。パソコン室には5台設置されている。
夜間の空き状態を見てインターネットで日本を知る。

 
 2002年10はここから


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